19
一つのベッドに、モモナとスイカは並んで腰掛けていた。しかし、ダクイが扉を開けて保健室に顔を出した途端、モモナが 「わわっ」 と慌てた様子で飛び上がる。ウニを抱きしめたままキョロキョロと保健室全体を見回すと、急いでベッドから回り込むようにして、奥のベッドと壁の隙間に隠れるように身をかがめた。ベッドの奥から目より上だけを出して、こちらを伺っている。
「どうした?」 モモナの反応の意味するところがわからず、ダクイは尋ねた。とりあえず、後ろ手で扉を閉めつつ保健室に立ち入る。
「どっ、どうもしないよ」 上擦った声で答えるモモナ。
モモナが何かを隠そうとしているように見て取ったダクイは、彼女からこれ以上得られる情報はないと判断し、スイカの方へ目を向ける。
「どうしたんだ?」 ダクイは手前の空いている方のベッドに近付く。
「どうもしません」 スイカもダクイから目を逸らすように、壁を向いた。それから思い出したようにまたダクイを向く。「あの、キイロ先輩は……」
「キイロとはまた今度、改めて話すことになった」 ダクイはスイカの向かいのベッドに腰掛ける。「お前は、大丈夫なのか?」
「はい。取り乱してすみませんでした」 ダクイは初めてスイカに頭を下げられた。
「どうして謝るんだ? お前に悪いところは何もなかっただろ」
「ダクイさんに、今の私がしたいことをすればいいって言われて。キイロ先輩に、今の私じゃ何にもなれないって言われて。私、気付いたんです。言い方こそ違うけど、ダクイさんもキイロ先輩も、同じことを言ってるんだなって」
「同じこと——、なのか?」
「同じです。二人とも、同じことを言ってるんです。ダクイさんは優しい言い方を、キイロ先輩は厳しい言い方をしただけなんです」
ダクイのそれは、スイカに夢を持ってもらおうとしての発言だった。では、キイロはどうだろうか。今のスイカじゃ何にもなれない、という言葉。今のスイカというのは、つまり夢を持っていないスイカ。そんなんじゃ何にもなれないから、夢を持て。裏を返せば、確かにダクイの言ったことと同じ意味になる。考えてみれば、そうなるのも当然なのか。キイロがハチリキに何かを吹き込まれていたとしても、ハチリキの目的もダクイと同じ。未来を変えることだ。夢を持たないまま、流されるように研究者になるという、スイカの未来を変えること。つまり、夢を与えること。
「だから——」 スイカの声が、考え込んでしまったダクイの意識を、保健室に引き戻す。「キイロ先輩を怒らないでください。さっきはびっくりしましたけど、今は受け止めて、感謝してますから」
「そうか……。そうだな、わかった」 スイカに指摘されて初めて、ダクイは先の食堂で自分は怒っていたのだと自覚した。「スイカがそう言うんなら、俺がとやかく言うことじゃないか……」
スイカに気付かされた。ダクイは未来に希望を持たせて、今のスイカに夢を与えようとした。キイロは、今のスイカから希望を奪うことで、未来に夢を与えようとした。手段だけで判断して、キイロに対して激昂しまったのだと反省。次に会った時、謝ろうと決めた。それに、もしもキイロに悪意があったとしても、それは彼女ではなくハチリキを責めるべきだ。
「ダクイさんに、今の私がやりたいことをしろと。キイロ先輩に、自分の気持ちを隠すなと。二人に言われたことを受け止めて、今の私が心からしたいことを、今からします」 言いながら、スイカは立ち上がると、ダクイの方へ一歩ずつ確かめるような足取りで移動してきて、隣に座り直した。「初めてダクイさんと会ったのも、この保健室でしたね」
「ああ」 何か決心した様子でこちらのベッドまで来たのに、思い出話のようなことを始めたスイカに戸惑うダクイ。思い出と言うほど過去でもない、三日前のことだが。
隣にスイカの気配が近いが、しかしどこか、スイカの方を向いてはいけないような雰囲気を感じて、とりあえず、正面のベッドに隠れるようにしてこちらを見ているモモナを見つめ返す。すると、モモナはひょこっと頭を引っ込めて、完全に隠れてしまった。仕方なく、ダクイは保健室の窓から望む景色を眺めながら話すことにした。
「あの時も、この三人だった」 呟くようにダクイは言った。
「ええ、そうでしたね。ダクイさんが、プールに飛び込んだルドウさんを連れてきたところに、私も、体育をサボってここへ来ました」
「サボって、か。自分で言うんだな」
「まあ、そう言うのが適切だと、自分でも思います。キイロ先輩に言われた通りです。体育に出れない私という、他の人とは違う自分に、酔っていました。自己陶酔ですね。変な理屈をつけて、カッコつけてました。ただのサボりです」
「ぶっちゃけたな」
「はい。自分の気持ちを隠さず話すって、決めましたから」 自分で言ったことが可笑しかったのか、スイカは口元を押さえて控えめにクスクスと息を漏らした。「あの時の私は、いろいろ理屈っぽいことを言って、ダクイさんを困らせようとしました。体育の授業に出ずに保健室に来た私のことを、サボり扱いしようとしたからです」
「実際そうだったんだろ?」
「はい。でも、事実だったから、それを指摘されることに、私は耐えられなかったんです。その事実を認めたら、体育に出れない私じゃ、他とは違う私じゃなくなりますから」
「ああ、なるほど。その気持ちは、わからないでもない」
「新しく来たばかりの教育実習生に向かって、私は嫌なことを言っている、嫌われるだろうな、面倒な生徒扱いされるだろうな、そう思っていました」
「そんなわけないだろ」
「はい。ダクイさんは、そうでした。ルドウさんへの接し方を見て、本当にそうなんだと思いました」
「そういえば、俺がモモナからウニを没収した時、キイロに文句言ってたんだっけ」
「ええ、まあ……。でも、あれも違うんです。ダクイさんがウニを没収したことに文句があったわけじゃなくて……。偉そうなこと言って、結局他の先生と同じなんじゃないかって、ルドウさんやウニがどうこうよりも、ダクイさんが私の期待と違っていたことが、嫌だったんです。でも、そんな風に考えていることを知られたくなくて、勝手に期待して、勝手にそれを裏切られて、そんなことに腹を立てていることを、知られたくなくて……」
「えっと、俺に期待してたのか……?」
「していました」 隣でスイカが頷いたことが、空気で伝わる。「嫌われるだろうな、と思うのと同時に、気にかけてくれるんじゃないかと、期待していました。ただ、やっぱりそんな期待をしている自分を悟られたくなくて、隠したくて、認めたくなくて……、それにダクイさんは私よりもルドウさんを気にかけているみたいで……。それで、ルドウさんからウニを没収したという事実に怒っている、というスタンスを取っていました。私の気持ちではなく、ルドウさんの気持ちを利用していました。これも、自分の気持ちを隠す行為ですね」
「私は、ウニを取られたこと、怒ってなんかないよ」 モモナの声がベッドの奥から聞こえる。「ダクイ先生は、ウニに酷いことする人じゃないもん」
「そうだね。知ってる」 スイカがモモナにかけたその声は、一転して優しい物言いだった。「知ってたから、余計に辛くて。もしもダクイさんがウニに酷いことをすれば、ルドウさんは許さない。そうなれば、二人が仲良くすることもなくなる。そうなればいいのにって、思ってました」
モモナは何も言わなかった。どんな顔をしているのか、ダクイからは見えない。
「でも……」 ダクイは一昨日の朝、挨拶運動での一幕を思い出す。「お前はウニを取り上げた俺に、非難するようなことを——」
「だから、それが私なんです。ミナモ・スイカという人間なんです。そんな酷いことを考えているのに、それを他人に知られたくなくて、思ってもないことを言う。ダクイさんとルドウさんが仲良くなってほしくないって、思ってるのに、そんなことを思ってる私を見られたくなくて、ルドウさんとダクイさんの間を取り持つようなことを言うんです」
普段のスイカがポーカーフェイスで淡々と喋るのは、そういう性格だったのではなく、スイカが自らの気持ちを隠していたからなのかもしれない。
「ちょっと待った」 ダクイは片手を広げて見せる。「どうして、俺とモモナが仲良くなるのを、そんなに阻止したいんだ?」
「それは、やっぱり特定の生徒と……。あーあ、駄目ですね。やっぱり私は理屈で逃げようとしています。これから言おうとしていることに理屈を付けて、安心しようとしています。私の気持ちに理由を探しています。根拠を求めています。こんなことだから、いつまで経っても何もできないって、何も叶えられないって、キイロ先輩に教えてもらったばかりなのに、もう……」 ベッドが軋む。見ると、スイカは後ろに手をついて上半身に角度をつけた姿勢で、そのまま首の力を抜くように天井を見上げていた。天井を向いたまま、スイカは放心したように口だけを動かした。「私って、面倒臭いですね。もう言います。私はダクイさんのことが好きです」
「はうぅ」 姿の見えないモモナが、動物の鳴き声のような音を発した。
ダクイは、自分が何を言われたのか、それが何を意味するのか、頭の中で咀嚼できずにいた。
「夢」 スイカがらしくない、気の抜けたような声で言った。目は未だに天井に向いたままだ。「夢、見つけました。私の夢は、今の私が心からしたいことは、ダクイさんに、私を好きになってもらうことです。私の夢、叶うでしょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます