20

 ゆっくりとした拍手は、讃えられているのではなく、馬鹿にされているようにしか感じなかった。

「おめでとう、ダクイ君」 叩いていた手を止めて、ハチリキは粘度が高そうな声で言った。「これで、君の役目は完了だ。ルドウ・モモナが要経過観察ではあるものの、ミナモ・スイカは夢を抱き、タタラ・キイロは夢を失った」

「まだだ……」 呟くように言いながら、ダクイは無意識に首を左右に振っていた。

「そう。まだ君にはやるべきことがある。ルドウ・モモナの夢をこの世界に引き止めること。そして、ミナモ・スイカの夢であり続けること」

「タタラ・キイロの夢を叶えること」 ダクイはハチリキの言葉に付け足した。

「その必要はない。因子としてのタタラ・キイロは私が排除済みだ」

「キイロに何を言った。何をした。余計なことはするなと言っただろ!」 ダクイはテーブルを叩く。

「余計とは心外だな」 軽蔑するような目をハチリキが向ける。「君がルドウ・モモナとミナモ・スイカに夢中になっている間に、私がタタラ・キイロを処理しておいたのだよ。君の代わりにね。感謝されてもいいと思うが」

「キイロに何をした」

「やれやれ……」 呆れたように息を吐くと、ハチリキは腕を組んで椅子に深くもたれる。「事実を教えてやっただけだ。お前は将来デザイナーにもモデルにもなれない。ファッションとは無縁の政治家になる、とな」

 ダクイが知る未来では、この世界の処理しきれない廃棄物、すなわちゴミ、それをダクイがいた世界、つまり並行世界に送る法案が可決される。その指揮を取っていた政治家が、タタラ・キイロだ。反対派も多かったが、キイロが押し通したと聞いている。モモナが並行世界の存在を発見し、スイカがこの世界と繋ぐ装置を作る。そこまでなら、まだ世界間の友好関係を築く余地があった。最後のピースをはめたのはキイロだ。そのピースによって、パズルはダクイたちにとって最悪なものに仕上がったのである。

 だとしても、ダクイにはハチリキの行為が許容できない。

「どうしてそんなことをした」

「未来を変えるために決まっているだろう」

「どうしてそんなやり方をしたんだって聞いてるんだ」

「理由は二つ」 ハチリキは手の甲がダクイに向くようにして二本の指を立てる。「一つは、簡単だからだ。他の因子と違って、タタラ・キイロから夢を奪うことは容易い。将来叶わないことを教えてやればいいだけなのだからな。そして、それが許されている。これが二つ目の理由だ。我々はこの世界の人間に危害を加えることはできないが、それは外傷を与えてはいけないという意味だ。言葉では何を言っても許される。たとえそれで心に傷を負わせてしまったとしても、罰は受けない」

「罰がないからって、そんなこと、してもいいわけないだろ」

「それは君の勝手な言い分だ。そもそも君は、我々の行為の是非を決められる立場ではない。弁えるのだな」

「だとしても、これがきっかけでキイロが政治家を目指したらどうする? そうなれば、キイロの未来は変わらないだろ」

「変わるさ。ファッションモデルを目指して政治家になるのと、政治家を目指して見事に政治家になるのとでは、まったく違うのだよ。目的が変われば、結果は同じでも結論が変わる。結果が政治家のままだったとしても、それは夢を叶えたことになる。夢を叶えて政治家になった者と、他の夢を諦めて政治家になった者とでは、政治家としての考えと行動、心構えがまるで変わる」

 言われてみれば確かに。処理しきれない廃棄物を別の世界に送るなんて、非人道的とも思える法案を、政治家になりたくてなった人間が通そうとするだろうか。下手をすると政治家としての信頼を失いかねない法案だ。実際、反対派も多かったと聞く。しかし、ダクイが知っているキイロなら、この世界のキイロなら、それを承知でやりかねない。食堂でスイカにしたようなことを、世界単位でやりかねない。

「納得できたかね? つまり、我々が知る未来のタタラ・キイロは、元々の夢を叶えられなくて、自暴自棄になっていたというわけだよ」

 自暴自棄。昼休みの食堂、キイロがスイカに向けた言動には、その言葉がぴったりと当てはまった。あの状態のキイロなら、政治家としての評判など気にもかけず、反対派を蹴散らすだろう。

「キイロにどこまで話した?」

「別に私も、無駄に事を荒げるつもりはないのでな。必要最低限の情報を与えたのみだ。ルドウ・モモナは夢を叶えるが、タタラ・キイロは夢を叶えられない、とな。そして、それを信じてもらうために、私が、そして君が、並行世界の未来から来たことも話した。そうなれば、何が目的で来たのか、という話になる。だからそれも話した」

「それで、俺がモモナの夢をこの世界で叶えてやろうとしていることを、キイロが知ってたわけか」

 そして、モモナとスイカが食堂から出て行くまで話すのを待っていたわけだ。

「心配するな。仮にタタラ・キイロが他言しようと、誰も信じやしない。妄言と受け取られるだけだ」

「ああ、そうだろうな」

「さて。それでも君は、タタラ・キイロの夢を叶えようなどと戯言を抜かすつもりかね?」 口角を上げて挑発的な顔を向けるハチリキ。「すでに君の目的と正体を知っているタタラ・キイロに、夢が叶わない未来を知っているタタラ・キイロに、再び夢を見せ、それを叶えさせることが、果たして君にできるのかね。ルドウ・モモナのように曖昧な夢ではない。ミナモ・スイカのように与えるだけでは終わらない。君がいくら口では夢を叶えると言ったところで、とてもそれを実現できるような状況ではないのだよ。君がしようとしているのは、無駄なことなのだよ。我々の目的は達成されている。これ以上することはない」

「だからどうした。お前、前に俺に言ったこと覚えてるか? その言葉をそのまま返すよ。無駄だってのはお前の意見だ。結果じゃない。やってみたけど無駄だった。そうなって初めて俺は諦める」

「ふむ。私の言葉を持ち出されては、何も言い返せないな。いいだろう。好きにしたまえ。どのみち、タタラ・キイロはすでに未来を知っている。未来を受け入れている。君が何をしたところで変わるまい。それに、君が再びタタラ・キイロに夢を取り戻させたとしても、また私がそれを奪えばいいだけなのだからな」

「ああ、俺は俺の好きにする。そして、お前の好きにはさせない」

「ずいぶん自分勝手な言い分だな。だが、なかなか人間らしいじゃないか。少なくとも、融通の効かない政府の役人よりは好感が持てる」

「そりゃどうも」

「断っておくが、私は何も、君のことが嫌いなわけではない。お互いの立場が対立させているだけだ。君がこれで因子は全て排除されたと認めてくれれば、今すぐにでもここで祝杯をあげても構わないくらいには、好いているのだよ」

「男二人がファミレスで祝杯? そんな味気ないのは御免だ。それに、俺はまだ祝杯をあげられるような気分になれない」

「おやおや、それは残念だな」 さしてショックでもなさそうな物言い。そんなハチリキの姿がぼんやりとしてきた。輪郭が曖昧になって、空気中に溶け出しそうな様相。「まあ、せいぜい頑張りたまえ。我々の世界の未来が救われるなら、どうなっても構わんよ。君がしていること、しようとしていることが、そのゴールに向かっているとは、私には思えないがね」

「それ、前から思ってたけど、ずるいぞ」 ダクイが言い終えた時には、ハチリキの姿は消えていた。

 毎回のように一人客になったダクイは溜息。

 いつも言いたいことを言って消えるのが、どうにも卑怯に思えてならなかった。それも、ダクイがハチリキのことを好きになれない理由の一つだ。他の理由に比べれば小さいが。

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