第30話 彼女からの甘美な罰①

「さて、こうして帰ってきたわけですけど……」


「じゃ、じゃあ俺は荷物も持ったことだし今日のところはこの辺でお暇させて頂こうかなぁと――」


「――罰ゲーム。二回。忘れていませんよね?」


 ほどほどのところでハロウィンパーティーを切り上げてきた咲哉と詩織は、詩織のマンションまで帰ってきていた。すると、早々に咲哉が詩織の家のリビングに置きっぱなしにしていた私服が入ったカバンを肩に担いで玄関の方へ足を進めようとするのを、詩織が腕をがっちりと掴んで離さなかった。


「ほ、ほら今日はもう遅いしね? 明日学校だしね?」


 リビングの壁に掛けられているデジタル時計を見ると、午後十時二十分を表示していた。いくら恋人同士とはいえ、年頃の男女が夜遅くまで一つ屋根の下二人きりでいるというのは世間的にもよろしくない。ゆえに、咲哉の言い分は至極真っ当なものであり、当然受け入れられてしかるべき意見なのだが…………


「時間? 学校? ふっ、関係ありませんね。私がルールです」


「……赤ずきんの衣装を纏ってる奴が言うセリフじゃないから、それ」


 呆れる咲哉に構うことなく、詩織は咲哉の手からカバンを奪い取って自室に放り込み、少し鬱陶しかったのか赤ずきんの由来たる赤いフードを衣装から外して、それも置いてきた。自室から戻ってきた詩織は、一人暮らしで使うにしてはかなり大きいリビングソファー――それこそ咲哉の家のものより一回り大きくて質感も良い――に腰掛け、隣に座るよう咲哉に手招きする。


「わかったよ……」


 咲哉も少し邪魔だったマントだけを取ると、詩織に促されるままソファーに腰を下ろした。そして、横目で詩織の様子を窺う。何だかやけにそわそわした様子で頬も若干赤かった。咲哉は表情を引きつらせる。


(詩織のことだ……絶対ヤバい罰ゲームさせられるぞ!? 馬になれとか? 椅子になれとか?)


 咲哉が頭の中であらゆるシミュレーションをして、どんな罰ゲームを課されても良いよう覚悟をしていると、遂に詩織の口が開かれた。詩織は妙に恥ずかしそうな様子で咲哉と真っ直ぐ目を合わせられないまま、両手の指同士を絡めながら言う。


「じゃ、一回目の罰ゲームは……」


「罰ゲームは……」


「……噛んでください」


「……ん? ゴメン。何か聞き間違えしてると思うからもう一回言って?」


「だ、だからっ……私を噛んでくださいっ!」


「……は?」


 想像の斜め上――いや、斜め下を行く発言に、咲哉は目を点にして間抜けな声を漏らした。すると、詩織がむくれた顔を咲哉に向けて言う。


「だ、だって咲哉君は今ヴァンパイアじゃないですか! せ、折角完成度の高い衣装を着ているんですから、ちょっとくらい役になりきって遊んでみても良いかなぁ~って……」


「か、可愛いかよ」


「う、うるさいですね! これは罰ゲームなんですから貴方に拒否権はありません! さぁ、噛んでください!」


 何かが吹っ切れてしまったのだろうか。開き直った詩織が姿勢良くソファーに座ったまま両の目蓋を閉じて待ちの体勢に入る。咲哉はしばらく戸惑っていたが、詩織が言うなら仕方がないと自分に言い聞かせて、詩織の傍に座り直す。


(噛みつくって言ったら、やっぱり首……だよな……)


 そう考えてみたら、詩織の着ている赤ずきんの衣装は肩や鎖骨が露出しており、噛んでくださいと言わんばかりのデザインだった。咲哉はゆっくりと顔を詩織の首元へ近付けていく。そして、距離が近くなればなるほど、自分の鼓動がどんどん早まっていくのを感じた。もちろん吸血衝動に駆られているのではなく、恥ずかしさと少しの背徳感がそうさせているのだ。


(白いし細いし……確かに美味しそうな首ではある――って、別にヴァンパイアは首に味は求めてないか)


 そんなことを思いながら、咲哉は覚悟を決めるように唾を飲み込むと、ふぅっと息を吐いて精神を落ち着かせ――――


「ひゃっ……!?」


「え、まだ何もしてないけど?」


「く、首に息が……! こそばゆいです……」


 どうやら咲哉が心を落ち着かせようとして吐いた息がくすぐったくて変な声を出してしまったらしい。しかし、吐息程度で声を我慢できなくなるということは、詩織の首は敏感だということになる。


「し、詩織……もしかして、首弱い?」


「私に弱い部分なんてあるワケ――」


「――ふぅ~」


「やん……っ!」


 詩織は咄嗟に口を手で押さえるが、既に声は出てしまっていた。詩織が恨むような瞳を向けてくるが、咲哉の胸の中で悪戯心が燻ぶっていた。いつもならもう一度「本当に噛んでも大丈夫なのか?」と確認するところだが、咲哉はこれが詩織からの罰ゲームであることを利用することにした。


「じゃ、そろそろ頂こうかな」


「えっ、あ、ちょっと待ってくだ――」


「――残念ながら俺に拒否権はないらしいから、やめられないし、待てないな」


 咲哉は口を開くと、詩織の細い首筋と肩との間くらいの位置に優しく噛み付いた。痛いので歯はほとんど立てず、少し肌に当てるくらいの力加減。甘噛みと言った具合だ。しかし、咲哉の口と詩織の肌が触れ合った瞬間、詩織の身体がビクッと震える。


「あっ、ん……!? ちょ、ま、待ってくだ……さい、咲哉君っ……!」


 もちろん辞め――るわけがない咲哉。先ほども言った通り、これは詩織からの罰ゲーム。詩織がルール。拒否権を与えられていない咲哉は途中でやめるなんてことは出来やしない。一度息継ぎのために口を離し、詩織に一瞬のみ休憩を取らせてから再び噛みつく。詩織は本当に血を抜かれているかの如く、身体から力が抜け落ちていき、咲哉の身体にもたれ掛かりながら悶える。


「うぅっ……さ、咲哉君っ……! っ、はっ……んんっ……!?」


「……ま、このくらいにしておくか」


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 正直もう少しくらい詩織の反応を楽しんでいたかった咲哉だが、妙に詩織の漏らす声が艶っぽく、理性が削れていく音がしたので念のため中断する。


「や、やめてって……言ったのに……っ!」


 未だ咲哉の身体に体重を預けたまま荒い息を立てている詩織が、うっすらと涙を湛えた瞳を不満げに咲哉に向ける。


「ごめんって。ちょっと詩織をからかいたくなってさ」


「もぅ! 私怒ってますからねっ!」


「えぇ、元はと言えば詩織が俺にさせたのに……」


「う、うぅん……では、最後の一回の罰ゲームもしてくれたら許してあげます」


「ん?」

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