13. 終活というもの
八十歳を過ぎてからの同窓会は、じいさんばあさんの集まりだ。中には変わらぬ若さを保っている人や、若い雰囲気の人もいるけれど、そういう人は自営業や専門職をしていて姿勢がよく、よく話し、よく食べる。
いろいろな人生を楽しんでいる友人たちと話し合うのはうれしい。けれど終活だの病気の話が多くなる。医師がいるかと思えば僧侶もいる。臨済宗の人では、生前に戒名をつけてもらったという男性が、「お布施というから志でいいのかと思っていたら、五十万だと言われた」とか。奥さんにもつけて、二人で百万だ。しかし、奥さんは字が気に入らず、自分で字を変えてしまったそうだ。その是非はともかく、あの世に行って自分の戒名が判るのだろうか? お寺にとっては有難い収入だろうが、必要なのかと疑問が生じる。
一応、昔からの慣習に従い、夫には良い戒名をつけてもらったが、判っているのか、どう思っているかは知るすべがない。それに、あの世で戒名によって待遇が違うとも思えない。卒塔婆も、あの世への手紙だと勧められるけれど、私はどうも好きになれず、断っている。古くなって傾き、カタカタと音がしている墓地へ行った時はぞっとした。
夫は天台宗で家紋は丸に橘だ。墓にはその紋を入れたが、私の実家は曹洞宗で剣片喰だ。よくお詣りする高幡不動明王と同じ紋である。結婚したとはいえ、私は天台宗の御経より、聞きなれた曹洞宗の御経が懐かしい。父母は毎朝、般若心経を唱えてから食事をした。私も知らず知らず覚えてしまった。
夫婦別々の宗派では駄目だろうか。葬儀も気になるのは骨を拾う儀式だ。なぜあんなことをする必要があるのか? 私はしっかり焼いて粉々にしてほしい。少量になれば仏壇にでも置ける。自分の骨が墓の中でずっと存在し続けるのかと思うとうんざりする。
焼いた骨などはただのごみ。霊など宿るはずがない。そんな話を娘にしたら、葬儀社の人に聞くから一筆書いておいて、と言われた。焼き場に頼めば粉々にしてくれるのだろうか。夫の時は骨壺に入りきらず、上からバリバリつぶしていたのでびっくりした。それなら初めから少量になるようにすればいい。
終活らしきことをしておいた方が良いか、と占ったら「火雷噬嗑五爻」(しっかりやっておけば問題なし)。大切なものの在処は明示してあるが、まだ足りないか?私の棺桶には娘たちのへその緒や花と一緒に、家族写真や仏画、方々の神社仏閣で頂いた御朱印帳を入れてほしいと思っている。あの世へ行くときに易学の師である横井伯典氏は、「火天大有上爻」(天よりこれを祐す。安心せよ)が出るといいな、と笑いながら言っていた。
そのとき私にはどんな易が出て、あの世行きを知らせてくれるのだろう。
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