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 中高一貫のアカデミアは、一般的な中学校よりも設備が充実している。その一例が食堂だ。ダクイの知識では、食堂がある中学校は珍しい。高校も兼ねているからこそのサービスだ。また、それができるほどアカデミアの敷地に余裕があるというのもある。

 そんな食堂に昼休み、ダクイは訪れてみた。昨日までは自宅からアカデミアへの道中にコンビニで買っておいたパンやおにぎりを食べていたが、今朝はその余裕がなかったのだ。昨日の一件からモモナやハチリキのことを考えていたらなかなか寝付けず、いつもより起きるのが遅くなった。その皺寄せを受けたのが、昼飯を買う時間だったわけだ。食堂は校舎とは独立した建物で、購買も兼ねているため、そこそこの大きさだ。そんな食堂は高等部に隣接するように建っている。なので、高等部のエリアを通らないと食堂へは行けない。中等部の教育実習生として来ているダクイにとっては、あまり縁のない場所だ。寝過ごしていなければ一生訪れることはなかったかもしれない。そんな場所にあるからか、食堂に入ると、高等部の生徒ばかりだった。そんな中だから、中等部の制服が目立つ。中等部は黒地に赤、高等部は白地に青と、対照的な色使いになっているからだ。この食堂のような、どちらの生徒も利用する施設でもわかりやすくする目的があるのかもしれない。すでに教育実習生として三日目、もしかしたら知っている顔の生徒がいるかもしれない。そう思って目に付く中等部の生徒を順に見ていると、いた。

 よりによってミナモ・スイカだ。

 しかし、彼女らしいとも思った。高等部の生徒の利用が多く、中等部の生徒は遠慮しそうなものだが、スイカはそういうことを気にしないだろう。中等部の生徒も食堂を利用する権利があることを主張し、堂々とした態度を貫く姿が似合う。まあ、そもそも食堂に中等部の生徒がいることに文句を言う人などいないが。

「文句ね……」 今朝のスイカとのやりとりを思い出して、ダクイは一人小さく呟いた。

 食券を購入し、生徒に混じって列に並ぶ。天丼が載ったトレイを受け取って振り向く。時間にして五分もかかっていない。ミナモ・スイカも変わらず、先ほど見た時と同じ席にいた。そして、その向かいの席は空席だ。そこへ向かってダクイは移動する。

「よう」 言いながら、ダクイはスイカの正面に座る。「一人か?」

「ダクイさんですか。こんにちは」 普段通り頭を下げない口だけの挨拶。そしてダクイを睨むように見据える。本当に睨まれているのか、スイカの吊り目がそう思わせるのか、実際のところはダクイにはわからない。「一人ですよ。二人に見えますか?」

「三人には見えない」

 へえ、と驚いたような感心したような声を発するスイカ。

「意外です。そういう返しができるんですね。もっと生真面目で面白みのない人だと思ってました」

「そんな風に思ってたのか……」 不意に発覚した自分への低評価に戸惑いつつも、どうにかダクイは言葉を繋ぐ。「別に生真面目にしてるつもりはないけど、今が昼休みってのはあるかもな。授業中は気が張ってるのかもしれない」

「ダクイさんが気を張っても、何も変わりませんよ。ただの教育実習生ですし」

「それはそうだが、やっぱり慣れないからな。いつか俺も授業をしないといけないと考えると気が重いよ」

「後ろ向きですね。もっと前向きかと思ってました。教師になるのが、先生として授業をするのが、子供を教えて育てるのが、ダクイさんの夢ではないんですか?」

 危ない。つまらないことで墓穴を掘ってしまうところだった。ダクイは目的のために教育実習生を演じているという感覚なので、教師を目指しているというモチベーションがない。なので、教育実習生としてのカリキュラムはダクイにとって、ただの作業なのだ。面倒そうな作業は避けたいと考えるのが常である。それに、いくら模範的な教育実習生を演じたところで、ダクイの夢には何も繋がらない。

「夢ね……」 そんなダクイの心持ちをそのまま話すわけにはいかず、ダクイは適当にはぐらかすことにした。「夢ってほどじゃないよ。なれるんならなろうかなってくらいだ」

「そんな気持ちで先生になられると、生徒が迷惑です」

「そうかもな」 ダクイは素直に頷いた。アカデミアで活動するために教育実習生をしているだけだ、教師になるつもりはないから安心してくれ、と言ってやりたいが、そうはいかない。「お前は何かあるのか? 夢」

 夢の話題になったので、話を逸らす目的も兼ねて、この機会に乗じてダクイはスイカに探りを入れることにした。モモナの夢については昨日理解したし、キイロの夢も昨日本人が自ら喋ってくれた。スイカの夢だけがまだ把握できていない状況だ。

「いえ、特にありません」 即答するスイカ。「きっと、私もダクイさんと同じです」

「同じ? 俺は別に、夢がないってわけじゃないが——」

「夢の有無ではなく、夢の選び方です」 他の生徒が食事などで背中を丸めている中、スイカは姿勢良く背筋を伸ばしている。「例えば、キイロ先輩は夢のために動いています。先に夢があって、それを叶えようとしてます。でもきっと、私はそんなことしません。今の私でも叶えられそうな夢から一つを選んで、それを叶えるだけ。なれるんならなろうかなって、ダクイさんがさっき言ったその通りです。何か夢を叶えないといけない時になってから、叶えられそうな夢を選ぶんです」

「なるほどね……」 ダクイはスイカの言葉を咀嚼する。「叶えられそうな夢を選ぶ、か……。でもそれって、夢って言っていいのか?」

「夢と言うよりは仕事でしょうね。夢が仕事になればいいんですけど、ほとんどの人が仕事を夢にしていると思います。よく子供に聞いた将来の夢がランキング形式になっていますが、あれって、将来就きたい職業ランキングでもありますよね。例えば、宇宙に行きたいという夢を叶えようとすれば、宇宙飛行士という職業を目指すことになります。宇宙に行く手段は宇宙飛行士になることだけじゃないのに、宇宙飛行士を目指すんです。それって、夢は仕事にならないといけないって、決めつけてるからですよね」

「まあ、いつまでも夢を追い求めてフラフラしてるわけにもいかないからな。世間的に」

「そうなんです。結局、稼がないといけないんですよ。稼ぐために夢を諦める。夢を置き換える。大人は働かないといけないという圧力に、夢が潰されるんです。だから、本当に夢を叶えたいなら、働かなくても許されるうちに叶えないといけない。叶える用意をしないといけない。本当は誰だって、キイロ先輩みたいにするべきなんです。授業なんて放り出して、夢のために時間を使うべきなんです。そうしないと、学校で授業を受けているうちに、働かないといけない歳になります。そうなったら、夢なんて叶えている暇はありません」

「わからないでもないが、いや、俺の立場的に理解を示しちゃいけないんだろうけど、そうだな。でも、そこまで考えてるお前がどうして……」 どう言えばいいのかわからず、ダクイは口から息を吸って食堂の天井を見上げる。そしてゆっくりと鼻から空気を吐き出す。

「夢も持たず律儀に授業に出ているのか」 スイカが言った。「そう聞きたいんですね?」

「まあ……、そうだな」

「それは単に、私が保守的なだけです。目指した夢が、必ず叶うという保証はありませんから。むしろ叶わない方が大多数です。それに、夢を叶えなくても生きていけます。お金が稼げるのなら、夢を叶えなくてもいい。そういう風に捉えることもできます。実際、そういう人もたくさんいますよね。きっと私もそうなります。叶えられそうな夢から、いえ、なれそうな職業から、一番お金になりそうなものを選ぶんです」

「それはまた……、なんというか、夢のない話だな」

「ええ。だから言ったじゃないですか。私に夢はありません」

 モモナは子供っぽいけどスイカはしっかりしている。キイロが言っていたことを思い出して、なるほどと、ダクイは今になって得心した。

「冷めますよ」 スイカが言う。

「まあ、夢は仕事にならなきゃいけない、金にならなきゃいけないとか考えたら、気持ちも冷めるよな」

「いえ、それです」 スイカが指差したのは、ダクイの前に置かれているどんぶりだった。「天丼、食べないんですか? もうすぐお昼休みが終わりますよ」

「お、おう。そうだな」 食堂の壁にかかっている時計を一瞬見やってから、ダクイは急いで割り箸を割る。

 一方で、スイカの前に置かれているトレイ。そこに載っている小さな皿は空っぽだ。ただ、その皿は綺麗ではなく、食べ物が載っていたことは確かである。ダクイが来た時からそうだった。ダクイが来るより前に、スイカはとうに食事を終えていたということだ。それなのに、どうしてトレイも片付けずに一人で席に座っていたのか。不思議に感じつつも、ダクイは箸で白米の上に乗った天ぷらを口に入れていく。

「では、私は教室に戻ります」 ずっと膝の上に置いていた鞄を手に取り、スイカは立ち上がる。鞄の持ち手を肩に通して空いた両手でトレイを持ち上げると、特に挨拶もなく彼女は立ち去った。

 ダクイが知っている未来のミナモ・スイカは、研究者だ。この世界とダクイの世界を繋げる装置を開発した張本人である。しかし、今のスイカの話を聞いてから改めて研究者という職業を思えば、いかにも叶えられそうだから選ばれた現実的な職業のように感じられた。

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