18
「やっほー、待ってたよ」
三人で食堂を出ようと歩いているところを呼び止める声。
「キイロちゃん!」 モモナの声が弾む。「どうしたの?」
「また待ち伏せか?」 ダクイも尋ねる。
「まーね。でも、待ってたのはだっくんじゃないんだなあ」 言いながら、今朝と変わらない制服姿のキイロはこちらに近付いてくる。「ね、スーイカ」
おどけた調子で名前を呼ぶと、キイロはぽんと片手をスイカの頭に載せた。
「キイロ先輩……?」 スイカの声から戸惑いが感じられる。「どうしたんですか?」
「なーんか、吹っ切れたような顔してるね。言いたいことは言えたのかな?」 キイロが問いかける。
「言いたいこと……?」
「ふーん。とぼけるってことは、まだ伝えてないんだ。あっそう」 キイロはスイカの頭に置いていた手を、髪を撫でるようにして側頭部まで下げる。「いやー、だっくんにはアドバイスしておいたんだけど、想像以上にだっくんが鈍かったみたいだね」
「あの……」 スイカはちらりとダクイに目をやった。それからまたキイロに向く。「私に何か用事が——」
「そうやって自分の気持ちを隠してるうちは、結局さあ——」 キイロはスイカの側頭部に添えていた手をさらに下ろして、頬を手の平で包むように持って行った。「スイカには叶えるような夢はないままだし、いつまでも、何にもなれないままなんだよ」
「キイロ、先輩……?」
「タブレットで授業受けたり、体育に絶対出なかったり、いろいろ周りと違うことしてるみたいだけどさ」 キイロはスイカに言葉を投げつける。「そんなことしても、スイカが特別な何かになれるわけじゃあ、ないんだよ」
「それは……」 スイカはキイロから目を背けるように俯く。
先ほどまでモモナの話に笑っていたスイカの存在が、消されていくようだった。リセットされていくようだった。
「だっくんのこともそうでしょ。先生扱いしないで自分を印象付けたり、だっくんのやることにいちいち口出ししたり——」 キイロは一瞬だけモモナの方を見やって、またすぐスイカを正面から見据える。「その子みたいに夢もなければ強くもない。だからそうやって、表面的なことでしか自分を魅せられないスイカがさ、自分の中身と向き合わないスイカがさ、叶えられる夢なんてないの。何かになれるわけないの。伝えられる気持ちなんてないの。わかるよね?」
昼休みの終了、そして午後の授業開始を告げるチャイムが、天井のスピーカーから流れ出す。
お前に叶えられる夢なんてない、お前はいつまでも何にもなれないのだ。
重なる。
昨夜ハチリキがスイカに言おうとしていたこと。今さっきキイロがスイカに言ったこと。
繋がる。
ハチリキは常々言っていた。我々、と。ダクイはそれを反政府組織の他の人間だと思っていたが、ハチリキ以外の同類、つまり並行世界の未来から来た人間を、ダクイは知らないし、聞いたこともない。ハチリキが言う我々が、彼自身と誰のことを指していたのか。ハチリキは因子の夢を奪う方向に進めようとしていた。キイロの夢はファッション関係の仕事に就くこと。そのために制服ではなく私服でアカデミアに来ていた。それが、昨日から制服を着ていたこと。夢のために着ていた服を、着なくなっていたこと。その理由をキイロの口から聞けず終いだったこと。
チャイムが鳴り終わった。
「おいキイロ!」 ダクイは二人に詰め寄り、割って入るようにしてスイカの頬に伸びていたキイロの腕、その手首を掴み上げて、自分の方へ引っ張る。その際、スイカの目から頬にかけて、微かに濡れているのが蛍光灯の反射でわかった。「どういうことだ! ハチリキに何を言われた!」
「もう、うるさいよ、だっくん。今いいところなんだからさ、空気読んでよね。あと、キイロじゃなくてクロイロだから。朝言ったよね」 普段と何も変わらない、おどけた口調。ダクイを見上げるキイロの口元には、挑戦的な笑みが浮かんでいた。「それに、こんなことしていいのかな? この世界の人に怪我させちゃ、ダメなんじゃないの?」
「お前……!」 ダクイはキイロの手首を放す。
「なーんだ、だっくんもそんな風に怒鳴ったりするんだ」 あはは、と快活に笑いながら、キイロはさっきまでダクイが掴んでいた手首を確かめるように胸の前で振る。それから手の平を見せるようにして指を広げた。「良かったね、だっくん。怪我してないみたい」
その手首をもう一度掴もうとして伸ばしかけた腕を、しかしダクイは引っ込める。
「そうそう。冷静にね。そっちの方がだっくんらしくてカッコいいぜ」 にっしっし、と今度は悪戯をした少年のように笑うキイロ。「授業中の食堂は誰もいないからさ、やっと二人きりでお喋りできそうじゃん。いっつもスイカとかその子の話ばっかで、私の話がほとんどできなかったからさ」
「ああ、俺もつい今さっき、お前に聞きたいことが山ほどできたところだ」 キイロに会話、つまり話し合いの意思があることがわかったので、ようやくダクイは彼女から目を離して、モモナとスイカの方を向くことができた。「モモナ、スイカを連れて教室に戻ってくれ。キイロと二人で話がしたい」
「うん。わかった」 何度か中庭のベンチで話した時と変わらない、落ち着いた声。「じゃあね、ダクイ先生。また後で」
「ああ、後でな」 ダクイもできるだけ普段通りに返した。
「スイカちゃん、大丈夫?」 モモナは、スイカの手を取って、その手にウニを抱えさせた。そしてフリーになった自身の両手、その片方で肩からずり落ちていたスイカの鞄を戻して、その手をウニを掴むスイカの手に重ねる。それからもう一方の手でスイカの頬を拭った。「行こう。授業始まってるよ」
「うん……。ありがとう。ごめんね」 スイカは力なく頷く。モモナに手を引かれる形で歩き出す。食堂の出入り口まで行くと、最後にこちらを見てから、またすぐ前を向き直して、食堂から出て行った。
ダクイとキイロ、スイカはどちらを見たのか、距離があったのでわからなかった。
「なになにだっくん、あの子といい感じじゃん」 どうやらキイロも二人が立ち去るのを待ってくれていたらしい。二人だけになってからまた喋り出した。「ホントにだっくんがあの子の世界を、ウニと一緒に幸せに暮らせる世界にしちゃうかもね」
「どこまで知ってる」
「さあ、私にはどれで全部なのか、どこまでホントなのかわからないし。後でリッキーに聞いてみれば?」
「リッキー? ああ、ハチリキのリキか……。ああいうやつにまでニックネーム付けるんだな」
「だって好きだし」
「好きって……」
「えっ? ああ、違う違う。リッキーのことが好きなんじゃなくて、ニックネームをつけるのが好きなの。変な勘違いやめてよね。怖い怖い。あんな不気味なおじさん、好きになるわけないっしょ。ただでさえ変な感じなのに、どこからか急に現れてさ、目の前で消えちゃうんだよね。何あれ? だっくんもできるの? あんなの見せられたら信じちゃうじゃん。未来とか別の世界とか、ウソみたいだけどさ。ホント……、ウソだったらいいのに……」
キイロはヘラヘラした顔をして話しているが、言葉尻が涙声になっていたようにダクイは感じた。
「キイロ? おい、大丈夫か?」
「あはは。大丈夫か、だって。馬鹿みたい。大丈夫って何? もしかだっくん、私の心配してるわけ?」 やはり涙声だ。ダクイの気のせいではなく、はっきりと。涙こそ流していなし、顔は笑っているが、声が泣いている。「あーあ、ダメだ。せっかく二人きりになれたのに、お喋りする気分じゃなくなっちゃったぜ、もう……」
キイロは食堂の天井を見上げるように首を上げると、手の甲で目元を覆うようにして鼻を啜った。
「ハチリキに何を言われたんだ?」
「あー、うぅ」 キイロは目元を隠したままダクイに背中を向けた。それから手を下ろす。「ホントにダメだ。こんな顔見せれないじゃん。ゴメンだっくん。また今度喋ろう。とりま、スイカのところに行ってあげれば? 今日は木曜だから、確かスイカのクラス、五限目は体育だったと思うし、どうせ教室じゃなくて保健室に行ったと思うぜ」
「お前は……、お前は大丈夫なのか?」 ダクイはキイロに近付く。「お前も一緒に保健室に——」
「行かない」 断言して、キイロは涙声で笑う。「こっち来るな。優しくするな。せっかくのクロイロが揺らいじまうぜ」
「次に会った時に、話してくれるか?」
「うん。話す話す。約束」 背中を向けたままキイロは片手を雑に振って見せた。「だから今はスイカのところに行ってあげれば? ここからがだっくんの正念場だぜ。スイカのこと、私の可愛い後輩のこと、よろしく頼んだ」
振っていた手で今度はサムズアップ。
「じゃあ、俺は行くけど——、大丈夫なんだな?」 ダクイは躊躇いながらも、後退りしてキイロから離れる。「その……、何だ……、ハチリキに何を言われたか知らないけど、思い詰めるなよ」
「おうよ。またな」
キイロも歩き始める。おそらく、高等部に近い方の出入り口を使うのだろう。中等部の校舎へ戻らないといけないダクイは、そんなキイロを今は見送ることしかできない。
「ああ、またな。絶対、また会うからな」 ダクイは離れていくキイロの後ろ姿に声を飛ばすと、気持ちを置いて振り切るように身体の向きを変えて、駆け出した。
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