16

 ダクイは朝から校門の側に立って、登校してくる生徒に朝の挨拶をしていた。一昨日、モモナからウニを没収するために参加した挨拶運動だ。目的のためだったとはいえ、その一度きりで辞めてしまうのは印象が良くない。教育実習生として模範的であろうという熱意はないが、それでアカデミアの中で動きにくくなるのは困るので、しばらくは参加を続けるつもりだ。おまけに、昨日はアカデミアに来る途中に昼飯を買うこともできないほど家を出るのが遅れてしまったので、挨拶運動にも参加できなかった。自ら志願しながら二日目にして欠席という、心証があまりよろしくない状態になっていた。これならそもそも挨拶運動に一度も参加しなかった方がまだマシだ。今のところ誰もその件について責めてこないが、形式上は生徒が自発的に行っている運動ということになっているので、良くも悪くも先生が口を出せないというのもある。だからダクイを責める権利があるのは挨拶運動に関与している生徒だけなのだが、どこに来たばかりの教育実習生に堂々と苦言を呈することができる生徒がいるだろう。

「おはようございます、ダクイさん」 センサーが存在を感知して自動的に発したかのような抑揚と感情のなさで繰り出される挨拶。「朝からご立派ですね。昨日はいなかったので、てっきり一日で辞めてしまったのかと思ってました」

 ダクイを遠慮なく皮肉れる生徒がいた。ミナモ・スイカだ。

「朝から絶好調だな」

「ダクイさんこそ、まさかまたルドウさんからウニを没収するつもりですか?」

「しない。ウニがモモナにとってどういう存在か、思い知った。思い知らされた。ウニはモモナが持ってなきゃいけないし、モモナはウニを持ってなきゃダメだ」

「そうですか」 聞いてきたわりに素っ気ない返事で済ませるスイカ。モモナのことを心配しているわけではなかったのだろうか。

 ダクイはスイカの表情を観察するが、変化の有無はわからない。そして何より、モモナとスイカの関係を図り取れない。それが今日の昼休みで何か掴めるだろうか。うまく計画通りに話が運べればいいのだが。スイカの吊り目は、睨むようにダクイを見上げている。

「今日も——」 昼休みは食堂に行くのか、と聞きかけたが、ダクイは自らに待ったをかける。推察に長けたスイカのことだ。ここで昼休みや食堂の話をすれば、警戒して今日は食堂に来ないかもしれない。「今日も、頑張ろうな」

「そうですね。ダクイさんは頑張らないと先生になれませんから」

「そうだな」 ダクイは頷いて同意。

「そうです」 スイカは頷かず同意。

 他の生徒に挨拶をされたので、ダクイはそちらを向いて挨拶を返す。元の場所を見ると、すでにスイカは昇降口の方へ早足で去っていた。

「なーんか——」 ダクイの背後から声。「仲良くなってない?」

 驚いて振り返ると、タタラ・キイロがダクイに触れそうなくらい近くに立っていた。

「うおっ!」 ダクイは距離の近さに驚いて咄嗟に飛び退く。「お前……、びっくりさせるなよ」

「サプラーイズ。いやー、なんかだっくんがスイカと楽しそうに話してるからさ、何の話かなーと思って、後ろからこっそり近付いて盗み聞きしてたわけよ」

「待ち伏せとか盗み聞きとか、好きだなお前」

「だからサプライズだって。エンターテイメント。だっくんももっと楽しめばいいのに、タタラ・キイロという掴めない存在を。にしてもだっくん、どったの?」 ちょいちょい、とキイロは肘でダクイを小突く。「スイカと仲良くなっちゃって。何かした? やっちゃった?」

「何もしてない。別に、仲良くはなかっただろ。相変わらずさん付けだし、挨拶も素っ気ないし」

「ううーん、わかってないねえ」 キイロは片手を顎に当てて軽く首を傾げてから、片目を閉じてウインクした。「スイカは感情を表に出さないからさ、だっくんがしっかり汲み取ってやんなきゃダメだぜ」

「表に出さないだけか? 単純に感情より理性とか理論で動いてるだけな気がするが。お前も言ってたじゃないか、理屈屋だって」

「言ったっけ? でもま、理屈で動いてるからって、感情がないわけじゃないんだからさ。ロボットじゃないんだぜ。一人の人間、一人の女の子」 キイロは両腕を軽く広げると、体の正面をダクイに向けたまま、顔は足元を確かめるように下へ向けて、よっ、よっ、よっと一歩ごとに言いつつ大股で三歩後退。そうして距離を取ると、全身を見せるように腰に手を当ててダクイを見据えた。「淡々と喋るし、けっこうずけずけ言うから、そっちが気になっちゃうかもだけど、もっとスイカの動きを見てやんな」

「動き……?」

「はあ……、やれやれまったくぅ。じゃあ今回だけ、チュートリアルってことで、特別だぜ」 キイロは右手をピストルのようにして、顔の前でダクイに向ける。「ちょっとでも話が終わったと思ったら自分の世界に入るか、その場からスタスタ立ち去るスイカが、さっきはわざわざ立ち止まったまま、だっくんが何か言うのを待ってた時間があったんだなあ」

「そんな時間あったか?」

「だーかーらぁ、言葉だけじゃなくて動きもちゃんと見なきゃって言ってんの」

「動きを見る……」 その言葉に釣られて、ダクイはとりあえず目の前にいるキイロを意識してみる。黒いセーラー服を着たキイロを。「そういえば、昨日から制服だよな」

「ふっふっふ……。その通り。そしてアカデミアの制服を着た私は、もはやタタラ・キイロではないのだよ」 大人ぶったような、いつもより低い声でキイロは思わせぶりな言い方をする。「まったく、私とタタラ・キイロの違いもわからないとは、困ったものだな、だっくん」

 その喋り方はハチリキを連想させるので、できればやめてもらいたいのだが。それに彼女はタタラ・キイロでしかない。ダクイが呆れた視線を送っていると、キイロが求めるような視線を返してきた。

「じゃあ、お前は一体誰なんだ?」 仕方なくダクイは聞いてやった。

「ふっ、私か? 私は……」 キイロはゆっくりと目を閉じると、その目をまたゆっくりと開いた。「タタラ・クロイロだ!」

 キイロは真っ直ぐ前に右腕を伸ばして、人差し指をダクイに突きつけた。

 案の定、考えていた通りの答えが返ってきて、ダクイは両手の平を上にして首を振る。

「いやまあ、確かに黒いけど……」 キイロが着ている、キイロ以外の生徒も着ているが、中等部の女子制服は黒いセーラー服だ。「てことはお前、自分の名前がキイロだから黄色い服ばかり着てたってことか?」

「当たり前じゃん。せっかく色の名前なんだから、活かさない手はないっしょ」 いつも通りのお気楽な喋り方に戻るキイロ。「何もしなくても、名前を見せたり言ったりするだけでイメージカラーが定着するんだから。おっ得ぅ!」

「逆に他の色の服を着にくくならないか?」

「そん時は名前を変えるよ」 頭の後ろで手を組んだいつものスタイルでキイロは言う。「例えば赤色なら、タタラ・アカイロ」

「それでいいのか……」 だがしかし、アカイロなど名前としては不自然なはずなのに、キイロに慣れてしまったせいか、そこまで不自然に感じない。「で、どうして制服なんだ? 夢のためにファッションセンスを磨いてるんじゃなかったのか」

「だーかーらぁ、それはタタラ・キイロのことでしょ。私はタタラ・クロイロなんだから、一緒にしないでよね」

「はいはい、そういうキャラで行くんだな。あくまでもクロイロだと」 ダクイはキイロの頭髪をぼんやりと見つめる。相変わらず茶髪をベースに、毛先が銀色にうねっている。そこは黒色にしないんだな、と言ってやりたくなったが、挨拶運動の最中だという自覚は持っていたので、今は控えた。「ま、ちゃんと制服を着てくるのはいいことだからな」

「そそ。みんなハッピー、ウィンウィンよ。てなわけでよろしくぅ!」 先ほど人差し指を突き付けた時と同じポーズで、今度は親指を立てて見せる。「気軽にクロイロと呼んでくれたまえ。そんじゃ、あばよ!」

 片手を上げるとキイロは身を翻して、忍者を思わせるような腕を広げて前屈みになった格好で走り去った。

「朝から元気だなぁ……」 あくびを噛み殺すついでにダクイは呟いた。

 それにしても、さっきからずっと妙に身のこなしが軽いと思っていたら、キイロが鞄を持っていなかったことに、去る背中を見て今更気がついた。登校するなら鞄は必携のはずだ。制服を着ていても、クロイロを名乗っていても、結局のところ、タタラ・キイロはタタラ・キイロなのだと、ダクイはどこか安心したのだった。

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