亡き王女のためのパヴァーヌ

増田朋美

亡き王女のためのパヴァーヌ

その日も寒い日で、やっぱり冬は寒いなと思われる日であった。また年末年始ということもありう、人の流れはせわしなくて、いろんな人が色んな用事で、バタバタと忙しく駆けずり回る季節でもあった。むしろ、人が動いていなければおかしいなと思われる日でもあった。

そんな中、杉ちゃんはいつもと変わらず、水穂さんの世話をし続けていたのであるが、

「こんにちは。桂です。右城先生にピアノを習いたいという女性がおりますので連れてきました。年末で申し訳ないのですが、今日しか休みが取れないそうです。先生、レッスンをお願いします。」

と、言いながら、桂浩二くんが、一人の女性を連れてやってきた。なんだかおどおどしていて頼りなさそうな女性であるが、でも何か目標を持っているらしく、今どきのヘラヘラしている様な感じの女性ではない。

「えーとお名前は何かな?」

杉ちゃんに言われて、

「はい。寺田良子と申します。」

と、彼女は答えた。

「寺田良子さんね。なんで水穂さんの元で、レッスンを受けようと思ったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、保育士の採用試験を受けようと思いまして。」

と、良子は答える。

「はあ、たかが保育士を目指すのに、水穂さんのレッスンを受けるのか?」

杉ちゃんが驚いてそう言うと、

「それがですね。彼女の勤めたい保育園はちょっと特殊なところだそうです。なんでもそこでは音楽教育を重点的に行うので、ピアノが弾けないと困るんだそうです。なんでもベートーベンのソナタを弾きこなせないと、採用して貰えないそうなんですよ。それで先生にお願いに来ました。先生、ぜひお願いします。」

と、浩二くんが言った。

「はあ、音楽に力を入れている保育園ってことか。そうなると、ここらへんだと、リズム保育園とか、そういうところかな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「いえ、そんなエリートばかりがいく保育園じゃないんですよ。認可保育園ではなくて、丹羽さんという方がやっているなにわ保育園というところです。」

良子さんはすぐ訂正した。

「認可保育園じゃないのか。それはもしかしたら、ブラック保育園みたいなところじゃないだろうかね。そこらへん気をつけたほうがいいぜ。ちゃんと働かせてもらえるかどうか。」

杉ちゃんが、心配そうに言うと、

「大丈夫です。先日なにわ保育園を見学させていただきましたが、子どもたちはとても楽しそうに遊んでいましたし、先生も良い人ばかりでした。だから大丈夫だと思います。」

良子さんはそういった。それと同時にスマートフォンで調べていた水穂さんが、

「確かに、子供さんを持っているお母さんの評判はすごく良いのですが、無認可ですし、ワケアリの子供さんを中心に預かっている保育園のようですよ。」

と言った。つまるところ、病気をしている子供さんを預かる施設のようなのだ。

「はあなるほどねえ。つまり、ワケアリの子供さんを預かるのか。発達障害とか、そういうのかな。でもさ、なんかそれって怪しいよな。それ本当にちゃんとした施設だろうかな。それで、試験の課題曲は何を弾けばいいんだよ。」

「はい、ベートーベンのソナタあたりを弾けばいいと言われているんですけど、あたしは、そういう場所ですから、亡き王女のためのパヴァーヌをやろうと思っているのです。子供さんを癒やすにはそれがいいのではないかと思いまして。みんな疲れている子供さんばかりであれば、そういう癒やしの音楽がいいなと思いました。それで、今日は、右城先生に、亡き王女のためのパヴァーヌを聞いていただきたいんですよ。」

杉ちゃんがそう言うと、寺田良子さんは、そう答えた。」

「なるほどね。わかったよ。じゃあ、そのとおり、亡き王女のためのパヴァーヌを弾いてみな。」

杉ちゃんがピアノを顎で示すと、良子さんは、

「ありがとうございます。」

と言って、ピアノを弾き始めた。確かに、亡き王女のためのパヴァーヌの音は取れているものの、内声の音はけたたましいし、メロディーもほとんどなっていない、変な演奏であった。決して、亡き王女のためのパヴァーヌという曲らしくなっていなかった。もう少し曲の難易度を下げなければならないと思われるほど、彼女の演奏はできていなかった。

「まあ確かに弾けては居るんですけどね。もう少し、静かにやっていただかないと。それは気をつけないと、資格が取れないかもしれませんよ。「

水穂さんの言い方は優しいが、内容は厳しかった。

「もう少し、内声を落として、全体的に上品に演奏してください。左手の伴奏をまず落とし、右手を十分に歌わせないと。」

「わかりました。もう一度やってみます。」

良子さんは、もう一度亡き王女のためのパヴァーヌを弾いた。

「そうですね。上の音をよく響かせて。これは決して、嬉しい曲じゃないですから。それを忘れないでください。」

水穂さんに言われて、良子さんは、一生懸命亡き王女のためのパヴァーヌを弾いたのであるが、どうしても左手がうるさいままであった。

「もう少し、左手の音量を下げること、あと、ベースがうるさすぎますから、それも気をつけて。」

「はい!」

一生懸命になればなるほど、音量は大きくなってしまうのである。一生懸命やっているけれど、彼女の演奏は余計にけたたましくなってしまうのであった。

「そうじゃなくてさ。亡き王女のためのパヴァーヌではなくて、他の曲を試験で使ったらどうだ?」

と、杉ちゃんにさえ言われてしまうほどであった。

「僕もそう思いますね。それよりも、もっと楽しい曲のほうが良いかもしれないですね。亡き王女のためのパヴァーヌは、ちょっと難しすぎますよ。」

水穂さんがそう言うほどだから、彼女はとても下手なのであろう。

「そうかも知れませんが、先生、せっかくなにわ保育園に勤めたいという意思を持っていることですし、なんとかして、亡き王女のためのパヴァーヌをやってもらうわけにはいきませんか。確かに難しい曲ではあるけれどね。」

浩二くんが水穂さんに行った。

「どうして浩二くんはそう思うの?」

杉ちゃんが口をはさむと、

「ええ、実は彼女もわけありだからですよ。やっと鬱から回復して、新しい保育園に勤めたいと意欲的になってくれたばかりなんですよ。」

浩二くんは、すぐ答えた。

「そうか、そういうことなら、保育士はやめたほうがいいな。保育士というと、表向きは可愛い子どもに囲まれて幸せかもしれないが、実際はすごい激務で、大変な仕事といいますからな。」

杉ちゃんは腕組みをしていった。

「単に子供の世話をするだけじゃ勤まらない仕事ですからね。」

水穂さんも話を続けた。

「でも、せっかくやりたいと思ってくれたわけですし、応援してやりたいんですけどね。」

浩二くんは、まだそういうことを言っている。

「まあねえ。そういう事言うんだったら、受けて見るだけ受けてみな。きっと落ちると思うけど、やって見るだけやってみれば、それでいいじゃないか。」

杉ちゃんがそう言うので、

「ありがとうございます。必ず受けてみます。」

と、良子さんはそれに答えるように言った。

「まあ頑張ってな。」

杉ちゃんはそれだけ言った。その後で四人はお茶にした。杉ちゃんの淹れてくれたお茶は美味かった。普通の緑茶だけど、どこかまろやかで良い味がした。やがて製鉄所に設置されている柱時計が12回なった。もうお昼だねと、浩二くんと良子さんは、ありがとうございましたと言って、福祉施設である製鉄所をあとにした。

その数日後、杉ちゃんたちが、また製鉄所で着物を縫ったり、ピアノを練習したりしていたところ、

「すみません。右城先生いらっしゃいますか?あのこないだの試験の結果をお知らせしたいと思いまして。」

と、一人の女性が、製鉄所の玄関引き戸をガラッと開けた。杉ちゃんが、ああいいよ入れというと、彼女はお邪魔しますと言って、上がり框のない玄関から、四畳半へはいってきた。

「こんにちは、寺田良子です。こないだのなにわ保育園の保育士採用試験、無事に受かりました。これからは子どもたちを楽しく保育できるように、指導していきます。」

「はあそうなんだ。保育園も相当人手不足だったんだねえ。確かにどこの園でも人が足りないって言うけど。」

「でも良かったじゃないですか。一応働くことができるわけですから。それは、良いことだと思います。」

杉ちゃんと水穂さんは、とりあえずそう言って、お祝いしてあげた。

「ありがとうございます。結局試験では亡き王女のためのパヴァーヌを弾かせてもらいました。ものすごく緊張しましたけど、なんとか弾くことができて良かったです。」

良子さんは、とてもうれしそうに言った。

「じゃあこれから、なにわ保育園で頑張って働いてください。保育園のしごとは大変だとは思うけど、きっと楽しいのではないかと思いますから。」

水穂さんがそう言うと、良子さんは嬉しそうに頷いた。

それから何日かたって、杉ちゃんたちは、和裁用の糸を買うために、手芸屋さんへでかけたのであるが、その途中、赤いバラの花が玄関先に植えられている小さな家の前を通りかかった。

「そういえばここじゃないですか?あの女性が勤め始めた保育園って。」

水穂さんが、その建物を見ていった。普通の家とあまり変わらない様な建物である。中からピアノを弾いている音がした。それは、彼女が試験で演奏すると言っていた、亡き王女のためのパヴァーヌであった。確かに音色は良くないが、弾いているのは、寺田良子さんであると、すぐに分かった。それほど、彼女の演奏は下手なものであった。

「よくやっていますね。彼女も一生懸命子供に音楽を聞かせたくて頑張ってやっているんでしょう。」

水穂さんがそういったのであるが、近くの家屋から、一人の女性が、不快な顔をしてやってきた。

「全くうるさくて困るわね。なんでこんなに、うるさい演奏を聞かせるのかしら。子供だって、いい気持ちでは無いと思うんだけど。」

「まあ確かに、不快ですが。」

と、水穂さんが言った。

「でも、彼女は、一生懸命やってるんだから、勘弁してあげてよ。」

杉ちゃんがそういった。

「だけど、困るのよ。だって毎日毎日おんなじ曲を何回も繰り返して聞かされるでしょ。もうあの曲は、重たいというか、鬱陶しくて。なんとかしてもらえないかしら。」

確かにおばさんの言うとおりでもあった。亡き王女のためのパヴァーヌは、とてもテンポも遅いし、長調でありながら悲しい感じの曲でもあるので、たしかに鬱陶しくなることもある。

「そうなんだ。一日中それを弾いているのかな?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、もう子供が食事をしている時間以外はずっと鳴りっぱなしよ。だから困るのよ。そりゃね、子供のための福祉施設かもしれないけど、子供が好きだからといって、一日中聞かせて居るのは困るでしょ。もうなんとかしてちょうだいよ。」

とおばさんは言うのだった。

「なるほど。つまり、亡き王女のためのパヴァーヌが必要だったんだね。それで採用試験でその曲を弾いたのか。はあ、そういう魂胆だったんだ。保育士がほしいと言うより、亡き王女のためのパヴァーヌを弾けるやつを探していたんだな。」

と、杉ちゃんは腕組みをした。その間にも、亡き王女のためのパヴァーヌは、なり続けている。

「もう、鬱陶しいというか、うるさくてたまらないわ!あなた達、なんとか止めて貰えないかしら。もうあんな音楽を聞かされるのは、困るのよ!」

と、おばさんは言った。杉ちゃんと水穂さんは顔を見合わせた。

「そうか。それなら、とりあえず、話をしてみようか。」

と、杉ちゃんがそう言ったので、水穂さんが、その小さな建物の、インターフォンを押した。すると、一人の中年の女性が現れた。中年女性と言っても、まだまだ若々づくりをして、年齢をごまかしている様な感じである。

「あの、お前さんが園長さん?」

杉ちゃんがそうきくと、

「はい。こちら、なにわ保育園の園長の、丹羽さやかと申します。」

と、園長さんは答えた。

「ああ、園長さん!あの鬱陶しい音楽、いつまで聞かせたら気が済むんですか。もうあんな音楽を一日中演奏されていたらこっちも、気が滅入ります。なんとかしてください!」

と、隣のおばさんはそう言っている。

「そうですが、彼女は、亡き王女のためのパヴァーヌが好きです。だから、彼女が、飽きるまで何度でも、聞かせてあげたいと思っています。」

と、園長先生は言った。

「彼女?それは誰ですか?」

と、水穂さんが言った。

「はい。家に来てくれている、小日向すみえちゃん。今五歳ですが、毎日こちらに来てくれていて、偉いと思います。だから、それを応援してあげることは大事ですよ。」

園長先生はしっかり答える。

「なんですか。たった一人の少女のために、園長先生は、一日中あの鬱陶しい音楽を聞かせるんですか。全く贅沢な子供さんですね。そんなことをしないと保育園に来ないとでもいいたいんですか?」

隣のおばさんは、驚いていった。

「はい。そういうことですよ。なんとしてでも保育園に来てもらわなければなりません。ですが、彼女は、そういうことができないので、ご自宅でお母様が聞いている亡き王女のためのパヴァーヌを保育園で聞いてもらうことで、保育園に来てもらうようにしているんですよ。」

園長先生は、すぐに言った。

「そうですかなんて言えませんよ。保育園に来てもらわなければならないって、それはあなた達保育園がすることでしょ。なんで近所に住んでいる人まで巻き込むんですか。それって、悪事ではありませんか?」

「そうかも知れないですけどね。でも、今の世の中、色んな子供さんが居るのも確かです。中には、重い病気や障害などで、保育園に来られることができない子供さんも居るのではないでしょうか。そのお母さんは、どうしても働かなければならないとしたら、保育園にこさせるために、お家であったことと、同じことをしなければならないのかもしれません。」

と、水穂さんが優しく言った。

「そういうことなら、甘やかしているんじゃありませんか。親御さんと同じことをして、保育園にこさせるなんて。保育園は、そういう手厚いおもてなしをするところじゃないでしょう。」

近所のおばちゃんがそう言うと、

「ええ、そうなんですが、彼女はどうしても保育園に来ることができないので、保育園に来るようにさせるには、お母さんの聞いている曲と同じ曲を演奏しないと、来てくれないんです。そうするしか方法は無いんですよ。彼女、小日向すみえちゃんのように、こだわりの強い子は、他にも出るかもしれません。」

と園長先生は言った。その間にも亡き王女のためのパヴァーヌが鳴り響いている。

「一体その園児は、どういう障害というか病気を持っているんだろうか。ダウン症とか、そういうやつか。そういう障害なら、そうなってしまってのしょうがないな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、何でも、重度の知的障害がありまして、歩行も不能な子です。ですが、お母様が自宅内で弾いていた、亡き王女のためのパヴァーヌを、とても楽しく聞いていました。その曲を聞いていると、寂しくなくなるのかもしれません。言葉は言えませんから、彼女に直接聞くことはできません。だから私達が、こうじゃないかああじゃないかとすべて憶測で彼女に近づくしかありません。そういう世界しか通用しない子も居るんです。あまり病名を言ってしまうと、マニュアル的に対処されてしまうので、それはしないことにしています。」

と、園長先生が言った。

「確かな事は、わかりませんが、もしかしたらレット症とか、そういうものでしょうか?確かに、あまり口にしたくない病名なのかもしれませんが、でも、理解を深めるために、それは言ったほうがいいのかもしれませんよ。」

水穂さんが言った。

「確かに、やたらと病名を口にしてしまうのは、人権侵害に当たるという主張は理解できますが、周りの人に理解してもらうためには、ある程度病名を普及させたほうがいいのではないかと。」

「まあそうかも知れないね。それに、この保育園は、ワケアリの子を専門的に預かっているところだろ?だったら、その子の様なワケアリの子がいてもしょうがないよ。それは、しょうがないと思わなきゃ。」

と、杉ちゃんが言った。

「でもね、あんな変な演奏では、もう鬱陶しくてしょうがないわよ。せめてもうちょっと上手い演奏は無いものかしらね。」

隣のおばさんがそう言うと、

「ほんなら、水穂さんに弾いてもらえ。こいつであればピアノはすごくうまいぞ。お手本になるくらいうまいぜ。なあ、どうだろう、水穂さん。」

杉ちゃんがそういった。園長先生がピアノを弾けるんですか?と聞くと水穂さんはちいさく頷いた。園長先生は、銘仙の着物を着た人物がピアノということでちょっと驚いている様子であったが、

「じゃあ、お願いしてもいいでしょうか?何しろ、ずっと飽きずに聞いているものですから。」

と水穂さんに言った。水穂さんはハイと言って、保育園の建物の中に入った。本当に小さな建物だった。保育園とはいい難いくらい小さい建物だった。二人が通された部屋には、三人の子供がいた。それぞれ、絵を描いたり、ジグゾーパズルをやったりしている。そしてピアノのそばに、車椅子の女の子がチョコンと座っていた。彼女が小日向すみえちゃんだろう。ピアノは、寺田良子さんが弾いていた。水穂さんは良子さんが弾き終わると、変わってくださいと言って、彼女の代わりにピアノを弾き始めた。曲はもちろん亡き王女のためのパヴァーヌ。良子さんの演奏とは偉い違いの演奏であったが、三人の子どもたちは、水穂さんの演奏を聞いて、皆近くによってきた。確かに水穂さんの演奏は素晴らしかった。演奏が終わると、園長先生も、良子さんも拍手をした。しないのは、小日向すみえちゃんだけであった。きっと彼女は、亡き王女のためのパヴァーヌが存在することを、当たり前のことだと思っているのだと思う。そこから切り離していくには、また戦いが始まるに違いない。水穂さんの演奏はそれも示唆していた。

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亡き王女のためのパヴァーヌ 増田朋美 @masubuchi4996

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