第04話 口止め料が高すぎる

「では、早速恋人らしいこと、始めましょうか」


「……え?」


 恋人らしいこととは? と咲哉が尋ねるより先に、詩織が突然制服のブレザーを脱いだ。そして、躊躇うことなく襟首にある赤色のネクタイの結び目を緩め、首から外す。続けて流れるような動作で白いカッターシャツのボタンを上から一つ二つと外していく。


 それらがあまりに急で、唐突で、理解不能な光景だったために、咲哉の頭の中が真っ白になる。


 咲哉が愕然と見詰めている先で、詩織はカッターシャツを脱ぎ終える。下には極薄の黒いインナー。そして、それすらも脱ごうと裾を手で持ち上げて胸まで引き上げたところで、淡い水色のブラジャーが見え――――


「――っ!? 馬鹿何やってんだッ!」


「なっ――!?」


 咲哉の停止していた思考が再び回転し始めた瞬間、目の前の状況を理解し、慌てて詩織の両肩を掴む。出来るだけ省エネに行動するのが常である咲哉にしては珍しく、慌てた――というよりかは必死な表情を浮かべていた。


「急にワケわからんこと始めるな!」


「……これも口止め料に含まれています」


「ふざけんなっ! どんな理由でも、好きでもない相手にそんな姿を見せんなっ!」


 咲哉は声を荒らげながら、ベッドの上に放られた詩織のブレザーを取って、詩織の肩に掛ける。いつも上から目線な詩織は、完全に咲哉の気迫に押されており、目を丸くして咲哉の顔を呆然と見詰めていた。


「まったく、高すぎなんだよ口止め料が。これ以上貰ってもお釣りを持ち合わせてないから俺が困る……」


「……三神君」


「はぁ、マジでビックリしたぁ……」


 疲れ切ったように両手で顔を押さえて首を垂れる咲哉。そんな咲哉を隣で見詰めている詩織は、どこか悔しそうな表情を浮かべながらも、自分の心臓が高鳴ってしまっているのを自覚していた。


(せ、折角私がここまでしてあげたのに、断るどころか説教してくるなんて最低っ。で、でも、私が相手で不満なわけないでしょうし……ということはやっぱり本気で私のことを思ってくれたということ、でしょうか……?)


「……何だよ」


 詩織がジッと見詰めてきていたので、咲哉が怪訝な視線を向ける。詩織は今のこともあってかボッと顔を赤くしてそっぽを向く。


「べ、別に。ただ、貴方は損な生き方をしているなと思っただけです。折角私で童貞を捨てることができるチャンスだったのに。こんなチャンスもう来ませんよ」


「うっせ、俺が童貞であること前提で話すな。あと、勝手に今後チャンスが来ないって断言するな」


「……ふふっ、こんなチャンスをみすみす捨てるような人に、もう希望は残されてませんよ」


「……」


「……どうしました?」


 急に咲哉がポカンとした顔を向けてきたので、詩織は首を傾げる。


「……いや、お前ってそんな笑い方するんだなって思って……」


「は、はぁっ!? な、何ですか急に!」


 詩織は顔を真っ赤に紅潮させて、肩に掛けられたブレザーを引っ張り身体の前面に引き寄せる。詩織のその反応に、咲哉も流石に今の発言は身持ち悪かったかなと思い、「いや悪い」と頭を掻きながら謝る。


「でも、水無瀬ってその……学校で笑ってるとこ見たことないしさ。いつもクールって言うかドライって言うか……」


「だ、だから何だと言うんですか」


「いや、特に何ってわけでもないけど……ただ、ゴメンちょっとキモいこと言っていい?」


 咲哉が念のためにそう尋ねると、詩織は一度その整った眉をピクリと吊り上げて咲哉の真意を探るように見詰め、ゆっくり首を縦に振った。承諾を得たということで咲哉が少し照れ臭そうに「なら遠慮なく――」と口を開いた。


「学校の誰も知らないお前のそういう一面を俺だけが知ってると思うと……ちょっと嬉しいって言うか、優越感あるな。な、なぁんて、あはは……」


「――ッ!?」


 咲哉が照れ隠しな笑みを浮かべる先で、詩織の心臓が一際大きく跳ね上がった。真っ赤に染まり上がった顔に熱が溜まっていくのを感じる。徐々に徐々に鼓動が加速していくのを感じる。身体が熱い。視界がグルグル回る。


(な、な、ななな何言って……!? というか私っ、何ドキドキして……!?)


 濃紺のブレザーを掴む詩織の手に力が籠り、しわが寄る。何か文句でも言ってやろうと口を動かそうとするが、パクパク開閉させるだけで言葉が喉でつっかえるのみ。


 そんな詩織の様子に違和感を覚え、咲哉が「お、おい……」と心配そうな声を上げ、詩織の顔を覗き込もうとすると――――


「……詩織」


「え、何て?」


 咲哉が聞き返すと、詩織が顔を上げた。互いに吐息を感じられる至近距離。詩織は不満と恥じらいを交えたような、赤みの残る顔で呟く。


「その、お前って呼ぶのやめてください……」


「え、あ、すまん。水無瀬?」


「名字も嫌です。あまり好きな名字でもありませんし……恋人らしくもないでしょう」


「えっと……」


 咲哉は唐突のことで、やや困惑しながら頬を掻く。そして、身体の奥底から湧き上がってくるむず痒さを、思春期真っ盛りの中学生じゃあるまいしと押し殺し、咳払い一つ挟んで口を開く。


「し、詩織……」


「何だか気恥ずかしさを拭いきれていない感が否めませんが、まぁ良いでしょう」


「相変わらず上から目線なのな……」


「だって、あらゆる面で私の方が勝っているではありませんか」


「まぁ、そりゃそうだが」


「……」


「……」


「……何ですか?」


 沈黙の中、咲哉がジッと見詰めてくるのを不可解に思った詩織が首を傾げる。すると、咲哉は顎を手で撫でながら美術品を眺める芸術家のような表情を浮かべて言った。


「いや、こうして冷静に見てみると何かエロいなと思って……」


「~~っ!?」


 先程詩織がインナーまで脱ごうとしたのを咲哉が止めたため、下着が丸見えという状況ではない。しかし、薄手のインナーは詩織のボディーラインをありありと映し出し、またそれを詩織が隠そうとしてブレザーを引き寄せている。


「いや、俺は常々思うんだよ。世の男子の大半は女子の下着姿や何なら裸に興味深々だが、そうじゃないだろと。直接見えていないからこそ、その下はどうなっているのかと想像し、そこにロマンが――」


「――いつまで見てるんですかッ!」


「ぐはっ……!?」


 平手打ちなどという甘いものではなかった。詩織の右アッパーが咲哉の顎を捉え、ドガッと言う重たい衝撃が咲哉の脳を揺らす。そのまま咲哉の視界が明滅。意識は深いところへと沈んでいった。


「まったく、思うだけならともかくそれを直接本人の前で言いますかっ! とんだ変態がいたものですっ!」


 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く詩織。しかし、しばらく経っても咲哉が起き上がらないので横目を向けて「ちょっと、いつまで私のベッドに横たわってる気ですか」と声を掛けるが、やはりピクリとも動かない。


「え、ちょ……そういうのやめてくださいよ」


 咲哉が自分を不安にさせるために沈んだ演技をしているのだと思った詩織だが、身体を揺さぶっても一向に起きる気配がない。気絶している。


(た、確かにさっきの一撃はなかなかに手応えがありましたけど……)


 まさか気絶するとは……と、ため息を吐く詩織。


(でも、このままにしておくわけにもいきませんし……)


 再びため息。そして、詩織はベッドから腰を上げると、自室のクローゼットに向かい、私服を取り出す。


「ふふっ、咲哉君残念ですね~。気絶していなければ私の着替えを見られたのに」


 そんなことを言ってどこか可笑しそうにわかった詩織が、咲哉の意識がないのをいいことにそそくさと着替え始める。薄手のインナーにゆったりとしたニットのトップス、下はショートパンツ。ちょっとお洒落な初秋の部屋着と言った感じ。


「まったく……いつまで寝ているつもりですか?」


 詩織は未だ横たわったままになっている咲哉の隣に腰掛けると、その横顔に人差し指を押し当てる。


 詩織の脳裏に過る咲哉の言葉。


『学校の誰も知らないお前のそういった一面を俺だけが知ってると思うと……ちょっと嬉しいって言うか、優越感あるな』


(……君は私に興味があるのかないのか、どっちなんですか。もぅ……)


 自分が恋人になっても特に嬉しそうにせず、身体を差し出そうとしても拒み、まるで自分に対する興味が感じられない。これまで人に興味を持たれなかったことがない詩織にとって、咲哉の反応は新鮮だ。しかし、興味がないのかと思えば、普段見せない自分の一面を知られて嬉しいなどと言う。


「……まぁ、興味がないなんて言わせませんけど」


 どこか不満げにそう呟いた詩織は、咲哉の頭を自身の太腿の上に持ってくる。咲哉の柔らかい焦げ茶の髪の感触が肌をくすぐった――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る