15. 生死について

 人の生死は占うな、と言われているものの、気がかりな時は占ってみることもある。

 昭和天皇が崩御される少し前に、昭和が六十四年も続くのか、新しい元号になるのかという声もあり、どのような状態なのかと易占をした。游魂の卦が出た。生きているとも言えず、かといって亡くなっているわけでもない。生と死のはざまを行きつ戻りつ魂が揺らめいている状態なのだ。游魂卦は需・訟・晋など八卦ある。 

丁火日生まれの天皇はもともと土の多い星で、ご苦労が多かったと思うが、水や土を忌む。昭和六十三年は戊辰年で強い土が重なって耐えきれなかったのだろう。

 帰魂卦も八卦あり、これが出ればあの世へ帰る。私たちは生まれようと思って生まれてきたわけではない。神の意志で生まれ、神の意志で帰るのは当然で、異議を唱えても無駄なのだ。あの世のほうがすばらしい世界かもしれないのに、死にたくないと思うのは、あの世のことを知らないからだろう。あの世が故郷で、この世にはちょっと旅にやってきただけだと思えばいい。知人の霊能者K氏は、「秩序のある世界で、良い人には楽しく、悪い人には苦しい」と言っていたので、想念や生き方が重要なのだろう。肩書やお金などは何の役にも立たないということだ。

 しかし、人間は信念を持って正しく生きようと思っても、思うようにいかないことも多い。やるだけのことをして駄目なら成り行きに任せるしかない。

 後藤健二氏が異国で捕らえられたとき、無事に帰国できるように、と占った。「地火明夷」上爻だった。この卦は自分が正しくても認められず、傷つけられて殺されることもある最悪の卦だ。自分の信念を貫いた人だと思うが残念なことだ。

 一方、帰国できた安田純平氏は「山水蒙四爻」という曖昧模糊とした、すべてにはっきりしない卦で、自分ではどうしようもないので、じっとしているしかない。救いは応爻(二と五の位が陰陽で応じているという)があるので、待っているうちに助けが得られた。蒙はお金が絡むこともあるが、彼の場合はどうだろう。助かってよかったが、危険を知りつつ行くのは相当の覚悟が必要だと言える。

 もっとも人間はいつか死ぬ。生年月日から判る事もある。私の夫の場合、寅年で戊戌と言う強い土の日生まれ。午の年になると寅午戌火局三合と言う強い火で土が焦げやすい。いつも午年になると問題が起きた。

 倒れて意識不明になったのが午年の午月(六月)で午の日の十九日だった。そのまま時を過ごし、亡くなったのが七月十三日の、これもまた午の日だ。唯一、午年に長女が生まれたのは幸いだったが、倒産後のごたごたで忙しく、夫はもちろん私も疲労困憊した。

 それでも良い年と悪い年があると知っていれば、それなりの対応や覚悟ができると思う。

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