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 そのまま下校するスイカとは昇降口で簡単な挨拶をしてから別れ、ダクイはキイロと校舎に入る。部活動がある生徒はそちらへ、ない生徒はすでに帰宅している、そんな中途半端な時間だからか、周りに人影はなかった。

「それで」 ダクイはさっそく口を開く。「何の話だ」

「あはは、慣れたもんだね。気付いた?」

「あんな露骨に誘い出そうとされたらな」 明日の準備も何もない。そもそも、まだダクイは授業を受け持つ段階にないのだから。

「誘い出したんじゃなくて、引き離したんだよ」 片手を腰に当てて、もう片方の手の平を上に向けるキイロ。「いやー、あの子、じゃなくて、モモナが可哀想で見てらんなくてさ」

「モモナが、可哀想?」

「あーあ、その反応、やっぱ気付いてないわけね」 やれやれ、とキイロは目を閉じて首を左右にゆっくりと振る。「まったく、だっくんは優しすぎるぜ。馬鹿みたいにね。それがチャームポイントなのかもしれないけどさ、でも、ダメな時はダメって言わないと。せっかくスイカが気を遣って『ダメですか?』って聞いてくれてるんだから」

「聞かれたから、なんなんだ? 別に、ダメなことなんて何もないだろ。モモナだって、ダメじゃないって言ってたし」

「そりゃだっくんに『いいか?』なんて聞かれたら、頷くしかないっしょ。あの子もあの子で優しいからさ。あちゃあ、またあの子って言っちゃった。やっぱまだ慣れないなあ」

「そんな徹底することもないんじゃないか」

「それ」 真剣な顔つきで、キイロは片手を拳銃のようにして人差し指をダクイに突きつける。「さっき、スイカがだっくんのことを頑なにさん付けで呼ぶことに対しては、徹底してるなって、流したじゃん。どうして私には、しなくてもいいって言うわけ? 言えるわけ?」

「それは、スイカが言ってるのは俺のことで、お前が言ってるのはモモナのことだから」

「違うね」 拳銃に見立てた指先から、銃弾を発射するように、キイロは手首を弾く。「だっくんがスイカに遠慮してるからだよ。だって、私には全然気遣わないじゃん。今朝だって、私の添い寝、速攻で断ったでしょ。でも、スイカやモモナだったらって聞いたら、ハッキリ答えなかったよね。もしもさっき、二人の間に入ってきたのがスイカじゃなくて私で、同じようにダメかどうか聞いてたら、どうしてた?」

 ダクイは少し前の記憶を思い起こし、映像の中のスイカをキイロに置き換える。

「ダメだって、言うな」

「でしょ。そゆこと。だっくんは、スイカにもモモナにも、気を遣いすぎなわけ」

「だから、何なんだ? 別に、気を遣うのは悪いことじゃ——」

 ダクイが話している途中で、キイロはその胸ぐらを両手で掴んで、ぐいと引き寄せる。

「だっくん」 キイロの顔が近い。「殴ってあげようか?」

「は? 殴るって——」

「この前言ったよね。だっくんは自分の手を汚したくないから、勝手にハッピーエンド目指してるだけじゃんて。あれ、リッキーどうこう関係なしに、私の本音だから。で、今も同じこと思ってるから。わかるよね?」

「ああ……」

「誰かのハッピーは、別の誰かのアンハッピーだったりするんだぜ」 そう言って、突き放すようにダクイの胸から手を離すと、キイロはあからさまな溜息をついた。「もう、また私にクロイロやらせる気? 勘弁してよね。スイカはともかく、だっくんはいい大人なんだからさ。私と違って、ね」

「そう、だな……」 キイロに言われたことを、ゆっくりと咀嚼する。

 ハチリキが何度も言っていたではないか。直接的な外傷を与えるのは禁止されていても、心に関してはその限りではない、と。外傷を与えることだけでなく、知らず知らずのうちに心に傷を負わせてしまうことにも、気をつけなければならなかったのに。

「ありがとう」 口をついたのは、感謝だった。「色々と、お前には世話をかけた気がするよ」

「ホントそれ」 謙遜しないキイロ。「ま、今はいいよ。これからもだっくんは、何度も私に感謝することになるんだからさ、後でまとめて大還元してもらうってことで」

「お前……、そうだな。俺もお前みたいになれるように、頑張らないとな」 ダクイは片手を差し出す。

 その手を見る目を細めたキイロだったが、すぐに頷いて、ダクイの手を握った。

「じゃあ、行ってくる」 ダクイは手を放す。

「おうよ」 直前までダクイと握手していた手を、キイロは上げる。「また明日」

 キイロの声を背中に受けつつ昇降口を出る。中庭まで駆け出そうとして体を右に振る。しかし、そこから足が動くことはなかった。なぜなら、校舎の壁にもたれるようにして、肩に鞄をかけたミナモ・スイカが立っていたからだ。

「スイカ……、帰ったんじゃ」

「帰ったように見せかけただけです」 スイカは、壁から背中を離して、ダクイに歩み寄ってくる。「キイロ先輩の話の切り方が不自然だったので、何かあるんだろうなと」

「聞いてたのか」

「はい。盗み聞きしたことは謝ります」 スイカは軽く頭を下げた。「もしくは、キイロ先輩のことですから、私にも聞かせたくて、わざと気付かれるようにしたのかもしれません。まあ、私が盗み聞きしたのを正当化するための言い訳ですが」

「いや、あり得るな」 一連のキイロの立ち振る舞いを思えば。

「今も、気を遣ったんですか?」 距離を詰めてきたスイカが上目遣いで尋ねる。「盗み聞きしてしまったことに、私が罪悪感を抱かないように」

「そんなつもりじゃ——」 ダクイは咄嗟に両手を広げるが、この言動も、気を遣っていると受け取られてしまうのではないかという考えがよぎって、言葉も動作も止まってしまった。中途半端になった両腕を、ダクイは静かに下ろす。

「私はダクイさんのことが好きです。だからダクイさんにも、私を好きになって欲しいです」 今朝、挨拶運動の際に言われたことを、スイカは再び口にした。それから俯いて、さらに言葉を重ねる。「でも、義理や気遣いで好きになって欲しいわけじゃありません。私が好きになったダクイさんに、好きになってもらえるような私になりたいんです。もしもダクイさんがこんな私を不憫に思って、それで私の好意を受け入れたとしても、そんなのは、そんな夢の叶い方は、私の方からお断りです」

 私の夢は私が叶える。

 スイカが言っているのは、モモナと同じことなのだ。

「だからダクイさんは」 涙声。「私をアンハッピーにしてもいいんですよ。それが、ダクイさんの、今の正直な気持ちなら」

「正直な、気持ち……」 スイカは明らかにそれをぶつけてきている。対する自分はどうだろうか。ダクイはこれまでの、そして今の自分の態度を顧みる。

「今のダクイさんがルドウさんを選んでも」 顔を上げたスイカは、目に涙を浮かべながら笑っていた。「未来のダクイさんに、私を選んでもらえるよう、頑張ればいいだけです」

「今の俺は……」 正直な気持ち。「お前を、選べない」

「知ってます。だから、もっと頑張ります。ダクイさんも、頑張ってください」 スイカは横に歩いて、ダクイとの位置を斜めにした。「言いたかったのはそれだけです。では、さようなら」

 頭を下げずに言うと、スイカは鞄の肩紐を両手で握って、早足で校門に向かって歩き出す。

 咄嗟に追いかけようとしたダクイだったが、スイカの背中は、それを拒絶しているように感じられた。きっと、今のスイカは幸せではない。幸せではないと感じているスイカを、どうにかしたいと思う。では、一番幸せにしたい相手がスイカなのかと問われると。

 スイカに対する最後の言葉に、理由や理屈を添えることは簡単だったが、それをするほど、言葉と気持ちが乖離するような気がして、できなかった。

「ありがとう」 スイカの背中にダクイは声を飛ばした。今は、その一言だけを伝えたかった。それで十分だと思った。

 聞こえたはずだが、スイカの足は止まらなかった。振り向くこともなかった。

 しかしダクイの足は、校門ではなく中庭に続く舗装を進み始める。アスファルトの足元は、渡り廊下でコンクリートになり、越えると土に。

 北校舎と南校舎に挟まれる中庭は、開放的なようで閉鎖的だ。ベンチに座る少女が一人。ダクイの姿を認めた彼女の目からは、気持ちが読み取れなかった。

 ダクイは一歩ずつ確かめるように近付く。その間、ルドウ・モモナと目が合うことはなかった。

 ベンチの、モモナの正面に立つ。心も向ける。彼女は、向いてくれるだろうか。

「話が途中だったなと思って」

「それで、わざわざ?」 ダクイを避けるように、モモナは目線を斜めにしている。

「いや、他にも、言いたいこと、話したいことがあるんだ。たくさんな」 ダクイは自然な動作で腕を伸ばし、モモナの頭を撫でた。それは、何度か試みようとして出来ずにいた行為だったが、達成感や感慨深さなどは不思議となかった。「嫌か?」

「ううん」 俯いて首を横に振るモモナ。「嫌じゃ、ないよ」

「俺も、嫌じゃなかったよ」

 言わなければならない。

 スイカのことが心配ではないわけではないが、今はダクイができること、やりたいことを精一杯やればいいだろう。悩むことを先延ばしにした楽観的な考えではあるが、自分が想像する、想定する未来なんてたかが知れていて、現実はもっと複雑にいろいろな事象が入り混じって、予想を簡単に超えてくる。だったら今という時間の中で、やりたいことをやればいいのだ。ああすればよかった、こうすればよかったと、後悔する余地もないくらいに。ハチリキのように、ならないために。

 未来から来たところで、並行世界から来たところで、それは今という時間の中では何のアドバンテージにもならないのだ。今と全力で向き合う人が、誰よりも強い。それを、この一週間の中で、ダクイは三人の女の子から学んだ。

 とりあえず、今できることは、ダクイが心からやりたいことは、モモナに伝えることだ。それをして、この先、悩むことになっても、悔やむことになっても、構わないと思える。それが現実、夢を求めた現実であるならば。

「俺は……、お前に、ルドウ・モモナに幸せになってほしい。ミナモ・スイカより、ルドウ・モモナを幸せにしたい。俺が、お前を、幸せにする」 ダクイは、羽織っていた上着を脱いで、モモナの膝にかける。「もっとお前と話がしたい。二人きりで話がしたい。隣、いいか?」

 ダクイは、ベンチの中央を指差す。

 困惑したような顔だったが、話している間、モモナはダクイの目を見てくれていた。そして今、静かに頷いた。頷いてくれた。

 三人掛けのベンチの真ん中に腰を下ろす。モモナと肩が触れる。

「ウニ——」 モモナはいつも抱いている家族を差し出した。「反対に置いて」

「おう」 ダクイは受け取って、ウニを隣に座らせる。

 三人掛けのベンチは、満席になった。

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ドリーミンファクターズ 草村 悠真 @yuma_kusamura

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