第34話 風呂は1日にして成らず
「「「「えっ……」」」」
4人組の男子生徒に風呂が好きか問うと、彼らは答えに困っている。風呂は好きだけど、彼らの頭の中では高級店の娼館で入った風呂のことを想像しているのだろう。極楽浄土の時間を思い出して、緩んでいる表情の彼らに説明する。
「キミたちは、風呂に入った経験が少ないだろう。だから風呂の良さを教えてあげよう」
そうやって、おっさんから風呂については、体の汚れも落とせてお湯の温もりで血行も良くなって、体の疲れを癒して健康にいいことを熱弁する。こちらに来てからは全く風呂に入っていないし、社会人になってからは完全にシャワー派だったおっさんが上から目線で熱弁を振るっている。
ブラックな職場時代は、浴槽の掃除が面倒なのと時間短縮の効率重視を考えて、シャワー派であったのだ。朝に起きる時間もギリギリまで睡眠時間を確保して、寝癖を直すのと顔を洗うのを一度に行えて、寝ているうちにかいた汗も流せて目覚めにもなるため朝もシャワーを浴びていた。
「毎日温かいお湯の風呂に入って、身綺麗にするのは健康にもいいが、それだけじゃない。カルミア嬢に限らず、女性は清潔感のある男を好むのだ。それは毎日風呂に入っているのが最低限の条件だ」
「「「「………」」」」
ごくり、と喉が音を鳴るほど唾を飲み込む4人に対して、毎日の入浴の魅力を伝えて風呂に入ることを目的とした取り組みが、深淵祭の研究と実践の場でのパフォーマンス発揮のための、訓練になることを説明する。
それはもちろん、そろそろ冬が近くなって、水浴びが辛いから彼らを使ってお湯を得ようと言う理由なのではない。結局自分たちはいつもやっていることしか出来ないし、適性外のことを行うのは難しい。
模擬戦を見学した王子たちの組のように、彼らの得意魔法は知らないが防御魔法と攻撃に使用する魔法を、同時に高レベルで実践の場で使用するのは、我々にとって何年準備期間があっても難しいと思う。
だから、日頃使用している得意魔法の訓練の質を高め、後は出たとこ勝負でしかないと伝える。了承して頷いてくれる4人に対して、更なる提案をしていく。
「はい、全員が賛成してくれたので、まずは私の下宿先に空きがあるから4人とも引っ越して来てもらいます。これからは、授業も必修のものは別にして最低限だけにして、日銭稼ぎも減らしましょう。その分、深淵祭の本番までの下宿代と生活費等はこちらで持ちます。それで、朝晩は必ず組としての魔法の訓練を絶対に行って、空き時間も出来るだけ訓練に充てて深淵祭で必ず結果を出します」
「おっちゃん、金は大丈夫なのかよ?」
「酒精だけが強い酒を、火ネズミの吐息の店主が買ってくれる約束でね。彼も学生時代に深淵祭に参加したくとも一度も叶わなかった過去があるから、応援してくれるんだ」
場末の酒場の火ネズミの吐息では、2カ月分を普段仕入れている絞ったブドウで造った酒から甲類焼酎と変更し、元々水で薄めていたから同じ仕入れ値で提供しても大した金にはならない。2カ月間の彼らを養う経済的負担を考えると、正直こちらの持ち出す金は多いし、深淵祭に参加することは魔法師ギルド本部ギルド長に約束した1年の期限の内の2カ月を消費することになる。
だが、若者の青春を賭けた2カ月と日々惰性に生きているおっさんの時間は、一瞬であっても価値は違うはずだ。彼らの血と汗と涙の詰まった時間は、人生においてかけがいの無いものになるはずだし、そんな貴重な時間に関わることで自身も引っ張ってもらって真剣に魔法を学んで訓練することが出来て、これから先の得にもなると考えているのだ。
「よし、明日は引っ越しに専念して、晩に訓練を始めよう。絶対に研究を成功させて実践の場でも勝つぞ」
「「「「「「「「「おー!!!!!!」」」」」」」」
チームを組む、眼鏡のマーディンと背の高いスタイン、太ったポッシュと背の小さい女の子に見えるビビ、それにチームの登録名の由来となった火ネズミの吐息のマスター、さらに周囲の酔っ払い客も加わって、決起会の締めの声を挙げる。
翌日、ゲンガンと朝の訓練を行いつつ、新たに魔法師学校の学友が4名下宿することになり、彼らと深淵祭に参加することを伝える。兄さんは、そんなことして大丈夫なのかよという目で見られるが、冒険者の好むようなことを伝えて説得する。
「彼らは家名持ちのご令嬢に身分違いの恋をして、今回の深淵祭で活躍して少しでも近い距離に立てるように頑張るんですよ。男なら若者の恋の応援をしたいと思いませんか?」
「おぉー!!そいつらは面白いな。何か手が必要なら言ってくれ、何でも協力するぜ」
「その時はお願いします。深淵祭に参加するので、今日の朝で冒険者向けの訓練を一旦お休みにして、魔法師の訓練を彼らと行うようになるんですよ。それで訓練をして、全員の魔法が上達してきたら、ゲンガンさんと道場の人にも協力してもらおうと思っています」
それでよけりゃいいぜ、とゲンガンは返答してくれており、これで深淵祭の実践の場を想定した対人戦の相手はどうにか用意出来そうだ。本当ならば、魔法師学校内で模擬戦の相手を準備出来たらいいが、自分たちは奥の手を用意したり作戦を何個も立てる余裕が無いし、手を伏せて初見で勝つしかないと思う。
それに、練習段階から勝てないイメージを相手の組に持ってしまうと、その時点で格付けは済んでしまい、本番でも予定通りの勝敗が決してしまうことになる。今までの経験から魔法は理論によるところもあるが、感覚派にとってはイメージも重要であるため、相手の防御を抜けないと確信したり逆に相手の魔法はこちらの防御を絶対に抜いて来ると思ってしまうと、勝てる道筋が無くなってしまう。
◇
「では、今晩から深淵祭の研究と実践の場に向けた訓練を始めたいと思います」
質問がありそうな目の前の4人を見つつ、準備を始めていく。下宿先の建物の庭先に、合金製の箱を裏返して机のような高さに設置し、その上に壺に入った水を用意する。水に関する魔法の行使に、ビビの熱魔法を予想したのか、マーディンが手を挙げる。
「ビビ以外はどうすればいいんだ?」
「おいらは、この量の水じゃ温めるのも冷やすのも大して効果が出ないです」
「じゃあ、半分の量にしてみようか。それに、まずはビビに熱魔法を使用してこの壺に入った水を温めてもらうが、その後に人数を増やして訓練をしてみよう」
ビビ以外は納得していないようだが、とりあえずビビに熱魔法を行使してもらう。彼の赤紫色の魔力の膜が壺を覆い、集中するように念じながら魔法を行使している。自身の、魔力の自然回復よりは何とか短い時間で終わるが、実践の場では攻撃魔法としての使用は難しいと考える。温められた水を触ってみると、体感で温かくなっているかなと感じるくらいだ。
「それでどうすんだ?」
「次も私とマーディンは見学で、スタインが魔法師への強化魔法をポッシュに使用し、ポッシュがそれを受けてビビに強化された補助魔法で魔力の強化と魔法行使への支援を行う。それからビビがまた熱魔法で別の壺の水を温めてもらう」
そうして、得意魔法の連携の訓練に移るが、スタインは日頃魔力を魔道具に込める仕事をしているだけあって魔力量は多いらしいが、得意魔法である強化魔法の熟練度は低いようで、ビビ単独の熱魔法行使よりも時間がかかっている。
次の段階のポッシュも、仕送りがある分魔力を込める依頼の頻度はスタインよりも少ないようだ。魔力量は劣るのに加えて、得意魔法である補助魔法は支援に関する魔法を多岐に使用出来てしまうため、同時の行使や今回指示した魔力の強化と魔法行使への支援の1つずつの練度は低く見える。
そうして、最後の段階でビビは2人分の強化を受けて、普段使用するよりも上がった魔力と逆に魔法行使がスムーズになった感覚に慣れていないのだろう、戸惑いながらも先程と同様の熱魔法を行使する。その結果は…
「…湯気が出ている」
観察してたマーディンは気付いたのだろう、最初の壺の水と違って少しは温度が高くなったようで、冬も近づいた季節の晩には湯気が出るだろうが、まだ沸騰や蒸発には程遠い。
「何となく狙いは分かったけど、俺とおっちゃんはどうすんだ?」
「私とマーディンは彼らの役割を代わりにしたり、私たちがビビの間に入ってポッシュの強化を受けてさらに強化を重ねてからビビに重ね掛けをすることも考えている。だから、私たちは熱魔法と強化魔法と補助魔法、実践の場を考えるのならば防御魔法も使えなければならない」
「えぇー、それは無理じゃないか?」
「大変そうだな」
「ぼくは補助魔法だけで良かったよ」
「………」
マーディンは元々の器用貧乏に特化している所から、それを活かす訓練だが役割の多さにぼやいている。スタインとポッシュは自身の得意魔法に絞ってあるから、気楽そうに考えているがそれは甘く、ビビは強化と支援を重ね掛けされた状態での魔法行使の大変さを実感しているのだろう一人だけ黙り込んでいる。
「残念ながら、スタインは実践の場を想定するならポッシュの防御魔法を受けながら、自分と他の誰かへの強化魔法を動きながら使えないといけない。ポッシュも同様に、防御魔法を壁役に掛けながら他の人に補助魔法の強化と支援を同時に行わないといけないぞ」
「お前らも大変そうだな」
「マーディンは彼らの役割も代わりにするつもりで、組の人間の穴を状況に応じて塞いで対応することを見極めて動かないといけないぞ」
「「「「…………」」」」
それが出来るようになったとしてもはっきりと勝率は高いと言えず、現時点でもその目標は高いのか全員が黙り込んでしまう、ちなみに日頃暇さえあれば魔力を消費しているおっさんが最も魔力が多いが、考えた想定ではマーディンと同様の動きをしなければならず、初めて覚える魔法が多くあって大変だ。本番までにどこまでやれるようになるか分からないが、訓練で実際に出来ることしか作戦に組み込めないし、取れる手が分からないのだ。
「これでお湯を作って、風呂が研究発表になるのか?」
「風呂の魅力を伝えてもいいし、研究発表はどうにかなるよ」
マーディン以外の全員からも疑いの目で見られるが、研究なんて結局価値があるとアピールして、それに価値を見出す人が出てくればいい話しだろうと思う。最優秀の研究に選ばれるのは多くの魔法師に認められるか、それとも魔法師ギルドの幹部連中の票で選ばれるのかは分からないが、研究の価値も彼らと自身の5人での成長次第だ。
「それに、キミたちが考えていた研究テーマは専門的で価値はあるのだろうが、その分野で既に研究を行っている魔法師のものと比べたらどうだろうか?…だから、発想を変えて異なる見方からの研究とその価値を訴えようとしているのだよ」
そう言われると黙ってしまう4人を見ながら考える。深淵祭への参加登録は魔法師学校の生徒10名までだが、外部の協力者や実家の伝手を借りたりは駄目とは聞いていないし、実際に多くの魔法師学校の生徒たちはその力を使って来るだろう。そうすると、一般男子生徒の研究と既にその分野で名をはせている著名な研究者の研究が争うことになるのだ。まともに戦っても勝てるはずはないし、適当に論点ずらしの研究でもいいのだ。
だから、彼らに説明したように集団での魔法師の取り組みで、仮に王都に安価な風呂屋を作る研究を発表し、何故風呂が重要なのかと論じて、実際にそれを行うにあたっての現状の課題を挙げて現実にするには難しいと結んだり、新たな論点を挙げて考察してもよいと思う。
「よし、もう一度マーディンもビビとポッシュの間か、3人の役割のどこかに入ってやってみようか」
「ぼくはもう魔力が枯渇しそうだよ」
慣れない補助魔法の強化と支援を同時に行使し、かつスタインからの強化魔法も受けていたため消耗が多かったのだろう、ポッシュから魔力枯渇の訴えがみられる。
「安心して欲しい。魔力回復薬の代わりになる魔力の自然回復を促す物がある」
「あの時の薄い揚げ肉だよね」
チームの訓練用に用意していたカツを取り出すと、食べ物に目ざといポッシュはすぐに気が付いている。場末の酒場の火ネズミの吐息に、カツを卸さなかったのは彼らの練習用で考えていたのだ。甲類焼酎も魔力の自然回復を促せるが、何度も回数を飲めるものでもないし、若い彼らの胃袋にカツがちょうどいいと考えたのだ。
「これは、魔力の自然回復を魔法師ギルドにも効果が認められ、それで私に専属の受付嬢が付いているようなものだよ」
「「「「おぉー!!!!」」」」
冴えないおっさんが専属受付嬢付きとは今でも信じられないが、こういった品を扱っているのならばその信憑性も上がると思ったのだろう、一斉に驚きの声を挙げている。
「それにキミたちにはこれも用意してある」
「発動体、の杖ですか?」
ビビは発動体ではないだろうと疑っている様子であるが、4人にはそれぞれに短杖くらいの長さの見慣れた銀色に輝く合金製の杖を渡す。杖が嫌であれば、指輪か腕輪かネックレスの希望がある物を用意すると伝えるが、それぞれはおもちゃの杖でも魔法師が持つオーソドックスな杖に憧れているのだろう、顔がほころんで喜んでくれていると思う。
「これは、発動体ではないがあるダンジョンから取れる金属で、発動体の代わりになると考えられている。キミたちも東の港町のビキンでダンジョンの波が起こったと聞いたことがあると思うが、その際にサブダンジョンのコアを破壊した時に勇者が聖剣スキルで振るった剣も…この金属を使った物だったんだよ!!」
「「「「おぉー!!!!」」」」
自分は若者の学生に混じって杖を振り回すのは恥ずかしいため、指輪型の物を付けてみせる。自身の交換魔法のスキルで作った、魔力製の物だから魔法師の魔力とも親和性があると勝手に考えているし、彼らを騙すようで悪いが魔法はイメージの力が重要だから役に立つと考えている。
彼らに渡した短杖の先から魔法を飛ばすのはイメージをするのに役に立つだろうし、発動体が無いという引け目を補って、後は魔法師の力量勝負と思えるだろう。それに勇者が同じ金属で活躍したと聞いたら、彼らのような英雄に憧れる年代にはその効果の高さを信じ込むに決まっている。三輪車か自転車に乗って、高級スポーツカーかF1カーに乗る相手と争うことになるが、本当は徒歩のままで思い込みの力でやっていくことにする。
また、勇者の振るった初めての聖剣というご利益は大変あるようで、ビキンの街ではレプリカの合金製の剣が1家族に1本ではおさまらず、男兄弟と父親に1本ずつだったり、噂を聞きつけた王都からも商会が買い付けに行っているようだ。ビキンで作製してくれている鍛冶師のゴルドから、魔法師ギルドを経由した言付けで状況を知ったが、今の自身の一番の稼ぎ頭であるし、若い男子学生4人を養えると思った理由ともなっている。
「今日はこれまでにしようか」
結局、発動体もどきを配って魔力の自然回復を挟んでも、すぐには魔法と魔力の行使は上達しなかった。出来た湯気の上がっている壺の水も、集めてもビビ用に用意した合金製の風呂箱を何とか一杯に出来そうであるが、温度からすると風を引いてしまうと思う。だが、これは大いなる成長の1歩だと考える。
「最初は、壺の半分しか温められなかった水が、より多い量で温度も高くなっているんだ。これから毎日行えば絶対に成長できる」
頷いている4人に向かって、さらに先人のありがたい言葉として、大きい家の騎士貴族の当主が3人の息子に言った言葉を紹介する。
「その貴族当主は1本の矢だと折れやすくとも、3本をまとめると折れにくいと伝えて兄弟たちに結束の大切さを説いてたんだ」
「3本でも折れやすいと思うが」
「バカ、何言ってんだ」
矢の強度で内容に対して真面目に反応するスタインに対してマーディンが注意し、小声でビビが比喩的な表現でおいらたちに結束の大切さを説明してくれているんです、と言っているが聞こえない振りをして話を続ける。
「私たちは5本の矢になろう」
「5本でも折れやすいと思うが」
「…えーと、5本の矢でも足りなければ、5本の鋼鉄の矢か5本の剣、または5本の槍を束ねるようになろう。私たちの敵となる魔法師たちには1対1では当然勝てないし、5対5も負ける可能性しかないだろう。だから、5対1で何とか勝てるようになって、5対1の勝利を5回繰り返そう」
俺たちは弱い、その当たり前の事実を認識して、どうにかして格上を倒す努力と作戦を練らないといけない。本番で急に覚醒して敵以上の実力を発揮出来る保証はないし期待も出来ないし、普段やっていることしか出来ないはずだ。場合によっては、緊張やらで普段以下の力しか出せないことも考えられる。
ローマは1日にして成らず、風呂も1日にして成らずで地道にやって行こう。
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