第35話 失恋しても“好き”はなくならない

「みのりん」


 屋上から咲哉が立ち去ったあと、真歩が変わるように入ってくる。視線の先で、真歩が背を向けたまま俯き加減で肩を小刻みに振るわせていた。泣いているのは、聞かずともわかる。真歩の頭の中に「実を頼む」という去り際に咲哉が残した言葉が反芻される。真歩は優しい笑みを湛えて、実の方へ歩み寄っていく。


「……あはは、わかっていたはずなんですけどね。こうなるって……」


 真歩が傍までやって来たところで、実が背中越しにそう呟く。声は涙で濡れていて、震えていて、辛さが滲んでいた。


「わかってても辛いものでしょ、失恋って。みのりんが三神君のことを好きな分だけ、余計にねぇ」


「うぅ……っ!」


 実がバッと勢い良く振り返って、真歩の胸に飛び込んだ。腕を回し、強く締め付ける。真歩もそんな実を受け入れて、優しく抱きしめた。密着した実の身体から小刻みな震えが真歩にも伝わる。


「花野井先輩っ……私、わたしぃ……うわぁぁあああああんっ!!」


「よしよし……終わったらちゃんと慰めてあげるって約束だったからねぇ~。泣き飽きるまで泣けばいいよ」


 二人きりで閑散とした屋上に、実の泣き声がしばらく響き渡った。その間真歩は実の頭を撫でて、優しく抱きしめ続けていた。



 そして、同じ頃――――



「……悪い、詩織。待たせたな」


「大丈夫ですよ」


 屋上から階段を下りて玄関にやってきた咲哉が、玄関の出入り口のところで壁を背にして立って待っていた詩織謝る。そして、下駄箱から靴を取り出して履き替える。そして、その様子を詩織がジッと見てくるので、不思議に思った咲哉が首を傾げる。


「詩織?」


「はい?」


「いや……何かジッと見てきてたから……」


「いえ、別に何でもないですよ。ただ――」


 不思議そうに目を丸くする咲哉の正面までやってきた詩織が、手を伸ばして咲哉の頭の上に乗せた。そして、優しい笑みを浮かべて言う。


「よく頑張りました」


 咲哉は大きく目を見開く。詩織は何があったのかを全て理解した上で、あえてそのことについて触れることなく、ただ咲哉の頭を優しく撫でた。咲哉は胸にグッとくるものを感じながら、目元が熱くなりかけていたので、笑ってとぼける。


「ははっ、何をだよ」


「さぁ、何をでしょうね」


「ほら、意味わからんこと言ってないで帰ろう」


「ええ」


 もちろん意中の人に振り向いてもらうことが出来なかった実は辛い。しかし、同じくらい実の気持ちに答えられなかった咲哉も辛かった。その種類こそ違えど、咲哉も実のことは好きだ。そんな実を自分の手で泣かせることになったというのは、咲哉としても本意ではなかった。しかし、そんな気持ちを表に出して詩織に心配を掛けてはいけないと、咲哉は何事もなかった風に装っていたが、詩織は全てを見抜いていた。ただ、お陰で咲哉は少し心が軽くなった。きちんとわかってくれる人が傍にいてくれるというのは、何物にも代えがたい心の支えだ。


「ありがと、詩織」


「さて、何のことかわかりませんが……感謝されるのは好きなので、ありがたくその気持ちを受け取っておきましょう」


 そう言って二人は並んで帰路についた。いつもなら何か他愛のない話でもしながら帰るところだが、今日は互いに黙ったまま。しかし、そこに気まずさはなく、むしろ心地の良い静かな帰り道となった――――



◇◆◇



 後日――――


 特に何てことのない、普段通りの授業間休み。咲哉がハンカチを片手に男子トイレから出てくると、出入り口のところで真歩が壁に体重を預けて立って待っていた。


「うおっ、ビックリした……」


「あっはは、驚きすぎだよぉ~」


 咲哉がビクッと肩を震わせるのを見て、真歩は可笑しそうに笑いながら咲哉の腕を軽く叩く。咲哉はハンカチをポケットに仕舞ってから、少し照れ臭そうに頬を掻いて真歩に言う。


「その……昨日はありがとな。実のこと……」


 実と知り合いだったってのは驚きだったけど、と咲哉が付け足して言うと、真歩が笑いながら答える。


「いいよいいよ、お安い御用だよ~。ま、私とみのりんは友達だからねぇ~」


「そっか。けど、何か意外だった」


「ん、何が~?」


 真歩は首を傾げながら瞳をパチクリさせる。そんな真歩に向かって、咲哉は苦笑いを浮かべながら言う。


「いや、まさかお前がこう……助けてくれるというか、優しくしてくれるとは思わなくて。ほら、いつもは俺とか詩織にちょっかい出してくるからさ」


「あはは、酷いなもぅ~。私のことそんな風に思ってるのは三神君だけだよぉ~」


「あと、詩織もな」


「あっ、そうだね」


 そんなことを話しながら、二人で教室に戻るべく廊下を歩いていく。


「ってか、結局何で詩織にちょっかい出してたんだよ」


「えぇ、それ聞いちゃう~?」


「一応俺も散々な目にあったんだから、聞く権利はあるだろ?」


 それもそうだね、と真歩は可笑しそうに口許を手で押さえて肩を震わせる。そして、少し遠くに視線をやりながら答えた。


「まぁ、一言で言うと……気に食わないから、かな」


「おぉ、女子こえぇ……」


「あはっ、そうだよ~? 女の子ってすごく怖いからね?」


 お前が言うと説得力あるな、と咲哉がからかうように言うと、真歩も「でしょ?」とニヤリとした笑みを浮かべながら答える。


「ほら、しおりんって凄く可愛いだけじゃなくて、何でも完璧にこなすでしょ~? 当然皆からも頼りにされる。でも、しおりんはまるでそれが当然であるかのように、いつも澄ました顔でいるからさ。な~んか、皆に好かれるよう頑張ってる私が馬鹿みたいじゃん?」


 カッコ悪いでしょ? と真歩が自嘲気味に笑いながら言う。しかし、咲哉は純粋に疑問に思うような表情を浮かべて言った。


「別にカッコ悪いとは思わないし、第一お前と詩織は違う人間なんだから、別に比べなくて良いんじゃないか?」


「え?」


「いや、お前の言ってることもわかるぞ? 詩織は完璧超人だからな。何でも出来て羨ましいって俺も思うことはある。けど、だかってお前が詩織より劣ってるのかって言ったら、違うと断言できるぞ? 花野井はコミュ力とか凄いし、相手が何思ってるとかもお見通しって感じだろ? それは詩織にはないお前だけのスキルだ」


「三神君……」


「花野井には花野井の良さとか魅力っていうのがあるんだから、他人がどうとか気にせず、お前はお前のまま堂々としてればいいと思うぞ、俺は」


 そんな咲哉の言葉を受けて、真歩が足を止める。じわじわと顔に熱が溜まっていき、赤みを帯びる。不思議なほどに鼓動が早く、胸がキュッと締め付けられるような感覚に陥る。そんな真歩に、咲哉も足を止めて振り返ると、少し照れ笑いを浮かべながら言った。


「俺が言うまでもないかもしれないけど、魅力があるから現にお前はモテモテなんだろ? ほら、俺だって危うくお前に惚れかけてたし……」


「――ッ!?」


「ま、結局俺は詩織が好きなんだけどな。あっ、今の話詩織にチクるなよ? 絶対機嫌悪くなるから」


 咲哉はそう真歩に釘を刺してから再び廊下を歩き出した。真歩はそんな咲哉の背中を見詰めながら、自分の胸の辺りに手を当てた。鼓動が早い。顔が熱い。胸が苦しい。真歩はキュッと唇を噛んだ。


(ははは……なるほど、みのりん。これが…………)


 ――――恋ってやつ、ねぇ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る