第06話 迫る魔性の手

 忘れ物を取りに帰るという実と別れてからしばらくして、学校に着いた咲哉は下駄箱で靴を履き替えてから本校舎の階段を上り、二階へ。そして、二年一組教室の横開きの扉に手を掛けたとき――――


「えっと、水無瀬って三神と何かあんの……?」


「何かある……とはあまりに抽象的な質問ですけど、まぁ、咲哉君は私の恋人です」


「「「……え?」」」


 ――ガラガラ。扉を開け、何も知らず入ってきた咲哉に教室にいた生徒の視線が集まる。既に登校してきていた詩織の席を囲うようにクラスメイト――中には他のクラスの生徒までもが立っており、それらが皆一斉に咲哉を見ているという状況。登校してきて一番に皆の視線を集めているという謎の状況に戸惑う咲哉。


「えぇっと……これはどういう状況だ?」


 人だかりの中心にその艶やかな黒髪をなびかせて、飄々とした表情で座っている詩織に、咲哉は助けを求めるような視線を向ける。すると、詩織は「さぁ」と興味なさそうに肩を竦めるだけ。


 すると――――


「おい三神どういうことだよ!?」

「水無瀬さんと付き合ってるって本当かっ!?」

「おまっ、いつの間にぃいいいッ!?」

「羨ましすぎるぞおい!」

「まさかあの難攻不落の水無瀬がぁ……っ!!」


「ちょ、痛い痛い痛い! し、詩織どうにかしろ……!」


 鬼気迫る表情で男子生徒に詰め寄られ、おしくらまんじゅう状態で身体中を圧迫される咲哉。そんな助けを求める咲哉に、詩織はチラリと視線を向けて、クスッと笑みを溢した。



◇◆◇



「あぁ……疲れた……」


 クラスメイトに飽き足らず他クラス別学年の生徒らからも詩織との関係について質問攻めにされた咲哉は、昼休み速攻で教室を抜け、人気のない校舎裏の外階段に腰を下ろして弁当を食べていた。


(マジで散々な一日……難攻不落の美少女と付き合うってこういうことなのか……)


 はぁ、と無意識の内にもため息が零れ出る。そんなとき、突然咲哉の背後から声が掛かる。


「本当にしおりんと付き合ってるの~?」


「うわっ!?」


 危うく膝に乗せた弁当を落としそうになりながら慌てて咲哉が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。友好関係の狭い咲哉でも知っている、詩織と並ぶ学校の有名人だ。


 中背痩躯でその白い肌は手入れを欠かしていないのか見ただけでスベスベだとわかる。生まれつき色素が薄いようで、ハーフアップにされた髪は亜麻色、瞳は愛らしさを感じさせる栗色。顔は楚々と整っているもののやや童顔。しかし、そんな顔に見合わず身体の凹凸は実に女性らしく、出ているところは出て、引っ込んでいるところはきちんと引っ込んでいる。


 彼女の名は花野井はなのい真歩まほ――詩織と並んで学校で知らぬものはいない美少女だ。


 同じ二年一組であるが、咲哉の記憶の中では何度か挨拶や短い会話をしたことがあるだけで大した交流はなかった。そんな真歩に突然声を掛けられたら驚くのは当然だろう。


「あははっ、ごめんごめん。ビックリさせちゃったかな?」


「いや、大丈夫」


 正直かなり驚きはしたが、別に追及するようなことではないので咲哉は首を横に振る。すると、真歩は「よかった」と言いながら自然な流れで咲哉の隣に腰掛ける。


(えっ、な、何で座った!? それに何この距離感!?)


 階段の幅はたいして広くはない。二人が並んで座ろうものなら当然互いに密着してしまう。実際咲哉の左肩に真歩の右肩が当たっているし、何なら脚同士も微かに触れ合っている。


 しかし、そんなことを気にする様子もなく、真歩は興味津々と言った笑みを浮かべて咲哉の顔を覗き込む。やたら距離が近いのは陽キャならではなのだろうか。


「それでぇ~? しおりんと付き合ってるって、ホント?」


「ま、まぁ……」


「ふぅん、そうなんだ~。まさかあのしおりんが彼氏作るなんてぇ……」


 咲哉から視線を外して上を見上げた真歩の表情は一切の感情が抜け落ちたかのような真顔だったが、一瞬のことだったので咲哉は気付かなかった。それに、柔軟剤のものか真歩本人のものか判断はつかないが、妙に良い匂いが鼻腔をくすぐってくるので、咲哉はそれどころではなかった。


 しかし、そんな咲哉に追撃を掛けるように真歩が再び咲哉に笑顔を向けて言う。


「ま、三神君カッコいいもんね! しおりんが惚れるのも無理ないか~!」


「いや、別にカッコ良くないから」


「即答っ!?」


 客観的に自分の見た目を評価しても良くて中の上だろうと認識している咲哉は、バッと手で制して否定する。しかし、そんな咲哉の反応がおかしかったのか、真歩はクスクスと口許を萌え袖カーディガンが窺える手で隠しながら笑う。そして、ふと真歩が咲哉の膝の上に置いてある弁当に視線を向けた。


「それにしても、美味しそうなお弁当だね。家の人が?」


「いや、俺一人暮らしだから自分で」


 高校受験のタイミングと父の転勤が重なってしまい、咲哉は一人地元に残ったのだ。初めは母が咲哉を心配して自分も一緒に残ろうとしていたが、咲哉が一人暮らしの経験をしてみたいということで、母は父の転勤についていったのだ。


「えっ、咲哉君お料理できるの!? 凄い……」


「そんなに凄くは……」


「ううん、凄いよ! だって私お料理とかできないからさ~。将来お嫁に行ったら旦那さんに失望されちゃうね、あはは……」


 何で急にそんな話を、と思った咲哉だが、気付けばやたら鼓動が早くなっていた。そして、そんな咲哉に「あっ、でも――」と真歩が自分の頬に人差し指を立てる。


「お料理できる旦那さんを探せば大丈夫だねっ」


「――ッ!?」


 咲哉は自分の顔に熱が溜まるのを感じる。真歩の可愛らしい笑顔から目が離せない。


(こ、コイツ……この話の流れでそれは男子勘違いするぞ!? 俺も勘違いしてますよ今!?)


 そんな咲哉の内心などお構いなしに、真歩が再び弁当に視線を落として「美味しそう……」と呟く。このタイミングでそんなことを言われたら、次に続く言葉は決まっていた。


「えっと、良かったら何か食べてみる……?」


「えっ、良いの!?」


「あ、あぁ」


 やった! と嬉しそうに両手を合わせて小首を傾げながら笑顔の花を咲かせる真歩。咲哉は、コレが数々の男を虜にしてきた笑顔か……と戦慄しながらも、やはり美少女にこんな笑顔を向けられて悪い気分ではなかった。


 しばらく「うぅん……」と唸りながら弁当のおかずを眺めていた真歩が、「コレ!」と指を差す。


「えっと、厚焼き玉子?」


「そう! なんかネギ入ってて凄い!」


「じゃあ、どうぞ」


 咲哉がそう言って弁当を真歩の方に傾けるが、真歩は両手を胸の前辺りに挙げて頬を膨らませる。


「私お箸持ってないよぉ~」


「流石に予備のお箸は持ってないな……爪楊枝もないし」


「え、その手に持ってるじゃん。お箸」


 真歩が視線を向けた先は、咲哉の右手。そこには先程まで咲哉が使っていたお箸が握られている。


「い、いやこれは……」


「ほらほら、早く~」


 ただでさえ動揺している咲哉に向かって、小さな口を開けて目蓋を閉じる真歩。その行動が示すものとは、咲哉に食べさせてもらうということの他にない。咲哉の箸を使うだけに留まらず、咲哉の手から食べさせてもらうとするとは、咲哉も思わず固まってしまった。


 すると、真歩が「あ、もしかして……」と少し寂しそうな表情を浮かべて上目で見詰めてきた。


「私と間接キスになるの、嫌だった……?」


「――ッ!?」


(こ、コイツ俺に彼女がいるってわかっててこれ言ってんだよな!? な、なになにどういうこと!? さ、流石にこれって俺に好意があるよな……?)


 咲哉の脳裏に詩織の姿が浮かび上がる。咲哉と詩織は付き合ってはいるが互いに好意があるワケではない。詩織からすれば咲哉の口封じの他に理由はない。まして、咲哉が好き何てことは、絶対にありえない。


(さ、流石に他の女子と付き合うとかはダメだけど、別にこのくらいなら詩織も気にしないよな……?)


 咲哉はそう納得して、弁当の厚焼き玉子を箸で挟んで取る。


「別に、嫌ではないけど……」


「ホント? 良かったぁ。三神君に嫌だって言われたら、私泣いてたところだよ~」


 そう言って安心したように胸を撫で下ろした真歩が、改めて目蓋を閉じ口を開けてきたので、咲哉は厚焼き玉子を掴んだ箸を真歩の口に持っていき――――


「私というものがありながら一体何をしているんですか、咲哉君?」


 ビクッと肩を震わせて、ギギギ……という効果音が似合いそうな動作でゆっくりと咲哉が振り返った先に、詩織が底冷えするような視線を向けて立っていた。

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