第17話 霧雨十文字

 ─ラビリンス第二界層『冷たい谷』悪魔城 最上階 大聖堂 黒狐の師団




 界層主・幻魔氷皇ニュークスワルツとの戦闘を開始した『黒狐の師団』の状況は、苛烈そのものだった。

 シャルル達と別れた後、幻魔氷皇に対して突進した黒狐の師団だったが、二本の特大剣を持ったボスエネミーもレーゼー達に向かって距離を詰め、右手に持った冷気を宿している特大剣で斬りかかった。

「ケン」

「おうよ!」

 レーゼーと大斧を持った男は走りながら短く言葉を交わすと、男はその特大剣を大斧でもって受けとめた。ギリギリギリと鍔迫り合いをしたがお互いに飛んで距離を取り、黒狐の師団は陣形を敷いた。


「『アンチマジックフィールド!』」

 ピンク髪のサーシャは右手に携えている鈴の付いた杖で床を二度叩いた。杖がシャンシャンと音を立てるとその杖の先から天井に向かって光が伸び、黒狐の師団を包むように分裂した。

 不運か、あるいは運命か。

 幻魔氷皇は霧のように消えると、サーシャの後ろへ光と共に現れた。

「っ─『明鏡糸翠めいきょうしすいッ!』」

 その様子をいち早く発見したレーゼーは、右手の指を広げてサーシャに向けて腕を振った。月光を受けて輝く糸が縦に横に一瞬にして紡がれてゆく。そして人ひとりほどの大きさになると鏡のように幻魔氷皇の姿を映しながら壁となった。それが完成した瞬間に、闇を宿した特大剣が壁に突き刺さりながらそのままサーシャの背中を突いた。


「ぐっはっ…がはぁっ!!」

 サーシャは身体をくの字に曲げて吹き飛んだ。あまりの衝撃に口からは腹に石でも詰まったような微かな声と、吐瀉物としゃぶつに加えて血が混じった液体を吐き出した。

「転移の、…!」

 レーゼーは歯ぎしりした。

 サーシャを庇うように大斧の男は立ち、黒狐の師団の僧侶の女が彼女に寄り添った。


 奇跡とは、魔法とは似て非なるものだ。使い手が祈ることでその者が信仰している神やモノから『祝福』が与えられ、その力を行使することが出来る。

 レーゼーたちは自分たちの周りに魔法の威力を軽減させる、あるいは転移魔法などは使用することが出来なくなるフィールドを展開した。幻魔氷皇の理不尽な魔法を防ごうとしたのだ。しかし、それは上記のように奇跡によって行われたため失敗したのだ。


(こやつは奇跡まで使うのか。確かに第二界層は教会があったりここは聖堂のようになっておるが、奇跡を使うなんて聞いておらんぞ)

 レーゼーはそう思いながら左手の手首をクルクルと回して『糸』を束ねていた。このあいだにも、ケンと呼ばれた大斧を持つ男が幻魔氷皇に斬りかかっている。


「くたばれぇぇえっっ!!!」

 ケンは大斧に紅蓮の炎を宿らせて幻魔氷皇の脳天をかち割るように飛びかかった。

 幻魔氷皇は右手の冷気を宿した特大剣を一振りした。急に男に向かって吹雪が吹き、炎はかき消された。そして斧が特大剣の刃に触れる前に、吹雪によって身体が吹き飛ばされてしまった。

「くそぉ…!」

 ケンはなんとか着地すると悪態をついた。モロに吹雪を食らった足の部分がまるで凍りついているようだ。

「あれは、【執行の永久吹雪エターナル・ブリザード】…!?あんなものまで使えるとは」

 サーシャを治療していた僧侶が驚いた。


「…そろそろおいたが過ぎるようじゃの」

 レーゼーは両手を合わせ、複雑に指を動かした。

「『鋼糸─覆網アンブラネット』」

 レーゼーが唱えると幻魔氷皇の頭に銀色に輝く網のようなものが現れた。そしてそれはぱっくりと広がって幻魔氷皇を包んだ。網は硬く、例え界層主であろうとも簡単に振りほどくことは出来ないようだ。レーゼーが力を込めた表情で手を少しずつ閉じていくと、その網も徐々に狭まっていく。

「さあ、そのまま死ぬがよい…」

 レーゼーは冷や汗をかきながらようやく口元に余裕を感じさせた。




 ─ラビリンス第二界層『冷たい谷』悪魔城 最上階 大聖堂 シャルル隊


 黒狐の師団が界層主と戦っている横で、シャルルとミコも剣を抜いていた。2人の前には【冷たい谷の武人】という元冒険者が正気を失って刀を構えている。


「………」

「………」


 シャルルとミコは一瞬目配せした。

「『砂漠の鷹デザート・ホーク!』」

 最初に仕掛けたのはシャルルだった。シャムシールから砂の刃が放たれる。ミコも走って距離を詰め出した。

 冷たい谷の武人に対して放たれた刃は、真っ直ぐ飛んでいる。それに合わせるように武人は刀を煌めかせて一瞬のうちに斜めに切り上げた。砂の刃は儚く消えてしまったようだった。

「!」

 シャルルが驚く間もなく、ミコが剣を伴って突撃していった。


「『霧雨一文字!』」

 ミコは弱い風を吹かせながら十分な体勢ではない武人に対して剣を振り下ろす。武人は苦しい体勢ながらもそれを受けとめ、弾き返した。そして武人の50歳は超えていそうなシワの多い顔が変化を見せ、口を開いた。

「霧雨流…それを受けるのは久しいな」


(なんだよこいつ、実は大丈夫なんじゃないのか?)

 シャルルが驚愕していると、武人は更に言葉を続けた。しかしそれは単なるお喋りではなかった。

「『孤影こかげ流───天山』」

「!」

 武人は目を瞑り、倒れ込むように一気に距離を詰めながらミコ目掛けて突きを放った。その軌道はまるでアッパーカットのようだ。低い体勢から突き上げるその様は、天を衝く山嶺のようである。

 ミコはそれに、なんとか剣をあててその軌道をズラす。ちょうど脇腹のアーマープレートがあるあたりを刀は掠めた。ミコがそこを見るとスプーンで削り取られたような半円の跡が残っている。衝撃波かなにかよるものだろうか、彼女の腕に鮮血が染み、傷ついていた。同時に、金属が割れてカーペットへと落ちる音が響いた。ここまで戦ってきていた武器は本来の代替品である首狩り族のものなのだ。質が悪い。名だたる冒険者である武人の攻撃を止めるには荷が重かった。


「『岩石砲!』」

 シャルルは咄嗟に魔法を唱えた。ミコがどうやら無事ではあるようだが、追撃をさせないためだった。

 大きな岩が真っ直ぐ飛んでゆく。武人は紫に光る目を見開いた。

「かああっっ!!!」

 ズバン!と音を立てて岩は真っ二つになった。そして切られた岩は武人の後ろへと落ちていく。


 彼らは、一度お互いに距離を取った。武人は刃についた岩のクズをまるで血を振り払うように落とすと、また最初の構えへと戻った。

「ミコ!大丈夫か?ルリ、ミコの具合は?」

 シャルルは武人から一瞬だけ目を離して後ろをみた。

 ルリは片膝をつくミコの傍で回復魔法を掛けていた。

「恐らく、肋骨のどこかにヒビが…いや、折れてるかもしれないの」


「ウチは、大丈夫です…次でなんとかしてみせます」

 ミコは折れた剣を地面に突き立てながら立ち上がった。シャルルの目から見る限り、彼女は呼吸は浅く乱れている。シャルルの目に映るUIでもHPは残り4割もなかった。

「ミコ、無茶はしないで!ミコはわたしに言ってくれたよね?!生命を投げ出すなって。わたしにとっても同じだよ!それに、武器が…」

 シャルルはミコの肩を掴んで言った。普段であれば照れくさくて言えないような台詞すらも言っている。


 ミコは、黙ってシャルルの置いた手に自分の手を重ねてその手を下へと降ろすと、近くの壁に置かれている甲冑の置物から直剣を引き抜いた。均整の取れた細身の刀身が、月明かりに輝く。そしてそれを斜め下に一振りし、彼女は口を開いた。いつものちょっと抜けている姿からは想像も出来ないほどしっかりしている顔だった。

「大丈夫です。絶対に、死にはしません」


「ああ、もう!しょうがないの!」

 その会話を眺めていたルリは懐から瓶に入った青い液体を取り出し、ミコの患部へと掛けた。

「ローポーションよ。これでも高級品なんだからちゃんとあいつを倒すの」


 シャルルの目のUIでは、ミコのHPが徐々に回復していってるのが見えた。

「ありがとうございます、ルリさん」

 ミコはそう言うと、身体を半身に構え、直剣の持つ両の手をちょうど顔の前に置き、剣先を武人に向けた。対する武人も、頷いて構え直した。


 シャルルはその様子を見て推測した。どうやら、好敵手に対しては敬意を払うようだ。彼は決してミコが新たな武器を用意するまで、そして治療が終わるまで手を出さなかった。彼なりの決闘のポリシーなのだろう。

 結局シャルルはこの決闘を見守ることにした。もちろんミコが戦闘不能になればまた介入するつもりではある。


 今度の戦いはミコの方から仕掛けた。流れるように連撃、それを弾きながら時折武人も仕掛ける。ミコはそれを上手くいなしていた。新たな武器はどうやらミコの手に順応していたようだ。あの細身の剣は軽くミコの武器を振る速度に着いていけるようだ。

「『霧雨一文字!』」

 ミコは今度は真横に剣を振った。新たな武器によってその速度は更に高まり、白い残像を伴っていた。だが、それすらも武人は弾いて見せた。そして大きく腰を落として身体をねじる。そこにミコは一太刀を与えた。が、どうやらそれは浅かったようで血も噴き出すことはなく、武人の動きに迷いが生じることも無かった。

「『孤影流─彩雲』」

 下半身の捻りを生かした左右二連続の切り上げだった。ミコは動じず剣を微動だにせず相手の刀が当たるポイントに刀身を置き、弾いていた。

「ぬうっ…『孤影流─景雲ッ』」

 武人は狼狽した姿を見せた。しかし、更なる連撃を加えてきた。先程の左右に切り上げる連撃を今度は5回、さらに速度を増しながら斬る範囲は広く、ほとんど半円を描いている。最後の攻撃は少し飛び上がって己の全体重を掛けながら振り下ろすものだった。


「ぐぅぅううう!」

 ミコは背中が曲がりそのまま後ろへ倒れ込んでしまいそうな重い攻撃を何秒か耐え、武人の腹のあたりになんとか蹴りを入れてそれを解いた。

 武人は地に膝を着いているミコに対して下段の突きを放った。しかし、ミコは飛び跳ねてそれを交わしつつ、武人の脳天目掛けて直剣を振り下ろした。

「『霧雨一文字!』」

 その一撃はいなされたものの、武人の傍に着地すると今度は─

「『霧雨流─木枯らし!』」

 渦を巻く風を纏いながら回転斬りを放った。


 その攻撃に対しては弾く余裕がなかったようで、武人は後ろへとステップした。ミコはそれを狙っていた。

「『霧雨流─炎風突きっ!』」

 ミコはそのまま勢いを付けて突きを放ったのだ。

(あれは!)

 とシャルルは思った。ゲイル・ドゴールを殺したあの夜にゴブリンキングを倒すのに使った技だ。


 ミコの放った一撃は、刀身に僅かな焔を纏わせながら、武人の心臓へと狙い澄まされた。それすらも、武人は意地でそれを弾いてずらした。だが、ずらすのに余裕がなかったようで左肩のあたりに突き刺さり、青装束に急速に血が染み出していった。

 しかしなおもミコは攻撃を止めない。剣を真横に構え、白い残像を帯びながら斬った。武人にはそれを止めることは出来ず、弾くことは出来たが同時に右手に持つ刀を落としてしまった。そこからである。


「『霧雨─十文字!!』」


 ミコの放った攻撃は、二段構えだった。武人が刀を落とした時には既に次の一撃を加えようと振りかぶっていたのである。そしてその一撃は、武人の反応により致命傷に至らせることは出来なかったものの、その左腕を斬り落としたのだった。


「うぐっ…」


 だが、武人が左腕のあたりから血を噴き出す横で、先に倒れたのはミコだった。

 武人は、刀を落としたものの、次の一撃が来るのと同時に左の腰に携えていた鞘を居合切りのように振り上げたのだ。そしてそれはミコですら気づかない速さで顎のあたりを叩き、彼女を戦闘不能とさせた。


「『孤影流抜刀術─秋水』」


「ミコ!」

 ルリとシャルルは倒れ込んでいる仲間の元へと駆け寄った。ちょうど武人は落とした刀を拾いに彼らから離れている。

「ミコの状態はどう?」

 シャルルはルリに詰問した。2人はミコを更に遠くの方まで運んでいた。

「た、多分気絶してる…息はあるし、けど脳に衝撃がいったからしばらくは絶対に安静にさせないとダメ…他の傷は、今は分からない。全身がボロボロだけど、でも今すぐ生命に関わるものではないの」

 ルリはミコの全身を触って脈や呼吸音なども確かめながら言った。

 ルリの見立てではミコは死んでいない。だが脳震盪を起こしているだろうという診断だった。

 シャルルも、その目に映るUIでパーティメンバーであるミコが死んでいないということはわかっていた。HPバーが限りなく短いものの、少しだけその緑色が見えるのだ。


「…決着を付けないといけない」

 シャルルは静かに言った。彼女はシャムシールを抜いて覚悟を決めた。どうせ、ミコがやられたら戦うつもりだったのだ。

「…ルリは止めはしないの」


 悪魔城最上階であるこの大聖堂に、月明かりが多く差し込んでくる。

 シャルルはシャムシールを刀身を月光に輝かせ、武人の元へと向かった。既に彼は刀を拾いあげ、服の一部を右腕と口を使って止血するよう縛っていた。

「………」

「……参る」

 シャルルは武人の前までいくと、構えて口を開いた。武人は刀を鞘に収め、居合の体勢でいる。


(ミコの戦いを見て、どの程度の速度感か分かったつもりでいるが、さて)

 シャルルはじりじりと距離を詰めた。武人の居合を先に打たせ、その隙を狙って攻撃しようという算段だったのだ。

「『孤影流───紫電』」

 冷たい谷の武人は、一歩踏み出して目にも止まらぬ速さで居合切りを放った。

「!」

(どんなに集中してもギリギリ目に追えるか追えないかって感じだ…!だが…)

 シャルルは切り上げる刀をシャムシールでどうにかいなすと、カウンターを放とうとした。しかし─

「返しがあるのかッ!」

 シャルルは想定外のそれをなんとか身体に当てないようシャムシールを受け流してから思わず呟いた。

 武人の技である孤影流、そのうちの『紫電』という技は一度切り上げそして間髪を入れず切り下ろす技だった。


 そこからはシャルルはカウンターどころではなかった。武人はまたしても刀を鞘に収め、居合切りの構えをしたのである。武人の居合切りの構えは、後の先を取ることに特化したものだった。そしてその抜刀術は二連撃であるため後隙がなく、攻撃を行うことが極めて困難だった。


(純粋なスピード勝負には勝てない、魔法のような小細工は効かない、考えろ、考えるんだよシャルル!)

 シャルルは汗をかきながら必死に自分に向かって訴えた。

 結局、シャルルは考えながら居合切りを受け続けることとして茶を濁した。だが、一見この無意味とも思える時間を過ごして焦りを見せたのは冷たい谷の武人だった。

 武人は毎度毎度集中して居合切りを放っている。だが、その度に攻撃はかわされる、いや、受け流されているのだ。

 シャルルも少し経つと同じことを気付いた。

(武人もミコとの戦闘で負傷している。とはいえここまで当たらないものか…?そうか─)


「ッ!」

 シャルルのもとに、今度は突きが飛んできたのである。シャルルはシャムシールを使ってそれを上へと力を受け流した。それを受けて、シャルルの推測は確信へと変わった。


「決着をつけよう」

「………」

 シャルルは一度シャムシールを構え直した。まさか、こういう理由で決着になるとは思ってはいなかった。

「『孤影流────雷電』」

 武人は刀を抜く瞬間に一瞬刃を煌めかせると、稲妻の如き速さで居合切りをした。刀は抜刀時に生じた電磁パルスがピリピリと纏っている。シャルルは切り上げられる瞬間に前へ進みながらシャムシールを上へと動かした。刀にシャムシールがぶつかる。

 それはただの直剣などのようにそのまま弾かれるのではなく、刃に刃が乗ってそのままつるつると刃先の方へ滑っていく。更にシャルルがシャムシールを上へと動かしたことによって、下から上へと切り上げられた居合切りは完全にエネルギーの向きが分散されてしまった。


 そしてシャルルは次の振り下ろしが来る前に、既に距離を詰めていた。彼女は攻撃を受け流した勢いで時計回りに回転しつつ、斬られている左腕のほうの脇腹を斬りつけた。そしてその勢いのまま武人の半歩ほど後ろまで来ると、彼が振り向く前に思い切りその曲剣を背中から突き刺した。



「『─影送り』…さらば」

「見事、なり…」



 武人は、ただ一言そう言うと膝をついて倒れた。

 二つ名のついた元ネームド冒険者【冷たい谷の武人】は、こうして討伐された。

 シャルルは疲労困憊の中でシャムシールを武人の身体から引き抜くと、未だ戦っている黒狐の師団の方を見た。師団全員が大小の差はあれど何かしらの傷を負って流血している。

 シャルルは意識が混濁する中で、その戦いを近くで見ようと数歩歩いた。


 シャルルのシャムシールが何度も敵の攻撃を受け流した現象。なぜこのような現象が起きたかというと、シャムシール特有の流れるように湾曲した刀身が原因であった。特にシャムシールの場合は刃先にいくにつれて曲がり方は強くなっていく。つまり、シャルルが攻撃を受け流せたのはラビリンス第一界層のキャンプでたまたま店主からもらったこの武器が原因だったのだ。




 ─ラビリンス第二界層『冷たい谷』悪魔城 最上階 大聖堂 黒狐の師団


 幻魔氷皇ニュークスワルツとの戦いは、未だ続いている。もはや師団長であるレーゼー以外の冒険者はまともに立つことも出来ない。


「『律令─九尾』」

 レーゼーは左手を顔の前に出し、薬指と小指を曲げて祈るように詠唱した。

 唯一まともに戦っているレーゼーも、額から血を流している。彼女は九匹の狐の式神を召喚した。狐は造形物のように青白く光っている。ピョンピョンと跳ねるとその後ろには青白いラインが地面に刻まれた。


 状況は、好転しない。

 先程『覆網アンブラネット』を使用して拘束したかに思えたが、すぐさま転移の奇跡を使用されてまともにダメージを与えることは出来なかった。


「うおおぉぉおおおおおお!!!!!」

 ケンという大斧を持った男がまたしても界層主へと飛びかかる。しかし、またしても転移の奇跡を使用され、空振りに終わり更に死角から特大剣で攻撃されて吹き飛んだ。


「ふむ…」

 レーゼーは考え込んだ。あの転移の奇跡さえ封じればどうにかなるじゃろう。彼女に策がひとつだけ生まれた。しかしそれはパーティが半壊していて自分しか戦うことが出来ない現状だからこそ出来る作戦だった。


 彼女は懐から扇を取り出した。それは単なる風を起こすための扇ではなく、このラビリンスから遺物として出てきた『戦扇』というものである。それは硬く刀のように鋭いが、どのような素材をもって作られているのかは分からなかった。


「………」

 レーゼーはバシッという音を立てると空間に飲み込まれた。そしてまたバシッという音を立てて幻魔氷皇の斜め後ろへと現れる。


 彼女は、転移魔法を使って幻魔氷皇の周りを飛び回った。既にサーシャが使用したアンチマジックフィールドは効果を失っていた。

 彼女は時折その糸や戦扇を使って攻撃したり、あるいは距離を取るなどして幻魔氷皇を翻弄した。彼女には、逆に飛び回ることで幻魔氷皇に転移の奇跡を使わせないという狙いがあった。


「あれは、なぜあんなめちゃくちゃな動きをしているの?」

 戦闘を傍観していたルリはシャルルに尋ねた。だが、シャルルはこの動きの真の狙いに気づいていた。

「あれはめちゃくちゃな動きなんかじゃない」


 時折幻魔氷皇からの攻撃が飛んでくる。レーゼーはその戦扇や糸で攻撃を受け止めているが、いつものように防ぎきれていない。致命傷ではないものの刃が身体に当たって鮮血が噴き出す場面もあった。

「はあ…はあ…これで終わりじゃ」

 レーゼーは最初にいた位置に戻ると、ようやく口を開いた。足元には血で水溜まりが出来ている。

 界層主はそこに対して猛烈に突進して斬りかかろうとした。しかし、それは叶わなかった。

 見えない糸によって、幻魔氷皇の右腕は音もなく切り落とされたのだ。異形の者は苦しむ叫び声を上げた。彼女は戦いながら周囲にこの糸を張っていたのだ。この糸は視認不可能で、非常に硬いミスリル鋼ですら切ってしまうほどの切れ味を持っていた。


 幻魔氷皇は転移の奇跡を使用しようとした。傍から見れば何もしていないように見えるのだが、かのボスエネミーは慌てている。更に奇跡の円陣を足元に出して転移しようとした。しかし、その円陣はかき消されてしまった。


「哀れじゃのう…」

 レーゼーは懐からキセルタバコを取り出して少し吸った。

「どれ、見せてやるかの」

 彼女はそういうと、全身に力を込めた。彼女から黒いオーラがほとばしっている。

「『鋼糸────黒血の八芒星ブラッド・オクタグラム』」

 幻魔氷皇の周りに真っ黒な魔法陣が現れた。それは八芒星を描いており、そのライン上に先程の糸が目に見えるように現れた。

「この魔法陣はどんな奇跡も魔法も封じるのじゃ。但し、わらわの大量の血液が必要でのう。普段は使えんのじゃ」

 レーゼーはキセルタバコを吸いながら話した。じゃあ、と更に続けた。


「終わりじゃ」


 彼女は近くに浮かんでいる糸を、ピンと爪で弾いた。糸は何かに引っ張られるように幻魔氷皇を中心として向かっていき、そして界層主をバラバラに引き裂いたのだった。


「終わった…のか」

「ええ……って、シャルル?!」

 傍観していたシャルルは、その場で倒れ込んでしまった。

 次に目が覚めた時は、そこは見覚えのある酒場だった。


 続く


 ​───────​───────

 次回更新予定日

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