なれそうだったからなった研究者
11
ミナモ・スイカは悪目立ちしている。因子の一人としてダクイが意識しているから、ついつい悪いところが目立って見えるとか、そういう話でもない。もしもダクイが一般人、つまりこの世界に生まれてこの世界で育ってこの世界の教師を目指してアカデミアにやってきた、ごくごく一般的な教育実習生だったとしても、ミナモ・スイカは目についただろう。一度でも彼女のクラスの授業風景を見れば、その特異さに注目せざるを得なくなる。ダクイがその機会を得たのは、アカデミアに来て三日目、水曜日の一時限目のことだった。まだダクイが授業をすることはせず、授業を見学したり、先生のサポートをするだけだったが、それ故にずっとスイカが目についた。その存在感もさることながら、それを注意などせず、何事もないように、スイカを無視するように授業を進める先生も不思議だった。
結局、ダクイが終始スイカの挙動を気にしているうちに、授業は終わった。休み時間だ。
なまじスイカとは多少の関わりがあるし、ダクイの目的のためにも接触の機会は多いに越したことがないので、ダクイは彼女に声をかけていた。さすがのダクイでも、他の生徒の席の間を縫ってまでスイカには近付こうとは思えなかったが、幸いなことにスイカの席が一番後ろだったので、数歩近付けばいいだけだった。
「おい、なんだそれは」
「口調が強いですねダクイさん。そんなことでは、生徒に怖がられますよ」 言いながら、スイカは横にかけていた鞄を机に上げると、そこに授業中に広げていたあれこれをしまい始める。「おまけに言葉も足りません。それとはどれでしょう?」
「それだよ。今お前が鞄に入れようとしてるそれだ」
「ああ、これはタブレット端末です」 ダクイに見せるようにしてから、鞄に入れる。「他の物に見えましたか?」
「それが何かはわかる。聞きたいのは、どうしてそんなものを授業中に出してるのかってことだ」
「そんなの、授業中にノートを広げるのは当然じゃないですか。私のノートがタブレットなだけです。没収しますか? 昨日のウニみたいに」
別に没収までするつもりはなかったが、ウニを引き合いに出されると、ますます没収しづらい。なぜなら、結果的にダクイはモモナにウニを返しているからだ。ところで、それは昨日の放課後の話で、今は一限目の授業が終わったところ。時間としては丸一日も経っていないというのに、スイカはどこからその話を仕入れてきたのか。特に根拠があるわけではないが、タタラ・キイロの顔が頭に浮かんだ。昨日、中庭を出たところで、キイロと別れた。あの後のキイロがどうしたのか、どこへ行って、誰に会って、何を話したのかは知らない。しかし、その前のモモナとダクイの会話を聞いていたことは事実だし、どうやらキイロがそういったゴシップや噂話とも言えるような話題が好きだということも、本人の口ぶりから漠然と推察される。
「そういうつもりじゃない」 ひとまずダクイは没収の意思がないことを表明した。「ただ、どうしても目についたから気になってな」
「そうですか」 口だけで理解を示すと、スイカは鞄のファスナーを閉めて、その鞄を持ったまま教室の出入り口に向かって歩き出した。「では、次の授業が始まるので、失礼します。ダクイ先生も、早くこの教室から出て行った方がいいですよ」
「あ、ああ……」 スイカの背中を見送るダクイだったが、違和感。黒板の方を向いて教室全体を見渡す。女子生徒しかいなかった。そして、その誰もがダクイの方へ視線を向けている。
いつまでいるんだ。
女子生徒の視線はそう言っていた。
そしてダクイは、このクラスの次の授業が体育なのだと気付いたのだった。体育の授業前には体操着に着替える。もちろん、男子生徒と女子生徒が同じ教室で着替えるわけもなく、それぞれで教室を分かれて着替えを行う。だから体育の授業は必ず二クラス合同で行われる。スイカのクラスは、女子生徒が着替える教室だったのだ。そう思って改めて見てみれば、他のクラスの女子生徒も来ている。
そんなアカデミア中等部の体育事情はどうでもよくて、ダクイは急いで教室を出る。左右の廊下を見やると、鞄を肩にかけたスイカの後ろ姿が右側にあった。そちらにダクイは早足で進む。
早足ではあるものの、別にスイカを見失ったところで、彼女の目的地は何となく察せられる。
「また保健室か?」 スイカに追いついてダクイは言った。
「何か問題ありますか?」 ダクイを一瞬だけ横目で見て、またすぐ前に向き直るスイカ。「理由は一昨日説明したはずです」
運動をするとすぐに体調が悪くなる。どうせ保健室の世話になる。だから体育の授業には参加せず、初めから保健室に行く。それが彼女の言い分だ。ダクイはスイカが運動して体調を崩しているところを見たことがないので、全面的には信じられない、ただサボりたいだけじゃないのか、と思ってしまうが。
「理由は理解してるけどな。ただ、俺としてはやっぱり疑ってしまう」
「ええ、ダクイさんの気持ちはわかります。誰も信じてませんから。みんな、ただ私が体育が嫌いでサボってるだけだと思ってますよ」
「みんなって、先生もか?」
「サボっていると思っているのに、どうして他の先生は咎めないんだ。そう考えての質問ですね? まあ、それで本当に私に倒れられでもしたら問題になって困るから、ここは安全牌を取っておこうというわけでしょうね。その考え方を私が利用しているのもありますが」
「利用してるって……。結局、体を動かすと体調を崩すのは本当なのか?」
「さて、どうでしょう。それは私にもわかりません」 ゆっくりと首を横に振るスイカ。「子供の頃はそうでした。だから怖くて運動はまったくしていません。もう大丈夫かもしれないし、まだ大丈夫じゃないかもしれない。安全牌を取っているのは、私も同じということです」
「どうして、それを言わないんだ。一昨日だって、変に理屈っぽいことばかり言って……。初めからその話をしてくれれば——」
「私が保健室で体育をサボっていても文句は言わなかった?」
「ああ……」 と頷いてはみたものの、実際どうなっていたか、想像してみてもわからなかった。それを踏まえて聞いてもやはり、スイカの都合のいい言い訳と捉えたかもしれない。
二人で並んで階段を降りる。
「別に理解してもらう必要はないんです」 階段を一歩ずつ降りていく均等なリズムに合わせるように、スイカの言葉はどこか平坦な印象だった。「周りがどう解釈しようと、私の行動は変わりません。体育の授業に参加せず保健室にいる私、という存在は変わりません。もしも私の行動が誰かに妨げられれば、その時にちゃんとその人に理解してもらえばいいだけです。裏で文句言ってるだけの人にまでわざわざ説明して回るのは、面倒ですから」
声が遠くなるのを感じてダクイが振り返ると、スイカは踊り場で立ち止まっていた。その顔は俯いているように見えたが、ただ単に自分より下に降りているダクイを見下ろしているだけかもしれない。肩にかけた鞄の持ち手を両手で握りしめている。
どう声をかけたものかダクイが迷っているうちに、スイカの足は再び動き始めた。ダクイと同じ位置まで降りてきて、そのまま進む。ダクイも進む。
二人揃って階段を降り切った。
「俺は、お前に文句があるわけじゃない」
「それもそれでどうかと思いますが。ダクイさんの立場的に」
「あったとしても、お前に直接言う」
「そうでしょうね、ダクイさんは。今みたいに」
「文句を言ってるように聞こえたか?」
「いいえ。文句を言ってるようには聞こえませんでしたけど、文句があるようには聞こえました。言いたいことはあるけど、色々気にして言葉を選んでいるな、と」
保健室の並びに授業用の教室はないので、生徒はいない。昼休みならともかく、それ以外の短い休憩でここへ来る用事も時間もないのだろう。そんな誰もいない廊下を二人で歩く。
ここで何も言えないあたり、やはり自分は言葉を選んでいるのだろうか、とダクイは自問する。
やがて互いに無言のまま保健室の前に到着。
スイカが扉を開ける音。
「えっと、あの、ダクイさん。どこまでついてくるつもりですか?」 扉を開けたままの姿勢で振り返ると、スイカは言った。「それとも、保健室でお説教を続けますか?」
始業を告げるチャイムが鳴り始める。スイカは保健室の中へ。
「説教してるつもりはないんだけどな……」
言いながら、ダクイも保健室へ。
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