第25話 カメェェェッー!

「まだ追ってきてる?」

「ああ、しっかりと!」


 クロを頭の上に乗せて隣を走る陽菜に、信士は吐き捨てるように答えた。

 肩越しに背後を振り返ると、自分たちの200メートルほど後方を同じ方向に走る無数の影があった。


 一見すると黒いライオンの様に見える。首周りを覆い隠す鬣は獅子のそれに酷似しているが、大きく突き出た鼻先や裂けた口は犬、もしくは狼のそれだ。ライオンと比べて細くしなやかな体躯と剛毛に覆われた尻尾もまた、イヌ科の猛獣とよく似ている。ただし、大きさはライオンの倍以上はある。


 それが20匹ほど隊伍を組んで信士たちの後を追走しているのだ。


 そのうちの一匹に<能力看破>を使ってみる。



 マーナガルム

 総合力:102240

 生命力:10300

 魔力量:13460

  体力:20000

  筋力:11000

  魔力:14580

  敏捷:19000

 耐久力:7000

 魔防力:2900

 技術力:3300

  精神:4000

  状態:空腹


 スキル

<噛み付き450><爪撃590><麻痺毒500><咆哮600><暗視500><連携550><追跡550><執念900><俊足870><持久走730><気配察知670><気配遮断630><臭気感知600><空間魔法410><短距離転移720>



「マーナガルムって、北欧神話に出てくる狼の事だよ!」

「解説ありがとう! で、弱点とかないのか?」

「そこまでは判んないよ!」


 掛け合いをしている間も信士と陽菜は走り続けているが、マーナガルムの群れを一向に引き離すことが出来ない。


 そもそも2人はどうして逃げているのか?

 確かに総合力10万超えの強力な魔物であるが、信士と陽菜、クロが連携すれば戦えないことはない。イヌ科の魔物相手に追いかけっこしたところで人間である信士と陽菜が勝てるわけがない。このまま走り続けて消耗するよりも戦った方がよほど現実的な選択に思える。


 しかし、信士たちにはそれが出来ない理由があった。


 マーナガルムの方がのだ。


 マーナガルムの群れと遭遇したのはかれこれ半日も前だった。

 遠くから魔物の気配を感じたと思った時には、すでに信士たちはマーナガルムの群れにロックオンされていた。<敵意感知>から、マーナガルムの群れが自分たちを獲物と定めていることはすぐに知れた。

 だが、彼らはこれまで出会った他の魔物とは大きく違う行動に出た。いや、と言うべきか。


 信士たちは戦いに備えて身構えていたというのに、マーナガルムの方は彼らを遠巻きにしているだけで一向に襲ってこなかった。睨み合いをしても埒が明かないと考えた信士たちがその場を離れようとすると、距離を保って付いてきた。逆に近づこうとすれば同じだけ離れる。


 襲うこともせず、近づくこともせず、ただ遠巻きにこちらを伺っているだけのマーナガルムたち。


 業を煮やした信士は、雷霆を使って一気に近づこうと考えた。少なくとも敏捷値に関しては自分が大きく上回っている訳だから、逃げようとしても追い込めると考えた。

 しかし、マーナガルムたちには厄介なスキルがあった。


<短距離転移>。


 文字通り空間転移――つまりテレポートタイプのスキルらしい。種族固有の能力なのか、全ての個体がこのスキルを習得している。

 つまり、スピードを生かして近づこうとしても、<短距離転移>で逃げてしまうのだ。転移できる距離は100メートル前後ではあったが、このスキルの存在は信士にとって致命的であった。


 どれだけスピードで上回っていたとしても、さすがに空間転移する相手を捕らえることは不可能だった。当然、引き離すことも出来ない。


 結果、戦うことも逃げることも出来ず、付け回される羽目になったという経緯だ。


「なんであいつら私たちを追いかけてくるの? 襲う訳でもないのに付け回すだけなんて、意味が判らないよ!」


 半泣きで叫ぶ陽菜とは違い、信士の方はマーナガルムたちの行動原理になんとなく気付いていた。


「たぶん、オレたちが精神的に弱るのを待ってるんだ」


 実際に信士たちと正面から面と向かって戦えば、マーナガルムの群れに勝ち目はないだろう。彼らはそれを理解しているのだ。だから不用意な攻撃はせず、ひたすらこちらが衰弱するのを待っている。実際、殺意を持った集団に四六時中、追いかけまわされるというのは精神的にかなり辛い。既に半日以上追いかけられている信士たちは、体力はともかく神経がかなり削られているのを自覚していた。

 このままでは遠からず精神的限界に達し、平常心を失ってしまう。そうなった時点で負けたも同然。

 マーナガルムの群れはそれを待っているのだ。


「まるでリカオンだ!」

「なに、リカオンって?」


 聞いたことのない名前に、今度は陽菜が聞き返した。


「アフリカに生息してるイヌ科の猛獣。アフリカ最高のハンターって呼ばれてる」


 前にテレビで見たことがあった。

 茶色と黒の斑模様の毛並みが特徴の、シェパードによく似たイヌ科の動物。

 大きさは普通の犬程度だが、数十匹もの群れを形成して集団で狩りをする習性がある。非常に執念深い性格で一度狙った獲物を執拗に追跡し、時には何kmもの距離を、数時間に渡って追いかけまわし、疲弊したところを集団で襲い掛かって、生きたまま食い殺すという残忍な方法で仕留める。


 百獣の王と言われているライオンが、群れでの狩りの成功率がせいぜい五分五分なのに対し、リカオンの場合は7割から8割に達すると言われている。それ故に「アフリカ最高のハンター」「ハンティング・ドッグ」などと呼ばれている生粋の狩人たち。


 いままさに、信士たちはハンティング・ドッグに追い回される獲物の気持ちを味わっていた。


 実際、マーナガルムの執念深さはリカオンの比ではなかった。チートな身体能力を持った信士たちは、距離にして数十kmは逃げ続けている。にも拘らず一向に諦める様子が無いのだ。

 そもそも人間が犬と追いかけっこして勝てるわけがない。しかも相手はこの魔境を縄張りとする生粋のハンターだ。<追跡>や<執念>といったスキルを持っている上、転移まで出来ると来れば逃げ切ることは不可能に近いだろう。


 となると、残された選択肢は1つだけ。


「物理的に追いかけられなくなる場所まで逃げるしかない!」


 これもテレビからの知識なのだが、圧倒的な狩りの成功率を誇るリカオンだが、それでも狩りに失敗することはある。


 獲物となる動物が群れを形成していた場合、リカオンは牧羊犬の様に獲物の群れを追い散らし、落伍したものを餌食にする。しかし、稀に獲物の群れが逃げ散らず、一丸となって反撃してくる場合がある。リカオンの強さ自体は普通の犬とそれほど変わらない為、大型の草食動物に集団で反撃されると撃退されることがある。


 そしてもう1つ――


「水の中までは追ってはこれないはずだ!」


 リカオンにしてもライオンにしても、陸上で活動する陸上動物だ。当然、水の中は苦手だ。泳げないことはないにしても、足の届かない深さまで逃げられると仕留めるのは至難。故に、深い河を渡られたり湖の中などに逃げ込まれたりすると追跡を諦めることがある。


「やつら<水泳>スキルは持っていない。なら、川か湖に中に逃げ込めば諦めるかもしれない!」

「でも、そんなのどこにあるの!?」

「それを探すんだよ!」


 やけくそ気味に信士は叫ぶ。

 マーナガルムが追いかけてこれないような大きな川か湖を探して走り続けている訳だが、どれだけ探しても荒涼とした大地が続いているだけで、それらしきものは一切見当たらない。この世界に来た直後に見た海と見紛うほどの大河、もしくは湖からは既に遥かに離れてしまっている。


 どうしたものかと走りながら頭を悩ませていると、陽菜に頭の上にいたクロが身体の一部を突き出して陽菜の頬をツンツンと突いた。


「え? どうしたの、クロちゃん?」


 彼女が尋ねると、クロは身体の一部を伸ばしてある方向を指した。

 そこにあったのは切り立った大きな岩山だった。

 おそらく1000メートルを優に超えるだろう高山で、草木の1本もなく岩肌が向き出して、かなりの勾配がかなり急だった。ほとんど崖に近い。信士たちのいる場所から5kmは離れているが、行けない距離ではない。


「あの山へ行けってこと?」

 ぷるぷるっ


 そうだよー、とクロは陽菜の頭の上で震えた。


「なるほど……」


 妙案だと信士も頷いた。


 小さい頃、1人で山で遊んでいた時に野犬に追いかけられたことを思い出した。あの時は樹の上に登ってどうにか難を逃れ、すぐに両親が来てくれて犬を追い払ってくれた。その後、1人で山に入ったことをしこたま怒られたが。


 要は、犬は高い場所には登れないということだ。


 マーナガルムは見てわかる通り、イヌ科の動物に酷似した姿をしている。イヌ科の動物なら平野での活動は得意だが、起伏が激しく足場の悪い場所は苦手なはず。ましてやあんな急斜面の岩山ならなおさらだ。


「よし、行くぞ!」


 クロの進言を信じて2人は岩山へと走った。

 近づいてみると改めて高い山だということが判る。傾斜は急で、とても人が素手で登れるような山ではない。だが、チートな身体能力を持った信士と陽菜にとって、この程度の傾斜は苦にはならない。横岩から横岩へと忍者のような身体能力で飛び移って、瞬く間に駆けあがっていく。


「あ、見て見て信士君!」


 中腹辺りまで来た時、陽菜が前を行く信士を呼び止めた。


「追いかけて来ないよ!」


 見れば、信士の予想通りマーナガルムの群れは岩山を登る信士と陽菜の追跡を早々に諦めたらしく、かなり離れた場所から恨めしそうにこちらを見ている。


 陽菜は純粋に「ホントに諦めたねー」と胸を撫でおろしている。


「……おかしい」


 だが信士の方は、そのことにむしろ困惑していた。


「おかしいって、なにが?」


 きょとんとした顔で陽菜が尋ねてくる。なにせ、山に登れば諦めるかもと言ったのは信士なのだ。予想が的中したのに、なにが「おかしい」のか?


「いくらなんでも、諦めるのが早すぎる」


 マーナガルムの群れは、ストーカー並みのしつこさを以って半日以上に渡って信士たちを追い回してきた。それほどまでに執念深く、諦めの悪かった魔物たちが、岩山に登った途端にあっさりと追跡をやめたという事実に信士は違和感を覚えた。


 以前に自分を追い回した野犬は、木の上に避難した後も幹に足をかけて執拗に吼えたり、しばらく周辺をウロウロして、両親が駆け付けるまで信士を狙い続けていた。なので、信士としてはマーナガルムも岩山の麓辺りまでは追いかけてくるだろうと思っていた。なのに、連中は思った以上に早く諦めた。麓どころか岩山の遥か手前で追跡をやめてしまった。


 まるで、岩山に近づくのを忌諱するかのように……


 異変が生じたのはその時だった。


 突如として不気味な地鳴りが響き渡り、地面が激しく揺れ始めた。


「きゃっ!」

「地震!? こんな時に!」


 岩から転げ落ちそうになった陽菜を支えながら、信士は悪態を吐いた。

 まさか異世界でも地震が起こるとは……


 地震大国日本に住んでいた2人は、当然、地震が起こった時の対処法は心得ていたが、場所が悪かった。崩れやすい岩山の中腹。もし崩落が起こればいくらチートな身体能力を持っていたとしても助からない。しかも思いの外、揺れが激しい。震度4くらいだろうか。ここまで揺れが大きいと下手に動けない。一先ず自分たちの周囲に魔法障壁を張って落下してくる岩から身を守りつつ、揺れが収まるのを待つことにした。


「ねえ、この地震、なんかおかしくない?」

「そうだな……」


 なかなか収まらない地震に2人は違和感を覚えた。

 なにかがおかしい。日本で経験していた地震とはなにかが違うような気がした。揺れというよりは、震えているような……


 その時――


 突如として


「うおっ!」

「きゃあっ!」

 ぷるぷるッ!!


 危うく岩山から転げ落ちそうになって、2人はとっさに岩の窪みに手をかけて難を逃れ、陽菜の頭の上にいたクロは必死に彼女の背中にしがみ付いた。


「な、なんだ!? なにがどうなってるんだ!?」


 訳が判らず混乱の極みに陥った信士たちに、さらに追い打ちをかけるように信じられない光景が飛び込んできた。


 岩山の麓の辺りの地面が大きく盛り上がり、地中からなにかが……とんでもなく巨大ななにかが這い出そうとしている。

 それはまるで潜水艦が浮上するかのような光景だった。土砂を落としながら地上に現れたそれには、あろうことか巨大な目があった。真っ赤な炎の色を称える眼球は、それだけでちょっとした公園に匹敵する大きさだった。

 続いて現れたのはゴツゴツとした装甲のような甲殻に覆われたくちばし。鳥のような鋭角なものではなく、短く幅広い形状をしている。


 もはや疑いようもない。巨大な生物の頭部だ。


 だが、大きすぎる。

 怪獣などという生易しいものではない。頭部だけで大型タンカーを上回るほどの大きさがある。映画に出てくる怪獣程度なら一口で食べてしまいそうだ。


 信士も陽菜も、もはや声すら出ない。眼下に現れた信じられない光景にただただ、震えるしかなかった。


 そんな2人の姿など気付いてもいないだろう巨大生物は、頭部に残った土を振るい落とした。露になった頭部には黒光りする装甲の如き甲殻に覆われ、大きく裂けた口も甲殻で覆われて嘴となっている。それがゆっくりと上下に開かれていく。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!!


 空気どころか空間そのものを鳴動させるが如き、凄まじい音量の雄叫び。耳をきつく抑えていても鼓膜を破りかねないそれは、間違いなく信士たちの人生で聞いた一番大きな音響だった。


 声も無く縋り付いてきた陽菜の肩を抱き寄せつつも、信士はいまだ目の前の光景から目が離せずにいた。


 人智を超えた巨大生物。

 明らかにゴ〇ラよりも大きい。

 しかも、頭だけでだ。


 いまのところ露になったのは頭部のみだが、あれほどの巨大な頭を持った生物の胴体は、いったいどれほどの大きさなのか……


 答えはすぐに判った。

 いや、すでに判っていたと言うべきか。

 ただ信じられなかった。

 あるいは信じたくなかっただけで。


 巨大生物の動きに合わせて、信士たちのいる岩山が大きく動いた。岩山そのものが地面から引き抜かれるようにして高さを増し、麓の地面が崩れてその間から鈍重な外見の野太い足が露になった。それが全部で4本。まるで山から頭部と足が生えて立っているかのような光景。


 そこに至って、2人はようやく状況を理解した。

 理解してしまった。


 自分たちがただの岩山だと思って登ったのは、実は――


 山よりも巨大な亀の甲羅だった、ということに――



 ザラタン

 総合力:96502000

 生命力:■■■■■■■

 魔力量:■■■■■■■

  体力:■■■■■■■

  筋力:■■■■■■■

  魔力:■■■■■■■

  敏捷:■■■■

 耐久力:■■■■■■■

 魔防力:■■■■■■■■

 技術力:■■■■

  精神:■■■■■■■■

  状態:■■


 スキル

《■■■》《■■■》《■■■》《■■■》《■■■》《■■■》



 総合力9650万――


 これまで出会った魔物とは比べ物にならない、文字通りの意味で桁違いな数値に、信士と陽菜は改めて度肝を抜かれた。しかも他の魔物と違って総合力以外のステータスの数値やスキルの詳細を見ることが出来ない。レベルがあまりにも隔絶しているからだろうか?


「……そういうことか」


 あまりの事態に呆然自失になりながらも、どうにか意識を取り戻した信士の第一声がそれだった。

 視線を横に向ければ、先ほどまで自分たちを追いかけていたマーナガルムの群れが、死に物狂いな勢いで一目散に逃げていくのが見えた。無様に尻尾を撒き、犬なのに脱兎の如く!


「やたら諦めが早いと思いきや……こいつを怖がっていたからか!」


 だとしたら近づこうとしないのは当然だ。

 自分だって知ってたら絶対近づかなかった。


「冗談じゃない……ゴ〇ラやガ〇ラだってここまでデカくないぞ?」


 冷静になって改めてザラタンの大きさに瞠目する。

 足元から甲羅のてっぺんまではおよそ1500メートル。体長は2000メートル以上はある。体重など想像もできない。まさに山が歩いているといった感じだ。


「物理的におかしいだろ、こんな亀……」


 その手の知識に疎い信士でも、こんな巨大な亀が普通に立っていること自体が物理的にあり得ないということくらいは理解できた。

 異世界恐るべし……


「カ……カ……」


 で、そんな異世界が大好きな陽菜はと言うと、ようやくショックから立ち直りつつあるのか、震える口で必死になにかを言おうとしていた。

 大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、陽菜は改めて口を開いた。


「カメェェェッー! 痛いっ!」

「なに訳の判らないこと叫んでんだ!?」


 意味不明な絶叫に、信士は条件反射で陽菜の頭に拳骨を見舞った。


「なんて言うか、ファンタジーオタクの使命感ってやつ?」

「意味が判らん」

「やー、ホントなら喋る亀を見つけた時に叫ぼうと思ってたんだけど、もうこの際、良いかなーって」

「ますます判らん!」


 どうせラノベかゲームのセリフだろう、と信士はそれ以上ツッコまないことにした。


「けど、さすが異世界! こんな大きい亀がいるなんて驚きだね!」


 常軌を逸した超巨大亀を前に、怖がるよりも喜んでいるところはさすがだな、と呆れ混じりに感心した。あとこの化け物亀を「驚き」の一言で済ませる神経も。


 陽菜のマイペースな異世界オタク振りに毒気を抜かれ、驚いていることが馬鹿馬鹿しくなった信士は、嘆息を漏らしてから改めて状況を整理してみた。


 超巨大亀の甲羅の上に乗っている――以上。


「どうしろってんだよ……」


 本当にそれ以上でも以下でもない現状に、信士は頭を抱えたくなった。


 そんな信士の心中(というか存在自体)など露知らない超巨大亀――ザラタンは、徐に前脚を持ち上げて、踏み出した。


 ズウゥゥゥゥゥゥゥン!!


 たったそれだけで大地に激震が走り、周囲にいた魔物たちが泡を喰って逃げ出していく。リクガメに近い形状をしているだけにその歩みはゆっくりだが、サイズがサイズだけにたった1歩で数百メートルも前進していることになる。


 塵芥ちりあくたに等しい魔物たちなど見向きもせず、ザラタンは悠然と魔境の大地を歩きだした。信士たちを背中に乗せたまま。


「ヤバいな……どうやって降りよう?」


 信士たちはいま、ザラタンの背中の上にいる。地上数百メートルの位置だ。さすがにここから飛び降りたりすれば助からない。


「浮島に飛び移るとか」


 陽菜が提案してきた。地上に降りられなくても、空に浮かぶ島――浮き島にならタイミング次第で飛び移れるかもしれない。


「飛び移った後はどうするんだよ?」

「あ……」


 その後のことはなにも考えていなかったらしい。

 浮き島に飛び移っても、そこから降りられなければ意味が無い。


「だったらもう、亀さんが止まるか、休むかするまで待つしかないんじゃない?」

「……それしかないよな」


 こうなったらザラタンが休んでいる間に地上に降りるしか選択肢はない。運よく山のすぐ脇を通ってくれれば距離次第では飛び移れるかもしれないが、生憎ザラタンの進路上に山らしきものは無い。


「それに、ものは考えようだよ?」

「どういう意味だ?」

「いま私たちがいるのは、この魔境で一番安全な場所だと思わない?」


 陽菜の言うことにも一理あった。

 いまも眼下の地上では、ザラタンの威容を目の当たりにした魔物たちが死に物狂いで逃げ惑っていた。地上の魔物だけでなく、ワイバーンのような飛行型の魔物まで、ザラタンの姿を見ただけで一目散に逃げていく。

 その様子からして、ザラタンこそがこの魔境の王者であると確信できる。

 その背中の上と言うのは、確かにこの上なく安全な場所と言えるかもしれない。


「どのみち降りる術もないし、仕方ない。しばらく休憩にしようか」

「さんせーい!」


 山より大きい怪物亀の背中で休むのは落ち着かないが、いまはどうすることも出来ない。

 一先ず信士と陽菜は近くにあった洞窟サイズの窪みに入り、壁を背に並んで腰を下ろした。


(どうなるんだろうな、これから……)


 座ったとたん、益体も無い考えが脳裏を過った。

 既にこの世界に来て2日が過ぎている。にも拘らず未だに人里が見つけられない。事前に食料などを買い込んで<無限収納>に保管しておかなければどうなっていたか……

 なにより、この世界はあまりにも自分の想像を絶していた。


 跋扈する凶暴な魔物たち。

 廃墟に救う亡者の大群。

 鬼みたいに強いスライム。

 そして、山よりも巨大な亀。


(ホントに人なんか住んでるのか?)


 少なくとも、ここは人が住んで良いような環境ではないと思う。自分なら絶対に住みたくない。


 もし人が住んでいないのなら――

 このまま人里を見つけられなかったら――


 最悪の予想が脳裏を過りそうになった時、なにかが信士の肩に当たった。


「陽菜?」


 陽菜の頭だった。呼んでも返事が無い。ささやかな寝息が聞こえてくる。

 よほど疲れていたのだろう。座ってから1分も経たないうちに眠ってしまったようだ。途端、信士も強烈な睡魔に襲われた。

 無理も無いだろう。ただでさえ、魔境のど真ん中を魔物と戦いながら何日も彷徨い、マーナガルムに半日以上も追い回された上、超巨大亀ザラタンの甲羅の上に知らずに乗って降りられなくなってしまった。


 知らないうちに肉体的にも精神的にも疲労がピークに達していたのだ。

 どうにか一息付けたことで安心し、緊張の糸が切れてしまった。


「クロ、すまないが見張りを頼む……なにかあったら起こしてくれ」

 ぷるッ!


 任せろ! とばかりにピョンと飛び跳ねるクロを見たのを最後に、信士の意識は闇に飲まれた。


 ★


 ぺしぺし――


「……ん?」


 頬を叩かれる感触に、信士は意識を取り戻した。重い瞼を開けると、自分の顔を覗き込んでいるクロの姿が目に入った。


 隣に目を向けると、陽菜はまだ眠ったままだった。


「どうした、クロ?」


 なにかあったのか? と聞きかけて、信士は辺りがやけに薄暗いことに気付いた。まるで土砂降りの前の曇天のように。


「雨か?」


 訝しんでいると、クロが信士のズボンの裾を引っ張ってきた。身体の一部を伸ばして必死に洞窟の外を指している。

 只ならぬ予感を覚えた信士は、陽菜を起こさないように静かに立ち上がり、クロに従って洞窟の外へと向かった。


「…………………………………………………………………………………ウソだろ」


 そこに広がっていた絶望的な光景に、信士は言葉を失った。

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