07

 踊り場を旋回すると、階段に座っているタタラ・キイロが真正面に現れた。中段の位置に座っているので、目線がちょうどダクイと同じ高さになっている。そんな彼女は制服ではなく、白いカットソーに黄色いオーバーオールという装い。昨日はただの偶然だと思っていたが、もしかすると、名前に因んで意図的に黄色い服を着ているのかもしれない。

「やっほー、だっくん。待ち伏せしちゃいましたー」

 昇降口から職員室まで最短距離で行こうとすると、この階段を使うより他にない。待ち伏せはさぞかし容易いだろう。思えば、昨日の出会いも偶然ではなく意図的なものだった可能性が高い。かと言って、わざわざ彼女との接触を回避するために遠回りをする道理はない。ダクイとしても、因子の一人であるキイロと接触できる機会に恵まれるのは、望むところだ。

「授業始まってるぞ」 突然登場したキイロに驚いていたが、冷静さを装ってダクイは言った。

「知ってる」 膝の上に肘をつき、両の手で頬を押さえるようにして、キイロは退屈そうに目を細めた。「あーあ、とうとう私が生徒だって気付いちゃったかー」

「やっぱり、わざと隠してたんだな」

「隠してないない」 キイロは片手を顔の前で横に振る。「だっくんが勝手に勘違いしたんじゃん」

「そりゃあ、そんな私服同然の格好で校内をフラついてたら、生徒だなんて思わないだろ」

「あっはっは、私ってばそんなに大人っぽいかなあ、なんて」 照れたように片手で口元を覆うキイロ。「ちょっと制服を着崩しただけだと怒られるけど、ここまで振り切っちゃうと、そもそも生徒だと思われないんだなぁ、意外と」

「確かに、まさかお前が生徒、しかも中等部のだとは思いもしなかったよ。で、何か話があるんだろ?」

「話? なんで?」

「俺を待ち伏せしてたんだろ。何の用もなく待ち伏せするのか」

「もう、だっくんてばつまんなーい」 これ見よがしに唇を尖らせるキイロ。「なんにでも理由を求めてたらつまんない大人になっちゃうよ。ほら、もっと気楽にさ。校内のレアキャラ、出会えたらラッキー、エンカウント率小数点以下、人の姿をしたケセランパサラン、眉毛コアラ、ハートピノ、その他諸々、歩く都市伝説タタラ・キイロとおしゃべりできるんだからさ。もっとこう、私としかできないお話ししようぜ。ほら、昨日も結局重たい話題で終わっちゃったしさ。新しく来た教育実習生とおしゃべりしたいだけじゃん。私って、えっと、なんだっけ? ビーバー?」

「ミーハーか?」

「うーん、ま、そんな感じ」

「いや、もっと腑に落ちたリアクションしてくれよ。俺の方がモヤモヤするだろ」

「ミーハーミーハー。いいじゃん何でも。だからほら、肩の力抜いて気楽にさ。そんなんで私と話してると疲れるぜ」

「だろうな。というか、疲れさせてる自覚があるんだな」

「自覚ないよりマシっしょ?」

「そりゃあ、そうだけど……」 そう開き直られると何も言い返せなくなってしまう。「おしゃべりしたいって言われても、そもそももう授業が始まってるだろ」

「だね」

「いや、だね、じゃなくて……」 なるほど、確かに真面目に相手をしていると、こちらが一方的に消耗しそうだ。キイロを授業に出るよう説得するのは諦めた方が賢明かもしれない。そうさせる義務感も別段ないことだし。「まあいい。じゃあ、どうして授業に出ないのか、聞いていいか?」

「だって、こんな格好で授業に出たら怒られるじゃん」

「だろうな。質問を変える。なんでそんな格好で学校に来てるんだ」

「トレーニングだよ」 即答したキイロ。おそらく、すでに何度もされている質問なのだろう。その証拠に彼女はすらすらと説明を始めた。「オシャレってセンスだけど、センスは鍛えられるんだよ。頭ん中だけでコーディネートしても都合の良い妄想。こうやって、実際に着てみてイメージとのギャップを埋めていくわけ。毎日コーディネートを考えて、実際に着てみて、周りの反応を確かめるのはトレーニングなの。学校は色んな人の反応が見れるし感想も聞けるし、外を歩くよりずっと効率的なわけ。街ですれ違っただけの人に、このファッションどう、なんて聞けないっしょ? でも同じ学校の生徒なら聞けるんだなあ」

「センスを鍛えたいのか?」

「当たり前じゃん。夢だもん」

「夢?」

「そ。ファッションとかアパレル系の仕事がしたいんだよね。だから今からトレーニング。学校って将来のために勉強するところでしょ。私のこの格好も将来のためのトレーニングなんだから、許してよね」

「許してよねって言われても、俺に私服登校を許す権利はないよ」

「あはは、だよねー。許さない権利はあるのにね」

「許さない権利?」

「そそ。それだよそれ」 キイロはダクイが抱えるぬいぐるみを顎で指す。「校則違反だって教えたのは私だもんね。さっそく没収したんだ。仕事早いじゃん。いやー、別にどうでもいんだけど、ただ、どうゆうつもりなのかなーと思って。もしかだっくん、あの子のこと、なんとかしようとしちゃってる? 助けようとしちゃってる? 頑張ろうとしちゃってる?」

 脇に抱えているぬいぐるみを見れば、ダクイが何をしたのか、聞くまでもなく理解できたのだろう。

「そんなつもりはない。校則違反なんだろ? だから没収しただけだ」

「昨日言わなかった? あの子のことはほっといていいって」

「怒ってるのか?」 キイロの口調に、どことなく怒気が含まれているように感じて、ダクイは尋ねた。

「うーん……、ふふっ」 キイロは意識して作ったような笑顔を見せた。怒らないポリシーなのかもしれない。「私はねえ、だっくんの勘違いを正してあげたいなー、なんて、思ってるんだよ」

「勘違い?」

「そ。もしかだっくんが昨日の今日で、しかも私が話したことだけで、あの子を可哀想な子だと思ったんなら、それ、勘違いだから」

「別に可哀想な子だなんて——」 思っていない、と心から言えるだろうか。その自信のなさがダクイの言葉を濁らせた。

 その隙を突くようにキイロが畳み掛ける。

「あの子は強いよ。だっくんの助けなんて必要としてない。誰の助けも必要としてない。あの子は、あの子とウニは……、完結してるからさ」

「完結? どういう意味だ」

「どうってきかれちゃうと難しいね。ほら、私って感覚で言葉選ぶじゃん」 腕を組んで考えるそぶりをするキイロ。しかしすぐ諦めたのか、腕を解いて両手を上げて降参ポーズ。「ま、いずれわかるんじゃない? だっくんがあの子のために何かしようとしても無駄なわけ」

「無駄かどうかは——」

「無駄なの」 どこか冷めた物言い。キイロは手の平を上に向けて、ダクイが抱えるウニを指差す。「だからそれ、あの子に返してあげて」

「それはできない。アカデミアの校則だからな」 と言いつつ、実際はダクイの都合、アカデミアの風紀など微塵も考えていない。

「ふーん」 唇を尖らせるキイロ。「そんじゃあ——」

 手を後ろにつくキイロ。立ち上がるのかと思いきや、彼女は跳んだ。階段を蹴り飛ばし、ダクイに向かって飛び込むように。

「危なっ——!」

 咄嗟にダクイは三歩後退。そこに空いたスペース、つまり一秒前までダクイが立っていた位置にキイロが着地。顔を上げ、ダクイと目を合わせる。にやりと口角を上げると、キイロはダクイが抱えていたウニをぶんどった。急に飛び込んできたキイロを躱すのに必死で、ウニを持つ手が緩んでいたのだ。

「こいつは怪盗キイロ様が頂いて行くぜ!」 キュッと靴音を鳴らして方向転換したキイロは、踊り場から飛び出し、そのまま一段も踏むことなく下の階に着地。「あばよっ!」

 追いかけようとするダクイだが、キイロのようなジャンプはできず、ただ急ぎ足で一段ずつ降りる。しかしそんなことでは追いつけるはずもなく、階下に着いて廊下を望んでも、キイロの姿はなかった。

 ダクイは追いかけるのを諦め、肩をすくめて溜息。

「怪盗って……、いつの時代だよ」

 まったく、掻き乱された。

 思えば昨日もそうだった。タタラ・キイロとの会話がダクイの決意を揺るがす。弱めのローキックを何発も食らわされている気分だ。万全の態勢で挑ませてくれない。

 彼女はウニをモモナに返すつもりだろうか。

 ミナモ・スイカも、ダクイがウニを没収したことに否定的な反応を示していた。

 それはウニ、モモナの家族です。それを没収するとは、ご立派ですね、ダクイ先生。

 あの子は強いよ。だっくんの助けなんて必要としてない。誰の助けも必要としてない。

 スイカとキイロに言われた台詞が思い出される。

 モモナにとってウニは心の支えではないのか。自分の考えに自信がなくなってくる。しかし、もうどうしようもない。モモナからウニを奪って現実を受け入れさせるダクイの策略は、キイロの乱入で失敗した。

 失敗という事実を受け入れると、急に自分の行動を客観視できるようになった。

 ルドウ・モモナに謝りたい、不意にそう思う。

 何をどう謝ればいいのか自分でもわからないが、とにかく彼女と話したくなった。

 それは単に、タタラ・キイロとの振り回されるような会話に疲れて、モモナとの穏やかな会話が恋しくなっただけかもしれない。そして、そういう風にダクイが考えることを、キイロは見越していたのかもしれない。それこそが、彼女がダクイを待ち伏せていた目的かもしれない。なんて、勘繰ってしまう。

「もっと気楽に、ね……」 キイロに言われたことを思い出して、ダクイはひとり廊下で肩をすくめた。

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