第5話 魔法師たちが客に来る
「頭が痛い」
昨日の夕食は結局、慣れない苦手なワインを口の中にアメを出してまで無理やり飲んで過ごした。サービスでガルの頬肉という希少部位のステーキが提供され、酒のすすむこってりとしたソースが合う味に余計に飲んでしまったが眠れない体でも酔いはできた。夜は結局眠れないのに、万年発情期夫婦はしっかり盛っているため、布団を頭までかぶっても音が頭に響いていた。
朝食前に夫婦から昨日と同様に謝られるが、謝っても止めないんでしょうよと思いつつ、朝食はあっさりとした物をリクエストした。
提供された麦粥を食べながら、日本でも退職後から1年近く米を食べていなかったから少し懐かしい感じだった。高級なブランド米なんか食べられる身分ではなかったが、米をもしかしたら二度と食べられないかもしれないと思うと急に食べたくなる。それなのに、今朝から魔力の最大値が50を超えたけれど、オススメに日本で食べていた最近までの主食が出てきたのだ。
それは、激安スーパーでキロ単位でまとめ買いしていた細麺のパスタであった。飽きつつも安いからと主食として食べ続けたが、異世界に来てまでもとても食べたいと思わない。交換魔法のオススメが自身にとって最善でない時があるが、罠なんだろうか。
「じゃあ、行きましょうか」
宿の前でゲンマと合流すると、一緒に自由市に歩き始める。昼過ぎからゲンマが声をかけた従業員予定の人たちが来るようで、打ち合わせを行いながら歩く。
初日からこの街で過ごして見て、何となく冒険者や荷物運び等の肉体労働をしている人の割合が獣人に多い気がする。街中で時折見かける黒い首輪をつけた人々にも獣人が多く、今まで出会った人たちやゲンマを通して付き合うコミュニティも、ノワさんを除いて圧倒的に金持ちとは言えない人が多いと思う。
昨日の思いがけない銀貨の支払いで、身分証が再発行できる金額に大きく近づいた。そう思うと始めから金持ち相手の商売か、そちらをメインの客にしている大きい店にアメを持ち込んだ方がよかったのだろうか。
自分は昔から能力が高くなくて要領が悪いのに、変なところでプライドやこだわりで頑なな行動を取ってしまう。交換魔法を上手く使って、アメを高く売って金を稼いで安い労働力を得て、働かずに若い女性を侍らして遊んで暮らすこともできたはずだ。
けれども、自身の魔力だけ消費した物で、駄菓子屋で子どもが買うようなアメで暴利を貪るのは気が引ける。マイノリティな獣人たちをこき使おうとするのも、その人たちの人生を背負えないと思う。金持ちや貴人を相手に商売するのは、引け目や身分の違いを感じるから関わりたくない。正道で上手くいく能力がないのに、他人を蹴落としたり利用する気概がないから、無職なんだと実感する。
それでも、日々の生活でふいに良心の呵責や後悔がよぎらないように、失いかけた人間性のみでも手放したくない。
お互いに無言で今日は会話が弾んでいないが、ふいにゲンマが話しかけてくる。
「従業員の件ですが、アメをもらってワシが奴隷を買っても良かったんですが…」
「故郷では奴隷がいなかったんで、私は苦手ですよ」
安い金で買って元を取るのは早そうでも、気がすすまないので断りますと続ける。
ゲンマの歯切れの悪い話し方に、時折すれ違う黒い首輪をつけた裸足の人たちを見る視線に辛そうな表情が見えるため感じることがあるのだろう。この街で生活し始めて、狭い範囲ながら社会が見えてくると何となく分かってくる。必死に媚びる表情をしながらも目が笑っていない人、人生の終わりを迎えたような絶望の表情をした人、黒い首輪をつけた人たちを二分する様子に理解する。少なくともこの国の文化では合法で、奴隷が必要とされて個人が奴隷となる背景がある社会で自身は何もできないと痛感する。
物語のように奴隷の購入、解放からの真実の愛と幸せはあるだろうか、いやないと思う。
自由市までの道のりは短いはずだがやけに長く感じ、昨日の酒がお互いに残ってますねと無理やり話題を変えた。その後、今朝もノワさんに挨拶を交わすと、売り場に木片で説明が書いてあるのに気が付く。
『見習いの職人の作品です、若者の未来に投資を』
昨日も昼前に帰ったのに午後の獣人の客から情報を得たのか、さっそく参考にされているのは怖いなと思う。ゲンマが木片に記入してくれた時にも思ったが、異世界言語スキルの力で見慣れない文字の上にルビが振られて読んで意味は理解できるが、文字の形を覚えて書ける気がしない。異世界言語のスキルも鍛えないといけないのかもしれない。
「今日も来た」「待ってたよー」
定位置に売り場の準備をする前から、冒険者のパーティが3つ程待ち構えていた。昨日のパーティーと新たに2パーティで10人ほど新規の客が来てくれている。子どものおまけにずるいだとか、私らも子どもだよと言われ、成人前から冒険者をしなければならないのは大変だなと思う。
こちらでは日本でいう成人前から酒を飲んでそうだし、成人の区分が難しい、今日のところは教会で読み書きを習っている小さい子ですと伝えて許してもらう。
手早く全員分の取引を終えると、用件があるようで残った狐耳の魔法師に話しかけられる。今日は仕事がないのか、別行動なのかパーティーの人間もその場を離れている。
「昨日は疑ってしまい申し訳ございません。確かに魔力の自然回復の高まりを確認し、私の方で魔法師ギルドへ情報を共有しました」
クノという魔法師は、名乗るのも遅れましたと再度謝る。クノが言うには、魔法師ギルドにビキンにあるこの国の魔法師ギルド東支部の支部長が来ていて、興味を持ったらしい。
「それであの耳長が来たのか」
「無礼ですよ」
ゲンマがクノに注意される姿を見つつ、急に現れたり去ったりしていたから遠い場所にも魔法で移動できるのだろうかと予想する。ビキンにダンジョンと街ができる前から存在しているすごい魔法師らしいが、そんな魔法師が使う魔法が自分も使えるようになったりするのだろうか。
「それにあなたも、支部長の前で無礼な行動をやってませんよね?」
「何をでしょうか?」
こちらに矛先が向いたが、何のことか分からない。やんごとなき方の前で粗相があってもおかしくはないが、直接思い当たることがない。
「収納スキル以外にも魔力の高まりを感じるため、魔法師ならば臨戦態勢と取られてもおかしくないですよ」
どうやら交換魔法のスキルで待機空間から壺を出しつつ、ストックのアメを作っていたので魔力の高まる回数が多く、クノを刺激したのだろう。それで、昨日は不審げな様子だったのかと思いつつ、魔法師は魔力の動きに敏感なようだからスキルを使う際に注意が必要だなと考える。
今現在は交換魔法の使用しか時間つぶしというか趣味がないため、どうにか魔力を感知されないように使えないかと思う。
それにしても、昨日は翠髪の魔法師は気にしていなかったような。
「それでも無礼です」
そのことをクノに伝えるが、相手が気にしてなくても行動自体が無礼だと言われた。
昨日の様子から、長年研鑽を重ねた翠髪の魔法師にとっては、魔法師でもないおっさんの魔力の高まりなんて路傍の石のように気にならなかったのだろうと思うのだが。
とりあえず、クノには謝罪して魔法について教えてもらおうと思う。
「実は魔法が使いたくて、今度教えてくださいよ」
「私は獣人だからちゃんとした学校も出ていなくて、しっかりと教わるなら魔法師学校に入るかギルドを通して師匠を見つけた方がいいですよ」
私もまだまだ修行中で、冒険者として働きながら日銭も稼がないとならないんですというクノに、飲み水だけでも出したいとお願いしているとふいに前にも感じたような感覚を認識する。
気が付いたら、ゲンマの表現する耳長4人と骨と皮のようなミイラのような老人が立っていた。
「菓子屋来た」
いらっしゃいませも言えないが、昨日の翠髪の魔法師が話しかけてくる。
「このアメは砂糖と魔力で出来ているが、要因は不明だが魔力の自然回復を促す」「よって継続的に研究の価値あり」「異議なし」
「ウム」
残りの魔法師たちが矢継ぎ早に話すと、手に持つ杖は大人の身長程あるが獣人の子どものように小さい老人は頷く。
「ギルド長の承認も下りた。この街の魔法師ギルドに届けて」
翠髪の魔法師は釣りはいいと金色に輝く硬貨を釣銭用の壺に入れ、次の瞬間には目の前から消えていた。色々と聞きたいことはあったが、アメをまとめて金額分持っていけばいいのか一定量を継続的に持っていくのか相談する暇もなかった。
「これだから耳長は」
ゲンマは昨日のようにぼやくが、ゲンマを注意しそうなクノは口元を両手で押さえて、目が飛び出さんばかりに驚いた表情で硬直している。
「あらあら大変そうね」
いつの間にか近くにいたノワさんに、私も払うからまとめて売ってくれないと言われるが、大量の注文が入ったから在庫が厳しいと断る。言ってみただけの様子で、わかったわとあっさり引き下がり、また明日ねと挨拶をされる。
関わりたくないような人たちが向こうから来るし、この小金貨か金貨か分からない硬貨も取り扱いに困る。とりあえず、空の壺を出して中に入れて待機空間に仕舞っておく。ゲンマにアメを魔法師ギルドへ届けるのと、身分証が再発行できる金を得たから、どうしようかと相談する。
「早めに切り上げて午後からギルドによってもいいですが…」
午後から買いに来てくれるお客さんと従業員予定の人たちに申し訳ないと伝えると、構いやしませんよと返される。
「そもそも耳長どもと変なしわくちゃが急に来るのがわりぃんですよ」
「無礼でーす!!」
復活したクノに注意を受ける。クノ曰く、この国の魔法師ギルド各支部長4人とギルド長と思われる人になんて無礼な発言を、としばらく興奮が続いている。
特にギルド長は短命種でありながら最も魔法の深淵に近き人で、各支部長がその地位につく遥か前からギルド長として存在している最も偉大な魔法師らしい。
「アンデッドじゃねぇのか?」
ミイラのような印象から自分でも思っていたことをゲンマが言ってしまい、無礼です無礼ですとクノが持つ木の杖で叩かれている。長生きは羨ましく思い、自分も死にたくはないが長く生きる間に楽しいことは多いんだろうかと考えてしまう。
◇
「私なんかで大丈夫でしょうか…」
結局、魔法師ギルドへのアメの配達はクノに任せた。壺1つにアメ玉がぎっしりと入った物を女の子に運ばせるのは気が引けるが、獣人たちの中では力が弱いらしいのに無職のおっさんよりも余裕で安定して持っている。
あの場にいたし、アメを横領するような恐れ多い無礼なことはしないから安心だと任せた。自身の身分証も急ぎではないし、明日の昼食時間を減らすか新しい従業員候補に任せて魔法師ギルドには一度顔を出そうとは思う。
それに、ゲンマも毎日手伝ってくれるとは限らないし、自分の身の回りの物を購入する時間も欲しい。
クノを見送った後に、ゲンマがガルの肉串を手に持ち、後ろに男を2人連れて戻ってきた。
「はじめましてタヤスです」
「レックだ」
「はじめましてタナカです」
挨拶を交わしながら相手を観察する。丁寧な挨拶をした方は、眼鏡をかけて黒髪をきっちりと整えて真面目そうな印象だが、片腕がないのが気になる。クノのように隠れているのか、外見的には獣人ではなさそうだ。
もう1人の方は、成人したてのような若さにぶっきらぼうな言葉使いで赤毛な様子から、不良にしか見えない。
両者とも年下のように見えるが、うまくやっていけるだろうか不安になってくる。
「こいつらは、ここ以外には行き場がなくて…」
ゲンマから頼みますと言われ、ゲンマにも世話になっているしやっていくしかないよなと思う。
2人のことを詳しく聞くと、タヤスは読み書き計算ができて接客経験があるようで、レックは客の列の整理くらいはできるだろうとゲンマが話す。
話を聞く限り、役割分担をして2人が慣れてきたら客の少ない時間帯なら自分も売り場を任せられるなと思う。思いがけず大金も入ったことだから、銅貨とアメの現物支給ではなくて、いずれは身分証でのやり取りにしていこうかと提案すると、衝撃的なことを聞く。
「こいつらはそれぞれのギルドを除名されて、別のギルドに所属も出来てねぇんで身分証を持ってないんですよ」
その際のやらかしでタヤスはケジメで右腕を失い、レックは住民権を差し押さえられたと聞いて、詳しく知りたくないけど何をやったんだよと思う。
「ここが駄目ならこいつらは奴隷になるしかねぇんです」
必死にゲンマは頼むが、後ろの2人はそれほど熱意を感じない。奴隷を労働力にするのを嫌がっていたら、奴隷落ち寸前の人が来るとはどうなっているんだろうか。
魔法師というよく分からない存在とも関わるし、前途多難だ。
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