12

「あ、来た来た」 保健室とは似つかわしくない快活なその声の主は、タタラ・キイロだった。「いつもよりちょっと遅いじゃん。て、なんだ、だっくんも一緒かあ。それで遅かったわけね。なーる」

 ここにも授業に出ない生徒が一人いた。なんなら、スイカが体育に出ないのに対して、キイロはそもそも授業全般に出ないというたちの悪さだ。もはやダクイは注意する気にもならない。きっと、他の先生も同じなのだろう。

「おはようございます、キイロ先輩」 言いながら、スイカは出入り口に近い方のベッドに腰掛けて、膝の上に鞄を置く。奥のベッドにはキイロが座っているわけで、二つしかない保健室のベッドは、これで埋まってしまった。

「もしも本当に体調不良の生徒がやってきたらどうするんだ」 ダクイは試しに尋ねてみた。

「その時は譲ります」 即答するスイカ。

「そそ」 同意するキイロ。「ま、そん時は私が出て行くよ。スイカの方が体調不良寄りだし」

「体調不良寄り?」 その言い方の意味するところがわからず、ダクイはキイロの言葉に疑問符をつけて繰り返す。

「だって、スイカは体調不良になるから先回りして保健室に来てるわけっしょ? それが簡単に他の生徒に譲っちゃったらおかしいじゃん」

「あー、まあ、言わんとすることはわからないでもないが……」 その発言がキイロから出るということは、彼女はスイカの言い分を信じているわけだ。「お前は、見たことあるのか? こいつが体を動かして体調を崩すとこ」

「うん? ないよ」 言ってから、キイロはケラケラと笑った。「疑いたくなる気持ちはわかるけどさ、疑ったってしょうがないっしょ。本人がそう言ってるんだから、そうなんじゃない? それに、スイカがサボりでもそうじゃなくても、私には関係ないし」

「まあ、それもそうか」 教育実習生という立場上、まったく気にしないわけにもいかないダクイに対して、タタラ・キイロはただの生徒だ。他の生徒の素行がどうであれ何も影響はない。

 むしろ、その考えがあるからこそのキイロの素行とも言えよう。その素行の良し悪しは置いておいて。おまけに、立場の話をするならダクイだって、目的のために教育実習生という立場に身を置いているだけで、別に教育実習生としての模範的振る舞いをする必要性はないのである。

「で、どう?」 何が、と聞きたくなる短い問いかけは、キイロの視線からして、スイカへ向けられたものらしい。

「何がですか?」 二人の関係ならそんな短い問いかけでも通じるのかと思ったが、そうでもなかったらしい。スイカが問い返す。

「だっくんだよ。ちょっとは見直した?」

「それが聞きたくて待ち伏せしてたんですか……」 呆れたようにスイカは息を漏らす。

 対象がスイカだったから、その発言でようやく気付いたが、キイロは待ち伏せしていたのだ。昨日、職員室へ向かう階段の踊り場でダクイを待っていたように、今日は保健室でスイカを待っていたわけだ。そうして待ち伏せしてまで聞きたかったことが自分に関することとは、ダクイはどこか居心地の悪さを感じた。居合わせない方が良かったのかもしれないと。

「ま、聞くまでもないかもしれないけどさ」 キイロは頭の後ろで手を組むと、そのまま上半身を倒してベッドで仰向けになった。「昨日は文句たらたらだったのが、こうして二人一緒に仲良く保健室までおしゃべりしながら来たわけだし」

「いえ、別に仲良く来たわけじゃ……」 スイカはどこか困った顔でダクイの方を向く。「ダクイさんが、一人で喋りながらついてきただけです」

「その言い方だと、俺が変な奴みたいになるだろ。というか、文句たらたらだったのか?」

「キイロ先輩が大袈裟に言ってるだけです」

「そーかな?」 仰向けのまま、キイロの声が天井に向かって飛ぶ。「あの子からウニを取り上げた、何もわかってない、所詮あの人も他の大人と同じだ、とか、色々騒いでたけどなぁ」

「内容は合ってますけど、騒いていたという言い方は語弊があります」

「内容があってるんならいいじゃん」 唇を尖らせるキイロ。「で、そんなだっくんも改心してあの子にぬいぐるみを返却したわけだし」

「改心、ですか」 スイカの探るような視線がダクイに刺さる。その言葉の意味するところを考えているのだろう。どこまで心を改めたのか、どれほどモモナを理解したのか、と。

「ウニとモモナの関係を誤解してたんだ」 ダクイは自分から言うことにした。「てっきりウニを心の支えにしてるものだと思ってたんだが、違った。ウニを通して、あいつは現実と向き合っている」

「なるほど……」 片手を顎に当てて、スイカは何事かを考えるように俯く。その反応は、自分の考えに何か間違いがあるのだろうかと、ダクイを不安にさせた。「ルドウさんが現実を——」

「スーイカ」 キイロが戯けた声調でスイカの言葉を遮る。「そこはそんなにこだわらなくていいからさ。とにかく、だっくんはそれなりに信用してもいいってこと」

「それなりなのか」 両手の平を上に向けて、やれやれとダクイは首を横に振る。しかし、ダクイとしても目的のために二人やモモナに近付いているので、万全の信用が得られなくても仕方ないと思えた。

「別に、信用してないわけでは」 壁の方を向いて、つまりダクイともキイロとも目を合わせずに、スイカは呟くように言った。

「ふーん。ならいいや!」 ガバッと上半身を起こすと、その勢いのままキイロは立ち上がった。「そろそろみっちゃんが来る頃だし、退散しようかな」

「みっちゃん?」

「保健室の先生です」 スイカが教えてくれた。

 一昨日、濡れたモモナを連れてきたときに現れた白衣の先生を思い出す。あの場にはスイカもいた。

「だっくんも逃げた方がいいんじゃない? 周りから見れば、だっくんも普通にサボりだよ」

「あー」 ダクイは、今の保健室の状態を客観的に見た図を頭に思い描く。キイロの言う通りだった。「そうだな、俺も出るよ」

「そうですか」 膝の上に置いていた鞄からスマートフォンを出すと、スイカはその画面に目を落とした。

 モモナだったらここでじゃあねとか別れの言葉を言ってくれるんだけどな、などと考えながら、扉の側で立ったままだったダクイは、体の向きを変えて扉を開ける。廊下に出て振り向くと、キイロも出てきて、扉を閉めた。

 とりあえず職員室へ向かう方へ歩き出すと、キイロもその横に並んだ。

「で、何か話があるんだろ?」 ダクイは先手を打つ。「わざわざ俺も一緒に保健室を出るように誘導して」

「おっ、さっすがー。だっくんも私のこと理解してきたね。ま、たいしたことじゃないよ。スイカをどうするつもりなのかなーと思って」

「それ、昨日もモモナで同じこと聞かれたな」

「そうだっけ? ほら、私って面倒見いいからさ、可愛い後輩ちゃん達をだっくんの魔の手から守らないといけないんだよね」

 キイロは冗談で言ったのかもしれないが、ダクイは内心で警戒を強める。もしかして、ダクイの正体か目的、あるいはその両方を知っているのでは、と。しかし、ここで下手に探りを入れて、余計なことに勘付かれることは避けたい。

「魔の手って何だよ」 結局、ダクイは無難な受け答えに徹した。「別に何もしない。体育に出ない以外は、普通の生徒だろ。ああ、いや、ノートじゃなくてタブレット端末で授業を受けるのもあるか。まあ、別にそこまで問題視するようなことじゃない。教育実習生の俺があれこれ言っても仕方ないしな。それに、スイカは俺を先生とは区別して徹底的に教育実習生扱いしてるみたいだし、何か言ったところで聞く耳持たないだろ」

「それね。さっきもずっとだっくんのことダクイさんて呼んでたし。あの子はダクイ先生て呼んでくれるのにね」

「モモナのことか? そうそう、呼び方で言うと、ちょっと気になってたんだが、お前、どうしてモモナのことを『あの子』って言うんだ? 友達なんだろ。モモナと同じ学年のスイカは名前で『スイカ』って呼ぶのに」

「さあ……」 キイロは腕組みして首を捻る。「なんとなくかな。あの子はずっとぬいぐるみ持ってて子供っぽい見た目だし、スイカは喋り方とか考え方がしっかりしてるし、うん、それだけ」

「なんか、今この場でパッと考えた理由に聞こえるが」

「だーかーらあ、そんなもんなんだって。私は感覚の人間だからさ。スイカとかだっくんみたいに、いちいち自分にも他人にも理由付けしないわけ」

「その割には、スイカをどうするつもりかって、俺の行動に理由付けしようとしてたよな」

「もう、だからそれも含めて感覚なんだってば。わっかんないかなあ。なんか気になるんだよね、だっくんのことが」

 なるほど確かに、キイロの感覚は鋭いのかもしれない。先ほどの魔の手という表現も、あながち間違ってはいないのだから。

 ダクイは昇りの階段に足をかける。左を見ると、キイロは階段を降りようとしていた。

「どこに行くんだ?」

「どこにでも行くぜ。タタラ・キイロは誰にも止められないのさ! 私自身にもね」

「行くあてもなくうろついてるだけだろ」

「行くあてはあるんだな、これが」

「へえ、どこだ?」

「内緒」 口の前で人差し指を立てるキイロ。「次はどこで会えるか、お楽しみに」

「ああ、そうかい」 楽しみかどうかは置いておいて、また会うことは確かだろう。「まあ、ほどほどにな」

 何がほどほどなのか、言った自分でもわからないが、とりあえず挨拶代わりに片手をあげてから、ダクイは階段を昇り始める。

「おうよ」 下からキイロの声。

 次に会う時を楽しみにしているよ。

 別れ際のキイロの言葉で、ダクイは昨夜のハチリキを思い出した。

 これはダクイの勝手な連想だ。まさかキイロが意図したわけではあるまい。

 そういえば、今日のキイロは黒いセーラー服、つまり学校指定の制服を着ていた。それが生徒として当然の格好なので違和感がなかった。行くあてがあると言っていたので、制服でないといけない用事があるのかもしれない。

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