第15話 消えたリョーコ(2)
「警察官なるもの、疑うのが仕事なんです。思い込みや既成概念で疑うべきものを疑わなければ真実を見ず、大きな犯罪を見逃すことになります」
まっすぐな意見をまっすぐ言う警官だ。
風人は正論を真正面から突き付けられ
「そこには同意します」
と答えた。
「大変だったな」
背の高い、白衣を着た人のよさそうな男が警察署に入って来て、日高女史に声をかけた。
「これは日高先生。ありがとうございます」
須田警官が日高と呼んだ男に礼をした。
「あなた、迎えに来てくださったのね」
男は日高女史の夫、日高院長らしい。
「それが、今からまた検死なんだよ。もう一件変死があってね」
「もう1件?」
「お前も知っているヒトだ。寺島さんだよ。今日の夕方自宅で亡くなっていたそうだ」
「ええ!寺島さん?あんないい人が?」
何年前の事だろう。小さな犬は夢をみていた。
白く柔らかい光で満ちた部屋。
「この子はこれからずっとあなたの友達よ」
髪の長い女性が、(しかし、逆光で顔はわからない)ベッドにいる上半身を起こした少年に、子犬を渡した。その情景は犬の視線から見たものである。
「まだ生まれて半年だけど、とても賢い子よ」
「ありがとう、姉さん」
少年は犬を受取り、頭を優しくなでた。
「えま。あなたはこれからずっと涼介の、この子の友達でいてあげてね」
髪の長い女性は、犬の頭を撫でた。
もらい事故のような出来事にあたふたした挙句、人吉の旅館に帰り、風人が布団に入ったのが午前1時を過ぎていた。風人とリョーコは眠りについた。
寝静まってから暫くした頃、傍らに眠るリョーコが誰かに呼ばれたようにふっと頭を上げた。きょろきょろと周りを見渡すと、部屋を出て、廊下を走り、旅館の玄関から道路へと出て夜の闇の中へ消えていった。
「姉さんがいないんです」
旅館の廊下で真木と出くわした風人が、元気のない声で言った。
「姉さんって、もふもふリョーコちゃん?」
「そうなんです。今朝目が覚めたらいなくて。旅館中探しましたけどどこにもいないんです」
風人は死人のように生気のない顔で真木に言った。
風人は、ついに歩く力も失ったように、旅館の部屋の畳の上に、糸の切れた操り人形よろしく、力なく座っていた。
風人のスマホの呼び出し音が鳴る。
スマホのモニタには「酒匂先生」と表示されていたが、風人は取る気配がない。鳴り続ける呼び出し音にたまりかねて真木が電話を取った。
「おお、風人、俺だ。今朝家のトイレにリバイアサンが出てな。そいつが洞穴を塞いでトイレが水浸しになりそうなんだ。俺のエクスカリバーはどこにある?」
真木が気を利かしてスピーカーフォンに切り替えていたので風人にも内容が聞こえていた。
「この人、イタイ人なの?何言ってるかぜんぜんわからないわ」
真木が恐ろしいものを見る目でスマホを見てから風人に向き直った。
風人がぼそぼそと答え始めた。
「酒匂先生は、朝トイレでたくさんウ○コするんです。その量が尋常じゃなくて。リバイアサンというのは先生のウ〇コこで、トイレが詰まったからエクスカリバーと名付けたスッポンスッポンの場所を聞いているんです」
「あの会話からよくその答えを導き出せるわね」
信じられないものを見たような顔の真木。
「階段の下のクローゼットに仕舞ってあると言ってください」
「――って、日花君が言っているわ」
「誰だアンタ?」
電話の向こうで男が尋ねた。
「真木栄子と言います。偶然居合わせた者です。日花君とはしばらく前から顔見知りで、でも今日の日花君少しおかしいんです」
「おかしいとはどんな風に?」
と男に尋ねられた。貴方も相当おかしいけどという言葉を呑み込んで、
「わんこのリョーコちゃんが今朝からいなくて、そのせいか日花君が萎れてしまったようになって」
と状況を説明した。
一呼吸おいて男は
「バグったな」
と言った。
「は?」
「えまは賢い犬だ。風人から離れるとは考えにくいな。何かあったのかもしれない」
「えま?」
「ああ、悪い。リョーコの事だ。リョーコは風人の安定化装置というかバランサーなんだよ。バランサーがないままエンジンを回すと、振動で壊れてしまうだろう?それと同じさ」
何言ってんだろうこのひと、表現が偏りすぎていてわかりづらいわ、と真木は思った。
「今から大急ぎでそこに駆け付けるが、4時間ほどかかる。顔見知りということだが、それまで風人を見ていてやってくれないだろうか」
男の声色が急に優しくなったなと思ったとたん、ぷつん、と電話が切れた。
「ええ?今から?でも東京からここまで4時間で来れるかしら?」
真木は事の次第を母に説明して、風人の部屋で男を待つことにした。
酒匂は羽田から鹿児島空港へ飛び、レンタカーで九州自動車道を人吉まで北上した。この地に土地勘があるようだった。
「風人の知り合いって言うから、どんな人かと思っていたら、凄い美人じゃないか」
酒匂は部屋に入るなり、真木を見て言った。
年のころは50代後半、背は高くなく低くなく、白髪混じりの短髪で身なりは整っているが眼光はやたら鋭かった。ビンテージ物のジーンズに革のジャケットを着ていて、ちょっとワルそうなオジサンの雰囲気を醸している、しかし、
「手間かけさせてすまなかったな、こいつの頭、ときどきバグるんだよ」
と発する言葉はあまり一般的ではなかった。
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