第34話 幼馴染の覚悟②

 キーンコーンカーンコーン……、と高校のあちこちに設置されたスピーカーから終礼を告げるチャイムの音が流れる。咲哉らが所属する二年一組教室でも、担任の教師が今丁度「気を付けて帰れよ~」と言って教室をあとにしていったところ。


 生徒らもガラガラガラ――と椅子を引いて各々席を立ち、部活に行ったり委員会に向かったり友達と集まって談笑し始めたりと様々。


 そんな中で、咲哉も荷物を持って立ち上がり、詩織の席の方へ視線を向ける。すると、すでに席を立っていた詩織が咲哉の方へ近付いてきていた。


「咲哉君、帰りましょう」


「おう。あ、そうだ、今日の夕食何が良い? モノによっちゃあ買い物して帰った方が良いかも」


「そうですね…………」


 二人がそう話しているところに、ニヤニヤ顔を浮かべた真歩がやって来て、咲哉の肩をポンポンと叩く。


「新婚夫婦みたいなやり取りしてるところ失礼しまぁ~す。三神君にお客さんじゃないかな?」


「えっ?」


 真歩が「ほら、あそこ」と視線で場所を示してくるので、咲哉は教室の後ろ側の出入り口の方へ目を向ける。すると、ひょっこり顔を出す実の姿があった。咲哉は詩織に「ちょっと待ってて」と一声掛けてから、実のもとへ歩いていく。


「どうした実? 何か用?」


「あっ、えぇっと……せんぱ――いや、咲哉っ!」


「いや、だから呼び慣れてないならわざわざ言い換えなくていい――って、え? 名前呼びに戻したの?」


「う、うん……って、そんなことどうでもよくって! ちょっと来て欲しいんだけど……」


 少し赤らんだ顔を俯かせてモジモジとする実に、これから詩織と帰ろうと思っていた咲哉は、困った表情を浮かべて「ここじゃ駄目なのか?」と聞く。すると、実が小さく首を縦に振るので、どうしたものかと振り向き、視線を教室の中にいる詩織へと向ける。すると、詩織がこちらにやって来る。


「えっと、彼女は……」


「ああ、コイツは俺の幼馴染で一つ下の――」


 咲哉が紹介しようとしたところで、実が自分から声を上げた。


「は、初めまして水無瀬先輩。来栖実ですっ! 咲哉の幼馴染で、えっと……ちょっと用事があって……」


 詩織は不思議そうな視線を実に向ける。そして、女の勘というべきか、何となく実が咲哉に向ける感情を察すると同時に、用事の内容も薄っすらと想像出来た。正直詩織としては面白くはない。自分の彼氏が幼馴染と言えど他の女子と二人きりでどこかへ行こうだなんてことは、出来れば避けたい展開だ。


 ――と、そう詩織が思考を巡らせていると、後から真歩が近付いてきて両手を合わせた。


「しおりん、お願いっ! ここは咲哉君をみのりんに貸してあげてくれないかなぁ?」


「えっと、花野井さんがなぜ……?」


「ねっ?」


 形的には真歩が詩織に手を合わせてお願いをしている。しかし、真歩は可愛らしくウィンクしながら、無言のまま詩織に視線だけで「しおりんが三神君のこと信じてあげられてるなら、心配ないでしょ?」と挑発していた。当然詩織もそれに気付き、眉をピクリと震わせる。そして、はぁ、とため息を小さく吐いてから頷いた。


「ま、良いでしょう。咲哉君、私は下で待ってますから」


「すまん、詩織。助かる」


 咲哉は少し申し訳なさそうな顔をして詩織にそう言うと、詩織は優しく微笑んだ。それを見てから、咲哉は実に連れられる形で、階段の方へ向かっていった。そして、教室に残された詩織と真歩。詩織がジト目を真歩に向けて問う。


「で、また何か企んでるんですか?」


 真歩が「違うよぉ~」と曖昧な笑みを浮かべながら首を横に振って否定する。


「みのりんとはちょっとした知り合いでね。純粋に応援したかったんだぁ~」


「……まさか貴女の口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでした」


「ひっどぉい!」


 ムッ、と両頬に空気を一杯に溜めた真歩が詩織に不満を訴えるが、これまでの行いから誤解されるのは重々承知しているので別に気にはしない。真歩は一歩教室から踏み出して、そのままゆっくり咲哉と真歩が向かっていった方へ歩いていきながら呟く。


「ま、でもさ……私だって女の子だしさ、恋とか憧れちゃうんだよねぇ~」


 詩織はゆっくりと遠ざかっていく真歩の背中を見送り、その姿が見えなくなってからふっ、と笑みを湛えると、咲哉を玄関で待つべく階段を下りて行った――――



◇◆◇



「用事って……ここで?」


 実について階段を上ってきて、ドアノブを捻って扉を開けた先――本校舎の屋上にやって来た咲哉が実に尋ねる。実は屋上の真ん中まで移動してから、咲哉の方へ振り返る。特に変わらない、咲哉にとっては見慣れた実の姿であるはずなのに、どうしてかこの瞬間に限っては、やけに大人びた……それこそ女性らしさを感じさせる雰囲気を纏っているように映った。


「そう、ここで」


「そうか……。んで、肝心の用事って?」


 咲哉が頭を掻きながら、ゆっくりと実の立つ場所へと近付いていき、やがて正面に立って止まった。すると、実が「すぅ、はぁ……」と深呼吸をして心を落ち着かせるように数秒の間が空いた。そして、実はニコッと人懐っこさの感じられる愛らしい笑顔を浮かべて咲哉に言った。


「好きだよっ、咲哉!」


「……え? んっと……え? 突然何だよ。いやまぁ、俺も好きだけど……?」


「もう、違うよっ! 幼馴染としてじゃなくて、咲哉のことが一人の男子として好きってことだからっ!」


 咲哉は何か答えようとして口を開けるが、声が喉でつっかえたかのように何も言葉が紡げなくなる。ただ間抜けに、口をポカンと開けた状態。そして同時に、実が冗談でこんなことを言っているのではないと理解した。いつも通りの口調に、いつも通りの人懐っこさ。しかし、一つ一つの仕草に緊張から来る震えがみられるし、顔も妙に赤みを帯びていて、視線にも熱が籠っている。


 咲哉は一度開けた口を閉じて、さっきまで出そうとしていた言葉を飲み込む。そして、新たに言葉を選んでから言った。


「み、実……俺は、お前のことは幼馴染で、妹がいたらこんな感じなのかなっていう存在で……」


「うん」


 咲哉はここ最近で一番怖い経験を、今している。咲哉の返答は決まっているのだ。一言で言ってしまえば、実と恋人関係にはなれないということ。しかし、それを言ってしまえば、実は間違いなく傷付く。今まで妹のように思って気に掛けて守ってきた実を、今から自分が傷付けるのかと思うと、怖くて怖くて仕方なかった。では、傷付けないために詩織を捨てて、実と恋人になるのかと言われれば、ノーである。咲哉は詩織のことが好きだし、何より実をそういう目で見ることがどうしてもできない。だから、出来るだけ遠回しに、オブラートに、やんわりと答えを伝えなければという義務感のようなものが、咲哉の頭の中を埋め尽くす。


「俺もお前のことは好きだぞ? ……けど、それは家族に向ける愛情に近い意味で、だ」


「うん」


「それに俺には、詩織が……いるから……」


「……わかってるよ」


 咲哉は目の前の実を避けるように視線を右往左往させながら言葉を紡いでいた。しかし、ふと一度実に視線を向けてしまったら、もう外すことが出来なかった。これまで見たことのないような実の表情だからだ。笑っていた。いつも咲哉に向けてくる、特別人懐っこいニコニコとした笑顔。ただ、その両の瞳から涙がポロポロと零れている点だけが、いつもと違った。


「み、実……」


「っ、ご、ごめんね咲哉……私、覚悟してた。こうなるってわかってて告白したの。でも、おかしいなぁ……涙が、止まらないよっ」


 実は手で何度も涙を拭うが、一度零れ出た涙は止まることを知らず、どんどんどんどん溢れてくる。パチッ、パチッ、とコンクリートの硬い地面に大粒の雫が落ちて弾ける。


「咲哉、ありがとうっ……」


「え?」


 実が泣きながら、震えた声で感謝を告げてくるが、咲哉はどういうことかわからなかった。自分は今実の告白を断った。なぜだ、どうしてだ、と声を荒げられるならともかく、感謝の言葉を送られる意味がわからなかった。戸惑いの色を隠せない咲哉に、実が無理矢理な笑顔を作って言う。


「こんなことしたら、咲哉が困るってわかってた。でもっ、どうしても私の気持ちを知ってほしくて……だから、聞いてくれてありがとうっ!」


「実……」


 実は身を翻し、咲哉に背を向けて言った。


「咲哉、先行ってて……? 私は、もうちょっとしてから行く……」


「……わかった」


 正直咲哉は実を慰めたい気持ちでいっぱいだった。しかし、告白を断った張本人が慰めるなんて、そんな残酷なことは出来ない。咲哉は拳をギュッと握り込んで我慢し、屋上の扉を開けた。すると、そこには真歩が立っていた。一瞬咲哉は驚いたが、今理由を追求するのは違うと思い、真歩の横を通り過ぎて階段を下りる。ただ一言だけを残して。


「実を、頼む……」


「うん、任せて」


 いつになく真歩の口調が真剣なものだった。真歩は咲哉と代わるように屋上へ向かい、咲哉は詩織が待っているであろう玄関を目指して階段を下りて行った――――

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