6. もう一つの世界

 姉は占いが大好きで、神秘的な世界にも憧れ、いわゆる霊能者と言われる人の処へも出かけていた。なかなか本物はいないと言っていたけれど、K氏という霊能者と知り合い、親しくなってからは、霊能者を志したこともある。修行する場があると誘われたとき、姉はさんざん迷った挙句、「見たくないものが見えたらやっぱり怖いわ」と結局、断ったが。

 その姉が数年前に自宅で亡くなると、結婚して近くの借家に住んでいた姉の一人娘T子が実家を建て替えることになった。

 その頃から私の家に妙なことが起こり始めた。夜中にトイレに起きると、居間の電灯がついているのだ。同居している次女に話すと、確かに消灯したという。そのときは変だな、と思っただけだったが、そのうち娘が、「お母さん、テレビつけっぱなしよ」と言った。「そんなはずないわよ、私が先に寝たのよ」と答えると、三時過ぎに音がするので居間に行くとテレビがついていたのだという。それからも早朝エアコンの音がして、ふと見るとつけたわけでもないのに風が出ている。

 長女が来た時に、「変なのよ」と、その様子を話すと、長女は言下に、「それは伯母ちゃんよ」と言った。「伯母ちゃんの家の前を通ったら更地になっていたから、行くところがなくてお母さんの処に来たのよ」と言うのだ。

 長女は以前、T子の借家へ遊びに行った時に、若い女性が窓から見ていたのに中にはT子だけで、「その人は私も見たけど、この家に住んでいた人らしい」と言われたそうだ。

 当時、「オーラの泉」を好んで見ていた娘やT子は、あの世の話に抵抗がなく、素直に信じていた。このときも、「霊を見ちゃった」とか、「波長が合っちゃったのね」などと普通に話していたし、霊は電磁場に反応するのだとか、神秘の世界を自然に受け入れていた。が、私は霊を見たことがないので、よく判らない。

 しかし、一度、姉が信頼していたK氏に会ったときは、もう一つの世界は確かに存在するのだということを思い知らされた。

 その頃私は更年期症状が重く、婚家でのストレスもあり、神経が敏感になっていたのか夜なかなか眠れなくて困っていた。そのうえ十二時過ぎに毎晩パーンと響くラップ音がして脅かされる。もっとも夫に話しても、「何も聞こえないよ」と言うのだが。私はどうもおかしいと思い、姉に頼んでK氏にわが家へ来てもらったのだ。

 私の話を聞き、しばらく目を閉じていたK氏がゆっくり話し始めた。

「近くに大きな稲荷神社がありますね。この地を護り、治めている神社です。あなたは移転してきてから、まだご挨拶に行っていませんね。地元の神様にお詣りして、こちらで暮らしますからよろしくお願いします。と礼を尽くしてください。そして就寝前に東南に向かって一礼すれば音はしなくなります」

 何とも訳が分からない。けれど稲荷神社があるところに引っ越してきたあと、お詣りはしていないのだ。少々疑いながらもお詣りに行き、夜、一礼すると、不思議なことに悩まされていたラップ音がピタッと止まってしまった。脅かしていたのは眷属の狐だという。宗教関係で「手かざし」をする処もあるが、あれは「稲荷あそび」といい、入信してからやめようとすると、ひどい腰痛などで困らせるのだとか。動物にもそれなりの力があるらしい。

 K氏の話では、この世の他にもっと広い霊魂の世界があり、生まれ変わる人や、現世での想念と生き方によって暗闇に落ちる人もいるという例を挙げ、あの世からの報せや霊示を受ける人もいるという。

 私は信じざるを得なくなった。日本には戦前から敗戦を予言していた出口王仁三郎のような霊能者がいた。近年では東日本大震災が起きると一か月も前に地震と津波の恐ろしさを警告していた松原照子のような人もいるのだ。この世だけでないのは確かだろう。

 姉の話に戻ろう。ともあれ姉の家が新しくなり、姪の一家が移ってきた。訪ねてみると部屋の様子はすっかり変わっていたが、仏壇があって姉の供養がされていた。位牌に向かい、「もうここがお姉さんのいる場所だから安心してくださいね」と、念入りに般若心経を唱えて帰宅した。

 それから電灯やテレビが勝手についたりすることはなくなった。姉は寂しかったのだろうか。鑑定所は継がないと一人娘に断られ、独り暮らしの晩年だった。妹の私に託したものの心配だったのかもしれない。長女に言わせると、霊が落ち着いたのだそうだ。

 私もいずれ新しい世界へ行くのだろう。どんなところなのかと思うと興味が湧いてくる。遺影はこれが良いかしら、とアルバムを見ていた私に娘が言った。

「お母さん、向こうに着いたら知らせてね」

 行ってみないとわからないから何も答えられなかった。


 ところがそのあと、義兄(娘にとっては伯父)が亡くなる前日、病院へ見舞いに行くと、少し話もできて、ゼリーを飲み込めるほどだったが、「親父が迎えに来た」と言った。

 親しい人や、同じグループに属する人が、迎えに現れるという話は以前から聞いていたのだが、翌日、義兄は安らかに旅立った。義兄は言葉遣いも丁寧な優しい人だった。

 いま娘は、自分が向こうへ行くときは、母親の私が迎えに来てね、と言っている。

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