第3話 個室の宿に泊まろう

 あれから、獣人のコミュニティ内の口コミの効果が出たのか、老若男女問わずぽつりぽつりと店を訪れてくれている。支払いが小銅貨と銅貨が多いため、ズボンのポケットが一杯になってきて壺をもう1個作り出した。小銀貨で払う人はいないだろうが、おつり用な雰囲気でポケットに入り切らない硬貨を入れて置いている。

 客の往来の合間に時間があり、午前中に交換魔法のヘルプに壺が候補に挙がったことを改めて考える。壺は現在の最大魔力の6割程消費するし、今も自分で交換した物が目の前にあるから作れた感じで、アメのようにヘルプがすすめてその後はショートカットキーに登録されるような交換のしやすさがないのが気になる。

 それにしても、壺のような無機物が魔力から交換できたのなら、貨幣を交換すると最短で金持ちになるのではないかと思いつく。


 思い立ってヘルプのオススメは反応ないが、スキルを使ってみる。しかし、何の手ごたえもなく魔力が減る様子がない。自身のスキルの力量が足りないのか、魔力が足りていないのか現状では不可能な感じだ。イメージが足りないのかと壺の中の硬貨を眺めていると不思議なことに気が付く。

 壺の半分近くまで積み重なった硬貨がすごくきれいなのだ。失礼ながら街の住人は風呂に入ったり服の洗濯をする頻度は低そうだが、硬貨は新品のように傷とへこみや汚れが一切見られないため違和感を感じたのだ。硬貨に魔法的な力が働いているのかなと予想すると気になってくる。


「ゲンマさん、この国の貨幣ってどうやって作ってるんですか?」


「ダンジョンに決まってますよ」


 何を当たり前のことを言っているんだと不審げな目で見られ、記憶喪失設定だった方が一般常識が欠けていても誤魔化しやすかったなと後悔する。


「ダンジョンもない辺境で育って、故国の貨幣は役人の作る紙で出来た物だったんで、この国の硬貨があまりにきれいで不思議だったんですよ」


 この国に入って両替した時点で気づくだろう言い訳を、おおそうですかいと流してくれたのはありがたい。新たに出てきたダンジョンの情報についても知りたくなる。


「ダンジョンのことも詳しくなくて、この辺にあったりするんですか」


「ここいらにはないが急にできたりなくなったりもあるし、東の街のビキンは貿易港とダンジョンもあって首都の次に栄えてると聞きますよ」


 ゲンマの話では、ダンジョンは生きていると大昔から言われているそうだ。急に生まれて成長するように姿を変え、長年存在するものもあれば短期間で機能を停止して消滅することもある。時に危険もあるが冒険者は富を得るチャンスがあり、この国の特定のダンジョンはコインを生み出し、そのコインは劣化が見られず貨幣として扱うようになった。コインのようにダンジョンが生み出す資源は人智を超えた物があり、ダンジョンは神が作りしものというのが古代からの通説となっているようだ。

 なるほどダンジョンがこの世界や神の理、システムで成り立つものならばとても人間のスキルでは及ばない領域にあるのかもしれないと納得させられる。


「大きい街は興味があるんで、いつか行ってみたいですね」


「馬車みたいなものでも数カ月は軽くかかるんで大変ですよ」


 ダンジョンと貿易港はいつか観光してみたいが、自衛の手段もない人間が野宿の可能性もある旅は厳しいと思う。この国と今いる街の名前すら知らなかったことにも今更気が付いたし、まずは地に足をつけて情報収集しつつ個室の宿屋に継続して宿泊できるようになるのと、その次は身分証の取得を当面の目標とする。



「そろそろ夕方が近づいて来たんで仕舞いにしますか?」


「お客さんも途切れたし片付けようかな」


 遠目に見える他の売り場も店仕舞いが始まっているのが見え、ゲンマからの提案で片付けようと思うが、壺2つと布をどう持って帰ろうか困っている。サッカーボールくらいの大きさを抱えるようにして持てば片手ずつでいけそうではあるが、片方は硬貨も入れているし収納スキル持ちを名乗っているのに持ち運ぶのも変だしどうしようか。


「おーい」「待って待って待ってー」


 悩んでいると二人組が手を振りながら走ってくるのが見えた。獣人の身体能力を活かした速度で売り場前に来るとアメの購入を希望してきた。


「ギルドの帰りに近所の人たちに聞いてさー」「終わる前で良かった」


 二人は冒険者ギルドでの仕事帰りのようで、軽装の皮鎧をはじめとした防具と武器を身に着けていた。腕や足にヒョウ柄の体毛が見える女性は顔の体毛はそこまで濃くないが、もう片方は防具がなければ完全に2足歩行するウサギにしか見えない。

 こういった人たちは種族が違うが、似たような獣を食べるのはどう感じるんだろうか。獣人と獣は何をもって区別されているのか、疑問に思ってしまう。


「祭りの時に食べられる菓子よりもっと甘いって聞いてさー」「食べたくなるよね」


 声の感じからは2人とも女性なのか、甘い物の魅力と口コミが効果を発揮しているなと思う。アメの舐め方を説明しつつ、冒険者に売り込むならとお得な効能も説明していく。


「このアメを舐めている間は魔力の自然回復も高まるんですよ」


「えー、本当に?」「魔法師の人は苦い薬を飲むか、寝ないと回復しないと言ってたよ」「嘘じゃん」


 寝なくても魔力が自然回復する自身は何なんだろうかと思いつつ、さる錬金術師の新商品でしてと適当なことを言う。2人は回復しなくても安くて甘いならいいかと、パーティの他の子にも分けてあげようとアメを5個買ってくれた。

 店仕舞いできりがいいのと宣伝にもなるし、壺の中に残っていた5個もおまけで渡して、冒険者仲間にも店のことを広めてくださいとお願いすると了承してくれた。


「黒いおじさんまたねー」「おまけありがとね」


 手を振って帰る二人を見送り、ようやく片づけをしようと思う。残っていたアメを買い占めようと期待していてショックを受けているゲンマを脇に、交換魔法について考える。

 今まで交換した物を待機空間にストックでき、望んだタイミングと位置で出現していたが、出現した物にもスキルの効果は及ぶのだろうか。まずは、魔力で出来たものを消すことができるのか試してみよう。


「できた」


 試しに今朝からスキルの修練で作っているブドウ味のアメを1個手のひらに新たに作り出し、それを魔力に交換するイメージでスキルを使うと消費分の魔力の半分が回復した。ブドウ味のアメにつられて一瞬復活してがっかりしたゲンマに申し訳ないと、多量のストックからイチゴとミルクのアメ10個を今日も手伝ってくれたからそのお礼と言って渡す。

 にやけながらアメを1個口に入れて残りを布に包んで大切そうに懐に仕舞うゲンマを横目に、魔力に還元することができたけど作った物を待機空間に戻すことはできるのだろうか試してみる。


「これもできたけど…」


 アメの容器にしていた空の壺は待機空間に戻せたが、ノワさんからもらった布とダンジョン産の貨幣は自分の魔力で作った物ではないし困った。

 実は収納スキルを持ってませんでしたが交換魔法は使えます、さらに異世界人ですと言えたらいいが、人の口に戸は立てられないの自覚している。何もない無職は、自身の生命線になる情報は墓場まで持っていくしかないなと決意する。


「ンッ」


 驚きの声を上げそうになってこらえる。

 硬貨を敷き布で包んで持っていこうと壺だけでも待機空間に移動させようとしたら、壺に入った硬貨ごと一緒に待機空間へ移動できてしまった。自身の魔力に間接的に干渉している物にはスキルの効果が及ぶのだろうか。ステータスを見る限り収納スキルに目覚めていないし、色々と謎は深まったがこれで何とかなりそうだ。   

 新たに壺を作って布を巻いて入れ、待機空間に移動させて売り場の片づけを終える。


「今日も昨日の宿でいいですかい?」


 こちらに声をかけられるまでゲンマは追加でアメを舐めていたようで、昨日の宿は熊殺し亭というらしい。宿の名前の由来が熊のような店主に殺されるのか、店主が熊を殺したのかどっちもありそうな名前だなと思ってしまう。


「ゆっくり休める個室のある宿がいいんですが…」


 なるべく安くて、きれいな水が飲めそうな所があったらと伝えると、人を選ぶが愛の夫婦亭という元冒険者夫婦が営む宿屋がちょうど条件に合うらしい。



「ここがそうですよ」


 ゲンマに案内されて自由市の入り口からそれほど遠くない距離に愛の夫婦亭はあった。外観は赤色に塗られた木材にうろこのような彫が入った加工がされた建物で、周囲の建物から浮いている印象もあって、女性向けの店屋かと思ってしまっていた。


「いらっしゃいませー」「あら、ゲンマさん連れ込みですか?」


「新規客の単独宿泊希望の案内だよ」


 宿内に入ると、2人の店員から声を掛けられた。内観も凝った装飾や調度品が置かれ、カウンター席以外にも4人掛けのテーブルが3個ある。敷地面積の割りには余裕を持ったスペースが確保されている空間は、他の客がいないこともあって余計に広く見える。

 店員は、夫婦でやっていると聞いていたが全身うろこに覆われた蜥蜴人が同じ服を着て同じエプロンを着けて立っており、外見からは双子にしか見えない。


「ここは見てくれは悪いんですがガルの煮込みが美味くて、蜥蜴人は種族がら水のスキルが得意できれいな水もサービスしてくれるんですよ」


 元は冒険者向けに始めた宿だが、亜人に対する風当たりもあってあまり客が入らず、外観と宿の名前からかもっぱら連れ込み宿として使われることが多いと説明を受ける。

 冒険者時代の貯金をはたいて立地の良い場所で始めたが、客も少なくて困っていると交互に話す夫婦の話を聞きながら、見た目もさることながら声も違いが分からず、同じ一族の近親で実は同性のカップルのなのかと疑問に思い始める。


「お二人は故郷が同じだったりするんですか?」


「全く違う部族出身でギルドで初めて会ったのよ」「運命的な出会いだった」


 ロマンティックな話のように話すが、水に映った自身の姿のようでお互いに驚いたとは、酷似しているのを自覚しているのか。


「こいつらは同族でも見分けづらいのを知ってて、同じような恰好をしやがるんで間違っても好きに呼んでやりゃいいんですよ」


「ひどいわ」「愛し合っている者が仲良くしているだけなのに」


 感覚が鋭い人には見分けがつくらしいが、青緑色のウロコの形状から色まで全く違いが分からない。妻がヌルルと夫がノルルと名乗り、名前までややこしいなと思いながら、タナカですと自己紹介する。


「タナカのにいさんさえよけりゃ、1泊食事込みで500ブルですよ」


「とりあえずここにしますよ」


 ゲンマの話では客がいなくて安くしているが、サービス的には王都だったら1000ブル以上してもおかしくないらしい。明日はどうなるか分からないが、ここより条件の良い風呂付きの高級宿はまだまだ手が出せないと思う。小銀貨5枚分の値段は昨日の宿の2泊分以上になるが、自由市に近いのもトイレが必要な時に助かるので気に入った。

 前払いの分を払おうとポケットの分と硬貨の入った壺を出して、銅貨50枚を数えながら支払う。恥ずかしいなと感じながら、みんなは硬貨の持ち歩きを財布か鞄を膨らませているのか、どうしているんだろうと思う。


「タナカのにいさんはこの街に来て身分証と財布やら荷物を盗られて困ってんのよ」


 不思議そうに見ている夫婦にゲンマが説明してくれ、収納スキルに売り物があったんで何とかなりそうですと補足する。


「私たちも大金を持ち歩くのが怖いですし、ギルドで身分証を再発行して預けている分を引き出せたらいいですね」

「小銀貨以上を銅貨で払うのは大変ですし、身分証同士でのやり取りが楽ですわ」


「身分証の中の金はしょうがねぇが、ギルドの資産は本人しかやり取りできねぇはずだ」


 夫婦とゲンマの会話で初耳の情報を聞いたが、ギルドは銀行的役割があってその身分証に現金をチャージしてキャッシュレス的使い方が可能なのだろうか。

 話を聞く限り、資産はギルドに預けて少額の現金を持ち歩き、小銀貨以上は身分証での決済がおすすめだと解釈したが実際に使っている所を見てみたい。

 便利そうだからギルドに資産はないが、やり取り用に身分証を作った方が良いのだろうか。財布代わりにはなるし、客へのお釣りが多くなった時に楽ができそうと思う。

 悩んだがまだ銀貨2枚を貯めれていないし、今日は大人だけでも60人を超す客を相手にしたが単価は安いため売り上げの大半が宿代で消える。当分身分証は手に入らないし、もしお釣りが多い時はゲンマの身分証で建て替えてもらおうと考える。



「これがガルの煮込みですよ」


 店の名物らしい料理と、ゲンマの飲むワインが入った木のジョッキが運ばれてきた。ガルの煮込みは骨から煮出したスープに、ガルの肉を内臓まで使っているようで、茶色い汁に形の残った1口大の野菜が浮かんでいるのが見えて食欲をそそる。パンは固いが食べやすいように輪切りにされており、サービスがありがたい。


「ここはエール以外にワインもありますが」


 ゲンマに聞かれるがせっかく水が飲めるのならそっちにしたい。自身が子ども舌の自覚があるが、ワインもビールと同様に苦手なのである。

 子どもの頃から散々ぶどうのジュースに慣れている状態で、いざワインを飲んでみると勝手に期待していた味とのギャップで合わなかったのだ。それ以来、チューハイだとかの甘めの飲みやすい酒しか飲まないようにしている。


「量と回数が多いと流石に別料金を頂きますが…」


 水が飲みたいことを告げると夫婦のどちらか見分けがつかないが、用意してくれるようだ。空の木製のジョッキの上に右手の人差し指を立てて、爪の先から数cmの距離の空間から水が流れ落ち出した。


「おー」


 思わず拍手する自分に周囲は不思議そうにするが、交換魔法以外の明確な魔法の発動を初めて見たので関心してしまった。


「今日の成功に」


 ゲンマとジョッキを合わせ、久しぶりに水が飲めたと昨日のエールよりは冷えた水に嬉しくなる。夕食のガルの煮込みは香辛料が効いているわけでもないのに臭みはなく、内臓もねっとりとした触感なのに意外と淡白な味が食べやすい。広くこの国の食卓で食べられてそうなガルのことは未だに謎の生物の肉だが、骨と内臓があることを今日は知れた。

 料理を食べながら今日の自由市が上手く行ったことを話題にしつつ、取り留めのないことも考えてしまう。先程の水の提供を思い出して自分も習得したいと思うが、異世界でも潔癖症の人がいたら他人が出す水は飲めないんだろうか、と余計なことが頭に浮かぶ。


「それじゃ、また明日の朝来ますんで」


 ゲンマは慣れない内は自分がいた方がいいだろうと、明らかにアメ目的な様子があるが荒事に強そうな人が傍にいた方が安心だとも思い、明日の約束を交わした。

 昨日の宿と同じような環境のトイレに慣れないなと思いつつ、赤紫色を基調とした室内のベッドへ横になる。枕が変わると眠れないことを思い出しながら夜が更けていく。

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