第10話 日本円の活用方法と魔力の可能性

 魔法師ギルドを出ると太陽はまだ中天にあり、夕食までに時間があることから、買い物の続きをしようと考えた。せっかく身分証の発行料分の金が浮いたため、自由市に戻って木匙を買おうと思ったのだ。

 今更ながらアメを包装なしで手渡しで売っていたことで、食品を取り扱っているという衛生面を気にし始めるが、自身が何日も風呂に入っていないことは考えないようする。

 自由市に戻ると、他にも様々な商品が売っているが、価格交渉前提の取引は苦手に思う。日本においても、提示されている価格を前提に買っていたし、値下げを願う積極性も元からないのだ。

 それにしても、無理やり日本から出ることになったが、海外の国でよくある最初にぼったくりの値段を提示されてその後値下げされ続けたら、手ごろな値段と思ってしまって原価の10倍だとしても買ってしまいそうだ。現地の物価に詳しい人に同伴してもらわないと、買い物はあまりしたくないなと感じる。


 どうにか木匙を買った後は宿に戻り、裏手の井戸のある場所で魔力の訓練を行う。

 水が湧く壺に両手をかざしながら、魔力の膜を意識して魔力を動かしていく。ネイスや魔法の込められたらしき道具には、色のついた魔力の膜が見られたが、その時は気にしていなかったが自身を覆う膜は無色透明であった。

 無色の膜だけど周囲の魔法師から見ると色がついているのか、自身で認識する分にはペットボトルに入った水のように色がなくとも分かる。無職だから無色の魔力の膜になっているのかと、余計な思考をしてしまう。

 訓練をしながら交換魔法のスキルで気が付いたのだが、待機空間に入れている以前清拭に使用した布が変わらず湿ったまま入っており、中に入れている物に時間経過がない可能性に気が付いたのだ。今まで中に入れていたアメを散々売ってきたが、最近衛生面を気にし始めたところにこの発見は安心材料となった。



「それで、魔法は習えましたかい?」


「今でも商人のつもりで魔法師にはなれると思えないけれど、登録と身分証も向こうが払ってくれて発行できましたよ。水については、魔道具みたいな物をもらえたので今後の訓練次第ですね」


 夕食の席にて、魔法については1日にしてはならずで難しかったので、訓練やら発動体を用意することから必要だと感じたことをゲンマに述べる。

 それにしても、今日の魔法師ギルドは大変だったな。教習所に行ったらミッションじゃないとありえないでしょと言われ、それでも希望したオートマの合宿免許は断られたが、レーシングゲームで車の運転の練習ができるようになったというか。

 元々、魔法の頂とか深淵には縁遠いと思っていたので、生活で困らない量の水が出せたらいいなと思う。発動体はいくらぐらいするのか知ってそうな人に聞いてみたい。


「お二人は発動体を使っていますか?」


「これは魔法師の発動体というよりは、部族の慣習に近いかな」


 生涯独身の孤独死一直線の無職にとって、幸せそうな蜥蜴人夫婦の嵌めている指輪についてなるべく思考しないようにしていたが、魔法師ギルドでの経験が両手の中指に嵌める指輪に発動体としての可能性を感じたのだ。


「厳密に言えば魔法師の発動体とは異なるが、部族で学んで教わった水の扱い方を補助するので役割は似ているのかもしれない」「ちなみに中指に嵌めているのは、夫婦の愛が永遠に長く続くようにという意味よ」


 それで長い指に嵌めているのかと自身には必要ない知識を得たが、そういった道具がいくらぐらいするのか聞いてみる。


「作る職人と材料費次第なところですが、安い物を手に入れたらただの鉄の輪だったという話も聞いたことがありますぜ」


 指輪を嵌め合った想い出に浸って2人の世界に入った夫婦の代わりに、ゲンマが答えてくれる。

 道具は上を見たら際限がないし、費用と性能のバランスを考慮した品を選ぶのは素人には難しいから、魔法師ギルドの専門家に相談したい。受付の女性は苦手意識が高まったし、個人的に杖は恥ずかしい気がするので支所長のネイスに相談してみようと思う。

 おっさんが木の棒を人前で堂々と振るのはハードルが高いし、携帯していなかったら困る物を忘れそうだし、ネイスの指輪のようにたくさん付けていたら1つに支障があっても何とかなるだろうと思う。


 アクセサリーを普段身に着けないから当分は慣れなさそうだが、まずは貯金を始めないといけないな。ゲンマと夕食を食べながら会話を続ける。

 今日の夕食は、ガルの煮込み以外をリクエストすると、小麦の生地に野菜とガルの肉が混ざったものが焼かれたパイと言ったらいいのか、分からない。小麦粉の生地に野菜が入っているのは、お好み焼きくらいしか知らないし、卵で言ったらスパニッシュオムレツくらいでしか表現出来ない食生活の貧しさを感じてしまう。この世界でもテーブルマナーが必要な食事とは無縁だろうし、そこは安心だ。

 ふと会話の中で、ゲンマに案を相談したかったことを思い出し、日本円の硬貨を出して見せる。


「これなんですけど…」


「数字が書いてますけど、どこのコインですかい?」


 あれ?日本円の硬貨のはずが不思議文字が書いてある。硬貨を偽造している犯罪者だったのに、偽造から改造までしてしまうのはどうなっているんだ。ストックにある分はまだ日本円の硬貨のままであるが、待機空間から出すと異世界仕様になってしまうのか。気を取り直して、説明を続ける。


「最初から来てくれている子どもたちや獣人の人たち、その日買えなかった人が優先的に購入できる引き換えのコインとして渡すのはどうでしょうか?」


 出所を聞かれると困るが、いざとなったら取引をしている密林の黒猫という魔法師が送ってくれたと誤魔化そう。

 いいと思いますぜと了承してくれるゲンマに、アメのコインで周知すればいいかなと聞くが、アメのコインは語呂が悪いかな。


「それなら錬金術師キャンディの作りしアメのコイン、キャンディのコインはどうですかい?」


「いいですね!でもそれだったら、キャンディコインにしちゃいましょうか」


 ゲンマに対して、よく適当に言ったことを覚えていたなと思ったが、アメに対しての執着心や関心が強いからだろうかとも思ってしまう。砂糖は依存性があると聞いたことがあるし、魔力も自然回復してしまう謎物質だから、闇の商品を扱っているような気分になってくる。




「う~ん。相変わらず眠れない」


 体調には変化がないのに初日からずっと眠れない日々が続き、いつからかイルカのような能力にでも目覚めたのだろうか。こちらでの生活で、三大欲求のうち食欲くらいしか満たしていないが、辛いこともなく別に不便がないため不思議に思うことしかできない。

 この体質を活かして雨露をしのげればどこでも生活できそうだ。しかし、交換魔法のスキルや魔力の訓練をするのなら個室だったり人のいない宿の方が、気兼ねなく出来そうだから現状維持以上を目標としたい。

 朝になるまでの間、現代日本の余暇を懐かしみつつ、思い出すのはハマっていたゲームの連続ログイン記録が途絶えたのを惜しむ。インターネット環境がないと、夜から朝までの時間を持て余すし、スキルや魔力を使うことでしか暇つぶしになりにくいが、ついでに文字の練習もしてみたいと思う。


 異世界言語のスキルのおかげで文字を読めれたら書けなくてもいいんじゃないかと思っていたが、スキルが使えなくなったら一気にお終いだ。

 そう考えると見本のある数字だけでもと、異世界仕様になった元日本円硬貨をお手本に、空中に指を動かして覚えようとしてみる。

 いずれは情報収集と文字学習の手段として、今後は本も手に入れてみたいが、いくらするのだろうか。今日の買い物では衣類もせいぜい下着ぐらいしか買えなかったし、日本の時と変わらない相変わらずのスウェットとスリッパ姿で、自宅にいる時のようにお金の無さに悩んでいる。

 

 将来的には文字の習得をしたいが、生涯をこの国で過ごすのかも分からない。この国以外の国にも言語があるだろうし、スキルのおかけで読んで理解はできそうだが、文字を毎回覚えていくのは辛すぎるな、苦労を予想して努力する意欲が減ってくる。

 新しいことを避けて最新の物に疎い、子どもの頃に漠然となりたくないと思っていたまさにその大人の姿になったことを自覚して悲しくなる。



 翌日の自由市にて、入り口近くに設置された売り場前に早くも行列が出来ていたが、営業開始前の確認を従業員を含めて行う。

 確認事項としてタヤスには、優先購入権をキャンディコインとして配布し、在庫が無くなった場合は翌日購入希望者にも前払いで渡すことを説明する。初期からの常連には1円玉か5円玉を、会員証のように使ってもらう。

 レックには客の列がメインの通りに流れるが、交通の邪魔にならないように客同士のトラブルにも注意してもらう。


 営業開始後、許可を得ると売り上げの3割を持って行くだけあって、商業ギルドが簡易的な机も用意してくれているが、立ち仕事はしんどいなと思う。日本での、しんどい労働時に身に着けた現実逃避をしながら働いていく。

 思い出すのは、キャンディコインを導入するにあたって、その数を増やしていた際に発見があったのだ。それは、魔法師ギルドでの経験が魔力への理解を深めたのか、交換魔法で交換を望む物にアレンジできないかと考えたのだ。

 今まで、水の量や温度を変えられないか気にしていたのに、交換魔法で作り出す壺の大きさや形を変えようとする発想に至らなかったことに気付き、試してみたのだ。

 それまで交換魔法のスキル頼りではあったが、異なる色と味のアメ、全くアメと違った壺を作り出せたのだ。既に出来ていることを行うだけだと、意識してスキルと魔力の行使に集中する。

 その結果として、1円硬貨の色を変えたり、5円硬貨の穴を塞いだり、10円硬貨の縁に溝を掘ることが出来た。その際、2倍以上の魔力消費が余分に必要としたが、練度を上げていったら100円硬貨から爪切りが作れたり、おすすめにとらわれずに望む物を交換出来たりするのだろうか。

 今この瞬間は、椅子を交換したいが、今後のスキルと魔力の練度向上で出来ることが広がりそうで楽しみになってくる。

 その日はキャンディコインの導入で、少々の混乱や不平不満は生まれたが、大きな問題なく翌日以降も営業でき、慣れた頃には新しい味のアメも売り出し始めたのであった。



 それから1カ月後、ある意味変わりないリズムで生活を送っていた。

 すっかり定宿になった愛の夫婦亭を朝に出て、規模が大きくなったので自由市の中央の一等地で商売を開始する。

 毎日行っていた魔法師ギルドへのアメの入った壺の配達は、支所長が自ら取りに来てくれるようになったし、夜のスキルと魔力行使の訓練は続けている。訓練の成果で、体を拭く水なら困らなくなってきたし、今度時間がある時に温度変化の指導をしてもらってお湯も出せるようになりたいと考えている。

 そんな近況の中で大きく変わったことと言えば、元日本円の硬貨を持ち込んだことで、自由市の市場が活気になったことだ。


「赤白10個あるよあるよ」「紫5買うよ買うよ」「水色10コイン、1000ブルで売るよ」


 自身の売り場の近くに競りのような場所が出来ており、そこから聞こえてくる1000ブルなんて1個当たりが100ブルとして、売り場のアメ1個で換算すると売値の値段の10倍じゃないか、と驚いている。

 目の前で堂々と転売されているようなものだが、正確には翌日の優先購入権の権利に金を出しているから口を出し難い。アメと現金の交換も、間にキャンディコインを挟んでいると言われたら、独自の通貨としての使用を禁じていなかったし、これだけ流通していると止めようにも止まらない。

 アメの購入制限と販売量に制限を設けているのは自身だし、高く転売されるのが嫌なら購入制限と販売量を増やすか、最初から高く売るしかなかったのかなと考える。


 自由市がこうなった経緯として、自身の売っていたアメが人伝に転売を繰り返され、やんごとなき方の口に入ってしまった結果がこれだ。

 自由市もすっかり様変わりし、一部の商人は変わらず商売を続けているが、大半はその資産をキャンディコインにつぎ込んでマネーゲームに人生を賭けている。今のところ、アメの需要は増えるばかりで供給が追い付いていなので、日々キャンディコインの価値は上昇している。

 そのおかげで、アメと日本円硬貨の大増産で日々魔力の最大値が向上している。こうなったら人前での不自然な魔力行使なんて言ってられない状態だ。

 

 毎日、この街以外からも来たであろう人たちの長大な列と大量のアメを売りさばくために、苺とミルクの味、ぶどうの味、ラムネの味と量とバリエーションを増やして机に準備し、混乱を解消するために手伝いを申し出てくれた獣人たちに、売り子と列の整理を手伝ってもらいつつ今日も営業を乗り切る。

 タヤスとレックをはじめとした従業員とお手伝いには、毎日の給料は現金よりも価値が高くなってしまったアメだけになっている。


 毎朝貧困層の街の住人が順番取りをし、揉めるような怒号が飛ぶ列を見つつ、現実逃避したくなる。駄菓子屋気分で始めたアメのおまけも、血走った目の大人たちに囲まれては続ける勇気もなく止めざるを得なかった。物を売るってレベルではなくなってしまっていると感じる。

 流石に子どもから奪うのは出禁にしているからいないだろうが、個人が手に入れたアメを売ったり買ったりは止めていない。初期の常連がキャンディコインを手放したり、日々のアメを転売することで生活が楽になったようで、その感謝から売り場の手伝いもしてくれるようになった。

 アメだけ供給していれば金が入ってくる生活が近づいてきたが、これが自身の望んでいたことだろうか。


 目まぐるしい変化と日々の忙しさに頭が回らず、キャンディコインにしてもある意味元締めみたいなものだし、困窮した時にうまく横流しをすれば安易に稼げるかもしれないと考えていた。

 その翌日、アメ1個と交換できるキャンディコインの価格が、さらに10倍の取引価格となった。1000ブルは銀貨1枚だと思うが、どこまで高騰するのだろうか。

 自身は、自由市でアメを売って購入出来なかった人にキャンディコインを供給するだけで、値段の高騰には手を出すことも出来ず、傍観することしか出来なくなっていた。

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