第31話 彼女からの甘美な罰②

「では、最後の一回の罰ゲームもしてくれたら許してあげます」


 いまだ呼吸が整わないままでいる詩織は、力が抜けきってしまった身体を咲哉に預けながらそう言った。咲哉が次は何をさせられるのだろうかと首を傾げていると、詩織は身体を動かして、咲哉の足の間に座り直し、咲哉の胸を背もたれにするように背面からもたれ掛かった。


「えっと、これは……?」


「……そのまま腕を回してきてください」


「腕を回す?」


「んもぅ、じれったいですねっ!」


 しびれを切らした詩織が咲哉の両手を取って、自分の身体に巻き付けるように背中側から前側に回してくる。咲哉が後ろから詩織を抱き締めるような構図だ。


「ちょ、し、詩織さん? これは何と言うか……ちょっと恥ずかしいです」


「だから罰ゲームなんじゃないですか。それに、私はこうしていると安心するから良いんです」


 詩織は咲哉の胸に頭を摺り寄せながら、心地よさそうに目を細めて息を吸う。咲哉の匂いと体温が自分を包んでいることに関心感を覚えていた。対して咲哉は気が気ではなかった。第一女子をこうして抱き締めるなんてことは初めてなうえ、回した腕に何か柔らかな弾力が――いや、正体を隠さずとも詩織の形の良い双丘の感触が伝わってきてしまう。何とか触れないように動かそうとしても、詩織は腕の位置にこだわりでもあるようで、すぐに元の場所に戻されてしまう。


「詩織……その、当たってるんだが……」


「っ、わざわざ言わなくていいんですっ! 私だって気付いてますから!」


 気にしないでください、と詩織が顔を熱くする。しかし、咲哉としては気にしないなどということは出来るワケもなく、むしろ気にするなと自分に言い聞かせるほど余計変に意識してしまって、鼓動が加速する。そして、咲哉の胸に頭を埋めている詩織には当然その鼓動が聞こえるようで――――


「ふふっ、咲哉君ドキドキしてますね?」


「しないわけがない……」


 先程咲哉に散々な目にあわされた仕返しのつもりなのか、詩織は咲哉が恥ずかしがっていることに満足した様子で肩を震わせる。そして、いつの間にかソファーの上に置いてあった袋の中から何かの小箱を取り出した詩織。


「それは?」


 咲哉が尋ねると、詩織が「帰り際に花野井さんがくれました」と答えるが、その中身はまだ知らないようで不思議そうな声色だ。詩織が小箱を開けると、中には光沢のあるダークブラウンの小さな塊が綺麗に陳列していた。


「チョコレートですね」


「毒でも入ってるんじゃないか……?」


「正直私も疑いましたが、まぁ、市販のチョコレートのようですし安全でしょう」


 そう言って詩織は咲哉の身体に包まれたまま、小箱から一粒チョコレートを摘まんで口に運ぶ。すると、静かな部屋にコリコリとチョコレートを噛み砕く音が響く。そして、飲み込んでから訪れる沈黙。


「……詩織?」


 てっきり味の感想でも出てくるものだと思っていた咲哉は、食べたあとに詩織が無言のまま微動だにしないので、気になって声を掛けてみる。すると、詩織は「美味しい……」と感嘆するように呟くと、一つまた一つとチョコレートを口の中に運んでいく。


「おいおい、どんだけ食べるんだよ。夜にチョコレートなんて食べたら太るぞ」


「……」


「お、おい? 詩織?」


「……どきどき」


「はい?」


「私もドキドキしてますよ……咲哉君と一緒ですね、えへへ……」


 呂律の回らない舌足らずな口調で詩織が顔をとろけさせて笑う。詩織の手から空になったチョコレートの箱が床に落ち、詩織は咲哉の手を自身の胸に持ってくる。


「ちょ、おいっ!?」


 咲哉の手に感じたことのないような質感が押し当てられる。温かくて柔らかく、そして程よく弾力もある双丘。その狭間に咲哉の手を触れさせるように、詩織が手を握っている。


「どうですか、わかりますか? 私もどきどきするんです……」


「待て待て待て!? なんかおかしいぞお前……って、もしかしてこのチョコ!」


 咲哉は少々強引に詩織の手を引き剥がすと、ソファーから立ち上がって床に落ちた箱を拾い上げる。そして、視線をその商品名に向け――――


「これ、ウィスキーボンボン……! 花野井の奴っ!」


 咲哉の脳裏に悪魔衣装を身に纏った真歩がチロッと舌を出して笑っている姿がチラつく。どうしたものかと咲哉が頭を抱えていると、背中に小さく衝撃を感じた。詩織が咲哉に抱き付いてきたのだ。


「咲哉君……どうして離れるんですかぁ……」


「詩織、よく聞け? お前は今酒の入ったチョコレートを食べて酔っている。わかるか?」


「uh-huh」


「うん、まったくわかってないな」


「えへへ……」


 流石学年一位の才女と言うべきか、流暢な英語で返事をしてくるが普段の詩織がそんな返答をするわけがないので間違いなく酔っぱらっている。咲哉は巻き付けられた腕を解き、詩織と向かい合うと、取り敢えず座って落ち着かせようとしてその肩に手を伸ばす。すると――――


「ん~、せいっ!」


「――え?」


 咲哉は詩織の方に伸ばそうとした手が掴まれたところまでは理解出来た。しかし、その瞬間景色が一変。先程まで視線の先には詩織がいたのに、今は天井が正面に見える。そして、気付けば背中にじんわりと痛みを感じて初めて、自分が床に倒れていることを自覚した。


「……咲哉君が私を襲おうとしてましたぁ……」


「い、いや違うくて! ただお前を座らせようとしただけで――」


「――見損ないましたぁ! 咲哉君のこと信じてたのに……こんなエッチな人だったなんて……」


 さっきから何を言ってるんだ、と咲哉は聞き返したくなったが、酔っている詩織に何を聞いたところで無意味だとわかっているので押し堪える。しかし、じっとしていても状況が好転するわけもなく、むしろ今度は詩織が倒れた咲哉の上に跨ってきて危機的状況だ。


「ちゃんと言ってくれれば、私も断ったりしないんですよぉ……?」


「っ、二度と酒なんか飲ませるか……!」


「咲哉君……へへっ……」


 詩織がまどろんだ表情を浮かべて咲哉に覆いかぶさるようにして抱き付く。咲哉の身体前面部に詩織の華奢な身体のラインだったり、一部柔らかい膨らみだったりの感触が伝わってきて、理性という名の本能の蓋に亀裂が入る。


(ははは……この甘えてくる詩織に耐えるのが一番の罰ゲームなんだが……)


 このまま詩織を抱き締めて押し倒せたらどれだけ楽だろうか、と咲哉は思う。しかし、酔った勢いでしていいことではないし、咲哉もそんな展開は望んでいない。何より詩織を大切に思うからこそ、簡単に手を出したりは出来ない。


(よし、頑張れ俺の理性……酔いが醒めたら、詩織に文句言いまくってやるんだ……っ!)


 このあとおよそ三十分。詩織が酔いから来る謎のハイテンションに疲れて寝息を立て始めるまで、咲哉は必死に理性を壊すことなく守り抜き、眠りについた詩織を部屋のベッドまで運ぶことに成功したのだった。


「あぁ、疲れた。俺も、早く……かえ、ろう……」


 バタリ、と照明の落ちた詩織の暗い部屋に何かが倒れる音がした――――

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