最後の声
帆尊歩
第1話 最後の声
「今年最後の声を覚えておこうよ」と美幸が言った。
今日は十二月三十一日大晦日だ。
すでに午後十時を回っている。
「どういうこと?」と明が美幸のお金で買って来た、おせちのつもりの、伊達巻とかまぼことハムを切りながら答えた。
さっきまで、モコモコスエットでこたつの一部と化していた美幸が明の方を見ている。
「いつまでも寄生していないでしょう。来年は就職するだろうし」
「いや、寄生って。確かに家賃は出していないし、生活費だって出してもらっているし、今着ているパンツや靴下だって、美幸に買ってもらった物だけれどさ。
せめて、パラサイトって言ってよ」
「イヤ一緒でしょう。日本語を英語にしただけでしょう」
「そうだけど」
「今の関係はもう終わると思うのよね。明だって来年には就職するだろうし。
そうすれば家賃も、生活費も折半だし、その先のことだって」
「その先って?」
「その先は・・・・。その先よ」
「分かった、出来るだけ早く、美幸のパラサイトから卒業して美幸から捨てられないように、この状況からの脱却と戒めをもって、今年最後の声を、永遠に心に刻み込もう」
そんな明を美幸は蔑んだように見つめる。
「何だよ、せっかくその気になって盛り上がっているのに、水をさすなよ。そもそも美幸から言い出したんだろう」
「イヤ、なんか変な盛り上がり方をしているから」
明はあまりのブラック感に堪えられなくなり、入社半年で会社を辞めていた。
それまで結婚を前提として、大学からの同棲相手、美幸と全て折半にしていたが、失業したため全てが美幸の肩にのしかかった。
入社一年目の安月給で男一人養っている。
早いとこ明が就職しないと、この部屋だって出て行かざるをえない。
それが分かっているから明は家事全般を引き受けている。
とはいえ、会社を辞める直前の明は最悪の状態で、美幸は明の事が心配で仕方なかった。
美幸も似たようなブラック企業なので、気持ちは痛いほど分かる。
だから辞めたときは、良かったという気持ちの方が強かった。
年末恒例の歌番組が終わった。
今年も後十五分だ。
美幸はテレビのリモコンでテレビを消した。
そしてモコモコのスエット姿でこたつの外で正座をする。
「えっ、なに?」重箱がないので、プラスチックの入れ物にいれた伊達巻とかまぼこを、こたつの上に置こうとしていた明が美幸を見る。
「年末の儀式だよ。ほら、座って」
「えっ、ああ、はい」
「明、今年一年お世話をしました」
「いや、そういう場合はお世話になりました、だろ」
「あたし、明のお世話になりましたか?」
「えっ、いや、朝ご飯の用意とか。洗濯とか」
「そのご飯の食材のお金は誰が出しましたか?洗濯機は誰が買った?」
「はい、申し訳ありません」
「分かればよろしい」
「今年一年お世話になりました。でもいくらインセンティブが入るとは言え、二人分の生活費は大変だと思う」
「イヤイヤ、一年目のインセンティブなんてないから」
「そうか、なら、尚更ごめん。でも美幸に使わせたお金は返すようにするから」
「明がしてくれた、家事の対価は?」
「それは、利息として取っておいてください」
「利息が付くんだ。でも無理しなくていいよ、うちも大概ブラックだから、明の状態はよく分かる。実は、何かが起こる前で良かったと思っている」
「ありがとう」
「あっ五十九分だ。行くよ、最後の声」
「ああ。」
「明、来年は一緒に旅行に行ったりしようね。あたしさ、仕合わせになりたいと思っていたけれど、昨日、明が会社まで迎えに来てくれて分かったんだ。仕合わせって、人と人が合わさることなんだって、仕合わせはすぐ横にあったんだって、もうあたしは仕合わせだったんだよ。ありがとう。愛しているよ」
「俺も、いろいろ迷惑かけたけど、俺も美幸のことを大事にする。愛しているよ」
そして沈黙。
部屋の時計が十二時になった。
「美幸。明けましておめでとう」美幸は何も言わない。
少しの沈黙のあと、美幸が自分のスマホを持ち上げて画面をだした。
そして明の方に向ける。
十一時、五十九分。
そして日付が変った。
「明、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言って美幸は深々と頭を下げた。
「えっ、どういうこと」
「やーい、ひっかかった。新年は今でした。あたしの最後の声は、ありがとう、愛しているよ。だけど、明の最後の声は、明けましておめでとう。フライング、ブー」
「えっ、なんで」
「時計をずらしておきました」
「なんで」
「将来子供に、一年の最後の声は、ママはありがとう愛しているよ。って言ったのに、パパは、明けましておめでとうって言ったんだよって。
これからパパのことは、フライングパパって呼びなさいって言うため」
「何だよそれ、だましたのか」
「えーい。馬鹿、馬鹿」
「えっ、でも結婚してくれるの。こんな失業男なのに」
「ちゃんと就職してくれなきゃ、だめだよ」
「もちろんだよ、こういうの仕合わせっていうのかな」
「そうだよ、そこら辺に転がっているものなんだよ」
今年はなんか、いいことがあるかもしれないと二人は思った。
最後の声 帆尊歩 @hosonayumu
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