16. 生と死と

 人間はどこの国に生まれるかで運命が決まってしまうことがある。日本でも前途ある若者が否応なく戦場へ送り出されて命を失った時代があった。愛する家族と別れ、学業や仕事、将来の希望すべてを捨てさせられたのだ。

 戦争がなくても、国力の差や貧富の差、宗教や世論など、束縛されるものは多く、見渡せば不公平だらけだろう。

 その中でも、最も不公平なのが寿命だと思う。若死にする人もいれば長寿の人もいる。十歳でも二十歳でも、死ねばそこでその人の人生は終わってしまう。不公平の極みだ。

 それを痛切に感じたのは、私が小学校六年生の時に起きた二つの出来事だった。

 集団登校していた年少の男児が、途中で先頭を走り、無人踏切で行き違う列車に気づかず、むざんにも轢かれてしまったのだ。後方にいたその子の兄が泣き叫び、辺りは大騒ぎになった。それまで楽しく談笑していた子が一瞬にして幾つかの肉片となり、命を終えてしまった、その衝撃は忘れられない。

 その晩、私は眠れなかった。あの子はどうなってしまったのだろう。あっという間に終わってしまった命……あの世と言うのは本当にあるのだろうか。百歳まで生きる人もいるというのに何という不公平……。人はいつか死ぬ。歳をとれば老いて死ぬとは知っていたけれど、若くても死ぬし、それが明日になるかもしれないという恐怖。父母が毎朝、般若心経を唱えていたので、覚えていた私は何度もお経を唱えた。そして母が観音様にお願いすれば良いように叶えてくださると言っていたのを思い出して、お祈りもした。それでも死後の世界は想像できず、恐ろしかった。

その年は続いて仲の良かった友人が風邪をこじらせて肺炎になり、何日か学校を休んだ。心配になって見舞いに行くと、目を泣き腫らしたお母さんが細い声で「もう危ないの」と言った。私も悲しい顔をしたのだろう。お母さんは強いて笑顔を見せ、「よく来てくれたね」と真っ赤なリンゴをひとつ私の手のひらに載せてくれた。それは見舞いの品だったろう。お母さんの気持ちを思うと苦しくなった。

急いで担任の先生へ知らせに行き、びっくりした先生がすぐ見舞いに出かけたが、結局、一両日で友人は亡くなってしまった。言いようのない寂寥感や儚さ……人はいつか死ぬ。

 もし、人がみんな七十歳までの命と決まっていたらどうだろう。計画も立てられ、仕事も遊びも楽しみ、覚悟も決まるのではないか?でも七十歳になれば、もっと生きたいとか、死ぬのは嫌だと思うかもしれない。

 その人の宿命は神が何らかの理由で決められたのだろう。いろいろな人生や寿命があり、明日のことがわからないからこそ、人は一日一日を大切に、いとおしく感じながら生きていくのだ。そう思えば自分の一生は自己責任で精いっぱい充実させて生きなければと思う。

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