第4話 魔法師が客に来る

 枕が変わると確実に首を寝違える自信があるが、そもそも畳にマットレスを置いてその上に布団を敷く派なんだよなと思いながら、ベッドに寝転んで交換魔法を使いながら夜を過ごす。

 自由市で壺を出したり消したり仕舞ったことでスキルの技量が上がったのか、お手本がなくても壺もストックできるようになっていた。相変わらずアメを作りながら、合間に壺も作り始めた。壺を大量に作っても持て余しそうだが、壺の中に入れた物を待機空間に移動できることから、荷物入れに使えるのではないかと考えている。

 昨日はろくに寝てなくて、日中は無職の引きこもりにしてはしっかりと歩いたのに、眠くなるほど疲れてなくて目を閉じてまどろみながら耳から音を拾ってしまう。


 ふいに木の床が軋むような音と高めの嬌声のような声がかすかに聞こえ始め、そういえば連れ込み宿として使われる話を聞いていたことを思い出した。この宿は、風呂はないが立地と料理と料金は魅力的でも、毎日のようにこれだったらきついなと考える。

 途中静かになる時間がそれなりにあったが、再開されると結局明け方近くまで音が聞こえ、今日も横になっただけで熟睡はできなかった。


 日の出後に窓からの光で部屋が明るくなった頃に、少し早いが朝食を食べようと1階に下りると、眠気が見られる蜥蜴人の夫婦が朝食を作っていた。

 朝の挨拶を交わしつつ、20代後半から徹夜が体が響くようになったのに、ほぼ2徹して影響がない自身の体に不思議に思う。アラフォーの体は筋肉痛が翌日以降に遅れてくるにしても、足の裏や膝関節に痛みがない。

 色々と考えていると眉間や肩に力が入っていたのをほぐしていると、こちらの様子を見て申し訳なさそうに夫婦が話しかけている。


「昨日はゆっくり休めませんでしたよね」「昨夜はつい出会った頃を思い出して盛り上がってしまい…」


 夜の盛り合っていたのはお前らだったのか。何となく他に宿泊客の気配はないし、納得したよ。顔の引きつりを自覚しつつ、朝まで熟睡していたけれど昨日の商売と環境が変わった疲れが残っているだけですよと話を掘り下げないようにする。


「お待たせしました朝食です」


 気まずい沈黙の時間があってから、朝食の提供を受ける。ペン先のように薄く切った小麦の麺が入った野菜スープに粉チーズが振りかけてあり、パンと一緒に言わなくてもジョッキに水を用意してくれていた。

 企業倫理のない家族営業の宿屋に文句をつけても仕方がないが、料理とサービスが良いのに流行らない理由に気が付いてしまった。一見の独身客が泊っても、夫婦のイチャつきでリピーターにはならないだろう。過去にクレームがあったのか、夫婦にも自覚がありそうな様子も見られるが改善していないしな。


「今晩も泊るつもりなので、日中にトイレが必要になったら使わせください」


 気まずい空気に耐えかねて早めに宿から出る前に声をかけると、2人は目を丸くしてから了承して御馳走を作ってお待ちしておりますと嬉しそうに返事した。


「悪くない人たちだけどなー」


 ずっと泊り続けるのはちょっとなと、宿屋から出て小さな声で呟く。

 昨日よりも早い時間だからか、それともゲンマの住んでいる所からここは距離があるのか、まだゲンマは来ていなかった。

 道にいる人たちをジロジロ見るのも落ち着かないし、交換魔法を使いながら下を見ているとあることに気が付く。

 この自分が履いているサンダルは誰のだ。こちらに来て初日から履いている黒いサンダルだが、シェア率No1の大手メーカーの正規品なのだ。社畜時代から薄給で金のない自分は、どこのメーカーが作ったものか分からない偽物を愛用していたが、当たり前のように馴染んでいたので違いに気づかなかった。

 それにしても、外出する時は流石に部屋着で気にしないほど社会性を捨てていなかったはずだが、部屋着のスウェットで自分の物ではない靴を履き、外出の際に所持していそうな時計と財布やスマホは持っていない。

 日本で自分は、俺は何をしていたんだ。



「今日も早いですな、お待たせしました」


 考えすぎて頭痛がしてきたところで、ゲンマに声を掛けられる。結局、今ここにいる状況自体が不可思議なんだし、できることをやっていこうと無理やり切り替える。



「二人ともおはようございます」


「おはようさん、老人はやっぱり朝はえーな」

「おはようございます」


 あまり顔を合わせたくない相手が、ゲンマの言葉で朝一番から受けたくないプレッシャーを放っている。ではこちらも準備があるのでとそそくさと、その場を離れる。

 ノワさんは老人の朝が早いとは言え、街の中央だとかに住んでそうなのにこちらよりも到着が早く、既に売り場の準備を終えているのに驚いた。移動は上流階級らしく徒歩ではないだろうし、準備も若い従業員とかにさせているんだろうか。

 昨日も帰る前に挨拶されたが、その時には片づけはいつの間にか終えていたし、率先して働いてくれる労働力があるのはうらやましい。自分も金があったら従業員を雇いたい。



「待ってたよー」「早く早く」


 暫定定位置な場所の前に、すでに昨日の冒険者2人とそのお仲間らしき3人がいた。新規の3人は本当かと言いながら、疑っている様子がある。


「昨日の打ち上げで、パーティーに甘い菓子のことを共有した」「その前に、昨日のおまけも全部アタシらで食べちゃっててさー」


 現物がなければそれは疑うよな、と思いながら準備を始める。壺を出したりすると、おお収納スキル持ち、パーティー入ってよと勧誘されながら準備を終える。


「荒事は苦手なので…」


 断りながらも、紅一点ならぬ黒一点のパーティでは身体能力だけでなく、若い女性たちのノリについていけないなと思う。ワシは誘ってくれねぇのかと話すゲンマに、収納スキル持ってないしお腹出てんじゃんと返して笑っている姿を見て、しみじみと思う。


「お待たせしました、こちらが商品のアメになります」「子ども1個1ブル、大人10ブルで魔力も自然回復するし、何より甘くてうまいぞ」


 途中からゲンマに説明を奪われるが、何個買おうかと相談しているグループから1人が一歩前に出て来る。他の4人と違って、皮で所々補強されているが前衛の装備よりもゆったりとした服装で、とんがった帽子をかぶって30cm程の木の棒の先端につくしの頭のような装飾がついた装備をしている。身体的特徴から獣人には見えないが、パーティを組んでいるんだろうと予想する。


「私も獣人なんですよ」


 いわゆる魔法師かと思って眺めていると、考えていることが分かったのか帽子を取って見せると、金髪の髪の頭頂部に狐のような耳が2つ見えた。


「血が薄いみたいで耳だけなんですよ」


 力とかは弱いですけどその代わりに魔法に適性があって、と説明を続ける相手を見ながらなるほどなと思う。これは良いチャンスだ。


「それなら、1人5個まで購入可能ですけど、あなたにはおまけで20個渡すんで他の魔法師の人たちにも宣伝しくれませんか?」


 お願いしているのを聞きつけて、5個は少ないとか1人だけおまけはずるい、ワシも20個欲しいと聞こえるが、渡しただけ食べる人たちには宣伝にならないでしょうと伝える。


「私はいいですけど…」


 ちょっと歯切れの悪そうな様子に、魔力の自然回復以外にも何か相手に不審感を与えているのだろうかと思う。

 文句を言い続けている人たちに、買い占められたら子どもたちが買えないんでとも個数制限についても説明する。本当は在庫は多量にあるが多く売って転売されるのも嫌だし、その対策で値段を上げるのは子どもが買えないし、大人だけ値上げするのも魔力消費だけの無料で作っている物で大金を取るのも申し訳ないと思ってしまう。


「あまーい」「本当じゃん」「また来ようよ」「ねー」


 アメを舐めながら手を振り、騒がしく帰っていくパーティを見ながら、商品説明用に何か掲示する物があった方がいいなと思った。


「よけりゃ、昼飯を買ってくる時に適当な木片も用意しますよ」


 ゲンマに商品説明について相談すると用意してくれるようだ。しかし、記入は任せようと思うが、自身は会話に問題ないが文字の読み書きはできるのだろうか。ここで、交換魔法以外の気にしていなかった異世界言語のスキルについて、意識して使っていなかったことに気が付く。どうやってどこまで使用できるのだろうか、機会があれば試して見てみたいと思う。

 その後、獣人の客をさばきつつ、午前中を終える頃に今日も帰る前のノワさんに挨拶されたが、いつの間にか売り場の片づけを終えている。

 ノワさんは壺入りのアメの安さに気が付くと、壺ごと大人買いしようとされたが、子どもが買えるようにと事情を説明して許してもらった。



「アメのおっちゃん来たよ」「お手伝い頑張って小遣いもらった」「アメって何?」「美味しいの?」


 ゲンマに昼食で昨日と同じガルの肉串を奢ってもらい、昼食を終えた頃に獣人の子どもたちは来た。昨日の子もいれば、新規の子は説明が読めたり単純に甘い菓子と聞いてきた子たちもいて、説明書きの内容を伝えつつ追加の情報も教える。


「1日1個までだけど、買ってくれたらおまけが1個あります」


「くれ」「ちょうだい」「欲しい」「買うからくれ」「ワシも欲しい」


「ただし、おじさんの右手と左手のどっちかに入っているのを当てられたらね」


 お試しで1個壺からアメを取り、両手を組むように合わせた後に離し、手を握りこむ形にして前に出して見せる。


「おっちゃんの右手」「おっちゃんの左手だよ」「両方から匂いがするー」


「じゃあゲンマさんどうぞ」


「右手で」


 嗅覚の鋭い子もいるが、右手を開くと中には何もない。あれーと不思議そうな顔をする子たちの前で、左手も開く。


「どっちもない」「どこいったのー」「入ってないのズルじゃん」「ワシのアメが…」


「正解は…ここでした」


 口を開けて中のアメを見せると、すごーいと素直に喜んでくれる。普通にマジックができたらよかったがスキルの力に頼った。もう少し大人になると収納スキルだと思うだろうな。


「はい、次からはズルはしないで絶対に手の中にあるからアメを買ってね」


 次々と買ってくれた子たち全員に、当たりのおまけのアメを渡していく。右手は壺からのアメ、左手には待機空間からのアメを入れているため絶対に当たる仕様だ。嗅覚の鋭い子にもう片方の手も開いてと言われ、開くたびに空の手を見せるため不思議そうだ。シュレディンガーの猫ならぬタナカのアメは、指定した方を開けると必ず入っているのだ。

 その後は思った以上に盛況で、自分が子どもの相手をしている間に、ゲンマも大人の接客をしてくれていた。これ以上客が増えたら従業員を増やす必要があるし、自分も休みが欲しい。できれば働きたくない。

 子どものおまけを見て羨ましそうな大人を見て、クジみたいな還元する方法があってもいいのかなと考える。色々と改善することが見つかった。



「そろそろ夕方なんで今日は終わりにしますかい」


 そうですねとゲンマに返答すると、昨日の宿はどうでしたか、よければそっち系の店も紹介しますよと話してくる。色々とあの夫婦のことを知ってて、こっちの反応を楽しんでいるなと思いながら、ゲンマさんの奢りで最高級の店なら連れて行ってくださいとお願いしていると、突然目の前に人が現れた。


「ここがあの娘が言っていた菓子屋か、あの娘が嘘を言うこともないだろうが代表で私が調べに来た」


 突然現れた人は、説明書きを流し目で確認すると釣りはいいと銀貨を釣銭用の壺に入れた。


「調べて有効ならまた来る」


 こちらが反応する前に、そのままアメ5個を壺から取ると現れた時と同様にいつの間にか目の前から消えていた。午前中の冒険者の人と同じような服装だから魔法師だと思うが、宣伝効果が出たのかな。


「これだから耳長は…」


 嫌そうに顔をしかめるゲンマは過去に何かあったのか、ぼやいている。反応を返さないこちらに、ああいうのが好きなんですかいと聞かれ、どちらかというと苦手ですよと返答する。

 濃い翠色の長髪の間から横に長い耳が突き出て、人形のように整った容貌に髪の色よりも透き通るような翠色の瞳に圧倒された。顔の大きさも自身がスイカなら向こうはトマトくらいの小ささで、こちらよりも身長が低いんだろうが顔の小ささで手足が長く見えた。


「今日もガルの煮込みが楽しみですよ」


「早く片付けて食べに行きましょうや」


 こちらから無理やり話題を変えるが、ゲンマものってくれる。美しい人だと思ったが、美人は性格がきついんだろうと昔から偏見で思ってしまう。こちらよりも身長が低いのに、腰は高い位置にあるスタイルのいい人を見ると委縮してしまう。他人の長所に勝手に劣等感を抱いて、勝手に自己嫌悪に陥ってしまう。飲みたくないのに酒に酔いたくなる。




「今日の成功に」


 ジョッキを合わせてゲンマと今日も打ち上げをしている。仕事の付き合いの飲み会は嫌でしょうがなかったが、ゲンマの人柄か酒や二次会への参加を強制されないからか、不思議と一緒に過ごすのが嫌ではない。日本にいた頃は、家族とすらしばらく食事を採っていないのに不思議だ。


「実は提案があるんですが…」


 夕食のガルの煮込みをある程度食べたところで、ゲンマから話を振られる。今日の煮込みは牛乳が使われているのか白っぽいスープに、チーズも使われて濃厚な味わいをしている。

 ゲンマからの提案内容は、今日の様子から客が増えたことで周囲に迷惑をかけるかもしれない。管理者に目をつけられないようにするために、列の整理と客への対応を行わなければならず、そのためには従業員を新たに雇うことだ。


「でも給金を出せるか分からないですよ」


 2人は必要だと言われて難しいと考えていると、ゲンマから少額でもその分アメを支給してくれたら、訳アリですが従業員を用意できると聞いた。最悪アメだけの支給でも構わないと言われ、ゲンマが支給分のアメを買い上げることを予想する。十分な賃金を払えない分、従業員が支給したアメを売って現金を得てもいいだろうと、こちらには従業員を見つける伝手もないしそれでお願いしますと頼んだ。


「それじゃ、明日の成功に」


 今日の手ごたえから明日も楽しみだが、カウンターの向こう側では蜥蜴人の夫婦が、冒険者の頃を思い出すわとこちらを肴に寄り添っているのを見て、今晩はやめてくれよと思う。飲まないとやってられない。

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