28

 ダクイが知らない未来の話から、ハチリキがキイロに抱いている個人的な感情まで、聞いている方が心配になる程、ハチリキは打ち明けてくれた。それほど嬉しかったのだろう。あるいは、アルコールが彼を饒舌にさせたのか。

「おはようございます」

 ハチリキはダクイが三人から夢を奪った未来、さらにその未来から来ている。そして、その遥か未来で、キイロは政治家として人生を終えた。ダクイが過去を変える前から、キイロは未来で政治家になっていた。それはつまり、ダクイが何か手出し口出ししなくても、キイロは夢を叶えず、政治家になっていたということか。だとしたら、ダクイがキイロに対して行ったことは、無駄なことだったのだろうか。

「あの、おはようございます」

 しかし、ハチリキはそれを否定した。もしもダクイが夢を奪っていなければ、キイロは本当の夢を隠すことなく、政治家を踏み台にして、知名度を上げて夢を叶えていたはずだ、タタラ・キイロとは本来そういう人間だ、と。実際、キイロ本人も、政治家を踏み台にしてでもなってやると豪語していた。これは一昨日の夜、ハチリキと話し合う中で立てた仮説だが、きっとキイロは、政治家を辞めてデザイナーかモデルになるために、別の世界に廃棄物を送りつけるという、無茶な法案を通したのだろう。良くも悪くもそれで目立ち、知名度を上げ、責任を取る形で政治家を辞任、そのまま知名度を利用して活動するのだ、と。こればかりは、ダクイやハチリキの正史とは異なるので、実際に確かめるしか仮説の証明はできない。

 これから進む時間の先、ダクイが、ハチリキが、変えたこの世界の未来で。

「あの!」 ダクイの腕を誰かが掴み、そのまま体を揺らされる。「おはようございます!」

 見ると、ミナモ・スイカがこちらを見上げていた。

「おお……、スイカ。どうした」

「おお、じゃありません。どうした、じゃありません。何をしてるんですか」

「何って……」 ダクイは周囲を見回す。「挨拶運動だ」

「だったら挨拶してください。何をぼんやり突っ立ってるんですか。月曜日からそれでは、先が思いやられます」

「ああ、えっと、そうだな。悪い、考え事してた」 ダクイは素直に謝ることにした。

「考え事……」 スイカはさっきまでダクイの腕を掴んでいた手を、顎に持って行って、首を捻ると、あっ、と手を打った。「私のことを考えてたんですね。だったら許します」

「いや……」

「はあ、そうですか」 両方の手の平を上に向けて、やれやれ、と言わんばかりに首を横に振るスイカ。「私はこんなにダクイさんのことを考えているのに、ダクイさんはこれっぽっちも、私のことを考えてくれないんですね」

「いや、考えてないわけじゃ——」

「冗談です。困惑するダクイさんが見たかっただけです。気にしてませんよ。私がもっと頑張って、ダクイさんに考えてもらえるようにすればいいだけです。もっと悩ませてあげます」 言い終えて、スイカはどこか妖艶な笑みで、ダクイを見上げるのだった。

「それは、勘弁してほしいな」

「いいえ、ダメです。私はダクイさんのことが好きなので、ダクイさんにも私を好きになって欲しいです」 また、スイカはダクイの腕を掴む。さっきよりも弱い力で。「いけませんか?」

「いけなくは、ないけど……、普通、そんな風に真っ直ぐに言わないだろ」

「普通じゃないことをします。目的ではなく、手段として、普通じゃないことをします。どうです? 私もちょっとは、本物みたいじゃありませんか?」

「そうだな。その気持ちが本物なことは認めるよ」

「キイロ先輩のことを考えてたんですね」

「ああ……。お見通しだな」 スイカにとっての本物が、タタラ・キイロなのだ。

「わかります。金曜日から、キイロ先輩のことで悩んでたじゃないですか。どうです? 解決したんですか?」

「いや、その、なんて言うか、俺が何かするまでもなく、解決してたというか、うん、キイロは、やっぱり強かったよ。お前の言う通りだった。夢を諦めてなんかなかったし、叶わない未来なんて受け入れてなかった」

「さすがです」 嬉しそうに、まるで自分のことのようにスイカは満足げな笑みを浮かべた。「キイロ先輩は、そうじゃないと」

「ずいぶん信頼してるみたいだが、そういえば、お前とキイロは、どういう関係なんだ? 学年も違うし、その……、雰囲気も、真逆な感じだが」

「真逆ですか?」

「いや、今はそう思わないけど、先週、会ったばかりの頃は、お前、もう少しクールだっただろ」

「今もクールですよ」 ダクイの腕を掴んでいない方の手で、スイカは目にかかっていた髪を払った。「ダクイさんが相手だから、素直になってるだけです。気持ちを隠してないだけです」

「そう、なのか」 言われてみれば、今のスイカが自分以外、つまりクラスメイトや他の先生に対してどのような態度なのか、まだ見たことがない。

「キイロ先輩は、私に興味を持ってくれたんです。去年のことです。私がまだ一年生で、キイロ先輩も二年生でした。体育をサボって保健室にいると、変わったことをしてる一年生がいるという噂を聞きつけたキイロ先輩が突然やって来て、私のことを根掘り葉掘り聞かれたんです。あの時の私は、突然現れた一学年上の先輩の質問攻めにタジタジで、その時に、剥がされたんです」

「剥がされた?」

「ええ、メッキを剥がされました。あの頃の私、いえ、最近までの私は、偽物でした。これは金曜日に話しましたよね。そして、キイロ先輩はその頃から本物でした。上っ面だけで変わったことをしていた私は、キイロ先輩の質問に、曖昧にしか答えられませんでした。それっぽい理屈をつけて誤魔化すばかりで。本当は、その時に気付くべきだったんです。キイロ先輩が本物なことに、私が偽物なことに。でも、私は気付けなかった。本質的な部分を区別できずに、このまま変わったことをし続けていれば、キイロ先輩みたいになれると、私は勘違いしたんです。メッキを磨けば、剥がれないほど重ねれば、本物の輝きになる、と。だから、先週はキイロ先輩に厳しいことを言われてしまいました。私がいつまで経っても気付かないから、いよいよ直接言われたんですよね」

 あの食堂での一件を、スイカはそのように消化していたのか。言われるだけの非が自分にあったと、スイカは認めている。必ずしもそうだとは思わないが、キイロがスイカに言ったことは的を射ていたことは事実だし、そのおかげでスイカは良い方向に変わったと、ダクイは思っている。ストレートに好意を伝えられるのは、毎回返答に困ってしまうが。

「キイロ先輩が、私の面倒を見てくれる理由は、わかりません。少なくとも、私からキイロ先輩に話しかけたり、会いに行ったことはありません。これは、私の甘えですね。いつもキイロ先輩の方から、私に話しかけてくれました。会いに来てくれました。その状態に、甘えていました。本物に構ってもらっている状態に、甘んじてたんです。キイロ先輩は私に興味を持ってるんだから、それが当然だと、思ってたんです。キイロ先輩が、もう私と関わりたくないと思ったら、それで終わってしまう関係、一方通行の関係なのに」

「そんなこと……」 ないとは言えない。実際に、モモナはキイロから距離を置かれていると感じている。同じような状態に、スイカもなるかもしれない。

 どうにかならないものかとダクイが思案していると、スイカが口を開いた。

「今日もダクイさんとお昼をご一緒するつもりでしたが、キャンセルです」

「キャンセルも何も、まだ誘われてないし、オッケーもしてないけどな」

「キイロ先輩を誘ってみます。お昼休みまでに、会えるかどうかわかりませんけど」

「ああ、それはいいかもな。キイロも喜ぶと思うよ。誘ったら、来るだろ」 土曜日、わざわざ休日に学校まで来てくれたくらいだ。普通の登校日に食堂に行くくらい造作もないだろう。「俺も、もしもキイロに会ったら伝えとくよ。昼休みに、食堂に行くように言えばいいか?」

「ええ、よろしくお願いします」

 スイカは頭を下げた。

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