第25話 二人の関係

「も、もう一回キス……したいって言ったら、怒るか……?」


 そんな咲哉の言葉に、夜空のように美しい詩織の瞳が大きく見開かれる。マンションから降り注ぐ暖色の照明が、詩織の赤く染まった顔を照らし出している。そして、詩織は数秒の間を置いてから視線を斜め下へ逃がし、恥じらい混じりに答えた。


「もう一度私から……というのを期待しているのなら、怒ります……」


「……わかった」


 その返答が拒絶でないことは、咲哉にもわかった。咲哉は引き留める際に掴んだ詩織の手を優しく引っ張り、詩織を自分の方に引き寄せる。詩織が緊張で身体を強張らせたのが、繋いだ手を通して咲哉にも伝わる。そして、咲哉は空いている方の手で詩織の顔を持ち上げさせると、詩織が心を決めたように目蓋を閉じたので、ゆっくりと顔を近付けていく。


(まつ毛長いな……)


 やけに長く感じられる一瞬の中で、咲哉は至近距離から改めて詩織の顔を見て綺麗だなと思う。整った鼻梁や薔薇色に染まった頬、そして、形の良い桜色の唇。咲哉は互いの鼻先が当たらないように僅かに顔を傾けてから、その唇に自分の唇を重ねた。


「んっ……」


 詩織が喉から声を漏らし、繋いだ手に力が籠る。咲哉は初めて知った唇の柔らかさと温かさに鼓動を加速させた。同時に、沸々と身体の奥底からこのまま詩織を抱き締めて、まだ知らない詩織の身体の隅々まで味わってみたいという欲求が込み上げてくるが、理性の蓋で押し込める。この時間がいつまでも続けばいいと思いつつも、長くし過ぎて嫌な思いをさせるのは本意ではないため、咲哉はそっと唇を離した。詩織が目蓋を持ち上げて、潤んだ瞳で物欲しそうに見詰めてくるが、咲哉はグッと堪える。


「詩織……俺は、お前が好きだ」


「咲哉君……」


 咲哉は真っ直ぐ詩織の瞳を見詰める。


「そりゃ、俺も男だしさ……最初はお前のことを外見で判断して綺麗だとか可愛いだとかって思ってた。けど、一緒に過ごす中で、少しずつお前のことを知っていけた気がする。人前では完璧に見せてても本当はその裏で悩んでたり、いつも上から目線なくせに実は照れ屋なところだったり、素直になれない性格だったり……」


「あ、あの……私けなされてます?」


 詩織が半目を向けて不満げな表情を浮かべるので、咲哉は笑みを溢しながら首を横に振る。


「いや、全部詩織の好きなところだ」


「~~っ!?」


 詩織はカァと顔を赤くして咲哉から視線を逃がす。恥ずかしがる詩織に、咲哉は真剣な表情で言った。


「最初は俺が詩織の秘密を知ってしまって、その口止めのために始まったこの関係。俺なんかがこんなことを思うのは身の程知らずかもしれない……でも、俺は本気で詩織と付き合いたいと思ってる。弱みを握った握られたの関係でなく、好意を持って付き合いたい」


 詩織はどう思ってる? と咲哉は繋いだ手を優しく握ることで無言のままに尋ねる。すると、詩織は何度か視線を右へ左へ彷徨わせてから、唇を噤んだまま咲哉に上目を向けた。そして、一呼吸の間を置いてから、詩織の口が開く。


「わ、私がっ……好きでもない人と、き、キスをするような女に見えますかっ……?」


 今にも火を噴きそうな顔を見られたくないのか、詩織は咲哉の胸に頭をぶつける。


「貴方は私に完璧を求めなかった唯一の人です。私がありのままの姿でいられる場所は、咲哉君……貴方のいるところです。完璧な仮面の下にある私を好きになってくれてありがとう。本当の私を見てくれてありがとう。私も、貴方のことが好きです、咲哉君」


 そっと詩織が身を寄せて、咲哉の腰に手を回す。咲哉もそんな詩織を腕で包み込み、嬉しさの分だけ強く抱きしめる。


「咲哉君苦しい……」


「あ、悪い……」


 咲哉は少し抱き締める力を緩めた。すると、自分の腕の中で詩織がクスクスと身体を振るわせて笑っているのが伝わってくる。


「あと、心臓がうるさいです」


「それはしょうがないだろ……! めっちゃ緊張したし、めっちゃ嬉しいんだから……」


「ふふっ、感謝してください」


「あ、相変わらず上から目線なのな……」


「私も感謝しますから、お相子です」


 秋も深まり、だいぶ夜も肌寒くなってきた。だというのに、今このとき咲哉と詩織は温かさに満ちていた――――



◇◆◇



 翌日、学校にて――――


「咲哉君、次の数学の授業で提出する宿題、きちんとやってきましたか?」


「え……俺が宿題なんてするわけないだろ……?」


「いや、さも当然とばかりに言われても困るんですけど……」


 二時間目の授業の終わり、三時間目の数学に備えて机の横に掛けたカバンから教科書類を取り出していた咲哉と、その隣に立つ詩織。他のクラスメイトは昨日の夜からが本当の意味で咲哉と詩織が付き合いだしたとは知らないのでこれと言って特に変わった反応を見せたりはしないが、見る者が見れば、二人の距離感に変化が生まれたことは一目瞭然だった。それこそ、人間観察に長けた――――


「ねぇ、二人とも何かあったのかなぁ~?」


「は、花野井?」

「花野井さん……」


 咲哉の前の席が空いていたので、やってきた真歩がそこに腰掛けて咲哉の方に向く。咲哉は戸惑いの色を、詩織は警戒の色を示す。


「ねね、三神君そこのところどうなのぉ~?」


「い、いやぁ……?」


 真歩がニヤリと笑みを浮かべながら咲哉の顔を覗き込む。何か喋ったら真歩に情報を渡してしまうとわかっている咲哉は、ただ言葉を濁して視線を斜め上へ逃がす。そして、真歩の咲哉に対する距離感が相変わらず近いことが気に障ったのか、詩織は咲哉と真歩の間に壁を作るようにして咲哉の机に手をついた。


「花野井さん、何か用ですか?」


「えぇ、しおりん冷たいよぉ~。別に用がなくても来て良いでしょぉ~? そ・れ・にぃ~。そんなに冷たくてツンドラ気候だと、三神君の気持ちも冷めちゃいそぉ~」


 なぁんて、とチロッと舌を出して小悪魔のような笑みを浮かべる真歩に、詩織はスッと目を細める。一瞬にしてこの場に暗雲が立ち込めてきて、ゴロゴロと雷の低い唸りが聞こえてきそうだった。


「ま、用事がないってわけでもないんだけどね」


「は?」


 なら最初からそう言えとでも言いたそうな表情をあからさまに浮かべる詩織と、そんな詩織を見て苦笑いを浮かべる咲哉。そんな二人に、真歩が楽しそうに話し始める。


「ほら、もうすぐハロウィンでしょ? 私の家で人を集めて仮装パーティーみたいなのをしようと思ってるんだけど、二人も誘おうと思ってさぁ~」


「か、仮装パーティーって……」


 高校生にもなって……と咲哉は少し思ったが、逆に考えれば小学生や中学生が行うよりも、よりクオリティの高いパーティーになるということだ。まったく興味がわかないと言えば噓だった。


(けど、詩織は……)


 咲哉は詩織の様子を窺ってみる。すると、疑わし気な眼差しを真歩に向けているところだった。詩織が乗り気でないなら、咲哉は無理に参加しようとは思わない。


 ――と、そんなことは真歩もわかっていた。


「まぁ、参加は強制じゃないけどねぇ? でも、ほら三神君想像してみて? しおりんが黒い角と羽を付けて悪魔風に仮装してる姿とか……」


 咲哉は真歩に言われた通り想像の中で詩織にそんな服を着せてみる。涼やかな黒髪と瞳を持つ詩織だ。品性漂う悪魔公爵となった詩織の姿が咲哉の頭の中に出来上がった。


「おぉ……」


「あとは、包帯を巻きつけた衣装でゾンビっぽく……」


 均整の取れた抜群のプロポーションを持つ詩織だ。包帯を巻いて少し血のペイントを施しただけの一見みすぼらしい衣装でも、どこかセクシーで、際どくて、煽情的な――――


「これもなかなか……」


「わぁ、三神君のエッチ」


「はぁ!?」


 まるで咲哉が詩織のどんな姿を想像していたのか知った風に、真歩が口許に手を当ててクスクス笑う。詩織も咲哉にジト目を向けていた。


「でもまぁ、確かに詩織の仮装した姿とか、見てみたいかも……?」


 咲哉はチラッと詩織に視線を向けてみた。すると、詩織は不満げに口を歪ませながらもまんざらでもなさそうに頬を僅かに色付ける。


「ま、まぁ……咲哉君がそう言うなら、やぶさかではありません……」


「やったぁ! じゃ、詳しいことはまた追々ねぇ~」


 用は済んだとばかりに真歩は他のクラスメイトのもとへ駆け出していった。そして、詩織は去っていく真歩から視線を再び咲哉に戻すと、ジト目を向けて言った。


「ゾンビ衣装は着ませんからね」


「あっ、はい……」


 しっかりと念を押されてしまったのだった――――

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