14
中庭のベンチに座るルドウ・モモナの姿は、すでにダクイにとって見慣れた景色になっていた。中庭をイメージする際は、必ずモモナが付いてくる。アカデミアに来て三日目のダクイがそうなのだから、きっと知っている人にとって、放課後のモモナが中庭にいることは当たり前のことなのだろう。そして、中庭とモモナがセットなように、モモナにはウニがセットだ。つまり、中庭のベンチに座るモモナ、その膝の上に犬のぬいぐるみ、ウニがいた。
「よう、元気か」
「あ、ダクイ先生。うん。私もウニも元気だよ」 応えてから、ほっとしたようにモモナは微笑んだ。「もう来ないんじゃないかなって、思ってたんだ」
「どうして?」 モモナの隣、正確には間に一人分のスペースを開けて、同じベンチにダクイは腰を下ろす。「別に、来ないなんて言ってないだろ」
「うーん……」 人差し指を顎に当てて顔を斜めにするモモナ。「わからない。なんとなくかな。こうやって、二人でお話しすることはもうないんじゃないかなって、なんとなく思ってたの」
「そんなことない。昨日言っただろ、お前の夢は俺が叶えるって」 こうして改めて口に出すと恥ずかしいが、言ったことは事実なのだから仕方がない。ここで変に恥ずかしがる方が、モモナに失礼というものだ。
「それなら私も言ったよ。私の夢は私が自分で叶えるって。あ、そっか」 パンと胸の前で、否、胸の前のウニの前でモモナは柏手を打つ。「だからダクイ先生と、もう話せないような気がしたんだね。せっかくダクイ先生が私とウニが幸せに暮らせる世界にしてくれるって言ったのに、私がそれを断ったから、だから見放されたんじゃないかなって」
「見放したりなんかしない。自分の夢は自分で叶えるって言えるのは立派だと思うぞ」 キイロが羨むのも無理はない。彼女だって、自力で夢を叶えようとしている一人なのだから。「だから、そうだな。少し訂正するよ。俺はお前が夢を叶えるのを手伝う。それならいいだろ?」
「うーん、いいのかな? あっ、じゃあ私もダクイ先生の夢を手伝うよ!」
「それは——、気持ちだけもらっておくよ。生徒に手伝ってもらわないといけないほど、行き詰まってないからな。こうやって、教育実習生としてアカデミアに来れてるわけだし。順調と言えば順調だ」
「そっか、そうだよね」 うんうん、と納得したように首を縦に振るモモナ。「ダクイ先生なら、この勢いですぐに本当の先生になれるよ!」
「ありがとうな」 教師になるつもりはさらさらないが、ダクイは話を合わせておいた。「しかし手伝うとは言ったものの、ところでお前の夢は、具体的にはどうなれば叶ったことになるんだ?」
「えーとねえ……」 モモナは片手をウニの頭に優しく載せた。「私とウニが幸せに暮らせる世界に行くことでしょ。うーん、どうなれば、か……。どうなればいいんだろうね。よくわからないや」
「よくわからない夢を叶えようとしてるのか?」
「そうだね」 モモナは簡単に認めた。「わからないけど、それは諦める理由にはならないって、私は思うよ。やっぱり、考えるだけで楽しくて素敵なんだもん、私とウニが幸せに暮らせる世界」
「夢って、そういうものなのかもな……」 昼のスイカとの会話を思い出す。「考えるだけでワクワクできるような、そんなので、いいんだよな」
「うん。いいと思うよ」
モモナもスイカも、同じ中学二年生だ。数ヶ月の差こそあれ、同じ年齢のはずである。夢に対するこのスタンスの違いは何だろうか。どちらも極端すぎやしないだろうか。抽象的な考えなのに夢を叶えようとするモモナ。具体的に考えすぎて夢を持たないスイカ。
「ミナモ・スイカ——。一昨日保健室で一緒になっただろ」
「うん。スイカちゃんがどうかした?」 モモナからすれば、ダクイの口からスイカの名前が出たのが突然だったのだろう。不思議そうに首を傾げている。
「仲、良いのか?」
「うーん、良いのかな? 悪くはないと思うけど……。たまに保健室で話すくらいだし、保健室仲間……?」
「そういえばそう言ってたな。保健室以外で喋ったりしないのか?」
「うん。しないかな」
「会わないわけじゃないだろ? 例えば、廊下ですれ違ったりとか」
「同じ学年だし、すれ違うことはあるけど、スイカちゃん、いつも一人で早足で歩いてるから、急いでるみたいで、ちょっと声かけにくいかな」 言われてみれば、今朝の一限目終了後、保健室に向かうスイカも、やけに早足だった。「ねえ、スイカちゃんがどうかしたの?」
不思議そうにしていた表情が、心配そうな表情に変わっている。考えてみれば、スイカにモモナの話は何度もしていたが、モモナにスイカの話をするのは初めてだ。不意にスイカの名前を出されて、何かあったのではないかと心配になるのも無理はない。
「今日の昼休み、たまたま食堂で会ってな。ちょっと話したんだ」
「へえ。スイカちゃん食堂に行くんだ。私行ったことない」
「中等部の生徒はあんまり行かないみたいだな。高等部の生徒ばかりだった。やっぱり、高等部のエリアにあると行きにくいか?」
「ちょっと遠いし、それに高等部の人に囲まれてご飯を食べるのは、ちょっと気持ち的に窮屈かな。行ってみたら、そんなことないのかもしれないけど」
「やっぱりそうなのか」 それはどうにかした方が良いかもしれないという思いがよぎったが、教育実習生の、それも偽りのダクイがわざわざアカデミアの改善に動く義理はない。
「ねえねえ、それで、スイカちゃんとどんなお話したの?」 モモナは尋ねる。
「夢の話だ。あいつには夢がないらしい」 人の夢を勝手に言いふらすのは悪い気がするが、夢がないことを言いふらすのには、なぜか抵抗がなかった。それにスイカの性格を鑑みても、これで気を悪くすることもないだろう。相手がモモナとなればなおさらだ。
「ふうん、そうなんだ。スイカちゃんならどんな夢も叶えられそうなのに」
「まあ、確かに、そういう雰囲気はあるな」 ダクイはモモナの真っ直ぐな目を受け止める。どうやらモモナは気休めなどではなく本気で言っている。「スイカに、お前の夢は話してるのか?」
「スイカちゃんに?」 どうしてそんなことを聞くのか、と聞きたげな調子でモモナは答えた。「うん。言ったよ」
「笑われたか?」
初めてこの中庭でモモナと話した時、話しても笑われるからと、彼女は夢を言わなかった。
「ううん。スイカちゃんは、笑わないよ。笑わなかったよ。そんな子じゃないもん」
モモナはウニを通してしか人を見ることができない。端的に言うと、ウニをモモナのぬいぐるみ扱いするか家族扱いするかどうかが、彼女にとっての判断基準なのだ。そして、スイカは後者である。彼女はウニをモモナの家族だと受け入れている。昨日、ダクイがウニを没収したと知ったスイカの反応からも明らかだ。だからモモナはスイカを信用している。
「明日の昼、一緒に食堂に行かないか?」 ダクイは思いついて、モモナに誘いを持ちかけた。「スイカもいるから、たまには保健室以外で話してみるのもいいんじゃないか?」
「それは、スイカちゃんとダクイ先生と私の三人で、お昼ご飯を食べるってことかな?」
「ああ、そうなるな」
「やった! すごく楽しみ!」 モモナは膝を伸ばして、足先を左右交互に前後に動かす。「早く明日のお昼にならないかなあ」
スイカが明日の昼も食堂にいる確証はなかったが、ダクイはどこか確信めいたものを感じていた。スイカは明日も明後日も、つまり毎日、昼休みには食堂にいると。
一人で座っていたスイカの姿が思い起こされる。すでに空になった食器。膝の上に置かれた鞄。姿勢良く伸びた背筋。睨むような吊り目。食堂での姿に限らない。保健室でモモナやキイロと話す姿。教室、机にタブレット端末を出して授業を受ける姿。そういった印象のピースを繋げると、ダクイの中でミナモ・スイカのパーソナリティが固まっていく。
隣のモモナに目をやると、陽光を受けるように顔を斜め上に向け、遠い空を見つめていた。彼女の中では、その空は明日の昼に繋がっているのかもしれない。繋がったのかもしれない。
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