27
いつもと同じ時間帯だったが、土曜日、つまり休日というだけあって、いつものファミレスは客足が多かった。いつもは四人席に通されていたが、この日は二人席だった。しかし、二人座れるなら十分だ。ダクイとハチリキの、二人だけなのだから。
「結局、俺は余計なことをしたんだろうか」 ダクイは、ハチリキに問いかけているのか、自分に問いかけているのか、判然としないまま口をついた。「キイロは夢を諦めてなんかいなかった。モモナやスイカのために俺を未来に返すまいと、そういうふりをしてただけだった。なのに俺は、それに気付かず、キイロに余計な世話を焼いた……」
「いや、君は十分やってくれた」 ハチリキからいつものような威圧さが感じられない。それは、いつも二人掛けの椅子で腕を広げて偉そうにしているのが、今日は一人席に縮こまっているから、というだけではなさそうだ。「君は、タタラ・キイロに夢を自覚させたのだよ。言霊というやつだ。たとえタタラ・キイロが夢を諦めていなくとも、諦めたようなことを言っているうち、諦めてもよいと思い始める。それに、周囲も本当に諦めたのだと、君のように世話を焼いてくれる親切な者ばかりではないのでな、単純に機会を損失する。本来、舞い降りてくるはずだったチャンスが、入ってこなくなる。結果、タタラ・キイロは夢を隠して政治家になり、隠したまま、政治家として人生を終える」
「まるで、そういう未来を見てきたような言い方をするんだな」 ダクイは、グラスの水を口に含んでから、少し迷って、しかし直接確かめることにした。「お前は、何年後から来たんだ?」
これは、キイロに何年後から来たのか問われた際に、ふと思いついたことだった。未来から来たという境遇が同じでも、それが同じ未来、同じ時間とは限らない。少なくとも、ダクイの時代では、こうして過去に戻る技術が完成しているのだから、それより先の未来にも、その技術があるということになる。
「具体的な数字を言うことはできない。私から見れば、君も過去の人間なのでな。だが、君の時代よりもずっと後の時代ということは、認めよう」 ハチリキは、笑ったとも溜息をついたとも取れる、小さな息を漏らした。「君にそれを指摘されたのは、初めてだ」
「初めて……。そういえば、昨日も言ってたな。俺に頼み事をされるのは初めてだって……。お前、まさか——」 ダクイは息を呑んで、それから、恐る恐る訪ねた。「初めてじゃないのか……?」
ハチリキは、何も言わず、力無く項垂れた。
「何回目だ!」 ダクイは、思わず身を乗り出していた。「お前は一体、何回この時間を繰り返してる!」
「さてな」 ハチリキはゆっくりと顔を上げた。その顔には、悲壮感が漂って見えた。それは今現れたものなのか、ダクイの認識が変わったことでそう見えるようになったのか。「もう、数えることはしていない」
「どうして……」
「タタラ・キイロの夢を叶えるためだ」
ダクイには、ハチリキが言ったことの意味がわからなかった。
「どうして……」 ダクイは繰り返す。しかし、その先に何という問いかけをすべきなのか、頭の中が整理されていない。
「タタラ・キイロ——、キイロは、政治家として忙殺される。文字通り、忙しさに殺されたのだ。そして、私はその時、つまり最期の時まで、本当の夢を知らなかった。私は、キイロが本気で政治家になりたくてなったのだと、その瞬間まで信じていた。知らなかったのだ。教えてくれなかったのだ。キイロは、ずっとその夢を隠していた。隠していたことを、最期に謝られた。きっと、私が困った顔をしていたのだろう。突然、モデルやデザイナーになりたかったと告白されて、実際、私は戸惑った。どう言葉をかけていいか、わからなかった。そのまま、キイロは逝ってしまった」
「それで、お前は、キイロの未来、いや、過去を変えるために……」 しかしダクイは、これまでのハチリキの言動を思い出す。「でも、お前がしていたことは、キイロの夢を奪うような——」
「だが、こうして君が、キイロの夢を取り戻してくれた」 ハチリキは、両肘をテーブルについて、組んだ両手で口元を隠すようにした。「ようやくだ。ようやく、私が目指していたルートに入ることができた」
「わざと、俺を挑発するようなことをしたのか……? でも、どうして。そんなことしなくても、お前が直接——」
「そんなことは、とっくに試している。何度もな。しかし、ことごとく邪魔されたのだよ。君にね」 ハチリキはダクイを睨んだが、すぐに目を閉じる。再び開かれた目からは、怒りの感情が消えていた。「君はもともと、キイロ、いや、三人の因子から夢を奪うために来た。もしもその状態で、それを阻害する、つまり夢を取り戻させようとする存在が現れたら、どう思うかね?」
「それは……、困るな。どうにかしようとするだろ」
「そう。私が何をしても、すぐに君に邪魔をされる。君がまたキイロから夢を奪ってしまう。前に言ったが、やはり夢は奪う方が簡単なのだ。だから、逆転させることにしたのだよ。君にキイロの夢を取り戻させる。それを私が邪魔する。君は躍起になって、より夢を取り戻させようと動く。そうして本当に君がキイロの夢を取り戻させたら、目標を達成したと満足する。キイロから夢を奪おうとする存在はいなくなる」
「そんな回りくどいことしなくても、もっと過去に戻って、俺が現れるより前に、キイロの夢を——、そうだ、そもそもお前が俺より先に良い方向で因子を排除すれば、こうして俺がこの時代に来ることも——」
「それはできない。私は、君が来たこの時間より前に、戻ることができない。なぜなら、私の時間は、君が生きる時間の先にあるからだ。私は、君が当初の目的通り、全ての因子から夢を奪うことに成功した先の時間から来ている。だから、その事実を、君がこの世界のこの時間に来るという事実を、改変することはできない。君がこの時間に来た時点で、私はそれより前の時間には行けないのだよ。君がこの時間で過去を改変することも含めて、私の時代の歴史となっている。過去改変においては、より未来にいる者が、より後手に回ることになるのだ。まあ、君は過去改変の先駆者だ。この感覚は理解し難いかもしれないがね」
「そういう、ものなのか……」 ハチリキの言う通り、ダクイは実感が掴めなかった。「だったら、その、全てを俺に話す選択肢はなかったのか? そうすれば一緒に協力して——」
「もちろん、それもしたさ。しかし君は信じてくれなかった。君は私が都合よく過去を変えようとしているのだと、疑うばかりだった。未来から来た者の考えを変えられるのは、この世界のこの時間の人間だけだ。誰が、自分より未来から来た人間の言うことを鵜呑みにして動ける? 何か裏があるのではないかと疑るのが普通だ。もういいだろう。こんな言い方はしたくないが、ここで君が思いつくようなことは、すでに試している」
「そうか……。そうだよな」 きっと、ハチリキは無謀とも思えるほど、繰り返してきたのだろう。ダクイがアカデミアの教育実習生としてやってきた月曜日からの時間を、何度も。「でも、それを、俺に話して良かったのか……? まだ俺が全てを台無しにする可能性もあるだろ」
「可能性の話をするなら、そうだな。まあ、今の君がそんなことをするとは思えないが……、その時は、またやり直せばいいだろう。今回と同じように動いて、この場で君に打ち明けることをしなければいいだけだ。最後まで、悪役を演じればいいだけだ」 ハチリキは簡単に言った。「それに、こうして、君に全てを話して、喜びを共有したくなったのだ。なにしろ初めての展開なのでな。こう見えて、かなり浮ついているのだよ。おそらく、今の私の方が、君よりも強い達成感で満たされている。どうだろう、席の狭さが気に入らないが、このままここで祝杯を上げないか? 先日は断られてしまったが、付き合ってもらえると嬉しい。未来が変われば、私も君も、元の時間には帰れないのだ。同じ未来人として、この世界のこの時間で、仲良くしようじゃないか」
「わかった」 ダクイは、溜息をついて、それから、横に立てかけてあるメニューから、アルコールドリンクが載っているものを抜き出して、テーブルの上に広げる。「明日は日曜日だし、まあ、付き合うよ」
「感謝する」 しかしハチリキは、メニューに目を落とさず、ダクイの方を見据えていた。「驚かないのだな」
「何を?」
「未来が変われば、元の時間に帰れないと、私は言ったのだが」
「言ったな」
「君は、それを知らないはずだ。知らされていなかったはずだ」
「別に、どうでもいいさ。帰れても帰れなくても関係ない。俺は帰らないよ。帰らないって宣言したからな。強制的に帰されるならともかく、帰れないのはどうでもいい」
「そうか」
「そうだ」 ダクイは呼び出しボタンを押した。その指でそのままテーブルの上に広げられたメニューをトントンと叩く。「早く決めろよ」
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