第09話 完璧美少女と夕食を②

「よく料理も出来ずに独り暮しなんてしようと思ったな」


「……少しでも早く、あんな家から出ていきたかったので」


 何気なく言った咲哉の言葉に、詩織は表情に影を落としながら複雑な感情が入り交じったような声色で答えた。


 一瞬咲哉は包丁を動かす手を止めたが、すぐに「そっか」とだけ言って、再び静かな部屋の中にトントントントンと包丁で一定のリズムを刻み始める。


 すると、詩織がソファーに座ったままキッチンに立つ咲哉にジト目を向けて、不満気な口調で言う。


「まったく……咲哉君は本当に私に興味がないですね。私のことを知っていくんじゃなかったんですか?」


「何を言ってるんだ。俺はお前に興味津々だぞ。特にどうして放課後あんなことをしてたのかとかすげー気になる」


「それは忘れてください忘れなさいっ!」


 バンッ、とソファーを叩いて憤慨する詩織。学校ではなかなかお目に掛かれない詩織の感情むき出しな表情に、咲哉はアルミホイルに鮭とカットした野菜を並べながら肩を上下させる。


「本当に貴方って人は……でも、その疑問の答えにもなるかもしれませんね」


 咲哉は何も言わなかった。詩織が自ら語ろうと決めたことを、他人が安易に踏み込んではいけない話だからと止めることは出来ないからだ。ホイルに包んだ鮭をオーブンモードにセットしたレンジに入れて、その間にポテトサラダの準備を進める。そして、そうしながらも詩織の続く言葉に耳を傾けていた。


 コトン、と湯飲みをリビングテーブルに置いた詩織は、一呼吸間を置いてから語り始める。


「私は、周りと比較してもかなり裕福な家に生まれました。ですが、幸せとはかけ離れていました。父は誰に対しても厳しく、それに耐えかねた母は私が三歳のときに家から出て行ってしまったんです。父はすぐに再婚し、新しい子供も出来ました」


 詩織が太腿の上に置いた両手をギュッと握り込む。


「頑張りました……私、頑張ったんですっ! 幼い頃から勉強も運動も毎日の習い事だって、お父さんに認められる完璧な人間になるために頑張った! けどっ……お父さんは新しいお母さんと子供しか見てない。あの家に、私の居場所なんてなかった……」


「だから、一人暮らし?」


 ジャガイモをボウルの中で潰す手を一度止めた咲哉がそう尋ねると、詩織は無言で首を縦に振った。咲哉はその反応を見てから、再び視線を手元に戻す。


「家から出て行けば、そんなことから解放されると思ってました……でも、完璧であれという小さい頃からの意識は消えなかった。もう誰かに認められる必要もないのに、完璧な私を演じ続けてしまう……疲れちゃいます。ストレスです……」


 だから、と詩織は微かに頬を赤らめながらも、悲し気で、それでいてどこか自嘲的な表情を浮かべながら、そっと右手で制服のスカートを捲り上げ自身の鼠径部に触れる。


「ちょ、おい……!」


 キッチンからチラリと詩織の様子を見た咲哉がその行動に声を上げえると、詩織は少し笑って「冗談ですよ」とスカートを戻す。


「でも、こうしていつからか私は自分自身に羞恥心を与えるようになりました。ストレスから来る、一種の自傷行為です。自分でも馬鹿なことやってるなとは思いますが、羞恥心をもって自分を痛めつけることで、ちょっと落ち着くというか……」


「だから、あの日の放課後……?」


「そういうことです」


「でも何で教室なんかでやってたんだよ。その……誰かに見られる可能性だって普通にあるだろ。現に俺とか……」


「もちろん誰かに見られるかもとは思ってましたよ? だから恥ずかしいんじゃないですか。恥ずかしさが大きい分だけ自分へのダメージになる」


「えっと……無粋ながら一つ聞くけど、別にそういう性癖を持ってるわけじゃ――」


「――殴りますよ」


「す、すみません」


 咲哉は苦笑いを浮かべながらポテトサラダを完成させると、ご飯が炊けるのとホイル焼きが焼き上がるまでの間、自分の分の湯飲みも取り出してリビングソファーに座る詩織の隣に少し間を開けて腰掛けた。そして、一度お茶を口に含んでから言う。


「まぁ実際、学校の皆も詩織のことは完璧な人間だと思ってるし、完璧であることを勝手に期待してるからなぁ。そういう印象がついてしまった以上、詩織自身も無意識の内に完璧じゃなきゃいけないって張り詰めちゃうのかも……」


「それも、あるかもしれませんね」


「けど、俺は別に詩織のこと完璧だなんて思ってないし、まして完璧を求めたりもしてないけどな」


 えっ、と詩織が意外そうに目蓋を上下させる。


「だって、料理出来ないし」


「ぐ……」


「あと、人に弱み握られてるし」


「……」


「それから――」


「――ちょっと! ここは私をどうにか慰める流れではっ!? なのにどうして貴方という人は私の悪いところばかり言うんですか!」


 詩織が拳を握り込んだことで、スカートにくしゃりとシワが寄る。しかし、そんな詩織に対して、咲哉は「別に良いじゃん」と肩を竦めた。


「悪いところがあっても別に良いだろ」


「……はい?」


「お前が子供のときから完璧を意識する癖がついてるから、人前では良いところだけを見せるようにしてしまうのは理解出来る。けど、それは疲れるだろ?」


「えぇ……ええ疲れますよ! でもしょうがないんです! 嫌でも勝手に、無意識に、完璧にふるまう癖がついてるんですから!」


「いや、お前気付いてないのか?」


「……何にですか」


 咲哉は少し呆れたようにため息を吐き、半目で詩織を見詰めながらピッと人差し指を向けた。


「お前、俺の前では一切完璧を演じてないぞ」


「……あ」


「まったく……別に俺には完璧に思われなくて良いってことか? 俺の扱い酷くね……? けど、理由はともかく俺の前じゃ完璧である必要がないんだから、完璧を演じるのに疲れたらまたご飯作ってやるよ……」


 なんか言ってて恥ずかしくなってきた、と咲哉は呟きながら、少し照れ臭そうに頬を赤らめて後ろ首を撫でる。隣でそんな咲哉を見詰めていた詩織は、胸に温かいものを感じていた。そして、身体の奥底から湧き上がってくる何かに耐え切れず、涙という形になって瞳から零れ出る。


「あ、あれっ……わたし……何で……?」


「え、ちょちょちょい!? 何で泣く!? 俺がキモいこと言ってキモすぎたから拒絶反応起きた!?」


 アワアワする咲哉の視線の先で、詩織は次々に溢れ出てくる涙を手で拭っていく。詩織にとって、人前で涙を流すのは初めてのことだった。完璧であるにあたって涙を流すなんてことは許されない。


(なのにっ……まさかこんな人の前で泣くことになるなんて……!)


 屈辱以外の何物でもなかった。一体自分はどれだけ咲哉に弱みを見せれば気が済むのだろうかと。しかし、どこかに弱みを見せることが出来てホッとしている自分がいるのも事実だった。けど、それもなお腹立たしい。


「女子を泣かせるなんて、最低っ……!」


「え、ちょ――」


 詩織は咲哉の左肩に顔を埋めた。こうすれば咲哉に泣き顔を見せることはないし、涙で服を汚してやるという嫌がらせにもなる――と、詩織はそんな建前で自分を言い聞かせながら、唯一自分の弱みを知っていて、それでもなお寄り添ってくれる咲哉の温もりを求めた。


 咲哉は一瞬どうしたらいいものかと慌てたが、詩織が擦り寄せてくる頭に手を置いたら少しだけ落ち着いたような気がしたので、ご飯が炊けるまでの間そうしていた。

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