第08話 完璧美少女と夕食を①
「あ、咲哉君。お昼休みは何だか良い感じに話が締め括られましたけど、まだ私咲哉君が花野井さんにデレデレしていたのを許したわけではありませんから」
学校からの帰り道、ふと詩織が思い出したようにそんなことを言ってくるので、咲哉はビクッと肩を震わせる。
「えっ、そうだったのか!? てっきり俺はあの場で一件落着したものだとばかり……」
私はそんなに甘くはありません、と詩織が鼻先をツンとさせて腕を組む。そして同時に、ぐぅ……とどこか間抜けな音が鳴る。詩織が立ち止まり、咲哉もワンテンポ遅れて立ち止まり振り返る。
妙な沈黙の中、詩織の顔が徐々に赤みを帯びていくのを見て、遂に耐えられなくなった咲哉が「ぷっ」と噴き出した。そして、それが恥ずかしくてたまらない詩織はムッと頬を膨らませて咲哉に人差し指を向ける。
「な、何笑ってるんですかっ! 私だって人間なんですからお腹くらい空きますよ!」
「あはは、そりゃそうだ。ま、帰ったらさっさと夜ご飯食べるんだな」
「言われなくてもそうします――あ、いや、でもカップ麺がもう……レトルトも切らしていた気が……」
詩織が顎に手を当てながらそんなことをボソボソと呟くので、咲哉は耳を疑って怪訝に眉を顰めながら尋ねる。
「えっと……し、詩織さん? さっきから何を言ってらっしゃるので?」
「あっ、えっと……夕食に何を作ろうかなぁ~ってぇ……」
独り言のつもりで呟いた言葉をまさか咲哉に聞かれているとは思っていなかった詩織は、視線を斜め上に逃がす。そして、横に垂れる黒髪を指でクルクルと巻き取りながら歯切れ悪く答えた。
文武両道、才色兼備な完璧美少女である詩織の口からカップ麺やレトルトなどと、まるで自分で料理をすることなど端から考えていないような言葉がポロポロと。咲哉は内心でそれはないだろうと思いつつも、一応聞いてみた。
「……もしかして料理出来ない、とか?」
「……」
(図星だこれぇえええええッ!)
ピタッと身体を硬直させて微動だにしない詩織の様子を見て、そう確信した咲哉。まさか、何でもそつなくこなせる思っていた詩織が料理を出来ないと知って、驚かずにはいられなかった。
「な、何ですか! 私だって出来ないことの一つや二つありますよ! そういう貴方だって料理とか出来ないでしょう!?」
「いや……昼に食べてた弁当、自前なんだが」
「……うそ」
残念ながら本当だ、と咲哉は肩を竦めて答える。すると、詩織は力を失ったかのように身体をよろめかせ、近くにあった電柱に手を付いて支えにする。そして、自嘲気味な笑みを浮かべて呟いた。
「……はは。まさかこの私に、咲哉君より劣る部分があったなんて」
「おい、失礼極まりないな」
咲哉はツッコミを入れつつも、先程詩織が自分のことを許したわけではないと言っていたのを思い出す。なので、咲哉は頬を掻きながら詩織に言った。
「えっと……もしよかったらだけど、お詫びも兼ねて今晩夕食作ろうか?」
「え、貴方が?」
「そ、俺が」
詩織が項垂れていた顔を持ち上げて、何度かパチクリ瞬きをしながら咲哉を見詰める。詩織の脳裏に、真歩が咲哉の弁当の厚焼き玉子を食べていた光景が過る。
(た、確かに咲哉君の料理を他の女の子は食べたことがあるのに、彼女である私が食べたことないというのは癪ですね……)
詩織はコホンと咳払いを挟んで一度髪をサッと払うと、澄まし顔で咲哉の隣に立つ。
「さ、早く行きますよ。案内してください」
「え、どこに?」
「何を言ってるんですか。貴方の家ですよ。私の家に行っても何の食材もありませんから」
「……なるほど」
そうも堂々と何の食材もないと言われると、いっそ清々しいなと思う咲哉であった――――
◇◆◇
方向を変え、しばらく歩いた二人はとある三階建てのアパートにやって来ていた。そこの二〇三号室が咲哉の自宅だ。
「咲哉君も独り暮しなんですね」
お邪魔します、と家に入った詩織が、玄関に他の人の靴がないのを見てそう言う。咲哉はそれに頷いて説明する。
「受験のときに父さんの転勤が決まってな。俺はこの地元に残って、母さんは父さんについていった」
「なるほど」
「ソファーにでも座って適当にくつろいでいてくれ。ちょっと早いけど夕食作るわ」
咲哉はそう言いながら一旦自室に学校の荷物を置き、ブレザーだけ脱いでリビングに戻ってくると、早速キッチンに立つ。
「詩織って特にアレルギーとかないか? あ、好き嫌いは受け付けないぞ」
「アレルギーも好き嫌いもありませんよ」
おっけー、と答えた咲哉は、取り敢えず詩織に何か飲み物を出そうと、電気ケトルで湯を沸かし玄米茶を注ぐ。
「はい、これお茶」
「あ、どうも……」
「……何だよ」
詩織が座るソファーの前にある背の低いリビングテーブルに注いだお茶を置くと、詩織が何か意外そうな視線をジッと向けてくるので、咲哉は少し眉をひそめる。
「いえ、気遣いが出来るんだなぁ、と……」
「出来るわっ! なめてんのか!」
「ふふっ」
ではありがたく、と詩織がお茶をすすり始めたので、咲哉は心の中で一体俺のことを何だと思ってるんだ、と文句を言いながら再びキッチンに戻る。
(さて、何作ろう……)
咲哉の頭の中に、家にある食材が流れていく。
(ご飯炊いて、鮭のホイル焼きとポテトサラダ……とかでいっか)
既にお腹が空いてしまっている詩織のことを考えての、あまり時間が掛からず出来る献立だ。
咲哉は早速調理に取り掛かりながら、ソファーに座っている詩織に少し呆れた口調で言う。
「けど、よく料理も出来ずに独り暮しなんてしようと思ったな」
詩織が湯飲みを唇からゆっくり離す。微かに視線が伏せられ、表情に影が射した。
「……少しでも早く、あんな家から出ていきたかったので」
寂しさや悲しさ、怒り……その他多くの言い表せない複雑な感情が入り交じったような声色で、詩織が答えた。
一瞬咲哉は包丁を動かす手を止めたが、すぐに「そっか」とだけ言って、再び静かな部屋の中にトントントントンと包丁で一定のリズムを刻み始めた。
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