妖刀オルマド・キル・マ

第6話 ショルダーホルスター

 耳を擘く悲鳴と共に是良は目を覚ました。


「……なんだ、今の声」


 剥いだ布団、鳴り止まないアラーム、鋭い刃の感覚、


「ケイ……?」


 何か忘れている。自分で口にしたその名前に聞き覚えがある。けれど何も思い出せない。

 朧げな感覚のなかでゆらゆらと浮遊する不気味な感覚に苛まれたまま、スマホで時間を確認する。

 いつもよりも少し早い。


「学校に行かなきゃ」


 一階へと降りて朝食を用意する。テレビを付ける。重たい瞼を成すがままにする。黒い視界とニュースが混じり合う。


 ケイ。

 ケイ?

 ケ……イ?


『続いてのニュースです。失踪した女子生徒は今も発見されていません。―—行方不明となっているのは、県立箱根板橋高校に通う二年生の真丸ケイさん16才。最後に身元が確認されたのは、』

「―—ケイ?」


 あ。


「ケイ!」

 

 家を飛び出し、隣に建つケイの家に向かう。―—玄関は開いている。

 一階の居間には誰もいない。抜けて階段を上がり、ドアを開いた。ベッドにはついさっきまで誰かがいた痕跡だけがあった。


「―—遅かったね、是良」


 声の方へ振り向くと、窓を開けて遠く朝の青空を見つめる莫がいた。表情に翳りがある。


「これはループ。……まだ夢から目覚めてないって事なんだな?」

「そうだよ。枕童子をキミの夢から追い出さないと、永遠に目覚める事はない。現実のキミも、あのケイって子もね」


 白昼夢のような世界だ。

 事実、夢らしい。

 

「どうすればいい? 莫、教えてくれ。俺も戦う、悪夢はもう散々だ」


 いいね。そう楽しげに呟いた莫は、是良に布製のショルダーホルスターを手渡した。


「渡し忘れてたんだ。ランゲラウフを入れるといい」

「あの拳銃か。あれ、どこに置いたっけ?」

「ほら、あそこ」


 さした指の先には、勉強机の上に置かれたランゲラウフがあった。拾い上げてショルダーホルスターにしまう。拳銃はずしりと重く、夢の質量にしてはリアリティが強い。それが事態の深刻さを無言にも物語っているようだった。


「物思いに耽っている場合じゃないよ。奴ら、ボクたちを見つけたらしい。―—来るよ」


 ごくり。是良は生唾を飲み込む。これはまるっきり悪夢の続きだ。恐怖に立ち向かわなければいけない。

 莫は背中に背負った太刀をしなやかに引き抜くと、その切先を真っ直ぐに廊下へと向けた。示しわせたかのように世界が再び闇に包まれ、直後、開きっぱなしの扉の先、ずるずる、という巨人が鼻を啜るような不快な音が這い上がってくる。―—あの怪物どもかっ。


「ボクが先に行く。だから着いて来ればいい。背中、任せるよ、是良」


 くいと笑う。どきと心臓が高鳴る。すくとランゲラウフを引き抜く。


「ああ。やってやるぜ」


 しかし、暗い。

 夜の闇が世界を支配している。視界不良、これでは上手く戦えない。


「忘れたの? ここはキミの夢だ。目を慣らせ、夜目を利かせろ。そうイメージすれば、そうなる」


 廊下を進む背中から莫は言い、さっさと先へ向かって行く。

 ―—イメージする。夜目を光らせる、夜行性の獣。

 メガネのレンズ越しに沈む世界。霧が晴れるみたく視界を取り戻せ。

 直後、真っ黒だった世界に陰影がつく。夜目が利いてくる。薄らとした月光に照らされたように、輪郭が浮かび上がる。

 ―—いけるぜ、これなら。

 直後、飴屋は走り出した。廊下の奥、階段から上がってくるスライムらしき化け物。ギョロギョロと動かされた一つ目が視界に黒いジャージと紺色の学生スカートを捉えた時、


「手遅れって事さ」


 風船が弾けるように、化け物の粒子がから離散する。一片一片が蒸発するように解けて消える。

 莫は見上げるようにして刀を掲げた。

 刀には依然、一つ目が突き刺さっている。貫かれたリンゴだ。泡を立てながら、萎んで消えていく。引き換えに、刀身を伝って血のような黒い何かが滴る。それを莫は舌で絡め取った。

 面妖な光景だった。だが不思議と是良はもっと見ていたい気分になった。

 最後の一滴を舐め終えた莫は、きん、と刀を鞘に戻しつつ階段を下った。

 玄関を抜けて街に出ると毒々しい夜空が是良を睨みつけていた。


「莫、なんだか怖い空だね……」


 言葉に、莫も夜空を見上げた。


「確かに良くないね」


 けれどそう答える顔に恐怖の皺など一片もなかった。

 遥か太古より、月光とは異常者の象徴だった。

 月輪は人間を狂わせる。狼男は満月の夜に怪異へと変貌するし、月は無慈悲な女神の化身だ。

 しかし是良にはに思えた。

 闇の世界で味方になるのは、あの邪悪な夜空を光の穴で食い止める白い月だけだ。もしも月明かりがなけば、この世界は忽ちブラックホールと化すだろう。

 だ。真に恐ろしいのは闇なのだ。月光は狂気によって、真っ暗闇を渡る力を人間に与えているだけに過ぎないのだから。


「もしかして、怖くないの?」

「うん。だってボクは人間じゃないからね」


 人間じゃない。

 なら、一体何だと言うのだ?


「莫、教えてくれないか。君は何者で、何をしようとしているのか」


 ふん、と、目を細めて是良を見た。


「なら、人間って何さ?」


 想定していなかった返答に思わず是良は聞き返してしまう。

 ――何か、聞いちゃいけないこと聞いた?


「それって、どういう意味?」

「是良。ボクらはキミたちから生まれたんだよ。そしてここはボクらの住む世界。キミたちの生きる世界と何ら変わらないし、としか答えられない」


 ——夢の中が、莫たちの住む世界。

 莫は刀の鍔を掴んで逆手に持ち、柄頭を是良の顎下にくぐらせる。


に喰われて死にたくないなら、黙ってボクに協力すること。いいね?」


 是良は、少し興奮して、


「はい。どこまで付いていきます」

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