第13話 フェアリーロスト事件

「やああああ!!」


 裂帛の気迫の籠った陽菜の剣撃を、信士は横っ飛びに回避――的を外した一撃は地面を穿ち、爆発にも似た衝撃で20メートル近くに渡って巨大な亀裂を生じさせた。


「せいっ!」


 今度は横薙ぎに払われた斬撃を後方にジャンプして躱し、そのまま近くの岩に飛び乗った所へ、間髪入れずに追い縋ってきた陽菜が再度、剣を振り下ろしてくる。青白い魔力の光を帯びた斬撃は人間よりも遥かに巨大な岩を紙くずの様に易々と粉砕し、それだけに留まらず地面に巨大なクレーターまで生じさせた。

 だが、肝心の信士にはまたしても逃げられてしまう。


「もう! ちょこまかとっ!」

「いや、避けなきゃ死んでるからな、普通に!」


 頬を膨らませてプンプンと怒る陽菜に信士は苦笑いだ。

 エリクス・キャンディによってパワーを生かした大剣戦闘に特化した陽菜の怪力は、そこらの重機を優に上回っている。それがさらに魔力によって強化されているのだからその破壊力は想像を絶する。無防備な状態でまともに喰らえば、信士の言う通り普通に死ぬだろう。それこそ潰れたトマトみたいに。


「男なら逃げて生きるよりも立ち向かって死になさい、ってリスティが言ってた!」

「ラノベかい!」


 リスティは陽菜の母親が書いていた小説の主人公だ。

 陽菜が女の子でありながら身の丈以上の大剣を振り回すようになったのも、リスティがそうだったからだ。


「まあでも、逃げてばかりじゃ勝てないよな」


 信士は両手に持った刀を構え、腰を落として臨戦態勢に入る。


「掛かってきなさーい!」


 陽菜も大剣を構え直した。

 2人の戦意に呼応するかのように青白い魔力が信士と陽菜の身体から溢れ出し、青い炎の如く猛り狂っている。間に挟まれた空気が軋み、震えている。


 先に動いたのは信士。最初の一歩でトップスピードに乗るその速さは風。常人には消えたように見えるであろう速度で瞬時に陽菜との距離を詰める。


 だが――


「雷舞陣!」


 突如、陽菜の身体から稲妻が四方八方へ放たれた。

 まさに雷の結界。

 不埒な侵入者を焼き尽くさんと荒れ狂う稲妻が陽菜を中心に球場に広がり、内側にあるあらゆる物を焼き砕いていく。


「ちょ――」


 既に稲妻の制空権内にいた信士は、まさかの攻撃に目を見開いて愕然とする。寸でのところで方向転換し、間一髪で雷の結界から逃れた。それはもう、必死の形相で。


「からの――」


 そこで容赦しないのが陽菜クオリティ。

 荒れ狂っていた稲妻の群れが、陽菜の掲げた剣に収束していく。


「待――」

「雷撃剣!」


 信士の言葉を掻き消すようにして陽菜が吼えた。信士に向けられた剣の切っ先から帯状に収束された稲妻の束が放たれる。


 だが、信士に直撃する直前、彼の前方にガラスのような障壁が展開される。障壁と言うには少々語弊があるだろう。厳密には、マンホールの蓋くらいの大きさの半透明な正八角形の盾を無数に展開し、隙間なく組み合わせて壁を形成した形だ。


 稲妻の帯と障壁が激突し、激しい爆音と電化された魔力がプラズマとなって周囲に四散する。信士の障壁はどうにか雷撃を食い止めたものの、稲妻の帯はなお収まることはなく障壁を穿ち続け、すぐにビキビキという音を立ててひび割れていく。

 信士は障壁の穴を補うべく、さらに八角形の障壁を内側からいくつも展開し、2重、3重に重ね合わせていく。結果、陽菜の稲妻は2層目を貫通したとことで勢いが急激に衰え、収まった。


「わー、凄いね、信士君。いまの本気で撃ったのに、防がれちゃったよ!」


 雷撃を放った張本人である陽菜は、心底感心した顔で信士を絶賛していたが――


「わー、凄いね……じゃ、ねええええ!!」


 当の信士は青い顔で叫んだ。


「陽菜お前、今回の模擬戦は魔法無しって最初に決めただろ!?」


 そうなのだ。信士が魔法を使われてあんなに驚いていたのは、今回の模擬戦が魔法使用禁止という縛りを設けた上でのものだったからだ。

 なので、当たり前のように魔法を使ってきた陽菜に怒り心頭なのは当然と言えた。


「あ――」


 当の陽菜は、しまった、という顔になった。どうやら素で忘れていたらしい。

 どうにか言い訳を考えようと頭を悩ませた後――


「可愛いから許してね?」


 などという、何処かの女泥棒みたいなセリフをウインクしながら宣った。


「……まあ、使っちまったもんは仕方ない」


 ふぅ、とため息をついて、ひとまず陽菜のことは許すことにした。


「ただし、オレも使わせてもらうぞ?」


 そう言うや、信士の身体から立ち上っていた魔力がバチバチという音と共にプラズマへと変わっていく。それに合わせて静電気でも浴びたかのように信士の髪が逆立った。


「あ! 信士君ずるいッ!」


 プラズマを纏う信士を見て陽菜が非難してきたが、これでお相子だ。


雷霆らいてい!」


 バチッ、という音を残して信士の姿が掻き消えた。目にも留まらないどころか、目にも映らない神速――否、雷速移動術。


 信士が独自に編み出した雷系補助魔法・雷霆。雷系の魔力を纏うことで爆発的な高速移動を可能とする補助魔法。

 どういう原理でそうなっているのかは信士本人もいまいち良く判っていないのだが、当人曰はく「出来そうだったから」とのこと。


 ちなみに名前の由来は、武田信玄が掲げていた孫子の兵法の1つ「動如雷霆(動くこと雷霆の如し)」から。


 ただでさえスピード重視の戦闘スタイルで、高速移動しながらの攪乱戦を得意としている信士が「雷霆」を使用したら、パワー重視の陽菜には為す術がない。


「きゃっ!」


 あっという間に懐に潜り込まれ、対応する間もなく足を払われて投げ飛ばされ、倒れたところを首筋に刀を突き付けられて敗北することとなった。


「オレの勝ちだ」


 倒れた陽菜を見下ろしながら信士はニヤっと笑い、雷霆を解除した。

 陽菜はむーっと頬を膨らませる。


「ずるいよ、信士君! 私には雷霆の対応策が無いって判ってるくせに!」

「対応策が無いからって諦めちゃダメだろ? その対応策を編み出すことに訓練の意味があるんだからな」

「それはそうだけどさー……」


 信士が言っていることももっともなのだが、陽菜は不満顔のまま――何故か頬を赤くしてそっぽを向いた。


「しかも、こんな場所で女の子を押し倒すとか、ちょっと積極的すぎというか……」

「違うからな!」


 突然の冤罪に信士は慌てて陽菜から身を離した。


「冗談だよ」


 慌てふためく信士の姿が面白かったのか、半身を起こした陽菜はコロコロ楽しそうに笑う。座ったまま訓練の疲れを抜くように両腕を掲げて大きく背伸びをして、ふと空を見上げた。

 晴天の空には雲の欠片もなく、透き通るような青さを湛えている。


「なんだかんだで、もう半年近く経つんだね。エリクス・キャンディを見つけてから」

「……そうだな」


 頷いて、信士も同じように空を見上げた。


 季節はすでに10月に入っている。

 信士が学校帰りにある野菜の無人販売所で、人間に不思議なスキルや魔法の力を与える謎の飴――エリクス・キャンディを見つけてから5ヶ月以上が経っていた。

 陽菜と秘密を共有し、訓練を始めて以降も1週間置きにエリクス・キャンディは現れ続けていた。「おふたつどうぞ」というメモ書きと共に。その度に飴を食べ、スキルと魔法の力を会得し、それを使いこなす為に訓練に明け暮れる日々を送り続けて数か月。


 普通の人間には無い力を得られる喜びと、それを高められる楽しさ、そして来るべき“異変”に対する恐怖に突き動かされるがまま、がむしゃらに自己鍛錬の日々を繰り返してきた訳だが……


「なーーーんにも、起こらないな?」

「うぅっ……」


 信士がジト目で陽菜を見ると、バツが悪そうに顔を背けた。


 エリクス・キャンディの出現はなにかの前触れ――

 チートを与えるのは、なにかと戦わせる為――

 チートを得た時点で引き返せないから、いまの内に覚悟しておいた方が良い――


 と、陽菜が自信満々に主張し、信士も半信半疑ながら彼女の言葉を信じて訓練したり、周りに隠れて色々と準備したりしたのだが、いまのところごくごく平和な日々が続くだけで、陽菜の言う“なにか”が起こる気配すら無い。


 なので、陽菜としては立つ瀬が無い訳なのだが……


「まあでも、鍛えるに越したことはないけどな」

「そ、そうだよ! 意味の無い訓練なんか無いんだからね!」


 落ち込む陽菜が可愛そうに思った信士が助け舟を出すと、陽菜はすぐさま食い付いてきた。その現金な様子に苦笑しながら彼女に手を差し出し、いまだ地面に座ったままの陽菜を助け起こした。


「それに……正直言えば、このままなにも起こらないでいて欲しいけどな」

「もうすぐ修学旅行だもんね」


 来月には待ちに待った修学旅行が控えている。旅行先は北海道。信士も陽菜も、生まれてこの方、一度も北海道には行ったことがなかったので、ずっと楽しみにしていたのだ。


「陽菜もすっかり不登校じゃなくなったからな」


 あの日、信士と陽菜がお互いに過去の悲劇を告白しあった後、それまでの不登校が嘘のように毎日学校へ来るようになった。クラスメイトたちはその様子に驚きながらも彼女のことを歓迎し、ごく普通に暖かく接するようになった。


 クラスメイトたちが陽菜の過去と噂を知っていて知らない振りをしているのか、あるいは本当に知らないのかは定かではないが、陽菜にとってはごく普通に接してくれることはすごく喜ばしいことであり、いまでは親しい友達も出来てすっかりクラスに馴染んでいた。

 惜しむらくは、そんな日々もあと数ヶ月で終わってしまう、ということだ。


 卒業という形で。


 それに関しては陽菜も残念に思っている。もっとも、卒業したところで友達の縁が切れる訳ではない。それはきっとこれからも続いていくだろうから。


「信士君こそ、生まれて初めて女の子との交際を経験したでしょ?」

「っ……」


 口に手を当てて「にしし」と悪戯っぽく笑う陽菜に、信士は思わず顔を赤くする。


 不登校だった陽菜がある日突然、学校へ通うようになったこと。

 信士と親しく話していること。

 放課後や休日、信士と陽菜が一緒にいるところを何度も目撃されたこと。


 これらの要因が合わさり、クラスメイトたちの間ではある噂が共通認識として確立されることとなった。


 曰く、陽菜の不登校が治ったのは、信士と付き合い始めたからだ、と。


 実際のところそれはほぼ真実だった。


 偶然の出来事がきっかけでエリクス・キャンディという秘密を共有したこと。2人だけでスキルの訓練を繰り返していたこと。お互いにお互いの過去を打ち明け合い、そして受け入れたこと。


 陽菜にとっては、自分の過去を知っても拒絶しないでくれた唯一の人間であり、異性だった。彼の存在が学校生活での心の拠り所となったことで、友人に裏切られ、イジメられた過去を乗り越えることが出来たのだ。


 信士にしても、秘密を共有した人間であり、同じ時間を最も多く過ごした異性だ。なにより戦国マニア自分ファンタジーオタク同類ということで、波長と言うかウマも合う。なので、一緒に過ごしている間に彼自身も自然と意識するようになり、なし崩し的に2人は付き合うことになった。


 いまでは訓練以外でも一緒に映画や食事、遊びに行ったりと、ごく普通のカップルとして交際している。

 そのことで一層、クラスメイトたちからは羨ましがられたり、嫉妬されたり、揶揄われたりと大変だったが、それはそれで楽しい思い出の1つとして2人の記憶に刻まれている。


「嬉しい? こんな可愛い彼女が出来て、嬉しいの? ほらほら、正直に言ってごらん?」


 自分で自分を「可愛い」と称すのはどうかと思うが――


「そうだな。可愛い彼女がいてくれて、オレとしては嬉しいけどな……」

「ッ!」


 正直な気持ちを言うと、途端に陽菜の顔が真っ赤になる。それを見て、信士は「してやったり」と悪戯っぽく笑った。


「もしかして、揶揄ったの?」

「いや、本心だ」


 顔を赤めたまま上目遣いに陽菜が尋ねると、信士はそうきっぱりと言い切った。陽菜はこっそり<虚偽看破>を使ってみたが、それが嘘偽りのない信士の本音だと知り、一層顔を赤くする。


「……いまのはズルい」

「そうやって馬鹿正直に反応するところが可愛くもあるんだけどな」


 そう言って快活に笑う信士に、恥ずかしさでますます顔を赤くした陽菜は、涙目になってポカポカと信士を叩いた。<怪力>スキル持ちの陽菜のポカポカは結構痛かった。


「さて、そろそろエリクス・キャンディが置かれている頃じゃないか?」


 手をぶんぶんと振り回す陽菜の頭を押さえていた信士が言うと、陽菜も思い出したようだった。


「そういえば、今日だったね」


 結局、エリクス・キャンディを誰が置いているのかは判らなかった。

 陽菜は最初の内は誰がエリクス・キャンディを持ってくるのか確かめようと躍起になり、何度か無人販売所を張り込んだ結果、とうとうご近所さんの通報で警察が来る事態になった。危うく職質されそうになり、チート能力全開でどうにか逃げ切ったそうだ。そんなことがあって以来、さすがに懲りたのか陽菜はエリクス・キャンディの出所を探るのを諦めた。


「んじゃ、遅くなる前に行くか」

「うん!」


 そう言って2人は武器を<無限収納>にしまうと、向上した身体能力を生かして森の中を駆け抜ける。

 先ほどの様に魔法を伴う以上、誰かに見つからないようにかなり山奥に分け入った場所を訓練場所として使っており、普通の人間なら絶対に来れないような奥地だったのだが、いまの信士と陽菜にとってはほとんど苦もなく行き来できる。


 走り始めてから30分も経たないうちに市街地近くまで戻ると、その後はごく普通の少年少女を装って道を歩いていく。途中で陽菜が手を繋ぎたいと言ってきた。断る理由も無いので信士も受け入れる。


 手を繋いで他愛もない話をしながら歩く2人は、傍から見ればごく普通のカップルだ。まさか超常のチート能力も持った超人などとは誰も思わない。


 このまま何事も起こらなければ、と2人は思っていた。

 何事も起こらず、ごく普通の幸せな日常が続いて欲しい、と信士と陽菜は心の底から願っていた。


 だがそれは、予想外の――あるいは予想通りの形で裏切られることとなる。


 気づいたのはいつもの無人販売所に付いた時だった。


「あれ?」

「無い?」


 そう、いつもの無人販売所にエリクス・キャンディが置いてなかったのだ。


「おかしいな。日にち間違えたか?」

「ううん。7日置きだから、今日のはずだよ?」


 顔を見合わせて不思議がっていると、ふといつもエリクス・キャンディが置かれていた場所に1枚の紙が折りたたんだ状態で置かれているのに気付いた。


「なんだコレ?」


 不思議に思った信士が紙を手に取って開いてみると、エリクス・キャンディの送り主の筆跡でこう書かれている。


『いままで食べてくれてありがとう。向こうでも頑張ってね。君たちならきっと乗り越えられるから』


「どういう意味?」


 メモを覗き込んだ陽菜が首を傾げていると、不意にメモ用紙が青白く光り始めた。


「きゃっ!」

「なんだ!?」


 咄嗟にメモ用紙をその場に捨て、信士と陽菜は後方へ飛び退り、身構える。

 すると、地面に落ちたメモ用紙から突然、青白く輝く光の球が飛び出し、空中に舞い上がった。


「なんだあれ?」


 光の球の大きさはソフトボールほど。それが地面から5メートルほどまで舞い上がると、そのままフヨフヨ揺らめきながらゆっくりと降りてきて、信士たちの目線の高さで止まった。


「「!?」」


 間近で光の球を凝視した信士は、思わず目を見開いた。

 光の球の中に小さな人影が見えたのだ。


 自分の身長よりも長い銀色の髪を靡かせ、不思議な材質で出来た西洋の民族衣装のような衣服をまとい、背中に小さな羽の生えた少女――


「妖精?」


 陽菜が呆然と呟いた。


 その姿はまさに、お伽話などで語られる妖精そのものだった。


『……』


 信士と陽菜の驚きを知ってか知らずか、妖精は2人を交互に見回したのち、不意に少し悲しそうな表情になり、それから徐に人差し指を宙に掲げ、そのまま大きく横へと振った。


 その瞬間、なにかに吸い込まれるような浮遊感を覚えた刹那――2人の姿は忽然とその場から消え去った。

 妖精と共に。


 この日、世界各地で大勢の人々が同時に失踪する、という奇妙な事件が起こった。そかも、その多くが日本で。その数は千を超える数であり、摩訶不思議な同時多発神隠し事件として世間を大いに騒がせることとなった。

 さらに彼らが失踪する直前、光る妖精のようなものを見たという目撃情報が相次ぎ、それと合わせてこの一件は世間で『フェアリー・ロスト事件』と呼ばれるようにになる。


 それが、後にの存亡を揺るがす大事件の前触れとして知られるようになるのだが、それはまた別のお話。

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