第36話 事前会議
飛空騎で飛び続けること半日、信士たちは魔物と遭遇することもなく順調に進んでいた。というのも、飛空騎の速度が速すぎるせいで、魔物たちは彼らを視認することが出来ても襲い掛かることが出来なかったというのが真相だが。
実際、飛空騎の速度は半端ではなく、おそらく時速200~300kmくらいは出ている。さらに周囲には風除けの結界が張られている為、それだけの速度で飛行しながら乗っている信士たちは風圧を感じないでいた。互いにおしゃべりする余裕すらあるくらいに。魔物の襲撃さえなければ魔境のドライブは快適なものだ。とはいえ、やはり長距離運転というのは疲れる。一応、何度か小休止を挟んでいるのだが、そろそろ本格的に休憩を取りたいと信士が提案すると――
「浮き島の上で休憩したい!」
――と陽菜が強固に主張し出した。
ファンタジーオタクの陽菜にとって、空に浮く島に乗るというのは夢であり、憧れでもある。信士にしても興味が無い訳ではなかったので、彼女の意見を承諾。数多ある浮き島の中で、比較的小さく魔物のいない物を選んで着陸することにした。
「うわー! うわーっ!」
信士たちが降り立った浮き島は、大きさにしたらちょっと大きめの公園程度のもので、上部地形の起伏もなだらかで雑草程度の植物が自生しているものの、樹木などは生えていなかった。休憩にはちょうど良いだろう。
降り立つや否や陽菜が子供みたいに目を輝かせ、クロを頭に乗せたまま島の上を走り回っていた。この世界に来た直後も「乗ってみたい!」と散々楽しみにしていたし、ようやく念願叶ってテンションが爆発してしまったようだ。
「島から落ちるなよ、陽菜!」
「はーい!」
満面の笑顔で元気に手を振る陽菜は、まるでピクニックに来た子供のようで思わず信士も笑顔になる。
「ハルナちゃん、とっても嬉しそうなんだよ」
「まあ、気持ちは判らないでもないけどな。空に浮く島なんてオレらの世界には存在していない。それこそ
数時間も飛空騎を飛ばし続けて凝り固まった身体をほぐす様に、信士は大きく背を伸ばした。いま彼がいる場所は地上からだいたい100メートル上空。アンディール王城の高さとは比べるべくもないが、人工物の無い大自然の真っただ中とあって、空気はこちらの方が随分と美味かった。
「それにしても、これってなんで浮いてるのかな?」
「さあな。それこそ……ん?」
不思議そうに首を傾げるセラに応えようとして、信士はふといまのセラの言葉に違和感を感じて言葉を飲んだ。
「セラ、お前、知らないのか?」
「知らないんだよ。と言うか……」
頭を指でつつきながらセラは難しい顔で考え込んだ後、徐に口を開いた。
「……私の時代には、こんなの無かったと思うんだよ」
「!」
その言葉に信士も息を飲む。
これらの浮き島はてっきりこの世界特有の自然現象だと思っていた。有史以前から存在する、自然の一部なのだと。しかしセラの記憶と言葉を信じるなら、少なくとも2万年前までは浮き島など存在していなかったという。
つまり浮き島は2万年前のアンディール王国滅亡以降、現在の間になんらかの理由で誕生したということだ。そう思うとこの浮き島というものが急に得体の知れないモノに思えてきて怖くなってくる。
「……なんでこんなもんが出来たのか、心当たりはあるか?」
「……判んない。メルなら知ってるかもしれないけど」
「しまったな。こんなことなら先に聞いときゃよかった」
「どうするの? もしあれなら、転移キューブで一度戻ることも出来るよ?」
「冗談。出発してから半日足らずでとんぼ返りなんて、恥ずかしくて絶対御免だ」
信士は肩を竦ませて首を振った。さすがにそのパターンは男として恥ずかしすぎる。
「もしどうしても戻らなきゃならない機会があったら、その時に聞けばいいさ」
「で、禁止事項ですって言われたり?」
「ありそうだな」
言いながら2人は声を出して笑い合った。
「さて、陽菜も呼んでそろそろ飯に――」
と、言いかけたところで信士はハタと動きを止めた。
「……陽菜は?」
妙に静かだと思いきや、さっきまであんなにはしゃいでいた陽菜の姿がどこにも見当たらない。
「え?」
セラも気づいて、固まった表情で辺りを見回した。
いない。
どこにもいない。
元より隠れる場所など無い見晴らしの良い場所なのに、陽菜の姿がどこにも見当たらない。魔物に攫われた? いや、もし接近してきたなら信士たちも気づいたはずだし、だいいち陽菜が大人しく攫われるはずがない。ということは……
サーっと2人の表情から音を立てて血の気が引いていく。
「あいつまさか、島から落ちたのか!?」
「きゃー、ハルナちゃーん!」
焦った2人は弾かれたように飛空騎と飛行魔法でその場を飛び立った。
結論から言うと、予想通り陽菜は浮き島から落ちていた。信士とセラが会話していた1分ほどの間に……
ただ、一緒にいたクロがスライムとしての特性を活かし、とっさの判断で陽菜の身体に張り付いたまま島の下層部にしがみ付いて危機一髪で転落を防いでくれたおかげで、宙吊り状態で命拾いしていた。
マジで優秀なスライムである。
救出された後、
「やー、もっと高いところ景色を楽しもうとピョーンって飛び跳ねてたら、足元に地面が無かったなんて、私の好奇心と純真な乙女心を逆手に取った巧妙な罠だね!」
――などと身勝手な供述をしており……
そもそも乙女心など欠片も関係ない。
「……当分、浮き島に乗るの禁止な」
「そんな! ご無体なー!」
「落ちるなよって注意した1分後に落ちといて、なに言ってんだ!」
「ホントにビックリしたんだよ、ハルナちゃん!?」
ぷんぷん!
「ご、ごめんなさい」
怒り心頭の信士と涙目のセラ、そして擬音がいつもの「ぷるぷるー」じゃなく「ぷんぷん!」になってしまうほどおこなクロに窘められてしょんぼりと反省の弁を述べていた。
休憩にするはずがなんだか精神的にどっと疲れる羽目になり、信士は深く嘆息する。
幼い子供から目を離してはいけない――世の親たちの苦労の一端が垣間見えた気がした。
その後、3人で話し合った結果、予定を変更し休憩ではなくこの場に一泊することにした。どのみち居留地まではどんなに急いでも1日以上は掛かるし、最終的には何処かで1泊しなければならなったのだ。偶然ではあるが、いまいる浮き島の周囲には魔物の気配は感じられず、休むにはちょうどいいだろうということで。
で、ここでキューブ、飛空騎に続いてメルからもらった便利アイテムその3――セーフ・ハウス。
半径7~8メートルくらいの円錐台の形状をした小型の仮設住宅だ。一階建てで表面にドアや窓が取り付けられているだけのシンプルな造りだが、内部は空間魔法を応用した圧縮空間になっており、外見に比べてかなり広い。しかもトイレやバスルームまで付いている。予め水を補給しておかなければ使えないという制約はあるが、3人とも<水魔法>を使えるので問題にならない。流した水がどこへ行くかは不明だが。
もともとこのセーフ・ハウスは、兵士の野営の為に造られたものなのだそうだ。従って内部の設備は風呂とトイレ、簡易キッチン、水道などの必要最低限のもの以外、家具などは一切ない。その代わり、普通の家と違って持ち運びが出来るという利点がある。つまり、<無限収納>に収納可能なのだ。
しかも信士がもらったこのタイプは、空間魔法の結界を展開してハウス自体を周囲から見えなくできる他、魔物除けの結界も並行して展開されるという超高性能タイプ。それでも魔境のど真ん中である以上、100%安全という訳ではないが、浮き島の上という場所的に地上に生息する大型の魔物には狙われにくいので比較的安全性は高い。
「いいか? 改めて確認しておくぞ?」
その日の晩、寝る前に信士たちは改めて人と出会った時の対処について話し合っていた。
「まず、メルやリア・アンディール、あと飛空騎を始めとした道具のことは一切口外しない。これは良いな?」
「「うん」」
この世界、時代に置いてアンディール王国がどう認識されているのかは不明だが、下手に口外して良いものでないくらい、いまの信士たちでも理解できる。
「オレたちがこの世界に飛ばされる前、不思議な空間で巨大な樹と、大勢の人間が集められているのを見た。その後、オレたちがこの世界に飛ばされたことを考えると、あの人たちも同じタイミングでこの世界のどこかに飛ばされている可能性が高い。つまり、異世界人の存在は既に周知の事実になっていると考えるべきだと思う」
「そうだね。うろ覚えだけど200人、300人じゃ効かない数だったし、それだけの数の人が一斉にこの世界に現れたら、絶対に噂になるよね」
「加えて文明レベルも高そうだった。もし地球と同じレベルの情報化社会であれば、なおさら異世界人の存在が広まるのも早いはずだ」
仮にもしも地球に置いて、別の世界の人間が数百人も一斉に現れたとしたら、1~2日くらいで世界中の人たちがその存在を知ることになることだろう。
「既にオレたちがこの世界に来て10日以上経っている。異世界人の存在が周知の事実になっていると考えた方が良い。なのでカバーストーリーとしては――オレと陽菜は同じ場所で目を覚ました。ここはどこかとさ迷っている際に廃都市でゾンビに追われ、その後クロと遭遇して戦った結果、仲間になった。ここまでは事実のままで行こう」
「うん」
「んでその後、偶然にも倒れてるセラを発見し、記憶を失っていた為、一緒に行動することになった――この際、セラも異世界人と言う設定で行く」
「なるほど。同じ<エクス>の聖印があることを逆手に取るんだね!」
「そうだ。オレたちを含めた異世界人の全てが<エクス>で、聖印を持っているかどうかは判らない。けど異世界人のオレと陽菜がこの世界に来たと同時に身体に聖印が現れた。だからセラも同じ理屈で押し通す。ボロを出さないように注意してくれ」
「はーい!」
「了解なんだよ!」
ぷるぷるー!
元気よく返事をする陽菜とセラに、信士は多少不安は感じつつも信じることにした。
あとクロも返事をしているが、そもそもしゃべれないのでなんの意味もない。
「その後は4人で魔境を彷徨っていた、という設定だ」
「でもでも、ハルナちゃんたちがここへきてからもう10日以上経ってるんだよ? それだけ長い間放浪していたにしては身綺麗だって怪しまれるんじゃないかな?」
セラがもっともな意見を出して来た。
実際、信士たち身体も衣服も、長時間、魔境を放浪していたにしては綺麗すぎる。10日以上も遭難していたと言われても誰も信じないだろう。
「もし尋ねられたら、<光魔法>で『浄化』していたということで通そう」
浄化――信士らのオリジナルの<光魔法>の一種で、その名の通り身体や衣服に付いた汚れを浄化することが出来る便利魔法だ。
「食べ物に関しては、魔物や木の実を食べていた、ということで」
これもメルから聞かされたのだが、意外にも魔物の多くは人間でもきちんと調理すれば食べられるらしい。もちろん毒を持っていたり、食用でない種類もいるのだが、牛などの草食型の魔物の多くは普通に食べることが出来るそうだ。他にも森林地帯には食べられる木の実などが豊富に存在するという。
ここへ来るまでに試しにいくつか食べてみたのだが、いずれの果実もとても珍味だった。
「ここって意外と食べ物が豊富だったんだね」
「だからこそ魔物の数も尋常じゃないんだろうな」
陽菜の言葉に信士が頷きながら言った。
自然豊かで食料も豊富とくれば動物も多いのは地球も同じ。ただしこの世界では魔物と言う、地球にはない独自の生態系が存在しているが、生き物である以上、彼らも食料を食べねば生きて行けない。従って食料が豊富な場所に魔物が多いのは当然。それら豊富な魔物が日々、自分たちの生存を掛けて弱肉強食の熾烈な生存競争を繰り広げている。ここはそういう場所なのだ。
「メルの話では、人類が居住しているのは大陸の南端――海沿いの山脈の向こう側だったな」
信士はメルからもらった大陸南部の地図を広げた。
2万年前まで、ここはアンディール大陸と呼ばれる世界一広大な大陸であり、その全土を支配していたのがアンディール王国だったのだそうだ。南端部にはガリア山脈と呼ばれる山脈が海岸線に沿うようにして連なっている。その総延長は1万km以上。ただし標高自体はそれほど高くないようで、最も高い山でも標高千数百メートルほど。そしてガリア山脈と海岸線の間に存在する僅かな平野に、人間たちは小規模な都市や集落を造って暮らしているそうだ。ただし外洋からも洋上船や飛空艇などの往来していることから、アンディール大陸の外部にも人類は暮らしているのは間違いない。
そしていくつかの都市では、ガリア山脈の合間に道路を通したり、または山を貫通するトンネルを掘ったりして山脈の北側にも進出して活動しているらしい。ただし土地を開拓して自分たちの生活圏を広げようとしているような様子はなく、無作為に魔物を狩ってその死骸を持ち帰ったり、周辺にある旧アンディール王国時代の都市跡や遺跡を調べたりしているそうだ。
「冒険者か……」
「冒険者だね!」
信士の呟きに追従する形で陽菜が興奮気味に声を上げた。
魔物を殺して死骸を持ち帰る。
古代の遺跡を調査する。
どう考えてもラノベ定番の冒険者としか思えない。
「しかし遺跡を調べるのはともかく、魔物の死骸なんかなにに使うんだ?」
「ラノベとかなら、魔物の体内に魔石とかがあって、それを回収するっていうのがセオリーなんだけど……」
「けど、メルはそんなものは無いって言ってたよな?」
リア・アンディール在住中にメルに聞いたのだが、魔物とは『体内に魔力を宿した非知的生物の総称』という話だった。起源は不明でアンディール王国が建国される遥か昔から存在しているのだという。先述の通り、魔物の多くはきちんと調理すれば食べられるので、アンディール王国では人に仇を成す害獣として忌み嫌われていたのと同時に、食用として重宝もされていたらしい。
そして身体内に魔石とか核など存在していない、と。
「となると、やっぱ食べる為か……」
「うーん、牛さんはともかく、トカゲとか虫なんかはあんまり食べたくないね」
眉を顰める陽菜に、同感だ、と信士も頷いた。
「話を戻そう。山脈のこちら側でも人間たちは活動しているが、その範囲はさほど広くないってメルは言っていた。山脈の北側に広がっている『メルティカス平原』とその周囲の限定された範囲のみだと」
ガリア山脈の北には、メルティカス平原と呼ばれる緑豊かな平野が存在している。起伏の少ないなだらかな地形にいくつもの川が走り、森林なども存在している自然の宝庫だ。ただしそれと同時に多くの魔物も生息している為、この大陸の住民たちはそれらを狩猟しているという。
さらにこの平原には、アンディール王国時代には地名と同名の「メルティカス」という名の都市が栄えていたらしい。王都であるリア・アンディールには遠く及ばないが、それなりに発展した都市であったという。もちろん既に滅んでしまってはいるが、都市の残骸のいくつかはいまも残っており、それらの調査なども行われているらしい。
「でも、なんでこんな場所に住んでるのかな?」
陽菜が口にした疑問は、同時に信士の疑問でもあった。
かつてはともかく、いまのアンディール大陸は魔物が跋扈する危険地帯だ。信士たちも幾度となく危険な目に遭ったし、絶対に住みたいとは思わない。なのに何故か少なくない数の人々が、魔物の少ない山脈の向こう――大陸の隅に集まるようにして暮らしている。
いったい何故なのか?
「ま、その辺りは実際に行って聞いてみれば良い」
「そうだね!」
これに関しては疑問ではあるが、自分たちでは答えを出しようもないので後日、実際に彼らに会って直接聞いてみるしかない。
「話がまた脱線したな。とりあえずメルティカス平原手前までは飛空騎で移動し、そこからは徒歩で移動することになる。けど可能な限り街に近い場所までは移動したい」
「あんまり遠すぎる場所に降りたら、街まで移動するのが大変なんだよ!」
「セラの言う通りだ。いまオレたちがいる場所から最寄りの街までの距離を計算して、この森林のどこかで徒歩に切り替えようと思う」
信士が示したのはメルティカス平原の北部にある広大な森林地帯だった。平原の北端から中部に掛けて食い込むような形で広がっており、かなり面積が広い。地図の尺度から軽く計算した感じ、信士や陽菜の故郷である滋賀県よりも遥かに広い。
地図が間違いなければ、森林の南端から平野を横切ればガリア山脈に達し、そこから山を貫通するトンネルをくぐってさらに渓谷沿いに造られた道を通れば、居留地内で一番大きな街に至る。
「でも、ここからでも街まで100kmくらいあるよ?」
「それくらいは覚悟するしかない。万が一にも飛空騎を見られる訳にはいかないからな」
「これくらいの距離ならなんてことないんだよ!」
セラの言う通り、一般人が「魔物が生息する地域を徒歩で100km移動しろ」と言われれば途方もなく感じるだろうが、いまの信士たちにとっては大した距離ではない。魔物に襲われるリスクに関しては覚悟しなければならないが、飛空騎を晒すことが出来ない以上は致し方ない。
「大まかな行動方針としては以上だ。あとのことは実際に接触してから考えるしかない。とりあえず、リア・アンディールやメルに関することは一切話さない――その事だけは肝に銘じといてくれ」
「判った!」
「判ったんだよ」
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