第2話:ご近所さんの気になる反応

「ノボル、待たせたわね」


「財布とスマホの用意はできた。早速だが家を出発するぞ」


 ノボルが両親の声を聞くと、二人の愉快そうな表情の顔を交互に見比べつつこう訊く。


「ここから焼き肉店がある場所まで一体どうやって行くつもりなんだ? まさか白昼堂々、外の道端に牛を連れ出して歩いてゆくわけじゃないだろうな」


「近所の店にあの牛を調理してくれるところがなかった。だが、ある片田舎の方に、地元から連れてきた牛の調理を許可してくれたりしそうな焼き肉店が一軒だけあった。そこまで三時間ほど一家が車で移動しなければならない」


「ところで俺がその牛の名前を牛子って決めたんだけど、どう母さん?」


「素敵な名前ね。きっと名付けてもらえた牛子の方も喜んでるわよ」


「ノボル、杭に結び着けた縄を解いてから、こちらに牛子を引いて連れてきてくれ」


「分かった、父さん。それじゃあ牛子をベランダの方から連れ出してくるよ」というノボルが、ベランダのドアを開けると外に歩み出してくる。


 よく晴れた天気の白い光の中に、真っ黒な牛のコントラストは異質さでよく目立った。


 ノボルが牛子の表情を見ると、少しだけ心配そうな表情の変化の違いが分かる気もして、少しだけ心を痛む。


「これから一緒に行こうな、牛子」


 ン~モォ~モ~ゥ。


 それから井口一家が、家の玄関を外に向かい出発していく。


 彼らの住むマンションの家の高さが十階である。従って、一行はエレベーターの中に乗り込まなければならない。幸い、ゆとりの広さがあるエレベーターの空間で、三人家族と大きな牛一匹が、ギリギリ全て敷き詰めて入れるくらいのものだろう。


 誰かにボタンを押されてノボルがエレベーターの部屋を下降途中の階に止められたり人と鉢合わせたりなどをしないようにと祈り出す。ノボルで現在位置のエレベーターの階の居場所がどこか分かるようなパネルを一階ずつエレベーターが下りていくところを見ると緊張が高まり出す。


 そして、井口一家がエレベーターの一階を降りてくるところに、別の家族の人々はちょうど待っていた。しかもこちらと近所付き合いが盛んな同じ十階のお隣さんの世帯だった。相手はこちらの牛の姿に視線を奪われて、口をあんぐりと開けてまじまじと見詰め出していた。


「わー、おっきいお牛さんだー」といって相手の家族連れの五歳児の女の子がこちらの牛を指差した。


「こんにちは。今日はどちらへお出かけに?」


「こんにちは。これから焼き肉店へ行こうと思っております」


「そ、そうですか、……ど、どうぞ行ってらっしゃい」


 その後、一階の駐車場のところを、ノボルとその両親が入るときまで、井口一家は二組のマンションの世帯の知り合いの家族と牛付きで鉢合わせており、その都度にどこか気まずい思いを巡らせてしまうのだ。


「まあ、何事も起こって良しってことだ。しっかり気を取り直そう」といって父親のセトシが一家を元気づけようと励ましてくれた。


「分かった父さん。こんな特別な誕生日、普通はなかなか体験できないよ」


「そうね。今日は素敵なノボルの誕生日にしましょうね」といって母親のタエコも同調して励ましてくれた。


 ン~モォ~ン~モォ~。


 牛子も自らに訪れた運命を知らずに、鳴き声を上げて反応し出した。


 牛子を連れる井口一家が、自家用車の停車してあるところを到達している。


 マンションの共同駐車場でノボルの一家がミニバンの自家用車を見据えている。その車の中を、前方の左右座席に両親、二列目の左座席をノボルが座っている。その後ろを空いた車内のスペースに牛子を座らせた。どこか田舎の焼き肉店を車が到着するまで車内の後方のスペースばかりだと牛子が窮屈を避けられなかった。全部のドアを閉めると、牧場の香りが車内を漂ってきた。後の両親の話にしたら、牛子が出身の牧場を離れてまだ数日しか経っていないためだった。


「それでは、一家出発!」


 ン~モォ~モォ~モ~ゥ。


 牛子の鳴き声を重ねて、井口家が元気よくマンション敷地を外に向けて乗用車を発進させていく。黒毛和牛の体重で、ミニバンがずっしり重くなっている。牛子の鼻息がノボルの右肩をふんわり掛かってきた。

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