06

 挨拶運動。それは生徒会主導のもと、クラス委員も参加して、校門に立って生徒に挨拶するだけの活動。それにダクイは混じって参加していた。

 こんな寒い朝に大変だなあ、と心の中で横に並んで一緒に立っている生徒たちに同情。教育実習生だから参加している、ということになっているが、ダクイの目的はそこにはない。流れ作業的に生徒に挨拶していると、真の目的であるルドウ・モモナが登校してきた。

「おい」 ダクイは待ってましたとばかりに声を掛ける。

「あ、ダクイ先生」 モモナは立ち止まってダクイの方へ体を向ける。昨日と同じように、その腕の中にはピンク色をした犬のぬいぐるみが抱かれている。「おはよう」

 ペコリと上半身を折り曲げたモモナに、ダクイは挨拶を返さず、代わりに言った。

「そのぬいぐるみ、校則違反だ。没収する」

 顔を上げたモモナは、まるでダクイが口にした言葉の意味が理解できなかったように、キョトンと首を傾げ、何も言わなかった。

「昨日は来たばかりで知らなかったが、校則を確かめてみると、そのぬいぐるみは学業に必要がない私物に当たる。校則違反だ。だから没収する」

 これは嘘ではなく、アカデミアのルールに則った正当な主張である。昨日、モモナのぬいぐるみが校則違反であるとタタラ・キイロから聞いての作戦だ。これならモモナが嫌がったとしても、校則を盾に彼女からウニを奪い取ることができる。アカデミアの校則も確かめて、実際に違反であることも確認済みだ。

 問題は、モモナが素直に応じるかどうかなのだが。

「うん」 しかしモモナは腕を伸ばしてぬいぐるみをダクイに差し出した。「はい、どうぞ。ウニをよろしくね」

「えっと……」 抵抗すると思い込んでいたので拍子抜けしたダクイは、戸惑ってウニをすぐに受け取れなかった。「いいのか……?」

「うん、いいよ。だってダクイ先生だもん。他の先生なら渡したくないけど、ダクイ先生なら大丈夫!」

 想像以上にあっさりとしているが、作戦は成功。ダクイはモモナの手からウニを受け取った。

「どうして、俺なら大丈夫なんだ?」 昨日会ったばかりの教育実習生を、なぜここまで信用しているのか。有り難くはあるものの不思議だったので尋ねた。

「だって、ダクイ先生はウニのこと、私の家族だって言ってくれたもん。ウニをウニだと思ってくれてるもん」

 ウニをウニだと思って、というのは、ぬいぐるみ扱いしていない、という意味だろうか。だとすれば当たっている。ダクイはウニをただのぬいぐるみではなく、モモナの心の支えとして見ているのだから。だからこそ、彼女からウニを引き離すのには苦戦を強いられると覚悟していたのだが。

「だけどね、先生」 モモナはウニを手放して自由になった両手を顔の横で合わせると、顔を少し斜めにして艶美な微笑みを浮かべる。「ウニに何かあったら、許さないよ」

 その声色と仕草、さっきまでのモモナとは、まるで別人のようだった。それは単に、ずっと抱いていたぬいぐるみが無くなったことで、子供らしさが軽減されただけなのかもしれない。それとも、ウニを没収されたことで、心に何か変化があったのだろうか。

 ダクイとしては後者であれば期待できるのだが。

「わかってる、大丈夫だ、安心しろ」 元の彼女の表情に戻したくて、ダクイはモモナを落ち着かせるような発言を重ねた。「ウニはお前の、家族なんだからな」

「うん!」

 頷いたモモナの笑顔は、昨日何度か見たのと同じものだったので、ダクイは安心した。しかしなぜ安心したのか、何に不安を感じていたのか、それは自分でもわからなかった。

「じゃあね、先生。また後で!」 ぬいぐるみを持っていないからか、モモナは大きく片手を上げて左右に振った。

「ああ、後でな」 後というのは、いつのことを指しているのか。定かではなかったが、とりあえず適当に合わせておいた。想像されるのは放課後の中庭、昨日と同じベンチだった。

 ウニに何かあったら、許さないよ。

 そう言った瞬間のモモナの姿、そして表情を思い出す。もしかしたら、この感情は恐怖かもしれない。何か、彼女にとってとんでもないことをしてしまったのではないか、何かを狂わせてしまったのではないか、そんな恐怖。ルドウ・モモナという人格を固定していたボルトを外してしまったような感覚。何かが崩れそうな予感。それが不安の正体なのか。果たしてウニを失ったモモナがどうなるのか、予想がつかなくて畏怖を抱いているのか。

 ダクイは首を左右に振って、余計な考えを頭から追い出した。とりあえずモモナからウニを奪うことには成功した。次にやるべきことに考えを集中しよう。

 頭では別のことを考えながら、ウニを脇に抱えて挨拶を続ける。すでに目的は達成したものの、挨拶運動には最後まで参加していないと、不自然に思われるだろう。

「何を先生みたいなことをしているのですか、ダクイさん」

 校門に立っていれば全ての登校してくる生徒と出会うわけで。もちろんその中にはミナモ・スイカもいるわけで。ダクイをさん付けで呼ぶ生徒は、今のところ彼女しかいないわけで。

「おはよう」 挨拶運動はもちろんスイカにも適用されるので、ダクイはちゃんと朝の挨拶をした。

「おはようございます」 仕方なくといった雰囲気を丸出しの、口だけの挨拶を返すスイカ。頭も首も腰も、まったく縦に動かす気配すら感じなかった。「それは何ですか?」

 スイカの視線は、ダクイが抱えているウニに向いている。

「ああ、没収したんだ。校則違反だからな」

「答えになっていません」 元々キリッとした顔つきのスイカだが、眉尻が上がり、その凛々しさに拍車がかかる。「どうしたのかではなく、何か、と尋ねたのです」

「これは……」 ダクイはウニを、ピンク色の犬のぬいぐるみを胸の前まで掲げる。

 スイカの質問には、何らかの狙いがあるはずだ。果たして、自分は何と答えるべきなのか。ぬいぐるみと答えるか、それとも。迷った末、ダクイは 「ウニだ」 と答えた。

「ええ、それはウニ、ルドウさんの家族です」 スイカは一歩後退すると、腰に手を当てて首を斜めにした。「それを没収するとは、ご立派ですね、ダクイ先生」

 言い終わるや否や、スイカはさっさと歩いて行ってしまった。先生と呼ばれた。昨日は頑なに先生扱いせず、徹底してダクイをさん付けで呼んでいたスイカに。だが、嬉しいとは思えなかった。あんな皮肉混じりの先生呼びがあるか。

 明らかにウニを没収したダクイを責めている。結局あなたも他の先生と同じなのですね、暗にそう言われたのだ。しかしどうしてだ。昨日の保健室での様子を思い出してみても、スイカがモモナにそこまで肩入れしているようには感じなかったのだが。モモナはスイカを好いている様子だったけれど、スイカがモモナに心を開いているようには見えなかった。それとも、照れ隠しか何かで、スイカはモモナと仲良くないふりをしていたのだろうか。昨日はダクイがいたからで、もしも保健室で二人きりになったら、お互いに腹を割って楽しくお喋りをするのだろうか。

 今から十二年先のことを知っているダクイにとって、それはおかしなことではない。なぜなら、並行世界を発見したのがモモナでも、この世界とその世界とを繋ぐ装置を開発したのは、ミナモ・スイカだからだ。つまり、スイカはモモナの夢を技術的な面で応援する立ち位置にいたことは違いない。

 昨夜のファミレスで、ハチリキは因子という言葉を使っていた。

 三人の因子。

 ミナモ・スイカもその一人。

 今はルドウ・モモナにターゲットを絞っているが、ミナモ・スイカとタタラ・キイロ、二人の夢も場合によっては奪うことになる。

 夢。

 ウニと幸せに暮らせる世界に行くこと。

 俯くと、抱えられたウニと目が合ったような気になった。そのままじっと見ていると、モモナから離れてダクイの腕の中にあるそれは、結局ただのぬいぐるみにしか見えない。

 モモナの腕の中にある時は、どうだっただろうか。

「おはよう」

 言ってみたが、当然、ぬいぐるみから返事はなかった。

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