第05話 幼馴染の胸の内
「う、うぅん……」
「やっと目を覚ましましたか」
深いところに沈んでいた咲哉の意識が浮かび上がり、咲哉は薄っすらと目を開ける。すると、真っ先に詩織の綺麗な顔が見えた。そして、徐々に鮮明になっていく意識の中で、自分の頭の下に柔らかな感触を感じる。自分を覗き込むような位置に見える詩織の顔と、頭の下の感触。
それはつまり――と状況を把握した咲哉が詩織に言う。
「……なぜ膝枕?」
「特に理由はありません。恋人ならこれくらいするかなと思いまして」
「なるほど?」
咲哉はゆっくりと上体を持ち上げる。まだ少し顎の辺りが鈍く痛む。そんな咲哉へ、詩織が呆れたような視線を向けた。
「まったく……二人きりのこの状況で、私より睡眠を優先するなんて彼氏失格ですよ」
「睡眠ではなく気絶だ。何ならその原因はお前だし」
「そ、それは貴方が私のことを、え……えっちだなんて言うからっ!」
「誰もお前がエッチだなんて言ってない。お前の格好がエロいなと言っただけだ」
「大して変わらないですから!」
もう、と詩織は腕を組んで頬を膨らませる。しかし、そんな詩織を改めて見てみて、咲哉は服装が変わっていることに気が付いた。
「って、いつの間にか着替えてるし」
咲哉の言葉に、詩織がどこか小馬鹿にするような笑みを浮かべて言った。
「残念でしたね、咲哉君。もし気絶などしていなければ私の着替え姿を見ることができたのに」
「見ることができた……ってお前、まさかこの部屋で!?」
「当然でしょう。私の部屋なんですから」
「お前なぁ、俺が気絶してたからって男がいることに変わりはないんだから……」
「ふん。私からの誘いを受け入れることも出来ないヘタレを警戒する必要なんてないでしょう」
「へ、ヘタレ……」
咲哉としては、詩織のためを思って断ったのだが、それをヘタレと受け取られたのでは悲しい限りだった。そして、ふと咲哉が部屋の時計に視線を向ければすでに午後七時過ぎだった。
「あ、俺そろそろ帰るわ」
「ちょっと待ってください」
咲哉がベッドから腰を上げると、詩織は呼び止めて机の上から自分のスマホを持ってくる。そして、自身の連絡先を画面に映して咲哉に突き出す。
「恋人なんですから、連絡先くらい知っておくべきでしょう」
「まぁ、確かに」
そうして、咲哉と詩織は互いに連絡先を交換した。そして、咲哉はそんな自分のスマホの連絡先の欄を見ながら――――
(家族と幼馴染を除けば、初めての女子の連絡先だ……何かすげぇ)
そして詩織も――――
(家族以外で、初めての男子の連絡先が……)
二人が別れたあとも、互いに互いの連絡先を眺めて不思議な感覚に浸っていた。
◇◆◇
「せーんぱいっ」
後日、朝咲哉がいつも通り家を出て学校に向かって歩いていると、後ろから肩をポンポンと叩かれた。咲哉が振り返ると、そこには一人の少女がニコッと笑っている姿があった。
「ああ、
咲哉とは幼稚園に入る前からの付き合いなのだ。
「もぉう、先輩リアクションうっすいよ!」
「その先輩っていうの止めない? 幼馴染なのにおかしいだろ」
「えぇ、良いじゃん! 先輩って呼ぶの憧れだったんだから叶えてよぉ~」
そう言って実が咲哉の腕に絡みついてくる。その大きな胸の膨らみが咲哉の腕にしっかりと触れるが、小さい頃から妹同然に接してきた存在に興奮する趣味は咲哉になく、平然とスルーしている。
「違和感あるんだよなぁ。妹に『お兄ちゃん』じゃなくて『先輩』って呼ばれてる感覚だぞ?」
「先輩妹いないじゃん……」
「お前は妹だろ。血の繋がらない」
「えぇ、妹かぁ……」
一瞬実が寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに表情を話題を切り替えたので咲哉が気付く間もなかった。
「あっ、そう言えば先輩。友達から聞いたんだけど、昨日水無瀬先輩と仲良さそうに帰ったって本当?」
「嘘だな」
「あはは、だよねぇ~! 先輩があの水無瀬先輩と一緒に帰っただなんて――」
「――仲良くは帰ってない」
「え……? か、帰るには帰ったの!?」
咲哉はコクリと首を縦に振る。すると、咲哉の腕を掴む実の手に自然と力が籠った。実は驚き顔のまま咲哉を問い詰める。
「な、何で!? 水無瀬先輩が誰かと一緒に――ましてや男子と一緒に帰るなんてありえないよ。なのに何で先輩と一緒に!?」
「何でって言われてもな……」
別に咲哉と詩織が付き合っていることは隠さなければならないことではない。それは、昨晩家に帰ったあと、咲哉は詩織とメッセージをやり取りして確認してある。しかし、かといって自分から広めていくつもりもない。
咲哉が反応に困っていると、実が冗談笑いのようなどこか乾いた笑みを浮かべながら咲哉に尋ねた。
「ま、まさか水無瀬先輩と付き合い始めた……とかじゃないよね?」
「えっ? あ、えぇっと……」
咲哉が一度実に詩織に顔を向けたあと、すぐに右へ左へ視線を泳がせる。その反応に、実は一度大きく瞳を開くと、そのまま力を失ったように咲哉の腕を掴む手を緩めた。
「そっか……」
「お、おい実?」
「あっ、何でもないよ? あはは」
咲哉が心配そうな視線を向けてきたので、実はすぐに笑顔を取り戻す。
「でもそっかぁ~、まさか先輩に彼女が出来る日が来るなんてねぇ。それも、あの難攻不落の水無瀬先輩。めでたいめでたい~」
「めでたいかどうかはともかく……まぁ、そういうことだ。彼女は出来た。実感はないけど」
付き合うことになった理由が理由だ。咲哉が曖昧な笑みを浮かべると、実がスッと咲哉の腕から手を放し、一歩距離を置いて横に並んだ。
「ん、実?」
「彼女持ちの男にくっつく度胸は持ってないよぉ~」
「別にアイツ気にしないと思うぞ」
咲哉からしたら実は妹のような存在。世の彼女だって彼氏が妹と一緒にいてもそこまで気にしないだろう。ましてや、咲哉と詩織は互いに好意があって付き合い始めたわけではない。好意すら持っていない相手がどこで誰とどうしてようが、知ったことではないだろう。
(けどまぁ、実に俺と詩織が好意のない恋人関係だなんて言えるわけないしなぁ……)
そんな事情を知らないのであれば、彼女持ちの男子にくっついていくのはよろしくない。実もそのくらいの弁えは持ち合わせている。
「あっ、そう言えば私体操服忘れた!」
「高校生にもなって忘れ物とか、お前なぁ……」
「あはは……先輩先行ってて! 私取りに帰るから!」
「ああ」
そう言って実が来た道を走って引き返していくので、咲哉はそんな実の背中を曲がり角を曲がって見えなくなる辺りまで眺めてから、再び学校に向かって歩き出した。
そして…………
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
曲がり角を曲がったところで立ち止まった実は、壁に手を付いて荒い呼吸を上げていた。
胸が苦しい、痛い。心臓が早く脈打つ。そして、身体の底から悲しみや寂しさ、嫉妬、怒り……様々な負の感情が込み上げてきて、気付けば目から涙が零れ落ちていた。ポタポタと湿る地面。
「……っ!」
実はその場に蹲る。人目があったら一体何事かと誰かが駆け寄ってくるかもしれないが、幸い今は誰もいない。そう、誰も。咲哉もいない。そして今後、咲哉の隣に立つことは、出来ない。
「なんでっ……なんで、私じゃ……っ! 私の方がずっと一緒にいるのにぃ……!」
いつも明るくて人懐っこい、咲哉の妹のような存在。そんな実の胸の内。
(さくやぁ……っ!!)
心の中で呼ぶ恋焦がれる人の名前。しかし、咲哉が返事をすることはなかった――――
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