第10話 噂

 信士が暮らしている児童養護施設『山湖の家』には、彼や茉莉の他にも20人ほどの子供たちが暮らしている。

 みんな親と死別したり、あるいは親に捨てられたり、虐待を受けるなどして保護された子供たちだ。当然、お世辞にも幸せとは言い難い境遇だった。心に傷を負った子も多いが、幸いだったのはこの施設のスタッフはとても良心的、かつ献身的な人間ばかりだったことだ。

 優しく、時に厳しく、親同然に接してくれる職員たちのお陰で、子供たちには目立った問題もなく、日々健やかな生活が送れている。


 もちろん保護されている子供同士の結びつきも強く、実の兄弟同然に仲が良い。朝食、夕食の時は全員が食堂に集まってワイワイ騒ぎながら食事をするのが慣例になっていた。


「ねえ、信士」


 そんなある日、いつものように全員そろって食堂で夕食を食べていると、『山湖の家』の子供たちの中で最年長である木下茉莉が、次点の信士に話しかけてきた。


「なんだ、ネネ? ちなみに関ケ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋は高台院ねねの兄の息子で――」

「誰もそんなこと聞いてないでしょうが!」


 返事から流れるようにごく自然に語られ始めた信士の戦国解説に、茉莉は食事中にも関わらず声を張り上げて椅子から立ち上がった。

 近くで一緒に食べていた職員がぎょっとしていたが、子供たちの方はいつものことなので特に驚いた様子もなく――


「おこっちゃだめだよ、ネネちゃん」

「そうだよ。お行儀悪いよ?」

「ご飯の時は静かにしなさいって、先生も言ってたよ?」

「ねねちゃん、これあげるー」


 ――などと冷静に茉莉を注意する始末。最後の子に至っては何故か茉莉ネネにウサギのぬいぐるみをあげようとする強者幼女だ。


「うぅ……」


 自分よりずっと年下の子供に窘められて、恥ずかしそうにうつむいて座り込んでしまう。


「まったく。少しは淑女の嗜みってやつを学べよ」

「あんたに言われたくないわよ……」


 ここぞとばかりに弄ってくる信士を、茉莉は涙目で睨みつけた。


「で、なんだ?」


 茉莉をからかって満足したのか、信士が澄まし顔で尋ねる。


「あんたさ、同級生の子と付き合ってるの?」

「ぶっ!」


 茉莉の唐突な爆弾発言に、信士は思わず口の中のご飯を噴き出してしまった。

 咳き込む信士を横目に、先ほどのお返し、とばかりに茉莉がニヤリと乙女らしからぬ笑みを浮かべた。


「な、なんでそんなこと聞くんだ?」

「だってあんた、最近よく女の子と一緒にいるじゃない。休みの日だって毎回朝早く出かけて、夕方にしか帰ってこないし」


 ぎくっと信士は身を震わせた。

 ここ最近、陽菜とスキルや魔法の訓練に明け暮れていたのは事実だ。毎日と言う訳ではないが、それに近い頻度で。土日に至っては毎回だ。もちろん他人に見られるとまずいので、人目に付かない山や森の奥で訓練しているのだが、そこまでの過程で陽菜と一緒にいるところを見られていたらしい。

 正直、全然気づいてなかった。


「別に付き合ってるわけじゃない」


 事実を言う訳にもいかないので信士は曖昧に否定した。

 実際、陽菜とはそういう関係ではない、と信士本人は思っている。あくまで秘密を共有する者同士であり、訓練相手に過ぎないと。世間一般で言う、恋人とか交際相手という定義には当てはまらないはずだ。


「ふ~ん……」


 だが、信士の返答を照れ隠しと取ったのか、茉莉は一層ニヤニヤを深めた。


「それにしては随分と仲良さそうだったけどぉ?」

「お前、どこで見てたんだよ?」

「学校帰りとかに2人で歩いてるのよく見かけるわよ? なんかこう、いかにも恋人同士って雰囲気でさぁ」

「ち、ちげーし!」


 真っ赤になってブンブンと首を振る。エリクス・キャンディでの身体能力アップしたせいか、残像が出来そうなほどの速さで首を振る信士に、茉莉はちょっと引き、子供たちは「にいちゃん速ーい」「さんめんろっぴのきじんに見えたー」とか大はしゃぎだ。


「ま、まあ、如何わしいことせず健全な交際してるなら、とやかく言うつもりはないんだけど」

「如何わしいことも交際もしてない!」

「けど、女の子を傷つけるようなことだけはしちゃダメよ?」

「なあ、ちょっと……話聞いてる?」

「ちなみにさ、あんたが付き合ってる子、矢橋って苗字じゃないの?」

「だから、付き合ってない……って、なんで名前知ってんの?」


 陽菜のことなど教えていないにも拘らず、茉莉が知っていたことに信士は驚いた。


「実はね、あの子、ちょっと前に学校で噂になってたのよ」

「噂?」

「なんか、親が事件起こして捕まって……それが原因で県外から転校してきたって感じの内容だったわ。ホントかどうか知らないけど」

「!?」


 それを聞いて信士は目を見開いた。


 それと同時に思い出した。陽菜は普段から登校拒否気味で、出席よりも欠席の方が多いこと。そして以前、山頂公園であった時、親とは一緒に暮らしてないと言っていたことを。


(あいつ、そんな境遇だったのか?)


 確かに普段から学校には来なかったが、訓練している時はいつもニコニコ笑っていた陽菜にそんな過去があったなどにわかには信じ難かった。


「だから、あの子を傷つけるようなことは絶対しちゃダメよ? ただでさえ年頃の女の子は繊細で傷つきやすいんだから」

「……ああ、気を付けるよ」


 どことなく気のない返事をする信士だったが――


「っていうかいまのって、なんか母親みたいな言い方だったな。年の功ってやつか?」

「どういう意味よ!?」


 先ほどまでのお返し、とばかりに言い返す信士に、即座にキレる茉莉。それを見てさらに騒ぐ子供たち。

 今日も『山湖の家』ではカオスな食事風景が繰り広げられるのだった。


 ★


 翌朝、いつものように登校した信士は、教室に入って驚いた。


「やっほー」


 教室の中に、笑顔で手を振る陽菜がいたからだ。


「珍しいな。お前が普通に学校へ来るなんて」

「んー。たまには登校しないと、みんなに忘れられちゃうかなー、って」

「だったら心配ないぞ? 不登校常習の問題児として有名だからな」

「それはそれでヤダな~」


 そう言いつつも楽しそうに笑顔を浮かべる陽菜に、昨日、茉莉から聞いたような境遇を思わせるような雰囲気は感じられなかった。


(やっぱ、単なる噂か)


 しかも出所は茉莉だからな、と心中で嘆息する。


「? どうしたの?」

「なんでもない。まあ、あんま無理はするなよ?」

「うん。大丈夫だよ」


 ありがどうね、と言い残して陽菜は自分の席へと戻っていった。それを見送った信士に、突然<危機感知>と<敵意感知>が警告を発した。もっとも、警告されるまでもなく信士は<気配察知>によって背後から近づいてくる存在に気付いていたので、振り返ることもなくそっと身体を横へずらした。


「うおっ!?」


 背後から信士の頭を狙っていた健太郎が、的を外してたたらを踏んだ。


「おはよう、殿」

「お、おうっ、おはよう」


 何事も無かったかのように挨拶する信士に、健太郎も思わず返事してしまう。


「ってそうじゃねぇ! おまえ、いつの間に矢橋と親密な関係になったんだよ?」

「まあ、なんていうか……色々あってな」

「色々!? 色々ってなんだよ? お前まさか、幼気な少女にあんなことやこんなことをしてたんじゃねぇだろうな? このヒトデナシ! お前はそれでもインディアンか!?」

「するか! ってか、誰がインディアンだ!?」

「それともあれか? オレへの当てつけか? 女の子にモテたくてサッカー始めたのに、気付けば彼女いない歴=年齢になっちまってたオレへの当てつけか!? 生まれてこの方、母親と祖母ばあちゃん以外からバレンタインチョコ貰ったことのないオレへの当てつけかぁあああああ!?」

「知るか! ってかお前、そんな邪な理由でサッカーやってたのかよ!? あと、孫にお年玉じゃなくてバレンタインチョコあげてるお前の祖母ちゃんは何気にキモイな!」


 血の涙を流さんばかりに詰め寄ってくる健太郎だが、彼女いない歴=年齢は信士も同じなので、お婆さんからバレンタインチョコをもらうという拷問に関しては深く同情していた。

 というか茉莉といい、何故、女の子と一緒にいた=付き合っているという短絡的な発想になるのか?


「異性と付き合ったことが無いからだよ」


 と、まるで信士の心を読んだかのような言葉にぎょっとして振り返ると、澄まし顔のクラス委員長の楓華がいた。


「早い話が経験だよ。異性と交際したことのない人間が、付き合っている男女とそうでない男女の見分けがつかないのは当然さ。ただ一緒にいる、会話をしているだけで付き合っているように見えるのなら、かなりの末期だけどね」


 ふふん、と何故か自慢げな楓華に、信士はふと訝し気な顔を向けた。


「お前、男と付き合ったことあんのか?」

「ないよ」

「じゃあなんで言ったし!?」

「客観的な事実を答えるのに、交際経験の有無は関係ないだろ?」

「ぬぅ……」


 確かにその通りなのだが、腰に手を当て、それなりに豊かな胸を反らして、ふふんと鼻を鳴らす楓華が妙にムカついた。

 信士が言い返せずにいると、彼女は自分の席で本を読み始めた陽菜に視線を向ける。


「ふむ。普段は滅多に学校に来ない上、来たとしても誰にも話しかけずぼーっとしてばかりいた彼女が、妙に明るい雰囲気になったなと思いきや、なるほど、そういう理由だったのか……」


 再び信士へと向けられた楓華の目が、キラーン、と光った。信士はちょっと引いた。


「歴女しか興味が無いと思ってたけど……高月、君もやっぱり男の子だったんだね」

「だから、違うと言ってるだろうが!」

「恥ずかしがらなくても良いじゃないか。むしろ、女の子にモテたいが為にサッカー部に入ったのに、全然その気のない誰かに比べたら、よほど健全だとボクは思うよ?」

「おい! その誰かって誰のことだ!?」


 やれやれ、と肩を竦める楓華に、健太郎が即座に噛みついた。


「女の子にモテたいからサッカー部に入るとか、そういう邪な考えが祖母からバレンタインなんて拷問に繋がるんだよ。1人の女子中学生として、正直ちょっと引くよ?」

「おい、煽るな一条!」


 真っ赤になってプルプルと震えだす健太郎を見て、信士は慌てて楓華を止めようとするが、ここで火に油を注ぐのがこの女の厄介な性格なのだ。


「早々に改めないと、お祖母ちゃんのプレゼントが、バレンタインチョコから結婚指輪に変わるかもよ?」

「言・わ・せ・て・お・け・ばあああああ!」

「殿っ! 殿中でござるぅ!」


 ブチギレる健太郎に、羽交い絞めにして必死に止める信士。それをとても楽しそうに眺める楓華に、何事かとぎょっとしている他のクラスメイトたち。「この恨みぃ、晴らさでおくべきかぁ!!」という健太郎の咆哮と「ご乱心めさるなぁ!!」という信士の声が響き渡り、何故か忠臣蔵のワンシーンと化した教室内が騒然となる。結局その後、教室にやってきた担任に2人そろって怒鳴られることになった。

 ちなみに、張本人の楓華はちゃっかりその場から離れて免れていたが。

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