ある冬の日の朝
茶ヤマ
ある冬の日の朝
雪の上にホオズキの実が落ちていた。
まだ新聞配達も来ていないような早朝のことである。
降った雪が溶けず、根雪となる。その上にまた雪が降る。その繰り返しで北の土地での冬は白くなる。ただ白くなる。
すでに降り積もっている雪に、また数センチの新雪が積もる。すると、わずかな段差などわからなくなってしまうことが多い。
道の際も定かではなくなる。
そんな季節だった。
私の日々は、判で押したような同じようなことの繰り返しではあるが、それを別段なんとも思ったことはない。
たまに、友人と買い物に行ったり、お茶を飲んだりする。それだけである。
私は別段、美人でも有能でもない。普通という括りに埋没している。そんな存在だ。
繰り返し言うが、それを不満に思ったことはない。
済んでいるアパートのエントランスホールに入る両脇に、猫の額ほどの花壇がある。
そこに南天が植わっていた。
その南天の葉も実も、雪で包まれていて、わずかに葉のつややかな緑と、赤い粒が覗いているだけであった。
その花壇の淵に、ホオズキが落ちていた。
たまたま、早く起きすぎてしまった日の事だった。
雪を被った南天の実と対照的に、朱のホオズキの実は雪をまったく被っていなかった。
アパート前の小道は、夏でも車一台通るのがやっとの幅で、冬には小型の車以外は通らない。だから、除雪車も入ってこられず、スノーダンプや小型除雪機などを用いて人力で除雪する他無い。
まだ、誰も除雪のために起きてはいないようで、雪は積もったままであった。
そこに、一筋。
足跡があった。
どこからやって来たのかはわからない。けれど、アパートの前を通りすぎ、ずっと歩いて行った、そんな跡だった。
おそらく、この足跡の主がホオズキをここへ置いていったのだろう。
ただ、わずかに疑問なのは、足跡が立ち止まった形跡のないことである。
歩きながら放り投げて行ったのだろうか。
私は、そのホオズキをそっと手に取り眺めた。
ホオズキを持ち上げた時のわずかな音は雪に吸収された。そんな小さな音もないことで改めて、今の静寂を知った。
何の変哲も無い、普通のホオズキの実である。
私は、少し考え、雪で小さな杯のような形の皿を作り、それにホオズキを乗せた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カサリ、と何かが落ちる音がして目が覚めた。
体内に染みこんで来そうな冷気に抗いながら起きてみると、ホオズキの実が落ちていた。
秋祭りで何故か買ってしまった鉢植えのホオズキである。
暖かい室内においていたためか、こんな真冬に朱々とした実をつけていたのだけれど、その実が先ほど落ちたらしい。
赤いその実を手にし、まだ夜が明け切っていない外を眺めた。
雪が積もっていて、そこには誰の足跡も無い。
ならば私が真っ先に足跡を刻んでやろう。
そんな子供じみた思いつきでもって、私は外に出た。
ホオズキの実を一つ、手にして。
誰の足跡もない。真っ白な道。
道が狭いので車も通っていない。私、一人だ…。
足跡をつけているのは、実は雪そのもので、私というものではないのではないか。ふと、私が雪そのものと同化してしまうような、そんな感覚に襲われた。
それでも、ギュッギュッと雪を踏みしめ歩いていると、目の端に赤い色がちらりと止まった。
ここにもホオズキが?
私が手にしていた所為もあり、そう思ったのだが、その色の正体は南天の実だった。
私は、一歩踏み出した姿勢のまま、しばし立ち止まり、その南天を見た。
『あか』と一括りにしてしまうと、同じ色の種類であるホオズキの実と、南天の実。
けれども、まったく違う色。
私は、一歩踏み出した不自然な体制のまま、その南天の下に持ってきていたホオズキを置いた。
そして、また歩き始め、数歩行ってから少しだけ振り返った。
雪は降っていないにもかかわらず、確かにあるはずの私の歩いてきた跡は、ほとんど見えなかった…。
十五分も歩いただろうか。
少しずつ人が起き出してくる気配がある。
さきほどまで、ほぼ無音だった空気も、わずかにさざめきたってきている。
そろそろ戻ろう。
くるりと踵を返し、自分の足跡をたどった。
やはり人が起き出してきている。
自分の足跡は別の誰かのものと混じり、雪かきをしている家の前のものは消えていた。
先ほど、ホオズキを置いたアパートの前までやってきた。
私の置いた朱い実は、雪の皿の上に置かれ、その横に南天の実と葉で作られた雪ウサギが伴っていた。
ここを通った時よりも南天の実と葉の緑が鮮やかに目に入ってくる。覆い積もっていた雪が無くなっていたためだ。
私は、そっと、その雪ウサギを手にし、いただいていくことにした。
冬の朝、早く起きて散歩に出た時の、ただそれだけの話である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出勤時間にアパートを出ると、道はいろいろな足跡が入り乱れていた。
無論、私の足跡もその中の一つだ。
ふと、花壇を見ると思いつきで作った雪ウサギが消えていて、ホオズキを乗せた雪の皿の淵が数個の南天の実で飾られていた。
きっと、ホオズキを置いていった人がウサギを持って行き、南天を並べたのだろう。
根拠はないが、そう思った。
冬の朝、早起きをしたらホオズキの実が落ちていた。
ただ、それだけの話である。
ある冬の日の朝 茶ヤマ @ukifune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます