12. 安楽死か尊厳死か
重い病気になったり老齢になったりして、安楽死を望む人たちが増えているという。私の祖母は慶応の生まれで、八十五歳の時に二日寝込んだだけで他界した。医者は注射を一本打ったものの「寿命ですなあ」と、あっさりしたものだった。しかし現代は違う。
義兄が脳梗塞で入院してから三年が過ぎだ。悔いが残るのは、朝、夫がゆっくり眠っていると思っていた姉が、異状に気づいたとき、すぐに救急車を呼べばよかったかもしれない、と言うことだ。失禁していたので下着を取り替え、パジャマも替えてから呼んだのだ。時間がかかってしまった。
意識は少しあるらしいが、チューブをつけられ、寝たきりで寝返りも打てず、話もできず、栄養剤を流し込まれておむつをし、ただ横たわっているだけの状態だ。
姉は夫と同じ年齢で八十八歳。バスで衣類の交換に病院へ通っている。私も見舞いに行ったが、可哀想で見ているのがつらかった。医者は回復の見込みがないと言っている。生きているとも言えず、死ぬこともできず、無理やり息をさせられているという感じだ。
死を待つ間に入院治療費はかさむばかり。姉はなんとかならないものかと嘆いている。死ぬのも大変な時代なのだ。
病院は治療する場なので、とにかく死を妨げようとする。治療を拒むなら自宅へ連れて帰るようにと言われても、介護できる人はいない。大柄なので入浴は病院でも三人掛かりだ。医師が注射や薬物で死なせるのは違法だとしても、自力で食べられず、意識もうろうとして寝ているだけでは、余計なことはせず、自然にあの世へ行かせてあげたい。終末期医療の病院や老人ホームで、寝たきりのままベッドに並んでいる老人の姿を見ると、墓場を見ているようで気が滅入ってしまう。
私は、人間を卒業しても、次に霊界へ行けると思っているし、人間界以外の世界が存在すると信じている。易占を学んだおかげで、神秘的な世界があることを実感しているので、無理やり生かされるのはごめんだ。尊厳死協会員になって痛みだけ取ってほしいというカードを持ち歩いている。
よく、戦没者の遺骨を返してほしいと要望する声を聞くけれど、骨に霊魂が宿っているわけではないし、だれの骨か判らないものをもらってきても、何にもならないと思う。手許に戻ってきたという自己満足感だけだろう。
霊魂はとっくの昔に、帰りたい人や場所のところに戻ってきているのだ。私は骨など残さず、粉々にしてほしいとさえ思っている。
これから高齢者が増え、多死時代になるそうだが、救急車を呼んでも、自然死を望む人や、自宅で看取りたいと願う人が多くなっているという。人間は必ずあの世へいくのだ。
医療に携わる人々も柔軟に考えられるようになってほしいと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます