第37話 魔王覚醒(?)

 幸いにも魔物の襲撃を受けることなく無事に夜を明かした信士たちは、再び飛空騎で空の旅人となっていた。居住地に関してはまだまだ先だが、もしメルティカス平原で活動している冒険者(?)たちと遭遇できれば、上手くいけば今日中に街に着くことも不可能ではないはずだ。


「えへへ~」

「……」


 今日も今日で飛空騎を操縦する信士だったが、彼の背中にしがみ付いているのは陽菜ではなくセラだった。イザヴェルで訓練を共にしてからというもの、彼女はごく普通に信士への好意を表す様になっていた。元々、陽菜に負けず劣らずな子供っぽいところがあり、良くも悪くも判りやすい性格をしているので信士も当然気付いている。

 セラ自身の容姿もかなり可愛い分類に入るし、ハッキリ言って美少女だ。そんな可愛らしい子が自分に好意を寄せてくれる分には男として嬉しく無い訳がないのだが……


「なあ、セラ……」

「あててんのよ」

「先に言うなよ」


 やはりと言うべきか確信犯だった。しかもまずいことにセラもまた、陽菜に匹敵するか、下手したらそれ以上にスタイルが良い。それが後ろから無邪気かつ無防備にしがみ付いているものだから、背中がかなり幸せな――いや、まずいことになっている訳で……


「シンジってば、もしかして照れてる~?」

「……」

「もう、素直じゃないんだよ。可愛い女の子にくっ付かれるっていう役得を味わってるんだから、もっと喜んで良いと思うよ?」


 などとニヤニヤしながら頬をツンツンとしてくるセラ。

 それに便乗したのか、クロまでもが信士の肩に乗っかって反対側の頬をツンツンしてくる。なにかの遊びだと思ったのだろうか? 可愛らしいスライムである。


 セラとクロは気付いていないらしい。

 さっきから信士が押し黙っている本当の原因に。

 自分たちの背後に渦巻く、絶対零度の殺気の塊に……


「し・ん・じ・く~ん?」


 ぞくっ!?

 びくぅ!?

 ぶるっ!?


 背筋が凍る程の甘ったる~い声に、信士、セラ、クロが思わず身を強張らせた。絶対零度を思わせる強烈な殺意に、いまし方までニヤニヤしながら信士を揶揄っていたセラは涙目でガタガタと震えだす。

 恐い。恐すぎる。信士もセラもあまりの恐怖に後ろを――声の主の方を振り返ることが出来ないでいた。

 言うまでもなく陽菜だった。


「問題でーす。着物きもの着物きものでも絶対に着てはいけない着物ってなーんだ?」

「……さあな。ただ、着たくもないのに無理やり着せられてしまうものなら判るぞ?」

「正解は、浮気者うわきものー」

「答えは、濡れ衣冤罪だ」


 さすがに浮気者扱いは心外である、というのが信士の正直な心中だ。


「異世界転移したチート主人公=ハーレムって相場は決まってるけど、やっぱり信士君もその道を行くんだね……」

「誤解だ!」

「ちなみに私が読んだ作品の中での最多ヒロイン数は、102人だったよ?」

「多すぎだろそれ!? どこの物置だよ!? 戦国大名でもそこまで多くないぞ!?」

「そういえば信士君は戦国マニアだったね。つまり、元から一夫多妻に興味津々だった訳か……」

「悪意を招く曲解をするんじゃない!」

「この色ボケ魔王!」

「人の話を聞け妄想勇者!」


 自分を間に挟んできゃいきゃいと言い合いを始めた信士と陽菜に、可笑しさが込み上げてきてセラは気付かぬうちに笑っていた。


「シンジとハルナちゃんが一緒だと、すっごく楽しいんだよ!」


 本当に心から楽しそうに無邪気に笑うセラ。


 イザヴェルでの訓練期間を含め、1年以上も苦楽を共にしてきた2人だからこそ判る。セラは本当に明るく天真爛漫な、本当に子供のように無邪気な性格で、一緒にいるだけで場の空気を明るくしてくれる。仲間思い、友達思いの優しい心根の持ち主だ。きっと大勢の人から好かれ、愛されていたに違いない、と。


 そんなセラが、どうして大切な人間すべてと決別し、悠久の眠りに付く道を選んだのか? 

 そして、どれほどの覚悟と悲しみをもたらす行為だったか――それを考えるだけでも胸が痛くなる。最初に出会った日、セラは大切な人すべてとその思い出まで失ったことを知り、人目を憚らず大粒の涙を流して泣いているのを見ているから余計に。

 そんな彼女が屈託なく笑っているのを見ていると、それだけで信士や陽菜も朗らかな気持ちになり、同時にセラには二度と泣いてほしくないと強く思うようになった。

 もちろんそれは信士と陽菜だけではない。


 ぷんぷんっ!


「ゴメンゴメン、もちろんクロちゃんもなんだよ!」


 自分も忘れないでー、と抗議するクロに、セラは謝りながらクロをナデナデする。撫でられてご満悦なクロの可愛らしい姿に、また笑いが込み上げてくる。


 なんだかんだで良いチームだな、と信士は思った。チームと言うよりは家族みたいなものか。

 児童養護施設という、血の繋がらない者同士が家族同然に暮らしている場所で育ったからこそ、信士はその繋がりがなにより愛おしく思える。

 この先、自分たちの前にどんな困難が現れるかは判らないが、きっとオレたちなら乗り越えられるだろう、と彼は確信するのだった。


 ★


 最初の困難は思ったよりも早く訪れた。

 飛空騎を飛ばすこと数時間。信士たち一行はいよいよ人類の活動圏内であるメルティカス平原に入った。移動手段の切り替えポイントである森林は、地図で見たのよりずっと深い森林地帯であるようだ。まるで南米のアマゾンを思わせる。当然と言うべきか周囲には多数の魔物の気配があるものの、人間の気配は一切感じられない。

 上から見た感じ、もう少ししたら森が切れて平野になるはずなので、そろそろ下りないとまずい。


「さて、どっか適当な開けた場所とかは無いか?」

「開けた場所でなくても、岩山の上とかでも良いんじゃない?」

「確かにそれでもいいんだが、高い場所だと万が一、地上から見られてしまうかもしれないだろ?」

「あー、それはそうだね」


 とはいえ、周囲は見渡す限り緑の葉に埋め尽くされており、飛空騎を下ろせそうな開けた場所は見当たらない。3人乗りのバイクに近い形状とはいえ、飛空騎の大きさは普通車ほどもある。ちょっとやそっとの隙間では降りられない。


「ねぇねぇ、2人とも」


 そんな時、なにかに気付いたセラが森のある一点を指さして言った。


「あそこ、家みたいなのがあるよ?」


 そう言って森の一角を指す。信士や陽菜がそちらに視線を向けると、いまいる場所からずっと先、森林の一角から僅かに覗くようにして家の屋根のようなものが微かに見える。加えてその付近から煙の筋がいくつも空に昇っている。森林火災にしては小さすぎる。煙の量からするとせいぜい焚火くらいの規模だ。


「確かになにかあるな?」

「変だね。人が住んでる場所はまだずっと先のはずだよ?」


 他ならぬメルが断言していた。人間が住んでいるのは山脈の向こう、海岸沿いだと。ここはまだ内陸で人は住んでいない地域のはずだ。


「ひとまず見に行くか?」

「「さんせー!」」


 信士の提案に陽菜とセラが声を揃えて賛同した為、彼らはひとまず見に行ってみることにした。


 結論から言うと、セラが見つけたのは確かに家屋だった。木材を雑に組み合わせて茅葺を屋根代わりに被せた、原始的な建物――の1つだった。

 森林の間にぽっかりと口を開ける大きな湖。その湖岸の木々を切り開いて造られた集落――セラが見つけたのはその端っこに建てられた櫓の屋根だったのだ。

 同じようにして丸太を組み合わせただけの壁に茅葺の屋根を被せただけの家屋が、湖の畔にいくつも立ち並んでいるのが確認できる。さながら原住民の集落と言った感じだ。

 ただし集落の中を屯しているのは人間ではなかった。


「ゴブリンだな……」

「ゴブリンだね」

「ゴブリンなんだよ」

 ぶるぶるっ!


 そう、集落の中を闊歩しているのは緑色の肌に毛のない頭部。粗末な布切れを纏った醜悪な形相の人型の魔物――ゴブリンだった。信士でも知っているようなファンタジー定番の魔物だ。

 しかし――


「でかくね?」


 ゴブリンは別名「小鬼」と称されることもあるように、人間よりも遥かに小柄で、せいぜいが子供の背丈くらいしかない非力な魔物と聞いていたが、集落内にいるゴブリンはそのような凡例とはかけ離れた容姿をしていた。がっしりとした筋肉質な体格で、背丈も信士より大柄で2メートル近くある。集落内にいるゴブリンの全てが、だ。

 試しに1匹に<能力看破>を使ってみたところ、こんな感じだった。


 アンディール・ゴブリン

 総合力:12340

 生命力:1680

 魔力量:0

  体力:2360

  筋力:2000

  魔力:0

  敏捷:1860

 耐久力:1920

 魔防力:1560

 技術力:90

  精神:870

  状態:良好


 スキル

<身体強化220><打撃300><気配察知180><棒術200><建築290>


 総合力は1万強。魔境に生息する魔物に比べるとかなり弱い分類に入る。ただし集落内にはこれと同レベルの個体が無数に徘徊している。見える範囲だけでも数十匹――いや、100を超えているかもしれない。しかもそれだけではない。


 アンディール・ゴブリン・ソードマン

 総合力:16070

 生命力:2350

 魔力量:0

  体力:2980

  筋力:2450

  魔力:0

  敏捷:2030

 耐久力:2400

 魔防力:1890

 技術力:970

  精神:1000

  状態:良好


 スキル

<身体強化300><打撃320><剣術200><気配察知300>


 アンディール・ゴブリン・アーチャー

 総合力:10710

 生命力:1560

 魔力量:0

  体力:1990

  筋力:2100

  魔力:0

  敏捷:800

 耐久力:1100

 魔防力:460

 技術力:1500

  精神:1200

  状態:良好


 スキル

<身体強化180><弓術290><狙撃300><遠視210>


 アンディール・ゴブリン・メイジ

 総合力:11560

 生命力:1800

 魔力量:1630

  体力:980

  筋力:500

  魔力:1700

  敏捷:200

 耐久力:200

 魔防力:1850

 技術力:1700

  精神:1000

  状態:良好


 スキル

<身体強化100><火魔法230><雷魔法250>


 アンディール・ホブ・ゴブリン

 総合力:19180

 生命力:3500

 魔力量:0

  体力:3370

  筋力:3900

  魔力:0

  敏捷:600

 耐久力:2920

 魔防力:1200

 技術力:1790

  精神:1000

  状態:良好


 スキル

<身体強化370><怪力290><棒術300>


 アンディール・ゴブリン・ジェネラル

 総合力:55280

 生命力:10200

 魔力量:0

  体力:10740

  筋力:10100

  魔力:0

  敏捷:1100

 耐久力:8900

 魔防力:8840

 技術力:3200

  精神:1200

  状態:良好


 スキル

<身体強化320><大剣術320><統率200><威圧290><咆哮310>



 という感じで、集落内には多種多様なゴブリンたちがいた。


 剣を持ったゴブリン・ソードマン。

 弓を持って櫓の上から周囲を見張っているゴブリン・アーチャー。

 魔法使いの真似をしているのか、ぼろ布をローブのように纏って杖を持っているゴブリン・メイジ。

 ゴリラのような筋肉質な巨躯のホブ・ゴブリン。

 ホブ・ゴブリンよりも一回り大柄で、豪勢な装備と大剣を担いだゴブリン・ジェネラル。


 以下の上位種とみられる個体も十数匹ずついる。建物の中からも無数の気配が感じられることから、集落全体で総数は300を超えているはずだ。中でも集落の中央――ひと際大きな建物の中からはかなり大きな気配が感じられる。間違いなくこの集落のボスだろう。


「ここはゴブリンの村だったのか……」


 信士が陽菜に勧められて読んだラノベ――ゴブリンを殺しまくる人が活躍する物語では、ゴブリンは洞窟と言った暗闇に潜み、夜行性で昼間は活動しないという設定だったが、ここにいるゴブリンたちは原始的とはいえ集落を造るだけの知能があり、昼間でも普通に闊歩している。


「どうしよう、信士君」


 そんなファンタジー定番の王道モンスターの登場だというのに、何故か陽菜は嬉しそうではない。というより、怯えている様子だった。


「もし見つかったら、くっころされちゃう!?」

「……」


 と思ったら、少々ズレた心配をしているようだった。そう言えばクロと最初に遭った時も同じようなこと言ってたなー、と妙な懐かしさが込み上げてくる一方で――


「安心しろ。その心配はなさそうだ」

「なんで判るの? ゴブリンだよ? オーク、スライム、ローパーに並ぶファンタジー世界の『くっころ四天王』なんだよ?」

 ぷんぷんッ!


 スライムとして聞捨てならなかったのか、そんなことしないよー! とクロがおこになっている。


「あ、ゴメンね。クロちゃんがそんなことしないコなのは知ってるから!」


 失言に気付いて空かさず謝る陽菜。いつも通りと言えばいつも通りな光景だが、信士の目は別の物を捉えていた。

 強張った表情のまま信士がそれを指さす。


「?」


 不思議に思ってそちらへと目をやった陽菜が見たのは、いまいる場所からは集落を挟んで反対側――湖にせり出した2本の桟橋。その2つを繋ぐように雑な造りのアーチが建てられていた。その周囲に何匹かのゴブリンが集まっていた。よく見ると桟橋に立てかけられたアーチになにかがぶら下げられており、ゴブリンたちはそれを見上げて騒いでいる。


「ッ!?」


 それを目の当たりにした瞬間、陽菜は心臓の鼓動が跳ね上がるのをハッキリと自覚した。


 生々しい赤い液体を大量に滴らせているそれは、どう見ても人間の死体だったのだ。


 陽菜の優れた視力はその全体像をハッキリと網膜に焼き付けていた。明らかにまだ若い少女だった。既に事切れているその身体はピクリとも動かず、半ば開かれた瞳にはなにも映っていない。衣服を身に付けたままロープで逆さ吊りにされ、身体を伝って滴り落ちた血が湖へと垂れていた。


 そして、血の匂いに誘われたのか、湖から巨大なトカゲのような魔物が水中から飛び出し、少女の遺体に喰らい付いたかと思うとそのままロープを引き千切って湖へと消えた。

 周囲でその様子を眺めていたゴブリンたちが、さも可笑しそうに耳障りな哄笑を上げている。


「下衆が……」


 顔を歪めて吐き捨てる信士の横で、陽菜は真っ青な顔で震えていた。

 ファンタジーオタクの彼女であれば予想していただろう。ゴブリンは人類の敵であり、邪悪な魔物であると。そしてそのゴブリンが人間をどのように扱うか、ということを。なので、これはある意味では判り切っていた光景ともいえる。しかし、予想することと現実を目の当たりにすることとでは全く違う。その事を陽菜はいまさながら、まざまざと思い知らされることなった。


「シンジ、ハルナちゃん……」


 そこへさらに追い討ちを掛けるようなものをセラが見つけてしまった。陽菜と同じくらい顔を青くしているセラは、震える手で集落の一角を指さした。


「き――」


 悲鳴を上げようとした陽菜の口を、咄嗟に手で塞いだ信士の判断は賢明であり的確といえた。とはいえ、当の信士もまた危うく声を上げる寸前だった。


 集落の中心部――広場の一角に無造作に置かれた台座の上に並べられていたのは、10を超える数の人間の生首だったのだから。しかもまだ斬り落とされて時間が経っていないのか、いずれも真新しい血を滴らせている。


 目を逸らしたくなる衝動をぐっと抑えながら、信士は無残にも晒された無数の生首に目を向け続けた。決して目を逸らしてはならないと、自分の中のなにかが訴えかけているのだ。これが自分たちの現実なのだと。

 エリクス・キャンディーという不思議な飴のお陰でチートを手に入れ、メルに鍛えられて確かに自分たちは強くなった。だからと言って絶対に死なない訳ではない。もし万が一、ゴブリンに敗れて死んでしまった場合、自分たちもああなる。その事を決して忘れてはならないのだと。

 そう思ったからこそ、信士はゴブリンによって晒し首にされていた哀れな犠牲者の首を、その死相に刻まれた無念の思いを瞼に焼き付ける。

 決して他人事ではない。あれはなにかをしくじってゴブリンに殺された時の自分たちの姿なのだ。そうなった時は自分だけでなく、陽菜やセラもああなるのだ。

 忘れるな。忘れるな!


 ガタガタと震える腕で陽菜がしがみ付いてくる。ファンタジーの世界に来ることを夢見ていた彼女も、あまりにもショッキングな光景に言葉もなく震えていた。目にはうっすらと涙も浮かんでいる。


「大丈夫だ、陽菜」


 そんな彼女の頭を信じはポンポンと優しく撫でる。努めて冷静な声を出すよう心掛けつつ、怯える陽菜を安心させようと言葉を掛ける。


「お前はあんなことにはならない。オレが付いてる」


 それは同時に自分自身への誓いでもあった。陽菜を――恋人をあんな姿には絶対にさせない、と。途端、青くなっていた陽菜の顔が真っ赤になり、それでいて嬉しそうにはにかんでと面白いことになっている。


「うん。ありがとう、信士君」


 屈託ない笑顔には恋人への絶対の信頼感が宿っていた。その笑顔が眩しく、なにより可愛らしくて今度は信士が顔を赤くする番だった。


「じー」


 そんな2人をふくれっ面&じと目で睨むのはセラだった。


「ねえねえシンジ。さっきの言葉、私にも掛けてくれてもいいと思うんだよ?」

「はいはい。セラもあんなことにはならないから、心配するな」

「言葉に気持ちが籠ってないんだよー!」


 ますますふくれっ面になるセラに、こんな状況にも関わらず思わず笑いが込み上げてくる。それだけだというのに、さっきまでの緊張と恐怖はすっかりなくなっていた。


「さて、取り合えずどうする? どう見ても友好的な生き物には見えないし、さっさとおさらばした方が良いと思うんだが?」

「ゴブリン退治はファンタジーの登竜門だけど、退治依頼とかされた訳じゃないし、無理に戦う必要はないしね」

「私もそれで良いと思うんだよ。魔物退治は事前に調査を重ねて、魔物の強さや個体数を調べてから行うものだって、メルが言ってたし!」

 ぷるぷるー!


 クロも3人に同意するように短く震えた。

 魔物退治というのはラノベにあるように簡単に行えるものではない。それは<イザヴェル>で訓練中にメルから何度も言い聞かされたことだった。

 特に人型の魔物は動物型の魔物とは異なり、群れると連携行動を取ったり、遥かに強力な上位種に率いられていることが多いのだという。ゴブリン退治のつもりで来たのにオーガが出てきた、なんて突発事故も実際に起こりうることなので、討伐の際は綿密に調査を繰り返し、相手の数や強さ、上位種の有無などを調べ上げてから行うのがセオリーなのだそうだ。

 もしもなんらかの事情でそういった調査が行えない場合、常に撤退を意識しながら戦えと教わった。どんな時でも必ず逃走手段は用意しておけ、と。


「じゃあ、気付かれない内に――」


 ――ヅラかろう、と信士が言いかけたその時。


「いやああああああああ!!」


 集落の方から明らかにゴブリンのそれとは異なる悲鳴が響き渡った。

 弾かれるように視線を戻した3人の目に飛び込んできたのは、さっき見た晒し首が置かれた台座の前に引きずり出された若い女性――いや、少女の姿だった。

 信士たちよりも年下の、まだあどけなさを残した女の子だ。それが2匹のゴブリンに腕を押さえつけられ、地面に組み伏せられている。しかもゴブリンたちは少女の髪を鷲掴みにして強引に顔を上げさせ、台座に並べられた無数の生首を少女に見せつける。さも、「お前もこれからこうなるんだよ」と言わんばかりに。


「い、いや、嫌だ! やめてっ、やめてよぉ!!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で必死に懇願する少女を、周囲にいるゴブリンたちはさも面白そうにゲタゲタ笑いながら見下している。そこへ抜き身の剣を手にしたゴブリン・ソードマンがゆっくりとやって来る。その手に握られた剣には、まだ真新しい血がこびり付いていた。


「ヤダ! やめてっ! 誰か、誰かぁ!?」


 暴れる少女を2匹のゴブリンが力尽くで跪かせ、その真横にゴブリン・ソードマンがやって来る。少女を見下ろすその醜顔には、恐怖に怯える獲物の叫びを喜びとして感じる悍ましい嗜虐の笑みが張り付いていた。


「……是非に及ばず」


 その光景を目の当たりにしていた信士の口から洩れたのは、ゾッとするほど冷たい声だった。


 許せない。あんなものを許すことなど出来ない!


 静かな怒りを滲ませて、信士は自身の愛刀――ヤマトを顕現させ、腰溜めに構えた。いわゆる居合斬りの構えだ。ここから少女までの距離はおおよそ400から500メートル。狙撃銃でもギリギリの距離。高低差に関しては信士たちのいる場所の方が上方に位置し、見下ろす形になっているが、合間には家屋や櫓と言った障害物も多い。

 だが信士は躊躇わない。極限まで研ぎ澄まされた感覚で以って、瞬きすらせずに射殺さんばかりの鋭い視線で目標を凝視し続ける。


 少女の首を斬り落とさんと、剣を振り上げるゴブリン・ソードマンを。


 ゴブリン・ソードマンが剣を高々と掲げ、少女目掛けて振り下ろそうとするその瞬間――残像すら残さない迅さで信士が刀を振り抜いた。


 風系魔法剣――風裂斬。


 地球にいた頃、陽菜との訓練での組手を繰り返している内に編み出し、遠距離攻撃手段として愛用し続け、<イザヴェル>での訓練を経てさらに研ぎ澄まされた風の刃は、文字通り颶風の如き速さで空を奔り、車線上に遭った家屋や櫓を紙の如く斬り裂いて、いままさに少女に剣を振り下ろそうとしていたゴブリン・ソードマンの首を刎ね、勢い余ってその先にいた数匹のゴブリンを両断して地面に深い溝を築いてしまった。


「……すまない」


 明確な攻撃を受けたことで、集落内のゴブリンたちが一斉に騒ぎ始めた。幸い、まだ位置までは気付かれていないが、バレるのは時間の問題だろう。

 少女の命を救うことは出来たが、これでゴブリンたちとの戦闘は避けられなくなってしまった。

 なので信士の発した最初の一言は、陽菜たちへの謝罪だった。


「なにいってるの? 信士君は当たり前のことをしただけだよ?」


 そういう陽菜は、既に鉄剣を装備してる気満々でいた。


「シンジがやらなかったら、私がやってたんだよ!」


 セラもまた霊杖ソルブレイブを掲げ、魔力の波動を迸らせて臨戦態勢だ。


 ぷるぷるー!!


 クロも激しく飛び跳ねて2人に同意を示していた。


 もはや確認し合うまでもない。自分たちがこれからなにをすべきか、3人と1匹は言葉を交わさずともハッキリと理解しあっていた。


「あの子を助けてゴブリンどもを殲滅する。いままで<イザヴェル>で散々模擬戦を繰り返してきたが、実際に戦うのは今回が初めてだ。しかも圧倒的に数が多い。みんな、くれぐれも油断するなよ?」

「判った!」

「了解なんだよ!」

 ぷるぷるッ!


 仲間たちの返事を確認した後、信士は静かに目を閉じて息を吐いた。


「人間五〇年――」

「あの、シンジ?」


 意味不明なことを言い出した信士にセラが訝し気に声を掛けるが、それを陽菜が「邪魔しちゃダメだよ」と止めた。


「下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり――」


 それは信士の憧れであり、目標でもある人物が好んで舞ったとされる幸若舞、「敦盛」。


「一度生を受け、滅せぬものの、あるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」


 人間の一生はたった50年。仏界に比べれば夢や幻みたいなものだ。この世に生まれた物で、滅びないものなど無い。これを悟りの境地と思えないのは、情けない限りだ。


 そう、世界に存在する、人間を含めたあらゆる生物は必ず死ぬ。死なない生物などいない。世界を征服し得る力を持った魔王も、それを打倒せんとする勇者も、形や時期は違えど最後は必ず死が訪れる。

 自分たちだって例外ではない。

 史実に有名な桶狭間の戦い。圧倒的勢力を誇る今川義元を、織田信長が寡兵で以って討ち取って勝利を収めた、戦国史上もっとも有名な大逆転劇。その前夜、信長はこの「敦盛」を舞って出陣したという。

 その気持ちがいまの信士には判る気がした。


 今川義元の大軍を前に絶体絶命の危機に瀕した信長は、まさに「悟りの境地」に至ったんじゃないかと。どうせ最後は死ぬ身。なら命を賭して戦うことになんの恐れを抱く必要がある、と。


 だが魔王と恐れられた織田信長でさえ、家臣の裏切りと言う形であっけなく死んでしまった。

 無敵のヒーローや不死身の魔王なんかこの世にはいない。死は誰にでも必ず訪れる。エリクス・キャンディーを食べてスキルを得て、<イザヴェル>での猛特訓を経た自分たちは強いかもしれない。けど、不死身ではない。首を斬り落とされたり、心臓を貫かれれば呆気なく死ぬ人間であることに変わりはない。それを絶対に忘れてはならない。その事実を肝に銘じた上で、なお命懸けで戦わなければならない。

 戦国武将たちがそうであったように。


「さあ、此度は我らが初陣ぞ」


 覚悟と戦意の満ち満ちた覇気溢れる顔で信士は言った。敦盛の影響なのか、戦国武将の覚悟を踏襲したせいか、口調がヤバいことになっているが。


「ハルナちゃん。シンジが……」

「しぃ。良い子は見ちゃいけません」


 と、陽菜も何気に酷いことを言っているが、信士の耳には届いていなかった。

 どうやら自分たちの居場所に気付いたらしいゴブリンたちが、大挙して押し寄せてくる様子を見下ろしながら、愛刀を高々と掲げ――


「者ども! 出陣じゃー!!」


 自ら先陣を切ってゴブリン集落へと斬り込んでいく。


「ああ、完全に信長化しちゃった……」

「シンジの中の魔王が目覚めたんだよ!」


 後に残された2人は、慌ててその後を追うのだった。

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