第三章 魔境冒険者編
第34話 訓練終了とお報せ
魔界と言うものが存在するとしたら、こんな場所なんだろうな、と信士は頭の片隅で思った。
全体的に薄暗いフィールドを構成するの床や壁、天井は石造りの時代を感じさせるもので、壁の高い部分に取り付けられた燭台には、青白く薄気味の悪い炎が点っている。淀んだ空気は重く、なにより不味い。
大リーグの球場を大きく上回る広さを有する円形のフィールドには、しかし天井が無く、高層ビルに匹敵する高さの円柱状の構造になっており、遥か頭上に見える空は暗雲に覆われ、時折激しい稲妻を閃かせていた。ひと際激しい雷光が空を染め上げた時、そこに巨大な影が浮かび上がった。
その禍々しい詩型はまさしく「悪魔」と呼ぶに相応しい異形だった。
金剛力士像を彷彿させる筋肉に覆われた巨体は5メートルを超え、肌の色は周囲に点る青白い炎に相対するかのように赤黒い。頭部は人間に酷似しているが唇が無くむき出しになった歯は肉食獣を思わせる牙であり、目に瞳は無く濁った金色の眼光を湛えており、その上――頭部には頭髪の代わりに捻じれた角が生えていた。背中にあるコウモリのそれによく似た一対の翼と、自身の体長よりも長い尻尾が悪魔の巨体をより一層、大きく感じさせる。極めつけは大人の胴体よりも太い2対4本の腕。それぞれに巨大な剣を持っており、それらを高々と振りかざして、雷鳴を掻き消すが如き禍々しい雄叫びを轟かせた。
信士の視界に映る悪魔の姿に重なるようにして、『アーク・デーモン』という名前が表示される。
「来るぞ!」
4本腕の悪魔――アーク・デーモンが翼を大きく羽ばたかせ、上昇からの急降下に転じてきた。
「くっ!」
降下の勢いを上乗せして振り下ろされた斬撃は、標的であった信士には躱されてしまったものの地面に衝突すると同時に強烈な衝撃波を発生させ、広範囲を薙ぎ払った。
ヴィイィィイイイィイアアァアァァアアアア!!
文字にすればこのように聞こえる奇怪な雄叫びを発して、アーク・デーモンが信士に躍りかかる。その巨体に似合わぬ不気味な素早さで4本の手に握られた大剣を振う。1本1本が人間の大人の身長よりも長い超大型、超重量級の武器であるにもかかわらずそれらを小枝の様に軽々と振り回して信士に迫っていく。さらにたちが悪いことにアーク・デーモンは<魔法剣>を使用し、4本すべての剣に火、風、氷、雷属性の魔法を纏わせていた。<魔法剣>と相対するうえで非常に厄介なのは、斬撃そのものを紙一重で避けたとしても剣に纏わせた魔法の余波を浴びることになるという点だ。対抗策としては自身に同属性の耐性を高める
信士が選んだのは後者だった。
「
突如としてアーク・デーモンの背中で純白の爆光が弾け、衝撃で前方につんのめった悪魔がくぐもった悲鳴を漏らした。勢いのまま倒れるかと思われたがなんとか脚を踏ん張って堪え、攻撃者の方へ鋭い眼光を飛ばす。
空中に浮遊しながら霊杖を掲げ、更なる魔法の準備を始めるセラの方へ。
そうはさせじとアーク・デーモンはターゲットを信士からセラへと切り替えた。翼を羽ばたかせて飛び上がろうとした、まさにその時――
「えーい!」
ともすれば可愛らしい掛け声とともに横合いから放たれた斬撃を、悪魔の王はギリギリのタイミングで片側2本の剣を盾にして受け止めた。だが衝撃までは受け止め切れず、巨体が大きく横へと弾き飛ばされ、両足で堪えていたにもかかわらず10メートル近く地面を引きずられた。
「あちゃー、防がれちゃった!」
と、悪魔をぶっ飛ばした張本人――陽菜が悔しそうに唸った。彼女の得物である巨大な両手剣は、いつぞや信士が<錬成>で作り出した鉄剣ではなく、メルからもらったキチンとした剣であった。その剣身には<
「焦るな、陽菜。胡乱な攻撃で仕留められる相手じゃないぞ?」
「判ってるよ!」
信士と陽菜は互いに横並びになって武器を構える。それと相対するアーク・デーモンは、突如として空に向かって大きく吼えた。直後にアーク・デーモンの周囲に無数の魔法陣が出現する。
「また召喚か……」
げんなりした信士の言葉を肯定するように、魔法陣から異形の怪物たちが湧き上がってくる。
レッサーデーモンという名前の青白い悪魔で、アーク・デーモンよりは一回り以上小さい上、腕は2本しかなく武器も持っていない。あと頭の形はヤギっぽい。
ステータスが見えないので断言できないが、1体1体の総合力は15万前後だと信士は見積もっていた。飛行能力を有している上、肉弾戦に加えて光属性以外の魔法も扱える厄介な相手だ。それが20体ほど同時に召喚される。
アーク・デーモンは<眷属召喚>というスキルを有しているらしく、先ほどから幾度となくレッサーデーモンを召喚しているのだが……
「ま、無駄なんだけどね!」
陽菜の言葉が終わるのと同時に、複数のレッサーデーモンたちの首が一斉に飛んだ。その合間を飛び抜ける漆黒の風――の如き素早さの一匹の黒いスライム。クロ。
スライムが鈍くて弱いなんて誰が決めた? と言わんばかりの異常な速さで縦横無尽に動き回り、硬質化させた触手を以ってすれ違いざまに悪魔たちの首を易々と跳ねていく様は漆黒の処刑者。
レッサーデーモンたちもスライムの弱点である火魔法や雷魔法で応戦するが、あまりにも迅く、なにより人間よりも遥かに小さいクロの動きを捉えられず、虚しく的を外し、酷いときは仲間に命中させる始末。結局、なにも出来ないままレッサーデーモンたちはたった一匹のスライムに狩り尽くされた。
眷属たちを瞬く間に殲滅されたアーク・デーモンが怒りの遠吠えを上げ、クロに襲い掛かろうとしたその隙を信士や陽菜が見逃すはずもなく、タイミングを合わせて同時に斬り掛かる。悪魔の王はさすがの反応を見せ、瞬時にクロから2人へとターゲットを切り替えて迎撃してきた。
雷霆状態を維持した信士がクロに勝るとも劣らない迅さで大剣を搔い潜り、アーク・デーモンの脇腹を光属性の魔力を帯びたヤマトで斬り裂いた。決して浅くはない傷であったが、アーク・デーモンは<HP自動回復>を持っていたのか、はたまた別の治癒系スキルの影響か、傷口が目に見える早さで治っていく。
「チッ!」
自己治癒能力の高さに信士が忌々し気に舌打ちし、追撃を掛けようとしたが、今度は大剣で防がれてしまった。お返しとばかりにアーク・デーモンが彼の頭上目掛けて剣を打ち降ろしてくるが、信士はバックジャンプで難なく躱す。それと入れ替わるようにして陽菜が前へ出てきて、的を外した剣撃の脇をすり抜け、アーク・デーモンに密接。胴体目掛けて<
「わわっ!?」
咄嗟に攻撃を中断して剣を盾にして直撃を防いだが、不安定な攻撃態勢に入った所を狙われたせいで踏ん張りがきかず、大きく弾き飛ばされてしまう。数メートル飛ばされてどうにか受け身を取ったものの、そこを狙ってアーク・デーモンが口から闇属性の
ぶるぶるーっ!!
――瞬間、陽菜の危機に「させるかー!」とばかりにクロが砲弾のような勢いで突っ込んできて、アーク・デーモンの横っ面に勢いのまま全身<硬化>の体当たりをかました。しかもただ突っ込むだけでなく身体に回転を加えるという無駄に凝った技術を込みで。ボクシングのコークスクリュー・ブローもかくやと言う強烈な一撃をまともに浴びて、苦鳴と共に吐き出されたアーク・デーモンの
「組んで掛かるぞ!」
「了解!」
ぶるぶるー!
信士、陽菜、クロは入れ代わり立ち代わりアーク・デーモンを攻め立てる。完璧と言って良いほど息の合った連携攻撃。まさに三位一体。言葉を交わすこともなく、互いに合図すら無しに、攻撃、牽制、防御を三者が交代しながら熟しつつ、数と連携を活かしてアーク・デーモンを翻弄していく様は、3者で1つの生き物であるかのようだ。
総合力で言えばアーク・デーモンが圧倒的に上であろうが、互いの長所と長所を重ね合わせて弱点をカバーし合う信士たちの前に攻めあぐね、翻弄され続けている。
そこへさらに4人目が加わる。
「
言霊を含んだセラの声が響き渡ると同時に、アーク・デーモンの足元に巨大な魔法陣が出現した。神々しい純白の魔力をはち切れんばかりに込められたそれの危険性を瞬時に悟ったアーク・デーモンだ、咄嗟に空へと逃れようとしたところで、突如として飛来した無数の魔力の刃によって足を刺し貫かれ、地面に縫い付けられてしまう。
信士の自在空刃だった。
そして次の瞬間、魔法陣から溢れ出した純白の炎がアーク・デーモンの身体を飲み込んだ。その様はさながら白い火炎旋風。光属性、火属性の二つの属性を合わせ持った白い炎が巨大な竜巻を成し、熱と聖の嵐をフィールド全体に巻き起こし、一切の悪邪の存在を焼き尽くさんと荒れ狂う。
「強烈……」
「やっぱりセラちゃんの魔法は凄いね!」
ぷるぷる……
傍で見ていた信士や陽菜はその威力に目を見張り、炎が苦手なクロは陽菜の背後に隠れて震えていた。
光の火炎旋風はたっぷり30秒もの間、荒れ狂った後、徐々に勢いを失って消えていく。
「やったか!?」
「やめんか!?」
不吉なフラグを口にした陽菜の頭を信士がはたく。
そして――
「ウソでしょ!?」
火炎旋風が消えた後、黒焦げになりながらもいまだ息絶えることなく屹立したままのアーク・デーモンの姿に、セラが絶句した。
だがさすがに深刻なダメージを受けたらしく、全身が焼け爛れて翼も溶け落ちており、剣を杖代わりにしてなんとか立っているという有様だ。しかし両目にはいまだ邪悪な意志と殺意が宿り、射貫くような眼光をセラに向けている。
オォォォオオォオオォオォオオォオ!!
悪魔の王は最後の力を振り絞って方向を轟かせた。その口に闇属性の魔力を凝縮させ、自分を極限まで追い詰めた憎き少女を道連れにせんと
「させる訳ねぇだろ!」
信士とクロによって左右の腕を両断された。4本すべての腕を失い、バランスを崩したアーク・デーモンは、
そしてその先には、<
「止め!」
掬い上げるような形で振り抜かれた陽菜の斬撃が、アーク・デーモンの上半身を二つに両断する。悪魔に対する特効を有した<
静寂が辺りを支配する。
「……終わったか?」
「ここから復活&パワーアップ、最終形態で最終決戦! みたいな展開でなければ、たぶん……」
「だから不吉なこと言うなってお前! さっきみたいなフラグだったらどうするつもりだよ!?」
「フラグは立ててへし折るもの! リスティの名台詞だよ?」
「知るか!」
「2人とも落ち着いてなんだよー!」
ぷるぷる~!
信士と陽菜がそんな掛け合いを始めれば、セラとクロがその合間に入って止めに掛かる。そんな3人と1匹の頭上に、突如としてメルの光球が出現した。
『おめでとうございます。アーク・デーモンの討伐により、訓練カリキュラム・カテゴリー5をクリア―しました。これにて全ての訓練カリキュラムを終了します。お疲れさまでした』
――と、いつものように平坦な声で告げてきた。
「……終わった?」
『はい』
「……ホントに?」
『はい』
「……今度こそ?」
『はい』
……ぷるぷる?
『はい』
信士、陽菜、セラが順番に念を押す様に問いかけると、その度にメルは律儀に答え……最後は何故かクロにまで返事をしていた。言葉が判っているのか、それともノリなのか……
いずれにせよ、訓練が終了したというのは確かなようで――
「「「やっっっっっったあああああああああああ!!!」」」
その事実をようやく受け入れることができた信士たちは、一拍置いて喜びを爆発させ、文字通りの意味で飛び上がって歓喜を露にした。全員で抱き合い、お互いに試練を果たした喜びを分かち合う。陽菜やセラに至ってはほとんど泣いていた。
「い、1年も掛かった……」
一通り喜びを爆発させた後で、信士が疲れ果てたようにポツリと呟いた。
そうなのだ。信士たちが仮想空間――イザヴェルでメルの訓練を受け始めてから今日、アーク・デーモンを倒すまで、イザヴェル内の時間で1年以上も経過していたのだ。その間、彼らは一度も現実世界へは戻らず、ずっとイザヴェルにとどまっていた。
メルが信士たちに施した訓練は、旧アンディール王国軍部の考案した正式な<エクス>の育成プログラムに則って行われた。
カテゴリー1。
個別トレーニングによる個々のステータス、スキルの強化を施す。
カテゴリー2。
単独で様々な魔物や人間相手と戦うことによって、個別に実戦経験を積ませる。
カテゴリー3。
全員で数か月間、イザヴェル内に再現された特殊な環境――高い山、浮き島、砂漠、密林などでの生活し、そしてそこに生息する様々な魔物と戦わせることによって互いの理解と絆を深める。
カテゴリー4。
仲間と連携して強力、或いは多数の敵と戦わせることによって、実力的、数的、地理的に圧倒的不利な戦闘を覆しうる力を身に付けさせる。
カテゴリー5。
最終試練。ボス級のモンスター10体と順番に戦う。そしてただの一度も、そして誰1人リタイヤすることもなく倒しきる。
その最終ボスが、先ほどのアーク・デーモンだったという訳だ。
ちなみにカテゴリー5におけるボスモンスター戦では、信士たちは<能力鑑定>が使用不能というハンデを負っていた。つまり相手のステータスやスキルが見えない状態で、圧倒的に強い相手と戦わなければならなかったのだ。
信士たちが魔境で魔物たちと戦った際は、いずれも相手のステータス、スキルを確認した上で戦い、その状態に慣れてしまっていた為、それが封じられた状態での戦闘がどれほどキツイか思い知らされた。そして<能力看破>は有用な反面、慣れすぎてしまうといざ、ステータスが判らない相手と戦わなければならなくなった時、思考が硬直して思わぬ危機を招くと。
(目から鱗が出るとはこのことだな……)
正直、調子に乗っていたと信士はかつての自分を恥ずかしく思った。
エリクス・キャンディという安易な方法で簡単に力やスキルを習得し、それを駆使して魔境の魔物を何匹も葬ったことで、知らず知らずのうちに慢心し、自信過剰になってしまっていたと思い知らされた。陽菜が良く話していたチート主人公みたいに、自分はなんでも出来るみたいな勘違いをしていた。
訓練プログラムの中で何度も何度も叩きのめされ、メルに指導されて己の未熟さと無力さを思い知らされ、曲がった根性を徹底的に鍛え直してもらうことができた。
どれだけ強くとも1人で出来ることには限界があると、思い知らされた。
カテゴリー1~5までをクリアするのに、実に一年以上の時間を費やす結果となった。地獄と言って良いほど厳しい訓練だった。しかしそれによって得られたものは果てしなく大きかった。クロを含めた全員が総合力30万を超えるまでになっていたし、新たなスキルも増えた上、既存のスキルレベルも大きく上昇した。4人での連携戦闘も完璧と言えるくらい磨き上げた。
メルには本当に感謝しかない。
『皆さんにお知らせしたいことがあります』
そんなメルが、なにやら改まった様子でそれを告げて来た時、信士は一瞬、なんなのか判らなかった。
「さらに厳しい地獄の訓練プログラムとか?」
「陽菜ッ!!」
「やめてー!」
またしても縁起でもないことを口にする陽菜に、信士とセラが悲鳴じみた声を上げた。
訓練で鍛えなおしてもらえたことは感謝しているが、さすがにあれ以上のは勘弁! というのが信士の素直な本音だった。
幸いにも続いて出たメルの言葉は、信士らの予想を良い意味で裏切るものだった。
『人間の居留地を発見しました』
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