第26話 竜宮城?

「おい、起きろ陽菜!」


 慌てて洞窟内へと取って返した信士は、いまだ壁にもたれ掛かって眠ったままの陽菜の肩を揺さぶった。


「う~ん……」


 すぐに目を覚ました陽菜が寝ぼけた声を漏らした。


「……腎臓を……捧げよ!」

「いや心臓だろ!? ってそうじゃない、起きろ!」

「……駆逐されるー……私が……」

「起きんか!」

「あいたっ!」


 なんかの巨人っぽいけど微妙に違う訳の判らない寝言をほざく陽菜の頭に、少々きつめの拳骨を落とす。

 なんか既視感のあるやり取りだなと心の中で思ったが、いまはそれどころじゃないので口にはしなかった。


「痛たた……もう、信士君、私の頭は木魚じゃないんだよ? そんなにポカポカ叩いておバカになっちゃったらどうしてくれるの?」


 完全に目覚めた陽菜が涙目で抗議してきた。


「安心しろ。もう手遅れだ」

「どういう意味!?」

「って、そんなこと言ってる場合じゃない!」


 だが信士の只ならぬ表情に、すぐになにか尋常じゃないことが起こったのだと悟り、真剣な表情になる。


「なにかあったの?」

「見た方が早い」


 そう言って信士は視線で洞窟の外を指した。彼の声から尋常ではない恐怖と緊張を感じ取って、陽菜は思わず唾を飲み込んだが、覚悟を決めて立ち上がると信士の後を追って洞窟の外へと出る。


「!!!!!?????」


 そこに広がっていたのは、絶望という言葉すら生易しく聞こえてくるような破滅的光景だった。


 空一面が、まるで霧が掛かったのように真っ白い雲に覆われていて非常に薄暗い。気温も随分と低くなっているように感じる。眼下には草木の一本すら見当たらない荒涼とした荒れ地が広がっていた。


 ザラタンの背に乗り込んでしまう前に、信士たちが彷徨っていた魔境も荒野と言えば荒野だったが、それでも疎らではあるが植物は存在していた。それがいまは一切見られなくなっている。まるでグランド・キャニオンのような赤茶けた岩の大地だけが延々と広がっていた。


 だが問題は、そんなことではない。


「わー、亀さんがいっぱーい」


 素なのか強がっているのか、或いは単にパニックになっているのか、いずれにせよ陽菜の声は完全に引き攣っていた。


 無理もないだろう。


 そこにいたのは、赤茶けた不毛の大地を我が物顔で歩き回る――ザラタンの大群だった。


 体長2000メートルという、ゴ〇ラが小動物に思えてくるような怪物亀が、何十体も徘徊している光景は、絶望という言葉すら陳腐に聞こえてくる。


 群れなのか、それともただ単に集まっているだけなのかどうかは判らないが、少なくとも見える範囲だけで、信士たちが乗っているのと同サイズのザラタンが30体以上、歩き回ったり、地面に蹲って寝ていたりと気ままに過ごしている。

 見ようによっては長閑な光景は、信士と陽菜にとってはこれ以上ないくらいの絶望的かつ破滅的なものだった。


「ここって、ザラタン亀さんの群生地っぽいね……」

「じょ、冗談じゃない……これならゾンビの群れの方がずっとマシだ!」


 今頃になって後悔が押し寄せてきた。

 何故、ザラタンと言う魔物の背で眠ってしまうなんて愚を犯してしまったのか……

 いまさら後悔しても遅い。どうやら自分たちの異世界生活は、人里に行く付くことすら出来ず、この不毛の荒野で終わってしまうらしい……


 ペシペシ、と頬を叩かれて信士ははっとした。いつの間にか自分の頭の肩に移動していたクロが、身体の一部を使って信士の頬を叩いていた。視線を向けると、クロは身体の一部を伸ばしてある方向を指す。釣られてそちらを見ると、ザラタンの体高よりも高い岩山が連なった山脈が見えた。


「あの山がどうしたんだ?」


 尋ねると、クロは何故か激しく身体を震わせて力いっぱい同じ方向を指す。「山じゃないよ!」と言わんばかりに。

 訝し気に思いながらももう一度、同じ方向へ目をやる。よく見ると、山脈の向こう側になにか見える。


「あれは――」


 遠くてはっきりとは判らないが、ドームのような建造物の影が見える。明らかに自然に出来たものではない。人の手によって造られた人工物だ。


「なにアレ?」


 陽菜も気付いたらしい。額に手を当てて目を細めているが、遠すぎて<望遠>を使ってもよく判らない。


「もしかして、竜宮城!?」


 助けてないけど、亀に連れられて――


 この状況でさえネタを挟んで来る陽菜に、信士は呆れ混じりに感心したが、面倒くさいのでツッコむことはしなかった。陽菜が少し寂しそうだ。


「あそこへ行けって言うのか?」


 クロに尋ねると、信士の肩の上でプルプルと震えた。「そうだよー」と言ってるらしい。


「……まあ、選択の余地なんか無いわな」


 このままザラタンの上にいても仕方ないし、周囲はザラタンの大群以外になにも無い荒野。そこに現れた一筋の希望。

 行く以外に選択の余地はない。


「もうこうなったら、どうにでもなれだよ!」


 どことなくやけくそ気味に陽菜が喚いたが、信士もまったく同じ心中だった。


 運よくザラタンが岩山の近く、スレスレを通り過ぎようとしたタイミングを見計らって、信士たちはどうにか飛び移ることが出来た。「バイバーイ」と自分たちを乗せてくれたザラタンに手を振って見送っている陽菜を急かして、信士は急いで例の城らしき建造物を目指した。


 この場所では自分たちはムシケラ同然の存在なのだ。幸い近くにザラタンはいないが、もし近寄ってきたら踏み潰されるしかない。


 ザラタンの群れが長い時間をかけて踏み均したのだろう。地面は障害物も無くほぼ平坦で進みやすい。しかも他の魔物の気配もない。魔物たちがザラタンを目にした途端、一目散に逃げ出していたことを思えば、その群生地に他の魔物が住んでいるとは考えづらい。


(にしても、天気がおかしいな)


 信士がちらと空を見上げる。相変わらず空は真っ白な雲に覆われ、太陽や青空はまったく見えない。ただ、信士は空を覆っている雲に違和感を感じた。


 雲と言うよりは霧、あるいは煙の様にも見えるのだ。なんとなくではあるが、単なる雲ではないだろうと直感が告げている。


(まあ、異世界の天気なんか判らんけど)


 それこそ槍や火の玉が降ってきても不思議じゃない。そのことに関して、信士は深く考えるのをやめた。いまはともかく、あのドーム状の建物に一刻も早くたどり着くことだけに集中すれば良い。他のことはその後だ。


(だがそれには、まずはあの山脈を越えなくちゃいけない……)


 ざっとした目測だが、信士たちとドーム状の建物の間にはザラタンよりも高い岩の山脈が立ちはだかっている。あれを越えるのは苦労しそうだと憂鬱になってくる。


「信士君!」


 隣を走っていた陽菜がなにかに気付いて足を止めた。


「あれ見て!」


 彼女が指さしたのは、岩の山脈の麓。そこに奇妙なものがあった。


 一言でいえば「門」だった。


 岩の山脈に埋め込まれるような形で黒光りする門のようなものが存在している。山脈に比べると小さいが、対立比で言えば門自体も途轍もなく大きい。


「入り口かな?」

「……行ってみるか」


 ひょっとしたら山を越えないで済むかもしれない。

 2人はすぐに進路を変更し、門へと向かった。


「こいつは……」


 門のすぐ側までやってきた信士は、改めて瞠目する。

 やはり門で間違いない。しかもとんでもなく大きい。縦長で、幾何学的なデザインのアーチを含めれば10階建てのビルくらいあるだろうか。急斜面の岩肌を掘って埋め込まれるようにして作られている。


「これって金属で出来てるの?」


 しげしげと眺めていた陽菜が唸った。

 見た感じ、門とアーチはすべて美しい白亜の表面を持った金属で構成されているように見えた。門扉だけならまだしも、アーチまで金属で造られているというのは不思議な話だ。そんなことをしたら、風雨によってアーチが錆び付いて最終的に崩壊しかねない。


 しかし、今目の前にある門は、門扉、アーチ共に錆び付いた様子はない。


「なんにせよ、ここがあのドーム状の建物に繋がる入り口ってことで間違いないだろう。問題は……」

「うん。どうやって開けようか?」


 門扉はかなり巨大で、おそらく重さにしたら数十トンは下らないだろう。いくらなんでも力づくで開けることは不可能だ。いっそ破壊してしまうか……


 そして、ここでお約束を裏切らないのが陽菜クオリティ。


「開けー、ゴマ!」

「言うと思ったよ!」


 定番のセリフを恥ずかしげもなく叫んだ陽菜に、信士の鋭いツッコミが炸裂した。


「そんなもんで開くわけ――」


 と、言いかけたところで――


 突然、地面が光り出した。


「うおっ!」

「わわわっ!」


 なんの前触れもなく起きた事態に信士と陽菜は慌てふためいた。直視しても目を傷つけない程度の優しく、淡い青色の光。


「なにこれ!? 魔法陣!?」


 陽菜が目を見張る。

 地面が光っている訳ではなく、自分たちの立っている場所を中心にして直径10メートルほどの魔法陣のような文様が浮かび上がっているのだ。

 いったいなにが始まるのか? 戦々恐々としていた信士と陽菜の心中を裏切って、ほどなくして突然発生した魔法陣は何事も無かったかのように呆気なく消えてしまった。


「消えちゃった……」

「なんだったんだ、いまのは?」


 なにかが召喚されるんじゃないか、と期待していた陽菜ががっかりしている。

 そんな彼女をほっといて信士はすぐに自分の身体やステータスを確認するが、特に変わった所はない。本当になんだったのか……首を傾げていると、ゴゴゴゴゴという低く重苦しい音が響いてきた。


「門が!」

「開いた!」


 阿吽の呼吸で口調を合わせる信士と陽菜。

 しゃべることが出来ないクロが少し寂しそうだった。


 彼らの目の前で岩山に設置された門が、ゆっくりと左右へ開いていくではないか。


 信士と陽菜はとっさに武器を手に身構えた。開いた門からなにかが出てくるかもしれない、と警戒したからだ。だが予想に反して、門が完全に開き切った後も中からなにかが出てくる気配はない。門の向こう側には真っ暗な闇だけが広がっている。


「……どうする、信士君?」

「……」

 

 陽菜に尋ねられても信士はすぐに返答できなかった。


 訳が判らない。そもそも何故、いきなり門が開いたのか? 誰かが開けたからか? それとも自動的に開く仕組みになっていたのか? 動力はどこから? さっきの魔法陣との関係は? 


 さまざまな疑問が湧いてくるが、どれも答えようがない。


 いずれにせよ、扉が開いたにもかかわらず誰も出て来ないということは、自分たちに「入ってこい」という意思表示だ。


「……行くしかないだろ?」

「だよね!」


 即答だった。しかもウキウキしている陽菜に、信士は脱力してしまう。


「お前、怖くないのか?」

「そりゃ怖いけど、そんなこと言ってたらファンタジーな世界では生きていけないよ? 虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うじゃない!」

「いや、そうだけどさ……」

「門が開いたら例え罠でもとりあえず潜る! それがファンタジーオタクの生き様だよ!」

「……」


 もうやだ、このファンタジーオタク。骨の髄までファンタジーで出来てるって感じだ。

 天国にいる陽菜のお母さん、娘に余計なこと吹き込みすぎだよ。


「もういい。とにかく行くぞ!」

「なんで不機嫌になってるの?」


 やけくそ気味にズカズカと歩き始めた信士を、陽菜が慌てて追いかけた。


 門を潜ると中は真っ暗で、数メートル先も見えないくらいだった。


「ごめんくださーい!」


 陽菜が大きな声で挨拶してみたが、当然のごとく無音。ただ、声の反響から内部がかなり広いことが判る。


 と、その時、いきなり通路の両端の天井付近――ちょうど信士たちの頭上辺りに一対の明かりが灯った。松明のような炎ではない。壁に埋め込まれた丸い電球のような物が光を放っている。さらにその少し奥に同じ物がまた一対。同じ間隔を開けてまた一対とどんどん数を増やしていき、最終的に通路の奥の方まで隈なく明かりが灯る。


「びっくりした……」

「電気か? いずれにせよ、動力があるってことは廃墟って訳じゃなさそうだ」


 もしかしたら待ちに待った人里かもしれない。

 明かりに照らされた通路を改めて観察してみると、案の定、かなり広い空間を有したトンネルだった。道幅は片側3車線の道路くらい。天井までの高さは門とほぼ同じ。反対側の出口は遠すぎて見えない。もし岩山を貫通しているのだとすれば、最低でも数kmはあるはずだ。

 さらに不思議なことに、トンネル全体――地面や壁、天井の全てが金属で出来ているように見えた。おそらく門を構成していたのと同じものだろう。


「はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

「鬼でも蛇でも良いけど、オバケは出ないでほしいな……」


 幽霊嫌いの陽菜が少し顔色を青くしている。

 廃墟でゾンビに襲われたトラウマが蘇ったのかもしれない。それでも逃げ出そうとはしない辺り、根性が据わっている。いや、ファンタジー根性が据わっていると言うべきか。


「それってフラグなんじゃないか?」

「怖いこと言わないでよ。ホントにフラグだったらどうするの!?」

「クる! きっとクる!」

「やーめーてー!」


 ポカポカと叩いてくる陽菜をあやしてから、信士は改めてトンネルの奥へと目を向けた。


「じゃあ、行くぞ」

「……オバケが出たらちゃんと守ってね?」

「判った判った」


 尻込みしている陽菜に、締まらないなぁと思いつつも、信士はトンネルの奥へ向かって踏み出した。

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