第20話 中間テストの勉強会

「はぁ、あと一週間で二学期中間……」


 学校からの帰り道、咲哉が項垂れながらそう呟くと、隣を歩いていた詩織が「そう言えばそうでしたね」とどこか他人事のように反応する。


「そうでしたねって……いや、まぁお前は今回も余裕だろうけど……」


「はい、何の問題もありませんね。日頃から勉強しているので、テスト前だからと特別に何か勉強したりはしません」


「俺はまず提出物が……」


 パッと思い付くだけでも、数ⅠAのワークと英語のワーク、それから現代社会の宿題をまだ出していない。もちろん提出期限は既に過ぎている。テストの日が提出できる最後のチャンスなので、成績のためにも遅れてでも出しておくべきだろう。


 そんな咲哉に、詩織は呆れたような視線を向ける。


「提出物を終わらせるのに時間を取られて、結局テスト勉強出来ないという未来が見えるんですが、気のせいですか……?」


「まったく気のせいじゃないですね、はい」


 詩織が大きくため息を吐く。


「仕方ないですね……彼氏がお馬鹿だなんて思われたくないので、私が直々に貴方の勉強を見てあげます」


「えっ、マジですか?」


「その代わり、夕食を振舞ってください。それが条件です」


 どうせいつも夕食は自分で作っている咲哉。それが一人分から二人分になろうとたいして手間は変わらない。夕食を作るだけで常に学年順位一位の詩織に勉強を見てもらえるとなったら、咲哉としてはありがたいことこの上なかった。


「よし、その条件飲んだ! んじゃ、早速今日から良いか?」


「構いませんよ? それで、どちらの家でやりますか?」


「夕食作るなら、食材も道具も揃ってる俺んちの方が良いだろ」


「わかりました」


 詩織はそう頷いて、咲哉にわからない程度に口許を綻ばせた。これまでも時々は咲哉が料理を振舞ってくれたこともあったが、それ以外の日は自分でレトルトのものを用意するだけ。今までならそんな食生活に不満を感じることはなかったが、咲哉の料理を一度食べてからはレトルト食品が味気なく感じてしまって仕方がない。


(勉強を見るだけで咲哉君の料理が食べられるなんて、良い買い物をしました)



◇◆◇



 二日後――――


「何で勉強なんてしなきゃダメなんだよぉ……やる気出ない……」


 詩織の手伝いもあって取り敢えず提出すべき宿題を終わらせることには成功した咲哉。しかし、いざこれから本格的にテスト勉強を始めようとなると、なかなかペンを握る気にならないでいた。


「まったく。学生の本分は勉強ですよ。隣に可愛い彼女がいるんですからモチベーションも上がるというものでしょう?」


「自分で可愛いって……いやまぁ、そうなんだけどさぁ。別にそれってテスト勉強しなくてもお前は隣にいるワケで……別に特別なことじゃないんだよなぁ」


 リビングテーブルを勉強机にして床に座っていた咲哉がバタリと床に仰向けに倒れ込む。そんな咲哉と向かい合う位置に座っていた詩織が半目を向けながらも、困ったように眉を顰めた。


(テスト勉強をしないとなったら私も必要なくなるわけで……となると、また夕食がレトルトに……! それは何としてでも回避したいですね……)


 どうにかして咲哉にやる気を出させたい詩織は、ムムム……と唸りながら何かないかと方法を考える。そして、一つ案を思い付いたのだが、何ともそれが気恥ずかしいものなので、口に出すのが少々憚られてしまう。しかし、咲哉のやる気を上げないことには詩織も咲哉の料理を食べられない。


(ま、まぁ、いざとなったら、『何のことでしょうか?』ととぼければいいですし……)


 詩織は微かに頬を紅潮させて呟く。


「……キス」


「ん、何か言ったか?」


 咲哉が寝転がったまま聞き返してくる。詩織は眉をピクリと動かして、一度咳払いしてから再び言う。


「キスしてあげましょう」


「…………は?」


 長い沈黙のあと、咲哉の口から間抜けな声が零れ出た。咲哉はよろめきながらゆっくりと上体を起こして詩織に視線を向ける。


「だから、頑張ったらご褒美として、き……キスしてあげると言ってるんですっ!」


「え、ま、マジで言ってる……?」


「も、もちろん私の唇はそう安くはありません。そうですね……今回のテストで学年順位二十位以内には入れたら、ご褒美です」


「に、二十位……」


 咲哉が低く唸る。毎回テスト後には各学年の廊下の掲示板に、その学年でのテスト結果上位五十人の名前が張り出される。咲哉は一度もそこに名を連ねたことはないが、自頭が良いお陰で勉強が全くできないわけではない。学年でもちょうど真ん中といったところだろう。これまで宿題を見てきた詩織は、咲哉の正確な学力を把握し、頑張れば行けそうなラインぎりぎりを突いたのだ。


「ほ、本当は十位以内と言いたいところ……なんならトップスリーに名を入れて欲しいところですが、流石にそれは酷なので、二十位以内で妥協です」


 詩織は腕を組んで「ふん」とそっぽを向いた。咲哉は心臓を高鳴らせながら、そんな詩織の横顔を――主にその桜色の唇を見詰める。それが自分の唇と触れ合うのかと考えるだけで、頭がパンクしてしまいそうなほどの衝撃だ。やる気を駆り立てる材料としては、充分過ぎた。


「よし、今の言葉忘れるなよ?」


「え?」


 先程までの気怠そうな咲哉はどこへやら、まずは苦手な英語からとテスト範囲のワークを開き、その問題の答えをノートに書いていく。そんな咲哉の変わりようを見て、詩織は呆れと恥ずかしさを交えたような視線を向ける。


「そ、そんなに私のキスが欲しいんですか……」


「もちろん!」


「……っ!?」


 即答する咲哉に、詩織は自分の顔が熱くなっていくのを感じながら考えなしに口を開いた。


「それは、ただ単に女の子にされるのが嬉しいのか、それとも私にされるから――」


「ん?」


「――い、いえ何でも!」


 詩織はバッと自分の口を手で覆った。咲哉が集中状態に入っていて今の質問をよく聞いていなくて助かった、と詩織は安堵する。


(わ、私は一体何を聞こうとして……!? 別にそんなのどっちだっていいことでしょうっ!?)


 バクバクと心臓がけたたましく鳴る。どうしても、咲哉が自分のことをどう思ってるのだろうかと気になってしまう。そして、出来れば先程言いかけた質問の答えが後者であってほしいと、そう思ってしまっている自分がいることを認めたくない詩織だった。

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