第2話 県立箱根板橋高校
畳の上に敷かれた布団。
悪夢に魘された少年は、無意識の内に剥いだ毛布をずるずると掛け直す。
直後、スヌーズ設定されたアラームが鋭い刃のように鼓膜を斬り、あぶく立てた。
斬られた。あぶく。刀を構えた、少女の顔―—
「―—おわぁああっ!」
直後、夢の感覚がフラッシュバックし跳ね起きる。勢いが余って引戸に背中から飛び込む。
「―—ちょっと、なに朝から暴れてるのっ?!」
飛び込んだ先にあったものは足だった。素足にスリッパを履いた、若い足。
少年は、鋭い睨みの眼光をヒリヒリと感じ、顔を上げた。
「起きたか、我が妹よ」
「うっせぇこの変態っ!」
反撃は拳だった。積み上げた瓦を叩き割るような一撃。
いや、瓦ではなく顔面だ。
その道、一◯年。
極真空手によってしなやかながらに凶悪に育った身体から、容赦なく叩き出された右の拳。少年は砕かれた。
「げへぁあッ?!」
無様な悲鳴を上げ、畳みへと沈む。
ふるふる。
顔を上げると、腕組みをして仁王立ちする妹―—と呼ばれた少女が、依然鬼の形相で見下ろしていた。
「是良、いま何時か知ってる? つーかスヌーズ設定すんならちゃんと起きろ。うるっさくて仕方ないわ」
「ケイ…… お兄ちゃんはな、極力学校には行かないようにしている。特に、遅刻しそうな日は、それに屈しない」
「黙れっ!」
容赦のないサッカーボール・キックが少年の顔面を二度目の惨劇現場にした。
『―—日本中で相次ぐ不審死。昨晩、神奈川県鎌倉市で、新たに一人、四◯代の男性が寝室で死亡しているのが発見されました。男性に目立った外傷はなく、』
「朝ごはん、食べてる暇ないよ?」
一階に降りてダイニングキッチン。テーブルに着いた少年―—
「しかし、でなければ、僕は動けません」
「そろそろ死にたいの?」
『―—待ってよ。死にたいの?』
瞬間に是良は目を見開く。今朝見た夢の断片が、その不気味な感触が爪の先から這い上がって来たからだ。
「や、やめろ! まだ死にたくないッ!」
「死ねっ!」
「―—それで? 不思議な夢を見ちゃったから朝からソワソワしてたって?」
「その通りだ。我が妹、信じてくれ。決してお前に発情していたわけじゃない」
「電車ん中でその呼び方すんなよ。シンプルに気持ち悪いわ。つーか、いつまで妹って呼んでるつもり? 腐れ縁でしょ。近所の一個上。母さんに頼まれてなかったら毎朝迎えになんか行かねーっつの」
「ああ。逆に考えてくれ。そういう気持ちが一切ないから未だに妹と呼ばせて貰っている。妹に発情していたら、そいつこそ本物の変態さ」
電車の窓から差し込んだ朝の陽に少年の黒縁眼鏡がきらりと光る。長めの前髪に隠れていたシャープな顔立ちが一瞬だけ無駄に際立って見えた。
「カッコつけて言うなバカ」
駅に着き、二人は電車を降りた。
小田原駅。
JR線や箱根ロマンスカーが乗り入れる構内は、県内でも有数の規模感を持つターミナル駅だ。
——県立箱根板橋高校。
少年・
目にかかるくらいの前髪と黒縁のメガネ。ありがちな陰キャラ然とした装いが、比較的人畜無害な量産型オタク感も醸し出している。
対する少女の名前は
陰と陽というべき二人は母親が姉妹同士で——所謂ご近所さんという関係性だった。
物心ついた時から、是良とケイの腐れ縁は始まっていた。血は繋がっていないが本当の兄と妹のように生きてきた。
「電車代、あとで請求するからね」
県立箱根板橋高校の正門が見えてくる。道には、登校する学生達が点々と続いていた。
「とにかく、だ。俺は夢の中で、それはそれは俺の性癖バイタルゾーンにド直撃な女の子と出会ったんだよ」
是良は説教師のような身振り手振りで語を続け、それをケイは呆れた顔で受け流しながら二人は歩いている。
「けれど、それは悲劇なんだ。その子は黒い刀を持って、俺の命を狙ってんだからさ」
「ねえ? いつまでこのクソトーク続けるつもり?」
「ケイ、最後まで聞いてくれ。あの刀は何のために存在している? 人を斬るためだろ。俺を斬り損ねたんだとしたら―—もしも俺の前に、もう一度その子が現れたら。その時、俺の、」
「俺の?」
是良は目を見開いた。さっきまで登校していた生徒達が、始めからそうだったかのように一瞬にして消えていたからだ。
「ケイ?」
名前が呼ばれた少女もいない。
―—何が起きたんだ?
「お・れ・の?」
ぱん。と手を叩くように、世界は一瞬にして宵闇の街になる。
少女が現れる。
背に太刀を背負ったブルーグレーの鬼太郎ヘア。くりくりとした黄色い瞳が、是良の心臓を止めに来た。
「言ったよね? ボクから迎えに行くって。いいや、」
体勢を屈ませると、背中から刀を引き抜く。
―—そうか、俺は勘違いしていた。
これはまだ、ここはまだ。
「夢の中からは、まだまだ出られないよ」
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