第1話 戦国マニアと飴

 ボカッ!


「痛いッ!」


 いきなり頭部を襲った痛みに信士しんじは思わず声を上げた。痛む頭をさすりながら顔を上げると、額に青筋を浮かべた中年のオッサンと目が合った。


高月たかつき。授業中に寝るなと何度言わせる気だ?」

「す、すいません!」


 頬をひくひくさせながら怒りをこらえるオッサン――いや、国語担当であり、クラスの担任でもある坂田先生に睨まれ、信士はようやく今が授業中だったことを思い出して平謝りする。

 途端、周囲のクラスメイトたちからクスクスと失笑が聞こえた。肩を怒らせながら戻っていく先生の背中を見送って、信士はため息をついた。授業中に居眠りをしてしまったのは事実なので、先生が怒るのは当たり前だし、寝てしまった側の自分に非があることは理解できるのだが、信士とて言い分がある。


 午後の授業に国語なんか入れるな! と――


 国語。それはあらゆる教科の中でもっとも退屈な授業だ。

 そんなものを昼食の後の、ポカポカとした暖かで陽気な日差しの射し込む教室内で行ったらどうなるか……眠くなるのは当たり前だ。午後の国語というのは眠気との戦いなのだ!


 事実、信士以外にもチラホラと船を漕ぎかけていたり、瞼が落ちそうになっている生徒が幾人かいた。懸命に眠気と戦っている者たちが。


 だが、戦いとは始まれば終わるもの。この世に終わらない戦いはないのと同じく、信士たちの眠気との戦いはチャイムの音と共に終わりを告げた。


「今日の授業はここまでだ」


 坂田先生がそう言うと、一気に弛緩した空気が教室内に満ちた。大きく背伸びをしている生徒が結構いる。眠気と戦っていた生徒は思ったより多かったらしい。午後の国語はホントに拷問だな、とつくづく思った。


「あー、知ってると思うが、昨日近くの山で熊が出たらしい。間違っても1人で山とか森には入らないようにな」


 坂田の警告に信士をはじめとした生徒たちは「はーい」と返事をして三々五々と教室を出て行った。もちろん信士もさっさと帰り支度を終えて教室を後にした。


 ★


 滋賀県と聞くと、大多数の人が「琵琶湖」を思い浮かべるだろう。言わずと知れた日本一大きな湖。同時に日本で唯一、有人島のある湖としても知られている。

 中には滋賀県の面積のほとんどが琵琶湖で占められている、と勘違いしている者も多いようだが、実際に琵琶湖が占める面積は滋賀県全体の6分の1程度でしかない。県の中心部に位置する琵琶湖――その周囲に平野があり、さらにその周りを山脈が取り囲んでいるような珍しい地形。

 さらに琵琶湖を中心にして、湖東、湖西、湖南、湖北という4つの地域に分かれている訳だが、その中で最も最も人口が少ない田舎なのが、信士たちの住む湖西地区だ。


 新幹線や高速道路といった主要交通網から外れ、それ故に近代の開発から取り残された地域。山が多くて夏は暑く冬は寒い上に雪が多い。田舎の地方都市の特徴の例に漏れず、人が住んでいる地域よりも山や森、田畑が占める面積の方が圧倒的に多く、しかも町や集落が疎らに点在しているという典型的な田舎街だ。

 当然のことながら野生動物が多く、野良犬や野良猫、カラスなどの野鳥に加え、猿、鹿、果てはイノシシや熊といった危険な動物も多く棲んでいる。なので、農作物を育てている農家や乳牛を飼育している畜産家、無論そうでないごく普通の一般人も日々そうした野生動物たちへの対策に頭を悩ませている。


 高月信士はそんな田舎町に住む、ごく普通の中学生だった。

 この日までは……


 ★


「なんだ、あれ?」


 学校からの帰り道、いつもの通学路を自転車で走っていた信士は、田園地帯の一角に差し掛かった辺りで奇妙なものを見つけてブレーキを踏んだ。


 そこにあったのは畑の脇に建てられた野菜の無人販売所だ。簡素なデザインの屋根付きの棚に、農家の人たちが収穫した野菜がいくつも並べられている。品揃えはさほど多くないが、並んでいるのはどれも採れたての野菜で鮮度は抜群だ。しかも全品100円という親切価格。店員はおらず、備え付けられた箱に代金を入れて好きなものを持っていくというシステム。当然、お金を払ったかなど誰も見ておらず、やろうと思えば盗み放題なのだが、そういった事例が起こることはほとんど無い。田舎という、人が少ない分、結びつきや互いの信頼感が強い場所だからこそ成り立つ商売だ。


 無論、信士にとっても見慣れた光景であり、実際に何度もお世話になっている。だが彼が足を止めた理由は野菜ではない。本来なら野菜しかないはずの無人販売所に妙な物が置かれていたからだ。


「これは……飴か?」


 奇妙な木のデザインが描かれた金属製の缶。大きさは片手に収まるサイズで、蓋には『エリクス・キャンディ』と書かれていた。普通の考えて飴だろう。手にしてみるとずっしりと重い。中身は入っている。ご丁寧に『おひとつどうぞ』と書かれた紙まで挟まれていた。


「なんでこんなもん置いてあるんだ?」


 無人販売所では野菜以外は売らない決まりになっているはずだ。

 首を傾げつつ信士は缶を戻そうとして……躊躇した。


 何故だろう? 無性に買いたいという気持ちが抑えられないのだ。普段は飴なんか食べないのに、この飴には何故か妙に惹き付けられるものがある。


「……まあ、いいか」


 どうしてここまで気になるのか、不思議に思いつつも信士は深く考えず、財布から100円玉を取り出して箱に入れると、飴の入った缶を籠に放り込んで自転車を走らせた。


 暫くして到着したのは、田園地帯のど真ん中にある大きな建物。二階建てだが面積はかなり広く、ちょっとしたスーパーマーケットほどある。広々とした敷地内には車20台以上停められる駐車場と、その向こう側にはいくつもの遊具を備えたグランドが広がっていた。『山湖の家』と呼ばれているこの施設は、いわゆる児童養護施設だった。

 両親を亡くした孤児。あるいは両親に捨てられた捨て子。もしくは家庭の事情で育てることが出来なくなった子供や、虐待を受けて保護された子供が集められ、養育されている施設。

 信士が暮らしている場所でもある。


「あ、信士兄ちゃん、お帰りー」

「おかえりー」


 駐輪場に自転車を停めると、遊具で遊んでいた子供たちが駆け寄ってきた。

 日本は世界一平和な国と言われているが、そんな国の長閑な田舎でも不幸な子供は尽きないらしく、この施設では信士を含めて20人ほどの子供たちが暮らしている。15歳の信士はその中でも年長で、必然的にみんなのお兄さん的なポジションに収まっていた。


「おう、ただいま。みんないい子にしてたか?」


 ポンポンと子供たちの頭を撫でてやる。


「兄ちゃん、今日も信長のお話、してくれるの?」

「のぶながー、ききたいー」


 なにやら目を輝かせて妙なお願いをしてくる子供たちに、信士はキラーンと目を輝かせて答えた。


「もちろん聞かせてやるぞ。まだ話したことのない、とっておきのエピソードを!」

「「わーい!」」


 と無邪気に喜ぶ子供たち。


「こら、子供たちに変なこと教えるんじゃないの!」


 そこへ肩を怒らせながら一人の少女がやってきた。黒い髪を背中の辺りまで伸ばした勝気な雰囲気の少女で、年は信士と同じか少し上程度だろう。


「変とはなんだよ、ネネ。織田信長のどこが変なんだ?」

「子供に聞かせる話じゃないって言ってるの! っていうか、私を『ネネ』って呼ぶのはやめなさいって何度も言ったでしょ!? あんたがネネ、ネネって何回も呼ぶから、子供たちだけじゃなく先生たちまからも呼ばれるようになったんだからね!」

「なんで? 可愛いじゃん、ネネ。なぁみんな?」


 信士が子供たちに同意を求めると――


「僕も可愛いと思うよ、ねね姉ちゃん」

「ねねちゃーん!」

「ウサギなぐってー」


 などと口々に同意する子供たち。若干、おかしなことを言っている子供もいたが。


「可愛いとかそういう問題じゃなーい! あたしの名前は木下きのした茉莉まり! どこをどう間違ったら『ネネ』なんて呼び名が付くのよ!」


 ネネちゃんこと木下茉莉が、うがー、と両手を振り上げて怒りを露にする。

 彼女も信士と同じ『山湖の家』に保護されている少女で、年は信士よりも1つ上の高校一年生。『山湖の家』に保護されている子供たちの中では最年長に当たる。


「だって苗字が木下だろ? 木下性で女と言ったら、豊臣秀吉の正室だった「ねね」が有名だ。だったらネネって呼ぶしかねぇじゃん?」

「苗字と戦国時代を結びつけるのは止めなさいって言ってるの! っていうか、木下って苗字の女性で「ネネ」なら、男性ならなんて呼ぶつもり?」

「そりゃお前、「藤吉郎」に決まってんじゃん」

「全国の木下さんに謝りなさい!」


 ぎゃあぎゃあと怒鳴る茉莉だったが、信士はまったく意に介した様子もなく、しれっと子供たちの方に向き直った。


「じゃあみんな、そろそろ暗くなるから中に入ろうな。ちゃんと手を洗うんだぞ?」

「「「はーい!」」」


 元気のよい返事を返す子供たちを伴い、ネネ――否、茉莉を放って信士は施設の中へと入っていく。


「ちょっと、まだ話は終わってないわよ!」


 1人残された茉莉は慌てて後を追うのだった。


 さて、いまの会話でなんとなく判ったと思うが、高月信士という少年を一言で言い表すと「戦国マニア」である。

 そもそもの切欠は両親が揃って戦国歴史マニアだったのが原因だった。

 幼い頃からその薫陶を受け続けた信士が、戦国マニアの魂を受け継ぐのはある意味必然だった。その知識は戦国史で限って言えば歴史家顔負けで、学校の総合成績は中の下くらいだというのに、戦国史に限っては学年トップという極端な有様だ。その執念を他の教科にも活かせよ、というのは教師たちの共通認識だった。

 マニアとはかくも業の深い生き物なのだ。


 特に信士がご執心だったのが織田信長だった。


 豊臣秀吉。徳川家康と並ぶ戦国の三英傑の一人であり、群雄割拠の戦国時代を終わらせるきっかけを作った人物。

 もっとも、現代では戦国武将というよりはゲームのキャラクターとして名が通っているが。


 しかも、地元である滋賀県と所縁の深い戦国武将だったことが、信士のオタク心を燃え上がらせた。ちなみに「信士」と「信長」――名前が似ているのは偶然ではない。歴史マニアだった彼の両親が「信長」と「武士」から一字ずつ取って名付けたのだ。もちろん当人に不満など無い。むしろ自分の名前に誇りを持っていた。その事がまた、信士の信長愛に拍車をかけたのも事実だ。

 

 実際、信長の居城であった安土城跡を一目見ようと、琵琶湖の向こう側まで自転車で爆走し、施設長から大目玉を喰らったこともあった。

 しかも信士は自分1人では満足せず、先ほどの様に施設にいる他の子供たちにも信長を布教しているので、常識的な茉莉や施設の他の職員の悩みの種となっていた。


 その後、いつものように他の子供たちと食事や入浴を終え、自室で今日の宿題を終わらせてそろそろ寝ようかと思っていたところで、ふと学校帰りに買った例の飴のことを思い出した。


 もう夕食も終えて腹は膨れていたのだが、なんとなく気になったので開けてみることにした。シールを剥がして蓋を開けると、中には20個ほどのビニール袋に包まれた飴が入っている。


「なんだこりゃ?」


 そのうちの1つを手に取って見てみると、ビニール袋に<身体強化>と書かれていた。よく見ると、他の飴にも<火魔法>、<刀術>、<毒耐性>、<筋力アップ>という文字が書かれている。


「意味が判らん。なんなんだ、この飴?」


 普通、なに味かを書くものではないのか? <身体強化>味、ってどんな味だ? 頭の上に「?」マークをいくつも浮かべながら袋を破いてみる。ビー玉ほどのオレンジ色の飴が出てきた。食べてみると普通のオレンジ味の飴だった。

 まあまあ美味しかったが寝る前ということもあって他の飴は食べず、その日は寝た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る